さとうひろし 一有権者のブログ 

アクセスカウンタ

zoom RSS アートも科学も

<<   作成日時 : 2011/11/29 16:48   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

必要なのは先人達のスピリッツを学び、継承すること。それが不十分なまま思想や方法論や様式を継承したところで、創造など生まれるわけもなく、良くても猿マネ、悪ければ権威主義の強化にしかならない。芸術も科学も。

科学でも芸術でも、理念や理論、手法や様式を会得するのは先人達の精神に触れるため。それは自分の現世でやるべきことを見出す手段であって、目的ではない。目的と手段を履き違えて科学を学ぶ者は環境破壊を加速し、目的と手段を履き違えて芸術を学ぶ者は文化の生命力を奪う。しかし科学でも芸術でも、履き違えた者が価値基準を支配してきた日本。

科学教育を受けた者が、科学的検証という基本を封印し、原子力という原理的に破綻する産業をばら撒く。
芸術教育を受けた者が、自律した精神の尊さを封印し、過去の様式や方法論の権威化を競う。そればかりか、(科学と違い客観的検証が成立し得ないのを良い事に)、せっせと付け焼刃のパタンをこしらえては、その権威化を競う。

福島第一原発事故のおかげで、科学技術の世界では、基本に立ち返る機運がいくらか高まったものの、芸術はどうか?

固定観念を打破した時点で使命が終わった行為の表象のみを、”作品”として分離し、”再演”、”展示”と称して使い回すことで自らの権威化に走るキュレーター達。
ジョン・ケージの「4分33秒」は、スピリッツの継承を怠り、自らの権威化を図る(あるいはそのおこぼれにあずかろうとする)者達の手によって御神体となり、今日もどこかでケージ”作品”の”再演”は続く。

晩年「拡張された芸術概念」によって、現代芸術における”作品”に痛烈なアンチテーゼを投げかけたヨーゼフ・ボイスは、死後、自らが過去制作した”作品”によって、権威主義者達に取り込まれてしまった。自身が造った作品の”展示”によって、「拡張された芸術概念」は封印され、彼の存在は、彼自身が脱却しようとした、錆び付いた世界の歴史の一部になってしまった。

しかし、幸か不幸か日本では、東日本大震災によって、科学にも芸術にも縁遠かった人々による、手探りの復興活動が大きな注目を集めるようになった。

福島第一原発事故に立ち向かう、組織ともセクトも無縁の市民達による、同時多発的自衛運動によって、本来の使命を捨て利権や権力に走った科学者達は、次々と化けの皮を剥がされて行った。

少なくとも日本の場合、
科学者も、芸術家も、これを機会に淘汰された方が、科学も芸術も、新たな展望が開けるのではないかと
思います。





テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
アートも科学も さとうひろし 一有権者のブログ /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる