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zoom RSS 絵画に学ぶ即興(連休美術展巡り その2)

<<   作成日時 : 2012/05/13 01:49   >>

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先の連休中はもうひとつ、「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」も見に行ってきました。

彼が20年以上に渡る創作活動の末に辿り着いたアクション・ペインティング、とりわけ彼の名を世界に知らしめた、オールオーヴァーと呼ばれる、画面のどこにも重心や方向や構図らしきものを作らない作品について遺していた言葉が印象的でした。

キャンパスの上に塗料を垂らすプロセス自体については、「経験からして――塗料の流れをコントロールすることは可能であるように思われます。大部分はね。私は用いません――偶然は用いません――なぜなら、私は偶然を否定しているからです」と述べ、偶然に任せるのではなく自らの技能によるコントロールを重視する一方、「絵の中にいる時、私は自分が何をしているのか気づいていない。」「私は変更したり、イメージを破壊したりすることを恐れない。なぜなら、絵画はそれ自身の生命を持っているからだ。私はそれを全うさせてやろうとする」と語り、そのコントロールによって、意図的に何かを描くことも否定していました。

ひとつひとつの動作は表現者の技能に裏付けられている一方、その技能に、”意図”を介入させない。これは視覚表現・聴覚表現を問わず”即興表現”に共通する考えではないかと思います(即興は、偶然とは違う)。私の友人さがゆきが、自らの「完全即興」を語るときも、指導するときも、「ほんとうにいい演奏のあとは「自分がガンバった」のではなく、「自分は何もしなかった」と感じる。」、「普段は思考力を高め、演奏では忘れる。顕在意識が潜在意識に移った時、本物になる。」、など、常々同じようなことを語っています。
そしてさがゆきが、しばしば同じステージで即興と楽曲との間をシームレスに行き来するように、彼女より半世紀以上前の時代に新たな表現を開拓していたポロックも、オールオーヴァーに留まる事なく、やがてオールオーヴァーと抽象的な構図、更には具象との自由な融合を模索するようになりました。けれど当時のアートシーンはそれを衰退と評価し、彼は再びアルコールに溺れ、自殺同然の事故死を遂げてしまいました。

こうした先人達の挫折の積み重ねがあって、現在の自由な表現が、表現として受容される社会があるのだなと再認識した次第です。それと同時に、ジャクソン・ポロックのように歴史に名を残した先人達にとって、彼らが到達したスタイルは、それぞれ、彼ら自身の人生にとって必然性のあたもので、必ずしも他者に必然性があるとは限らない、ということも、再認識させられました。

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