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zoom RSS さがゆき即興ワークショップ(2008年9月27,28日 民宿「かごや」にて)取材記

<<   作成日時 : 2009/03/09 22:39   >>

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さがゆき公式HP
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さがゆきワークショップ公式HP
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1.はじめに

 今回のワークショップは、1泊2日の合宿形式。受講者は16名。参加者は全員、人前での演奏(歌唱)経験があり、大半は、有料のライブやイベントにも出演経験があったが、ミュージシャンばかりではなく、ターンテーブルを操るDJも参加していた。男女比は、2:3位で女性の方が多かった。
 今年の6月、都内のライブハウス「なってるハウス」で開催された前回のワークショップ(半日)と比べ、今回のワークショップは合宿形式で時間的余裕もあるせいか、講師(さがゆき)の指導内容は、順を追った段階的なものとなっていた。講師の目指す「即興」のあるべき姿が、これまでになく具体的に説明され、かなり「形になってきた」印象のあるワークショップだった。


2.初日ウォーミングアップ

 ワークショップ初日の冒頭は、前回と同様、闇の中で耳だけを頼りにした完全即興の体験。今回は会場を真っ暗にはできなかったため、参加者は全員、目を閉じて、周囲の音に耳を澄まし、自分の内部に音が満ちてきて音を出したいという衝動が起きたときに音(または声)を出し始め、自分の出すべき音が無くなったと感じたら音(声)を止めるよう指示された。
 そして全員が目を閉じてこの日初めての即興体験がスタート。誰がはじめの一音を出すか分からない。自分がいつ音を出すのかも、(そのタイミングを頭で考えて決めてはいけないので)分からない。いつ終わるのかも分からない。
 参加者達は、「完全即興とは何か」を、いきなり体験することになるが、始まって30秒もしないうちに、参加者達の奏でる音は重なりはじめ、しばらく様々な音の重なりが現れては消えた後、特に合図も無く、この日初めての即興セッションは終了した。
 次に講師が出した課題は、先ほどとは対照的に、短時間で集中的に、自分が音を出すことに意識を集中させる体験。講師の「せーの」の合図で全員が一気にありったけの音を出す。周囲の音に注意を向ける時間と、自分自身に注意を向ける時間とを、一通り体験した後、いよいよ講師の「音楽論」が語られる。


3.即興論

 今回講師(さがゆき)は、TENSEGRITY (日本語訳は張力統合体)という建築用語の引用により、実に明快に、自分が考える音楽(家)のあり方を説明していた。tensegrity とは、20世紀の建築のみならず、工学・芸術にも大きな影響をあたえた バックミンスター・フラーが1949年に発表した設計概念で、構造体に加わる張力がバランスを取り合って、極めて強固で安定した形状を保つ立体構造を指す。細いワイヤーや薄い膜状の壁面など、単独では非常に脆弱な部品を組み合わせて作られる建築物などの人工物のみならず、人体の骨格と筋肉のバランス、体内の隅々にまで張り巡らされている血管など、自然界にも広く見られるtensegrity を例に挙げながら講師は、音楽表現においても、(自己の)演奏への集中と、他者(の出す音)への集中という、一見相反する意識が、まるで tensegrityのように、非常に高いレベルでバランスし得ること、それこそが、即興に限らず、音楽表現の理想形であると説く。

 更に講師は、望ましい即興セッションの比喩として、粘菌類の生態を挙げる。粘菌とは、自らも移動する胞子植物のような生物で、動物と植物双方の特性を併せ持っている。捕食時はアメーバ状となり、繁殖時には胞子状になり、移動時は無数の粘菌が集まり、一体の軟体動物状になって移動するなど、生活場面に応じて、極めて柔軟かつ高速にその形態も、種としての生態も変化させながら環境に適応する(個体同士のコミュニケーションは、各個体が放出する化学物質を通じて行われると考えられている)。優れた即興セッションでは、メンバー一人一人が、粘菌類のように独立しながらも、全体としては常に一体のアメーバであるかのように連携しながら、自由自在に姿を変えていると講師は語る。

講師が受講者に配布したプリントにはこう書かれている。
>ほんとうにいい演奏のあとは「自分がガンバった」のではなく、「自分は何もしなかった」と感じる。
>以前から言っている「無になる」というのはこんなバランスの取れた状態かも知れない。
>一切の拘束、観念、雑念、等から解き放たれて自由になり、浮遊し、時空を、我を・・忘れる。

 講師であるさがゆきにとって、音楽の真髄は、あくまで演奏(発声も含む)行為それ自体の中にあり、頭で考えて出来る範囲を超えた部分にある。彼女が、既に数十年に達する長いキャリアの中で、他に例が見当たらないほど柔軟でユニークなライブパフォーマンスを繰り広げているにも関わらず、その存在が、既存のジャンル分けされた業界でも、「大学」「芸術」関係の世界でも、ほとんど語られることが無いのは、彼女自身が、(他の多くの業界人、芸術家、教員達が拠り所としている)「様式(ジャンル)」や「〜論」に全く縛られていないせいかも知れない。


4.初日実習?編(講師さがゆきの真骨頂)

 座学の後の実演は、3人一組のセッションとなった。まずは、3人ずつ、交代で、短時間音に集中するセッション。次は、前回も行った講師独特の方法で、3人ずつのセッションでスタートし、「自分の出したい音は出し終わった」と思った者からセッションを抜けていく。そしてセッションから一人抜けたら必ず他の一人が入り、常に3人が即興セッションに参加している状態を続ける。誰がセッションをスタートさせるか、どんな順番でメンバー交代するかも一切決めず、メンバーさえも即興で決まって行く。参加者に活発な主体性求められるエクセサイスである。

 3人一組のセッションをひとしきり終えたあとは、講師から、参加者一人一人へのアドヴァイス。ここで講師は、参加者の演奏技能など技巧的な側面には一切触れず(技能を磨くためのワークショップではないので)、参加者一人一人の、音の聴き方、音を出すタイミング、音の変化のさせかた、発想の膨らませ方、音を止めるタイミングなど、感覚的な側面に的を絞りアドヴァイスを与えていく。先に行われた講義で、講師は、聴くことと、音を出すことのバランスを強調していたのと同じく、ここでも講師は参加者一人一人に、自分の音を出してしまう一方にも陥らず、周囲の音にあわせるばかりの伴奏にも陥らないよう、更に、パタン(リズム やフレーズなど )の組み合わせに陥らないよう注意を促すのだが、個々のアドヴァイスの鋭さが、講師さがゆきの真骨頂である。

 このワークショップに参加し、ワークショップで参加者に課される課題を盗み、さがゆきの音楽観をオウム返しのように受け売りするだけなら恐らく誰にでもできる。楽器が何一つ弾けない筆者でも可能かも知れない。しかし、さがゆきほど、関わる音楽のジャンルも経験もばらばらな参加者(参加者は音楽家だけではない)一人一人に対して、彼らの活動にとって必要な課題を見極めてアドヴァイスできる指導者が、日本の音楽界にいったい何人居るだろうか?ひょっとしたら世界中を探しても、数えるほどしか居ないかも知れない。

 ただ、即興ワークショップでのアドヴァイスは、感覚的な事柄に関する内容なだけに、講師から発せられる言葉は、時として極めて抽象的であり、受け手にはかなりの芸術的想像力が求められる。今回、その極めつけだったアドヴァイスは、
「まだ会った事も無い死んだ人に会うつもりでやってみなさい」(どうやって?)
さすがにこのアドヴァイスには、講師本人も笑っていたが、講師は参加者全員に対し、
「みんな(まだ)ちゃんと死んでいない。ちゃんと死ねなければちゃんと生きられない。」
と指摘していた。ここで言う「死」とは、敢えて一言で言ってしまえば「自分(自意識や手癖)を完全に捨て去る」ことを意味するような気がするのだが、そう簡単に出来ることではないだろう。巷で「創造」と呼ばれている行為のほとんどは、自分へのこだわりの延長であり、世俗的な意味でCreativity が求められる世界では、自分へのこだわりはむしろ、言うまでもない当然のこととして無意識化されてしまう。参加者の、自己への洞察力と、発想の柔軟性が問われる場面である。

 参加者一人一人への講評が終わった後、初日最後のセッションタイム。このセッションでも、同時に演奏するのは3人だが、今度は、演奏する参加者だけが立ち上がり、残りの参加者は床に座ってリスナーに徹する。メンバーの交代は一人ずつではなく、今度は3人のセッションを完結させた後に、新たな3人のセッションを始める構成。メンバーは今回も立候補制&早いもの勝ちで、参加者には積極性が要求される。参加者達が発する音からは、単調さが、少しずつ消え始めていた。講師からのアドバスもいつの間にか、「ちゃんと死ね」など精神論的な内容から、音の展開がどうこう、など、音楽的に、具体的になっていった。


5.初日を終えて

 ワークショップ終了後は、夕食をはさんで浜辺での花火大会。そしていよいよ、合宿にはなくてはならない夜の宴。はじめのうちはおしゃべりに花が咲いていたものの、そこはアーティストの集まり。それだけで終わる訳がない。いつの間にか一人、二人と楽器を手にして音を出し始める。おまけにこれは即興の合宿。普通に曲を弾くだけで終わる訳がない。手にしている楽器は、必ずしも自分の物ではない。自分が弾ける楽器ではない。それどころか、持ってる物が楽器じゃない。空になった酒のつまみの袋を一箇所に集めたり、トイレットペーパーを投げたり、音ではなく身体表現に走る者も出てくる。気がつけば講師も床に寝そべりながらウッドベースと格闘している。そんなシュールな光景が、夜中の2時過ぎまで延々と続いて行った。

 筆者は先に、このワークショップは技能を磨くためのものではないと書いたが、講師からのアドヴァイスは、人前での演奏(or歌唱)経験をある程度積んだ者にしかピンと来ないであろう抽象的な表現が多く、決して素人向けのワークショップではない。実は筆者も、ワークショップ主催者の命令により、ワークショップ初日は途中まで強制参加させられ、必死で即興の輪に入ってはみたものの、講師からは「やるなら周りの音を聞きながらちゃんとやる。やらないならやらない。はっきりさせるように」と、手厳しい講評を頂いた。はじめる前からある程度予想していた顛末ではあるが、楽器は全く弾けず、歌もカラオケ以外の経験が無い筆者は、リスナー経験が長いとは言え、どうすれば「ちゃんと」音を聞いて反応したことになのか?皆目見当がつかなかった。やはり音楽表現という行為を、自分なりにある程度探求したことがある者のための、ワークショップだと思う。


6.そして2日目(朝からアクセル全開)

 2日目は、昨日夜に会場に到着した参加者も居たため。昨日の座学の復習からはじめ、その後、即興セッションがスタートした。2日目のセッションも立候補制。ただし今度は、立候補した者が自分のセッション相手(2〜3名)も指名しなければならない。昨日にも増して積極性が求められる実習だが、もう誰も躊躇しない。次々と、セッションはスタートし、セッションが終わり、講師の短い講評が終われば即座に次のメンバーが決まって行く。昨日と比べ、参加者各自の持ち味(良い面も、体に染み付いてしまった表現のクセも)が一層鮮明になってきた。講師のアドヴァイスもより一層、音楽用語が増え、具体的になってきた。一つ一つのセッションは、10分にも満たない短い時間だが、彼らが奏でる音の多彩さは既に、巷でよく出くわすアートイベント(美術館のキュレータが企画するものも含め)での、ありがちな(一見小難しそうに見える)パフォーマンスの域を超えていたかも知れない。長年にわたる実践の積み重ねで自分なりの芸術観を積み上げてきた講師さがゆきと、付け焼刃の知識で芸術をいじくろうとする連中との違いが、こういう所に出るのだろう。


7.抜き差しならないラストスパート

 実を言うと筆者は、所用のため、2日目午後の部は見届けられずに現場を離れることになったのだが、後日講師から聴いた話によれば、この日の午後、参加者達は、午後のわずか数時間で、それまでの1日半をはるかに超える変貌を遂げたとのこと。ただしそれは、筆者のような第3者が、現場に居合わせないで良かったと思えるほど、講師が、参加者に対し、容赦なく厳しい姿勢で指導をした末の成果だったようである。

 ある参加者は講師に、「あなたの声は全然私に届かない」と繰り返し指摘されたそうである。もちろん声量の問題ではない。テクニックに頼り、テクニックを身につけたところで安心してしまうと、聞き手の心に刺さる音が出なくなる。講師は、身に染み付いたテクニック、というか、クセを自覚できないでいたこの参加者に対して、ショック療法同然の態度で接することで、この参加者に、自らを縛っていたクセに気づかせることに成功したのである。講師の態度は非常に厳しいが、クセに陥ると人に伝える力が弱まってしまうのは、音楽に限らず、「表現」と呼ばれる営み全てに当てはまる話だと思う。

 またある参加者は、「音と音の間に何も無い」と指摘されたそうである。講師の言葉を借りれば、音楽は本来、耳に聞こえる音と音の間にも、音が満ちていなければならない。指がよく動くからといって、漫然と、音数を多くしたり、音と音の間の無音の時間に、音楽への集中力が抜けてしまうような態度を、講師は戒めているのではないかと思うが、それはともかく、この参加者は、まるで禅問答のような講師の指摘が意味することを理解し、合宿が終わる頃には見違えるような即興を展開させたそうである。

 講師が参加者に配布した数枚のプリントのうち一枚には、「タマシイの奥底に抱えているどうしようもない何かが、命となってほとばしる。それが音楽。それが芸術」と書かれている。さがゆきは、命がほとばしるのを邪魔する手クセ、思い込みなど、身体的、精神的「壁」を徹底的に破壊することを要求する。壁に寄りかかるのを許さない。参加者の中には、実際、即興演奏中に何かが降りてきてしまった者も居たそうだが、その「降りてきた」ものはまさに、参加者本人曰く、「ずっと心の中に抱え込んでいた」何かだったそうである。

以上。

文責:日本サウンドスケープ協会  佐藤宏

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