さとうひろし 一有権者のブログ 

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zoom RSS これは写真展ではない。良い意味で。

<<   作成日時 : 2014/07/16 01:41   >>

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ダム建設で沈むことになる故郷を撮り続け、一時はテレビ番組でも取り上げられた「カメラばあちゃん」こと、増山たづこさんの回顧展「すべて写真になる日まで」を見に行ってきました。以前も、(確か作者本人存命の頃)都内で写真展を見た記憶があるのですが、今回改めて思ったのは、これは「写真」でも「視覚」表現でもないということ。敢えて分かり易く書けば、これは「闘争の記録」でしょう。権力(と言うよりその背後に居る私達の価値観)の手による抹殺と戦うための。

自分の故郷が水没するダム建設計画を、阻止するのは無理そうだと悟り、水没前に少しでも多く、故郷の記録を自分の手で残そうをしていた増山さんは、偶然出会った旅人から、ピッカリコニカ(KONICAC35EF)というカメラのことを教えられ、1977年から、猛烈な勢いで、沈み行く故郷とそこに住む人々、訪れる人々を撮影し始めます。撮影は、自身も含めた村人が故郷を去った後も、ダム工事が始まってからも続き、村人の移転先に出向いての撮影も続けられ、10万カットにのぼる膨大なネガを遺しました。

そのため、増山たづ子さんはフォトグラファーとして世間の注目を集め、今回もフォトギャラリーで遺作展が開催されたのですが、彼女はプリントした写真の多くにキャプションを書き込む等、膨大な文書も遺していました。1985年には、まるでそのキャプションを台本に作られたようなドキュメンタリー番組(東海テレビ制作の「消える村」。本展会場で上映)が放映され、増山さん自身も番組取材に応じ、肉声も残しています。そればかりではなく、彼女は写真撮影を始める以前の1973年(ダム建設計画が正式に決定された年)以来、村の中で聞くことのできるさまざまな音や、人々の会話や歌を、計500本に上るカセットテープに録音し(その一部は本展会場内の背景音として再生されていた)、更には自らが語り部となり、村の昔話集(CD)の制作にも携わっていました。

彼女の書き残した言葉の一部(といっても100編を超えていたかも知れない)は、活字として印刷され、写真と共に会場に展示されていましたが、その言葉には、自分の日常生活はおろか心の拠り所さえ、「蛇の生殺しのように」奪われていく喪失感と共に、国家権力と個人との関係や、損得計算無しで助け合ってきたコミュニティーに突然持ち込まれた、”金銭”という価値観についての冷静な考察が綴られていました。

徴兵されたまま行方不明になった夫が、いつ帰ってきてもいいように、一枚でも多く、(水没する前の)故郷の姿を残したいという思で撮影された膨大な写真と、(移転を強いられた後)寂しくなったときに聞けるようにと、故郷の自然の音、生活の音、人々の会話を、掻き集めるように録音した膨大なカセット。
その一方で、
戦争で伴侶を奪い、経済成長で若者を奪い、ダムで生活場所そのものを奪い、自分達に対しては奪う一方だった、日本という国家、戦争でもダムでも、やると決めたら絶対にやる権力の恐ろしさ(ダム建設の必要性は、住民との補償交渉が行われていた80年代初頭には既に、水需要の変化によって失われていた。)、自分の故郷は人口が少なく、補償金も少なくて済むからターゲットにされたのだろうという、冷静な視線も、数多く綴られていました。

個人としての喪失の表現力と、国家に対する冷静な視線を併せ持っていた彼女は、「真剣にはじめは反対しました」」と語る一方、(ダム建設を阻止するための)補償金受け入れ拒否では一歩も前進できないという自らの政治判断も書き残していました。そして本人の言葉によれば、「覚悟をもって」ダム建設を受け入れ、その覚悟によって、(ダム建設反対運動とは)別の力がみなぎるようになったと、ふるさとの記録に余生を捧げたいきさつを書き遺しています。実際、テレビ局の取材班に、公団から補償金の通知を受け取る場面と、その封を開けず(補償金額は見ずに)仏壇に捧げ、「(代々受け継いだ土地を守れず)申し訳ありません」と、仏壇に詫びる場面を撮影させた彼女は、その後年金の殆どを写真の現像・プリントに費やした一方、受け取った補償金は一部しか使わず、この世を去ったそうです。

彼女の写真や音声の記録は、彼女自身にとって欠くことの出来ない心の拠り所の記録であると共に、ダム建設反対運動とは、「覚悟を持って」距離を置いた彼女にとって、記録という行為は、反対運動に代わる闘争だったのではないでしょうか?

政治的運動には、敢えて加わらなかった彼女は、村に住む(住んでいた)人々のみならず、村を訪れる行政職、工事関係者も、ダム建設に対する立場に関係無く、好意的な視線で撮り続けていました。仲たがいする村人のどちらかを責めるのではなく、補償交渉を通じて村に持ち込まれた、損得という価値観を憂い、工事関係者に対しては、「ダムは嫌いだけれど工事に来る人は大切な人」という内容のキャプションまで残して。その結果、彼女の遺した記録は、彼女達の生活も心の拠り所も奪った権力の背後に居る、「経済成長」という私達自身の価値観を、主犯として浮かびあがらせているように感じました。実際に彼女は、「ダムが少しでも長く皆さまのお役に立って、少しでも喜んでくれる人がいないと、私たちは何のために村を出たのかわからなくなる。私たちが出てきたことでどうぞ皆が幸せになってくれますよう祈らずにはおれない。」と書き遺しています。

彼女の視線が、ダム建設にまつわる、地元住民対国家という構図の背後にある、より根本的な問題も見据えていたことは、1982年の時点で校内暴力に言及し、教師と生徒が親しい親子のように接している自分の村では、校内暴力など起こり得ないと述べていたこと(尾崎豊が、校内暴力を歌詞に織り込んだ「卒業」をリリースしたのは1985年)や、ダム建設が避けられない状況になってから、地元の歴史を発掘する調査が大きく進展し、縄文時代の土器も多数発掘されたこと、畑を荒らすこともなく地元の人々に可愛がられていた猿が、ダム工事に邪魔だと殺されたエピソードを紹介する(農村と野生の猿が共存していた例がかつてはあった)、などの、故郷の水没とは、少し離れた視点での記述が散見されることからも伺えます。

「ピッカリコニカ」との出会いがきっかけで、世の中にその名が知れ渡ることになった増山たづ子さんですが、仮にピッカリコニカとの出会いが無かったとしても、写真以外の方法で、文字や肉声や、録音や、ひょっとしたら絵筆を取って、たった一人の社会運動を、展開していたのではないかと思います。

彼女の足跡を、フォトグラファーとしての足跡と解釈してしまったら、彼女の「覚悟」を読み解く事も、志を学ぶことも、出来ないような気がします。彼女の書き残した言葉だけを取り上げても、録音だけを、取り上げても、それらを表現の組み合わせとして(マルチメディアとかインスタレーションのように)受け止めてしまっても、駄目でしょう。

国家と一庶民との力関係を、冷徹に見据えた上での「覚悟」によって明確になった、「残さなければ」という信念。覚悟の結果得られた、自分の故郷の環境のみならず、暮らしの中の「美しさ」の発見。発見によって、更に強まる信念。彼女の行為の芸術的価値というのは、こうした、信念と発見の相乗作用(撮影に行くたびに美しさの発見があるという記述が残っている)にあるのではないでしょうか?
残された写真について言えば、ネガそのものより、彼女の、被写体との関係の築き方自体が、後世に向けての表現行為であったような気がします。


本展について、「涙無しには見られない」といような文書で紹介する投稿を、何度かネットで見かけたことがありますが、こうした感想には、正直、違和感を覚えました。作品という意識でモノづくりをした事も無く、公共事業にまつわる問題にも疎かった一般の人が、この展示を見て、涙するなら分かります。
けれど、表現者を自認し、国が引き起こすさまざまな社会問題についてネットでコメントを書き込んでいるような人達が、涙が出るとか出ないという表現で、人にこの展示を紹介するのは、疑問に思います。
ふる里の無い自分には想像し難いような、深い喪失感で人生を終えた、何万人居るか分からない人達の犠牲で、今までの自分達を支えてきた”経済”が成り立っている現実を、改めて突きつけられた時、私の目からは、一滴の涙も出ませんでした。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
展覧会に行きたくなりました。
本当に、いのちと平和の世界に向かうには、
「戦い」や「反対」、闘争の次元を超えることだ思います。その次元が、たづ子さんによって示されているのでしょう。
映画「水になった村」も、私の大好きな映画です。
さこちゃん
2014/07/16 21:25
以前、ムスリムの聖職者(日本人)が、テレビ局の取材で、ジ・ハード(よく「聖戦」と訳される)とは本来、自分との闘いである、と言って、暗に、コーランを口実にしたテロや戦争を批判していました。闘いの相手を見誤らないことが大事なんだと思います。悪意は無い人たちが、物質的豊かさを求める心の延長に、「開発」があるわけですから。
さとうひろし
2014/07/17 01:54
展覧会のポスターに採用されている、増山さんの写真は、有名人になってから随分年月が経ってからのものですが、本展会場内で上映されている、1985年のドキュメンタリー番組に映っている、増山さんの顔つきも、是非ご覧になって頂きたいと思います。そして彼女自身が遺した言葉も。
さとうひろし
2014/07/17 18:23

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