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zoom RSS 日本による国家テロ

<<   作成日時 : 2012/12/09 01:59   >>

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日本国内で行われる歴史教育の中で、客観的事実に明らかに反している歴史改ざんのひとつが、1941年12月8日に日本軍が行った、米軍人数千人を一方的に殺した大量虐殺です。

日本ではこれを「真珠湾攻撃」と呼び、奇襲であると教育していますが、「攻撃」も「奇襲」も、交戦状態下、つまり宣戦布告後の出来事に対して使う言葉です。しかし旧日本軍は周知の通り、宣戦布告を行う前に、数千人の米国人を殺戮しています。これは疑う余地もなく国家テロであり大量虐殺に他なりません。

この時日本軍は主目標だった米軍空母を発見することが出来ず、この作戦は軍事的にも失敗だったのですが、にもかかわらず、日本軍は米軍側が応戦体制を採る前に、民間人も含め数千人を、手当たり次第に殺戮しています。

日本政府が12/8時点でもなお、(表向き)対米交渉を続けていた点を考えても(日本政府が既に開戦の意思を固めていたことは、米政府も暗号解読によって把握していたとされていますが)、この殺戮が「奇襲」の類でないことは明らかです。

このテロについて日本では、
「日本政府は駐米大使宛に宣戦布告を打電したが、大使館員が打電内容をタイプするのに手間取り、結果的に、宣戦布告が攻撃後になってしまった」
という話になっていますが、 専門教育を受けた外交官が、宣戦布告という一大事を口頭で伝えることもせず手書きで伝えることもせず、悠長に下手なタイプで文章を打っていたというのは、明らかに不自然な説明です(ましてや日本政府は既に開戦の意思を固めていたのですから、駐米大使にとって宣戦布告は、本当に寝耳に水だったのでしょうか?)。

タイプに手こずると攻撃開始に間に合わないタイミングで本国から宣戦布告が打電された事自体、当時の日本政府がはじめからテロを狙っていた(当初から現地の外交官をスケープゴートにするつもりだった)ことを疑わせるのに十分な状況証拠ではないかと思います。近年、テレビ番組や出版物で何度も報じられている通り、当時の日本政府内は、軍部でさえ、米国との戦争で勝てるとは考えていませんでした。にも関わらず、政府内の支配力争いに引きずられ、誰も開戦に反対せず、得られる見通しの無い戦果を迫られていた状況を考えれば、誰かが、結果的に宣戦布告が間に合わなかったというシナリオでテロを画策していたとしても、不思議ではありません。

ルーズベルトが日本軍によるテロの日時を事前に察知していたか(暗号解読によって)どうかについては諸説ありますが、それは米政府の米国民に対する責任問題であり、仮にルーズベルトが真珠湾テロを事前に知りながら、あえて現地には伏せていたとしても、日本軍の卑劣な殺戮に、弁解の余地はありません。

そもそも日本が米国・英国と開戦することになったのは、日本政府が満州事変の後始末で落とし所を探るのを拒み、国際連合を一方的に脱退したのがきっかけで、その後も米英が日本に敵対せざるを得なくなるような政策を採り続けた挙句、米英と敵対関係にあるドイツ・イタリアと、(日本政府内の反対を押し切って)三国同盟を結んだこが原因です。当時の日本政府は、自ら進んで経済力・技術力が遥かに勝る米英と対決する道を選らんだことは、客観的事実として否定のしようがありません(それ以前に、日本が近隣のアジア諸国に対して行った侵略行為が、人道的に許し難いことは、もはやいうまでもないと思います)。

かつての日本が、世界の近代史上稀な、自滅的外交政策を採り続け、近代国家として例の無い卑劣な国家テロを、国家の名の下で行ったことを、私たちは忘れてはいけないと思います。

最近は「愛国者」を名乗り、アジア諸国の政策や人権問題を鬼の首でも取ったかのように批判する輩が目立ちますが、自国の歴史を直視できない人間に、外国のことを指摘する資格などありません。

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