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zoom RSS 「芸術」という虚構

<<   作成日時 : 2009/06/02 23:44   >>

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フランス人による、フランス映画界に対する辛らつな現状分析
http://www.diplo.jp/articles09/0902-4.html

けれどこれ、フランス映画に限った話でしょうか?行政が支援する各種現代芸術全てに当てはまるような気もします。

はじめは個人的な都合から出た試みだったものが、たまたま大受けしたもんだから、周りが勝手に理屈つけて権威化して、今度は、その権威にあやかって名声を手に入れようとする「2匹目のドジョウ」狙いが大量発生するけど、得をするのは、彼らのための学校作ったり、彼らに金を使わせる方法を考えた連中だけ。ボッタクられるのは作者と観客。

それは、アメリカでも日本でも同じでは?。
勢いで作ってしまった作品に、上手いこと後付の理屈をつけて、ハクを付けて高く売る。現代美術作品のそのしくみを、最も良く理解してアメリカで大成功を修めたのが、日本のアニメキャラを彷彿とさせる立体作品で有名な日本人作家ではないのでしょうか?

その手口を、行政ぐるみで活用した典型例が、去年の秋開催された横浜トリエンナーレだと思います。作品の説明では、社会問題と結びつけた多彩な理屈が展開されていましたが、その役目はジャーナリストやNPO活動が、芸術より分かり易くて本質を突く形で担っている昨今、芸術という抽象的な形で社会問題を語る意義はどこにあるか?考え直すべきでしょう。
http://hiroshi-s.at.webry.info/200906/article_3.html

音楽でいえば、例えば、
人生の後半で、西洋近代音楽に関わる固定観念、権威を挑発し続けるかのような活動を展開したジョン・ケージを、まるで古典的な意味での作品(様々な場所で、同じ形で永続的に上演・展示されることを意図して作られ作品)の大家であるかのように権威化し、再演と称して、いかにも現代音楽な(つまり、お決まりの、ありがちなパタンの)芸(と言えるレベルかも疑問だけど)で、自分達のポジションを維持しようとする一部のアーティスト達。

固定観念を破り続けた芸術家のパフォーマンスが、いつの間にか、ひとつの固定観念として神格化されている。

私は現代芸術は大好きですが、残念ながら、それらに対する評論はほとんど信用できないと感じています。

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