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zoom RSS 6/22加筆:差別という概念自体が無かった時代

<<   作成日時 : 2011/06/22 16:30   >>

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今年は法然上人生誕八百周年だそうです。法然上人は、それまで特権階級の学問だった日本の仏教を、民衆のための教え(現代的な意味での宗教)として、あらゆる人に分け隔て無く布教した先駆者として、歴史に刻まれています。

世の中に、歴然とした身分差別があった、というより統治の基本構造が身分制度だった時代。”差別”という概念自体が、現代から過去を振り返る視点であって、当時は恐らく、”平等”という概念自体が存在しなかったのでしょう。

人間には生まれながらに貴賎の差があるのが自然の摂理のように見なされていた時代、仏の道を進む機会を与えられた人々の中には、経典に記された理想の生き方と、現実をどうすることも出来ずに死んでゆく民衆(道端に遺体が放置されているのが当たり前の社会だった)との落差に心を傷める人も、大勢居ただろうと思います。

自然科学が殆ど体系化されず、経験則の積み重ねでしかなかった当時の日本では、仏教は唯一の科学だったでしょう。けれどその仏教は、裕福な特権階級や超人的な修行に耐えた人間に、救いの道を示しても、世の中の大多数の民衆には、何の救いも与えない。おまけに当時の日本では、仏教の布教は御法度。6世紀頃日本に仏教が伝来して以来ずっと、仏教はあくまで国家を統治するための学問であって、民衆に知られてはならない国家機密だった訳です。

分け隔て無く民を救う教えだったはずの仏教を、なぜ民衆のために生かしてはならないのか? 大和朝廷が日本を統一してから、自らが仏教で得た知恵を生かし、今で言う慈善事業に身を投じた僧は和知れず居たと思います。空海のように、今で言う土木工事のプロデューサを日本各地で引き受けた(その多くはフィクションかも知れませんが)天才も居ました。

けれど、法然上人の登場まで、布教という違法行為で民衆を救おうとした僧は現れませんでした。いや、実際には無数の僧が試みたのかも知れませんが、大きな運動になる前に活動を潰されてしまったり、一般人にも理解できる教義を編み出せなかったのかも知れません。

国家権力に独占されていた膨大な情報の中から、学問に接する機会も文字を学ぶ機会も無い民衆にも理解できるエッセンスを抽出し(それだけでも常人がいくら努力しても達成できない成果ですが)、五百年以上守られてきた禁を破って、全ての人を一切の分け隔て無く極楽へ導く。

身分の貴賎が自然の法則のように当たり前だった(差別という概念自体が存在しない)時代。現代的な意味での「宗教」という概念が存在せず、仏教が(現代の自然科学に相当するような)学問だった時代に、人々を、「分け隔て」なくという発想をしただけでも、とてつもなく独創的なのに、更にそれを具体化する方法まで編み出し、実行してしまった。

浄土思想の基本の一つである「悪人正機説」も、法念が日本で最初に、理念として明確に打ち出したと言われています。ただしここで言う悪人とは、現代的な意味での悪人、つまり悪事を犯さない選択肢があったにも関わらず悪行に陥った人間ではなく、生まれながらの境遇のせいで、倫理的に好ましくない事に手を染める以外、生き残る方法が無かった人々を念頭に置いた言葉で、悪人正機は、こうhした境遇の人達の救済を願った理念だとも言われています。
法然の両親は、(今で言う軽工業)技術を持った裕福な渡来人の末裔で、法然の父は地方官吏だったと言われています。が、官吏と言えば聞こえは良いものの、実際には、その出自ゆえに地方の利権の調整役を任され、彼は、法然がまだ幼い修行僧だったときに、その利権争いで暗殺されたと言われています。

法然が最後に父を訪ねたとき、父は、「間もなく私は殺されるだろう、しかし決して、仇を取ろうなどと考えてはいけない」と言い残したと伝えられています。自分の出自ゆえに殺戮の応酬に巻き込まれ、けれど息子には、その連鎖を断ち切るよう言い残した法然の父。法然の言う「悪人」とは、自身の父のような境遇の人達だったという説もあるそうです。

日本の歴史上初めて、現代的な意味での”宗教”を布教した人物として歴史に残る法然上人の功績は、思想上の革命と言っても差し支えないでしょう。実際、革命だったからこそ、権力から弾圧を受けたのでしょう。

法然が始めた現代的な意味での宗教はその後、親鸞日蓮を通じて様々な祈りに展開され、日蓮に至っては(特権階級ではなく)民衆の平和を最上位概念に置いた統治システム構築という、当時の政治的価値観を180度ひっくり返すような運動を試みます(結果的には弾圧されますが)。法然とは全く別の出発点から生まれた禅宗も、武士階級から民衆へと広まって行きました。

よく、日本の文化は「侘び寂び」とか「和の心」とか言われますが、それよりほんの数百年歴史を遡って見れば、法然、親鸞、日蓮などに代表される極めてラディカルな思想運動が存在したことを、私達は忘れてはいけないと思います。「侘び寂び」の元になった禅宗にしても、室町時代に一休禅師のような、ラディカルな思想家(今で言う、リアリスト、実存主義者か?)を生んでいるし、現代の茶道の源流となった千利休にしても、わざわざ喧嘩を売るような表現法で、旧来の価値観や慣例を打ち破って行った(その結果何人かの弟子は殺され自らも切腹を命じられる)わけです。

法然、日蓮は革命家
一休 利休はパンク
と理解しても、差し支えないのではないかと、思います。


参考:浄土宗ホームページ
http://www.jodo.or.jp/index.html

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