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zoom RSS 故・城下るり子さんのこと

<<   作成日時 : 2010/08/15 14:51   >>

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以前、私が何度も作品展を見に行き、お話も伺った造形作家の城下るり子さんが、2年前に亡くなっていたのを知ったのは、つい先日のことでした。

現在、インターネット上で彼女の名前を検索して、関連ホームページにアクセスすると、環境問題をテーマにした野外作品ばかり作っていた作家のような印象を受けますが、私の記憶に残っている城下さんは、そんな単純に、思想から作品を作るような、政治的な人ではありませんでした。

彼女は少なくとも1990年代までは、屋内(ギャラリー)での作品発表もしばしば行っていました。その頃の屋内展示でよく見られたのは、アクリルや粘土で作った、見方によってはウン○みたいな物体を無数に並べたり天井から吊ってみたり、むしろそんな、自分の中にある得体の知れない要素と向き合った結果生まれたような作品でした。そうかと思えば、「旅の途中」というテーマの作品展では、会場に足袋を並べ、「旅だから足袋」と言ってニヤリとするような人でした(同じテーマで、スウェーデンで作品を作ったときは、確か池の水面に足袋を配置した作品だったように記憶しています)。大上段に思想を語ったりせず、無邪気な一面を覗かせながら、不思議で、それでいて威圧感の一切無い人(と作品)だったので、私は彼女の作品展に何度も足を運んでいました。

ただ、その頃の彼女の作品が、美術業界でどのように評価されていたのかは、分かりません。私が(良い意味で)気になっていた、彼女の中の得体の知れない要素は、作品を理屈っぽく捉えれば、コンセプトが不明瞭、あるいは主題と作ったモノとの間の必然性が弱いという見方も出来たかも知れません。私が彼女の作品展をよく見に行った当時の、彼女の屋内作品は、インターネット上ではほとんど公開されていません。
(下記のURLは、彼女の屋内作品をネット上で紹介している珍しいページです)
http://www.tacnetwork.net/shiroshita/index.html
http://www.tonan.jp/sjp-love/jp/shiroshita.html

その後私は、1999年から3年間、仙台へ転勤してしまったので、彼女の動向をつかめなくなってしまい(今のように、ネットで何でも検索できる時代ではなかったので)、彼女の死を知った先日まで、彼女の作品を目にする機会も無かったのですが、現在ネット上に公開されている、2000年代の彼女の作品を見ると、特に2003年頃からは、良くも悪くもコンセプトを明快かつ前面に打ち出した、いかにも現代造形作家的な作風が、中心になって行った印象を受けます。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/mae58.htm
http://www.ioe-hiki.com/japan/2005/works/shiroshita.html
http://www.ioe-hiki.com/japan/2004/works/shiroshita.html
http://www.ioe-hiki.com/japan/2003/openair_photo/pages/SHIROSHITA%20R01.htm


そう言えば、どこのギャラリーで見たかは忘れたのですが、ある時彼女が、何か古い生地のような作品、私がそれまで見た、浮世離れした感のある彼女の作品とは違った、ある種重苦しい空気さえ感じる作品を出していた記憶がありました、その時彼女は、作品について、昔の女性達の人生(女性がのびのびとは生きられなかった時代)も、受け止めて行きたいというような話をしていた記憶があります。彼女がこれから、作家として意識し始めた社会性(歴史性)と、自分自身が持つ、ある種浮世離れした感性との間に、どんな形で折り合いをつけて行くのか?興味を覚えた記憶があります。今から10年前後前、彼女の意識の中で、何かターニングポイントが訪れていたのかも知れません。が、今となっては知る由もありません。

彼女の娘さんが1973年生まれだと知ったのも、彼女の死を知った先日のことでした。娘さんの年代から計算すると、城下さんは私より一回り程度年上だったはずですが、私はてっきり、彼女のことを、せいぜい4〜5歳位しか離れていないお姉さんだと思っていました。とても若く見えただけに、若くして亡くなってしまったのが惜しまれます。

また、城下さんが亡くなる直前に開催されていたらしい、親子展の出品作品を見ると、亡くなる直前の城下さんは、以前の大掛かりな作品とはうって変わって、普通の家の壁にも展示できる大きさの版画や、扇子に彩色した作品なども製作していたようです。それが、彼女の守備範囲が広がった結果なのか?彼女の体調から来る制約だったのか?これも、今となっては知る由もありません。

実は、城下るり子さんが晩年、作家兼コーディネータを努めていた、「国際野外の表現展」の会場は、私がこの秋から関わることになるかも知れない、東京電機大学理工学部(鳩山キャンパス)でした。私がこの時期に彼女の死を知ったのも、何かの縁かも知れません。


蛇足:
近年、"BASS NINJA"と名乗って活動中のベーシスト、今沢カゲロウがまだ無名の頃、彼に演奏の場を提供したのも城下るり子さんでした。私が90年代の半ば、彼の演奏を始めて聴いたのも、城下さんの個展会場でした。その時の演奏では、なかなかトンガった感性を見せてくれていた彼ですが、最近のライブ演奏は、トンガっているというより、大道芸のような印象は否めません。次々といろんな技を繰り出すものの、音楽的な脈絡も無く、一つ一つの技巧のレベルも中途半端な水準に留まっていて・・・・このままずっと忍者ショーのままなのか・・・?

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