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zoom RSS アーティストはミュージシャンより創造的なのか?

<<   作成日時 : 2014/04/07 23:15   >>

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18世紀末の産業革命を機に、人類は自然の模倣や手仕事の蓄積から離れ、定規で引いた図面通りにモノを作る術を手にしました。抽象芸術も現代音楽もモダン・ダンスもコンセプチュアルアートも、その延長線、つまりは、頭の中だけで構築する抽象的な思考に特別な意義があるとする(ある時代特有の)価値基準に基づいて発展してきたものではないかと思います。

一方、20世紀後半以降、人類は環境問題を中心に、人間の「頭の中」の浅はかさを嫌というほど目の当たりにしてきたわけで、科学がそうであるように、表現行為においても、本来であれば、近代以降に発展した抽象的な思索や表現について、その発展の経緯を一旦俯瞰し、その必然性が問い直されるべき時代が、現代なのではないかと思います。

けれど、そのような吟味を経た上で、なおも”現代”あるいは”コンテンポラリー”と呼ばれる表現に道を見出そうとするのか?別の道を進むのか? を、自らの意思で選択した(ように見受けられる)表現者を、今の日本で見かけることはほとんどありません。

音の表現に関して言えば、”現代”とか”コンテンポラリ”とか名前が付くと、最先端のように聞こえますが、これらのほとんどは、1950年代から60年代に流行った発想に基づく表現で、ミュージシャンで言えば、バップやモダンジャズに拘っているジャズプレーヤー達と同様な立ち位置な訳です。しかし、ジャズの人達は歴史を学んだ上で、古いスタイルの踏襲を選んでいるのに比べ、芸術畑の人達の大半は、歴史を咀嚼することもなく無自覚に、最先端の表現に関っているつもりで居たり、普遍に意義のあることをしている気分に浸っているだけのように見えます。

20世紀の半ばまでに生み出された思考法や方法論を、半世紀以上だらだら踏襲する(大抵は手法の上っ面を真似るのみで踏襲すらできているのか疑問)行為をアートとか創作と呼ぶのが、果たして創造的なのでしょうか?
ある時代の「アンチ」や「カウンター」も、かつてそれらが敵とみなした体制と、対抗していたから存在意義があったわけで、まったく違う時代に対の一方だけ取り上げても、未来に向けての発展性が、生まれる訳ではないでしょう。せいぜい、芸術業界という内輪で話が盛り上がって、多少のお金が内輪で回るだけではないでしょうか?

近年の生物学、とりわけ生態学や認知科学の研究によれば、人間も含めた全ての生物は、与えられた環境に適応しているのであって、自然界において普遍的な優劣というのは存在しないそうです。表現者(や評論家)もいい加減、時代と共に表現も「進歩」する(しなければならない)という幻想から目を覚ました方が良いのではないでしょうか?成長や進歩というのは、方法論や様式の問題ではなく、あくまで個人それぞれの生き様の問題だと思います。

音楽でも視覚作品でもパフォーマンスでも、過去の表現者(やグループ)の活動を、個人の生き様として、あるいはその当時の社会現象の一環として学ぶことには意義があると思いますが、過去の彼らの功績を、様式や方法論で括ろうとする発想は、歴史学や、大学教員や評論家を権威化するためには必要かも知れませんが、作品やパフォーマンスの切磋琢磨にとってはむしろ弊害でしょう。

それは表現行為に限らず、科学研究や技術開発でも同じだと思います。

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