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zoom RSS 「アーティスト」という職業の終焉?

<<   作成日時 : 2010/05/12 23:55   >>

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ライブハウス通いを始めて6年になるけれど、結局のところ、何度も聴きたくなるようなアーティストはあまり見つからず(少なくともジャズor即興系のパフォーマンスでは)、最近は、はじめに耳にした、さがゆきさん(http://www.aruma.be/)と、加藤崇之さん(http://www.ne.jp/asahi/site/kato-takayuki/)以外のライブにはあまり足を運ばなくなってしまいました。

二人とも、オーソドックスな楽曲(それも、ジャズに限らない)を、恐らく日本でトップレベルの技能と表現力で演奏したり、歌ったりした上で、即興表現では、恐らく世界中でも追従できるアーティストは殆ど居ないだろうというほど何者にも囚われない表現(だから英語では improvisation ではなく abstract と呼ばれる)を展開する。私の知っている範囲で、彼ら以上に(楽曲の表現力に卓越した上で)奔放なことが出来るのは、邦楽(箏)の澤井一恵さん位。

彼らの演奏を聴いていて、楽曲とAbstract は別世界の表現ではなく、楽曲表現を極めた上で自らの内側から湧き出るものを素直に表現すると、(必然性があるなら)音階やリズムといった構造が自然と解体されてAbstractになるんだなあと実感できるのですが(さがさんは常々「曲も即興も本質は同じ」と語っているし、加藤さんは、80年代に即興をはじめたきっかけの一つが「ラヴェルやストラヴィンスキーの交響曲のような世界を即興で描いてみたい」という思いだったと、何度か語っていました)、

いわゆる即興(またはインプロ)など、表向き「前衛的」とされてるパフォーマンスのほとんどが、そんな「極め」ようとする試みとも、演者にとって「必然性」ある「自然」な展開とも、ちょっと違うなというのが、だんだん分かって来てしまいました。

先人達が既成概念の壁を壊すためにやったことを、既成概念が壊れた後もだらだら続けるもんだから、それが単なる伝承芸になり創造性を失ってしまう。その上大方のプレーヤは、アバンギャルドな方向に行くと、スタンダードな表現力の進歩が止まってしまう(ならまだしも衰えてしまう)。基本が出来ない言い訳として即興その他の「前衛」っぽい芸でごまかしているだけ。

楽曲演奏もその多くがパタンの組み合わせ。かつて誰かが使ったスタイルの編集作業。生演奏なのに、一期一会を感じさせる部分が無い(ちなみに、さがゆきは常々、潮先郁男さん http://www.geocities.jp/txcny685/ の楽曲演奏を、「究極のインプロヴァイゼーション」と絶賛している)。

アンダーグラウンドシーンというか、インディーズシーンというか、そういう世界が、地道に表現の幅を広げる(ぞの前提としての技能向上も含めて)人たちの集まりというより、それが面倒な連中が、手っ取り早く面白いことやって、内輪で盛り上ってあわよくばお金も稼ごうという世界になりつつあるような・・・
横浜のA、杉並区のA、台東区のN・・時代を切り開いてきたハコが、博物館化しているような気も・・

いや地下だけでなく、大上段に「論」を振りかざす現代芸術(音楽)界も、同じかも知れません。


そうでなければ、売れてなんぼの営業系。

どれもアートとはいい難いでしょう。毎度おなじみのことしかしない大道芸か、良くも悪くもビジネスか。

私が毎週作品を展示しているギャラリー factory CORE
http://www.factory-core.com/
を主宰する村松慎介氏は、1990年代から、「作品創りとは別に生活の手段を持たなければアーティストにはなれない(お金にすることを考えたら芸術は続けられない)」と言っていましたが、実際その通りの状況になりつつあるような気もします。

先日、さがゆきのライブ終演後、さがさんが、客として来ていたアマチュアのシンガーを、「彼女の歌はほかと違う」と言ってステージに立たせ、彼女に一曲歌わせてあげました。
その彼女の歌唱は、テクニカルな部分では課題が多いものの、口先だけで歌う今時の大半のプロシンガーとは一線を画した、体の底から声を出すような表現でした。好き嫌いは分かれるにしても、本人の半生からにじみ出る表現。

これからはこうした、芸術以外の仕事で生きる糧を得ながら、むやみにライブシーンで注目されるのを目指すのではなく、自分がクリアすべき課題を地道に勉強し続ける人の中から、本物が生まれる時代になるのかも知れません。
長引く不景気のせいか、都会人のライフスタイルが変化したせいか、ライブハウスへ足を運ぶ人も長年減り続けていると言われる昨今、表現者がアーティストとして食べていくことができる時代は、終わりつつあるのかも知れません。

それは音楽に限らず、日本画あがりのポップアーティスト(というより商売人)が語る「世界のアートシーン」が、現実世界の全てであるかのように吹聴する、日本の視覚芸術界も、状況は似たりよったりではないでしょうか?

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