さとうひろし 一有権者のブログ 

アクセスカウンタ

zoom RSS ”コンテンポラリ”の現場を知っている人達(その2)

<<   作成日時 : 2012/01/24 02:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

1月13日のライブ終演後、出演者ナガイ・ショウコが現代音楽のプレーヤであることや、バークリー音楽院で、体系的な専門教育も受けたという過去から、話題は現代音楽事情へ。

会場となったライブハウス「エアジン」のマスター、梅本さんはかつて、交響楽団にトランペッターとして在籍し、武満徹ほか現代音楽の演奏経験も豊富。1960年代から70年代にかけては、実際にヨーロッパに住んでいたので、著名な作曲家と実際に仕事をした事もある人。

今では巨匠とされるシュトックハウゼンも、ヨーロッパで彼と仕事をした梅本さんの印象では”変人”。自分の作品上演で、とにかく自分がどこかに出ないと気が済まない人だったそうで、自作の演奏中に、パンツ一丁でステージの端から端まで歩いて行ったこともあるそうです。

今の日本では神格化されがちなジョン・ケージも、当時のヨーロッパでは特別著名な存在ではなかったそうで、梅本さんは、ケルンで彼と初めて仕事をしたとき、彼がアメリカ人であることも知らされず、彼のファーストネーム"Cage"の読み方が分からなかった(ドイツ語読みで「カゲ」かと思った)そうです。

その時の演奏で梅本さんの楽譜には、異なる音高の3つの音符だけが書かれたいたそうです。 そして、何の説明もなくリハーサル開始。梅本さんが譜面に書かれた音を「これかな?」と吹いて見ると、ジョン・ケージからダメ出し。「譜面に書かれた音は、出してはいけない音」だと言う。ところがこの譜面、実は五線譜の左側に何の記号(ト音記号など)も書かれていなくて、基準の音高が分からない。梅本さんが質問すると、ジョン・ケージは、「音の高さは演奏者が決めればいい」と言ったそうです。

つまり演奏者は、ジョン・ケージが指示したルールの範囲内で、自分の好きな音階を作れば良い訳で、梅本さんによると、この例に限らず、ジョン・ケージの作品には、(ある程度以上のスキルがある)演奏者をワクワクさせるような、魔法があったそうです。シュトックハウゼンの作品の中にも、音を出すパートの楽譜には何も書かれず色が塗られているだけ(どう音で表現するかは演奏者任せ)、"Silent"と書かれた楽譜が来たら、演奏のフリをする、という作品があったそうで、数々の現代音楽作品の演奏を経験した梅本さんの話では、面白い作品に出会ったときは、観客の存在も忘れて、演奏に夢中になってしまったそうです。

梅本さんによれば、1960〜1970年代の途中までは、今と違って、現代音楽がまだ、様式化されてなかった時代だったので、演奏家はそれぞれ様々な表現を試み、作曲家も(特にジョン・ケージは)、自分が意図しないハプニングをむしろ喜んでいたそうです。もちろん、それまでの音楽の良識を覆す訳ですから、必ずしも観客に受け入れられる訳ではなく、演奏が終わる頃には殆どの観客が劇場を出て行ってしまい、わずかに残った観客から大喝采を浴びる、という結末も珍しくはなかったそうです。けれど作曲家も楽団も、劇場主さえも、それを良しとする空気が(少なくとも梅本さんが長く住んだケルンには)あって、現代オペラでは、舞台に戦場をあまりに生々しく再現したために、招待されたお年寄り(戦争経験者)が何人も、救急車で病院に運ばれるような公演(開演前から救急車を何台も待機させてある)もあったそうです。

梅本さんがヨーロッパに住んでいた1960〜70年代は、このように、新しい、というより掟破りの演奏が次々試されていたそうですが、演奏家としての経験が必ずしも豊富でない作曲家にとって、自分が頭の中でイメージした音を演奏家に伝えるのは、実際にはかなり困難な作業で(作曲と演奏の分業化が進んだ20世紀後半は、その方が普通になってしまった)、作曲家と演奏家の橋渡しをしていたのが指揮者だったそうです。日本人で言うと、小澤征爾さんも、武満徹やジョン・ケージなど、現代音楽の作曲家と演奏家の橋渡しで活躍した一人だそうです。

今の日本では、ジョン・ケージはじめ、現代音楽に大きな足跡を遺した人達が神格化されがちですが(梅本さんもナガイさんも、”神格化”という言い方をしていました)、新しい表現が生まれる現場では、今では神様扱いされている人達も、あれやこれやの試行錯誤を(時には奇行も)繰り広げていたようです。考えてみれば、どんな分野でも、創造の現場というのはそういうものですが、一度何らかのスタイルが市民権を得てしまうと、現実に起きていたことは忘れ去られ、神話が生まれるのは、分野を問わず世の常なのかも知れません。

ナガイさんの話では、いわゆる「ジョン・ケージおたく」(ジョン・ケージの業績の記憶や記録の収集や作品再演に夢中になる人達)はアメリカにも少なからずいるそうですが、そうした、形として残った部分に熱中する活動は、創造や、芸術精神の継承とは、ちょっと違うのかも知れません。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
”コンテンポラリ”の現場を知っている人達(その2) さとうひろし 一有権者のブログ /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる