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zoom RSS ビートルズとストーンズとヨーゼフ・ボイス

<<   作成日時 : 2011/04/19 02:46   >>

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今、私が週替りで作品を出品中のギャラリー”Factory CORE”で、主宰の村松氏と雑談をしていたときのこと。

村松氏曰く、ビートルズとローリングストーンズのライブ映像をYou Tube で片っ端から見た挙句、ローリングストーンズが今なお現役で、ビートルズが71年に解散してしまった理由が良く分かったとのこと。
なぜか?
ローリングストーンズのライブでは、観客が音楽を聴きながらバンドと一体になっているのに対し、ビートルズの観客は(全員がそうではないのでしょうが)音楽そっちのけで喚声を挙げるばかり。

ビジネス上の成績でも、知名度でも、音楽シーンへの影響の大きさでも、ビートルズはローリングストーンズより遥かに上。けれど、どちらのグループが、音楽をやるためのバンドとして上手く行ったのか?

ビートルズのメンバーは解散後、各々の道を進み、特にオノ・ヨーコと再婚したジョン・レノンはメッセンジャーとしても世界から注目され、大きな屋敷と多くのスタッフに恵まれ・・
けれど、豪邸とは別に、ダウンタウンにアパートを借りて暮らすことになり、ジョンはそのアパートの暮らしで命を落とす。

方やストーンズは、歴史に残るようなメッセージは遺してないけれど、良くも悪くもメンバーが各々の生き様を晒しながら年を取り、日本の基準では”高齢者”と呼ばれる歳になってもロックンロールをやり続ける。

「どちらの生き様が、アーティストなのか?」
村松氏は問いかける。作品という結果より、リアリズムを芸術の核に据える村松氏の答えはもちろんストーンズ。
ジョン・レノンが手に居れた邸宅などの財産については、「結局金に縛られた」と言う。確かにそうかも知れない。

改めて思う。
芸術家(アーティスト)の存在価値とは何なのか?世界を変えるようなメッセージを出すことなのか?出さなければ価値が無いのか?

メッセージが大事と言うなら、個人が誰でも普通のパソコンショップで売っているデジタル機器で、世界に情報発信できる現在、ジャーナリストや様々な問題の中で働いているNGO(NPO)の人達の方が、アーティストよりよほど発信力も説得力(痛切さ)も普遍性もある。わざわざアートの道具を揃えなくても、自分達が、日常で使うツールで世界にメッセージを送れる。語学が不得手ならデジカメで撮った絵を使えばいいだけのこと。心を伝えるなら言葉にならない声でいい。

村松氏との話題が音楽から「アーティストとは?」という話に移った折、一年ちょっと前に見た、ヨーゼフ・ボイスの回顧展の話をしてみた。
http://hiroshi-s.at.webry.info/201002/article_1.html
http://hiroshi-s.at.webry.info/201002/article_2.html
http://hiroshi-s.at.webry.info/201002/article_3.html

私の理解では、ボイスの語った「拡張された芸術」の、非常に分かりやすい具体例が正に、彼の死後一般に広く知れ渡った、各種NGO(非営利団体)の活躍や、ビデオジャーナリスト、そしてインターネットの一般解放後、ホームページやブログ等を通じて社会に自分の活動や思いやアイデアを発信するようになった無数の個人活動であり、その結果、作品を作るという行為の価値が、改めて厳しく問われているのでは?という思いがあったので、

村松氏に、「ボイスの言った、”拡張された芸術概念”というのは結局、当時のアーティスト達への批判だったのではないか?」と言ったところ、村松氏からは、「彼は(当時の芸術家達に)”喝”を入れたんだよ」という応えが返って来た。

社会を変えるためならば、具体性のあるメッセージを発信するためなら、芸術作品(ましてや現代芸術の)よりも、はるかに望ましい行動がいくらでもある。芸術はそのためにあるのか?

そもそも芸術は、「変える」とか「メッセージ」とか、成否や優劣で評価され結果を目的に行うものなのか?結果的にそういう評価が与えられることはあるにせよ。

今、世間で「芸術」と言われている行動は、妙な結果目当てになっていないか?だから、既にジャーナリストが何度も語っているようなメッセージを、後出しじゃんけんのように受け売りして芸術のフリをしている奴らが大きな顔をしたり、アートマーケットというニッチな市場で商業上の成功を納めたビジネスマンの、普通ならビジネス誌のネタになるような成功事例が、あたかも日本を代表する芸術家であるかのように祭り上げられるのではないか?

その結果、芸術(というより表現という行為全体)がますます社会から孤立し、芸術に携わる人達自身の首を絞めている(要するに自殺行為)のではないか?

個人的には、芸術とは、そういう結果を出す原動力になる、個々の「生き様」を尊重する社会を支えるものだと思っている。「甘え」や「わがまま」ではなく、こうすればウケるとか話題になるという結果を期待した「生き方」でもなく、個が背負ってきたものを隠さず、そこから逃げもせず正面から向き合う「生き様」。少なくとも自分にとって、作品(写真)を作り続けるのは、自分の中にある借り物の固定観念をそぎ落して、背負っているものを確認するため。歩き始めたばかりだし、そぎ落とした末に、残るものがあるかどうかも分からないけれど。

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