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zoom RSS ポスターには描かれない本質(伊藤若冲展を見て)

<<   作成日時 : 2016/06/04 15:46   >>

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 先月のことになりますが、東京都美術館で開催されていた、「生誕300年記念 若冲展」を見に行ってきました。作品の展示順やまとめ方は、学芸員がキュレーションしたのか首を傾げざるをない構成(見世物小屋)だったものの、それにもめげす会場内を3回まわってみたところ、本展のポスターに採用された、特異な作風の作品では分からない、伊藤若冲の奥深い底力を垣間見ることができました。

展示を見た感想を箇条書きでまとめると、

1.とにかく平面表現(筆遣い)の引き出しの多さが半端じゃない。
 宣伝用のポスターには、当時の絵師らしからぬ作風の作品ばかりが使われていますが、鹿苑寺の屏風絵など、オーソドックスな墨絵の表現でも、美術遺産に相応しいデッサン力と表現力で圧倒されます。彩色画でも、相国寺の釈迦三尊像では、モチーフが画面から飛び出してきそうな、ヴィヴィッドな配色は避けられていました。

2.手段としての写実の追及
 若冲の彩色画というと、当時の日本では極めて稀だった、彩度の高い顔料の多用や、鳥の羽根一枚一枚まで精密に描き込む徹底した写実性が話題にされていますが、それは上にも書いたように、若冲の作品の一部であって、あくまで選択肢のひとつであったことが分かります。実際より彩度が高い配色を選びながらも、生き生きとして現実味のある鳥や花の描写は、彼が、モチーフにどのような存在感や、今で言うリアリティを与えるかについて、深く吟味する審美眼と幅広い選択肢を持っていたことを伺わせます。

3.西欧絵画とは位置付けが異なる写実へのこだわり
 更に、これでもかという位に細かなディテールを描き詰めた、彼の作品をよく見ると、その細かさは愚直な写実というより、ある種のパターンに見え、彼が、徹底したデッサンの延長線上で、生物のテクスチャーを、デザインされたパタンとして描き込んでいるようにも見えました。彼の緻密な描写を、そう理解すると、まるで中東のタイル画のような、鳥獣花木屏風も、デザインの延長線上にある試みとして、違和感なく鑑賞できます。

4.その上最晩年に新たな地平に踏み出す
 上述の感想は全て、18世紀半ばの、若冲の中年期の作品についての感想ですが、最晩年の1790年頃になると、これらとは全く方向性の異なる作品が出ててきます。
 (中年期の一部の作品に見られた、今で言うマンガのような擬人化を突き抜けて)抽象化した描写で、対象の動きや内面をどこまで表現できるかを、試したような亀図(1790),伏見人形図(1800)。そうかと思えば蓮池図(1790)では、干上がったか、山火事で焼けたかのような、蓮池が広がる風景が、(地面に座るかしゃがんでスケッチしたような)ローアングルの墨絵で描かれています。それも、(西洋画ほど幾何学的ではないものの)遠近法をとり入れて。

 ローアングルの墨絵なんて、日本の屏風絵で他にあるのか? というより近代西欧に風景画にもローアングルの描写なんてあるのか? 最晩年の作品だけに注目すると、本展の宣伝用のポスターでは分からない、若冲の、別の独創性が、見えてきます。

 裕福な商家の跡継ぎとして生まれた彼は、若冲として有名になるまでは、周囲からは、絵を描いてばかりと言われ、あまり評判もよくなかったらしいですが、彼が”若冲”になる前の、数十年間に渡る、描画の修業と研究は、並大抵ではなかったのでしょう。裕福な家に生まれた彼は、世界各地から、長崎経由で日本に持ち込まれる、様々な平面表現を、目にしていたのではないかと思います。

以上。

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