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zoom RSS 良くも悪くも「手段」でしかない

<<   作成日時 : 2010/02/12 00:50   >>

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先日、東京での所用ついでに、電子メディア・アートの関係の2つの展示を見てきました。
一つは、初台のICCインターコミュニケーションセンターで開催されていた
オープンスペース2009
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/Openspace2009/index_j.html
と、可能世界空間論
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Exploration_in_Possible_Spaces/index_j.html

もう一つは、東京都現代美術館の
サイバーアーツジャパン
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/cyberarts/

可能性世界論を除いては、日本における電子メディア・アートの歴史を振り返る展示で、中には現在の目から見ても色あせず面白い作品も、ありました。現在の目で見ても、発想や技術が、斬新だなと思える作品もありました。
今は「ポスト・ペット」の発明者として知られる八谷和彦さんはその代表格でしょう。彼の「視覚交換装置」は市販品を使ったシンプルな仕掛けながら、人間の脳の適応力に関して、新たな発見をもたらす発明だったと思います。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000902

とは言え、自然科学領域での貢献や、(後の実用品開発につながる)工学的貢献やエンタティメントとしての面白さ以外に、何かあったかと言うと・・・

コンピュータ・テクノロジを用いた未来を提示した「可能性世界論」展の展示内容も含め、やはり技術(エレクトロニクス)は良くも悪くも手段でしかないようです。それを使って人間の意識がどうの認知がどうのコミュニケーションがどうの世界がどうの議論したところで、私も以前はその種の文書をあれこれ読みましたが、宗教(検証せず信じることが前提の世界)の真似事以上の何かがあったか?

結局のところ、本人が現実世界の中で、生身の身体でもって経験し、学んだ以上の発想は、出てこないのではないでしょうか?次々と開発される新技術を使った電子アートが咲き乱れた1980〜1990年代にかけて1950〜1960年代のSFに無い発想が生まれたでしょうか?電子技術を駆使したアートが、具体的かつ実用的目標を持って進められる技術開発に先んじて、何かを予言、あるいは発見したでしょうか?

振り返ってみれば、実生活で使われたインターネットや携帯電話の方が、アーティストの思考よりはるかに速く、人類を変えてしまったように思えます(もちろん表面的な行動レベルの話で、人間の精神になんらかの質的変化があったかというと・・・?)。

というのを再確認できた点では、行ってよかったかな?

先日の日記でも書いたことですが、「作品造り」から離れ、社会に対する「アクション」をこれからの芸術とみなそうと訴えたヨーゼフ・ボイスさんは、やはり先見の明があったと思います。芸術「作品」は、彼の死後急速に、何かを予見する力も、人の心や人々の営みの深層をあぶり出す力も、失いつつあるように見えます。

それにしても「サイバーアーツジャパン」展は、ボッタクりに近いものがありました。メディア・アートは観客の前で実演しなければ(または観客に作品を使用させなければ)作品として成立しないのに、装置だけ置いてる作品(それも電源を切った状態で)がいくつも。作品の耐久性など工学的制約があって、実際に動作させるは難しいのかも知れませんが、メディア・アートの展示を企画するのであれば、企画者(美術館)がそれを補う方法を提供してしかるべきでしょう。

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