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zoom RSS 運慶

<<   作成日時 : 2018/01/09 02:41   >>

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昨年のことになりますが、国立博物館で開催中されていた、運慶展を見に行きました。

 運慶を初めとする、慶派と呼ばれる仏師達の作る仏像は確かに、他の派と比べ、形態としては写実的要素が強いですが、現代の言葉で言う、”描写”、”リアリズム”に満ちていたのは、やはり運慶の(直接指揮で制作された)仏像に限られるようです。

 当時の支配層の変遷や、それに伴う価値観の変遷、今風に言えば、反権威・反体制のゲリラ活動でもあった、いわゆる鎌倉仏教の勃興といった時代背景も含めて考えると、とても興味深い内容の展示でした。

 様式論で語られがちな、日本の仏師達の技能が、現代の言葉で言う写実性においても並外れたレベルであり、また「表現」という観点から見ても、古代ギリシャ・ローマ時代やルネッサンス期のヨーロッパの彫刻よりも、むしろ、例えばロダンのような、近代の写実的な彫刻を彷彿とさせるリアリティーを有していることは、本展にも展示されている、興福寺所蔵の、四天王像、無著菩薩立像、世親菩薩立像の生々しい描写からも十二分に伺い知ることができます。

 まるで優れた舞台演劇の上演中の一瞬を、ホログラフィーで3次元撮影したかのような描写。さらにこれらの仏像が、一人の仏師ではなく、作者として記名される指導者の指示の下、分業で制作されていた事実は、歴史に名を残した仏師達が、単に並外れた作家というだけでなく、高い技能を持っ複数の職人を擁する、今で言う工房のリーダーであったことにも驚かされます。

けれど、その卓越した技巧と表現力は、当時の日本社会の価値基準の中では、必ずしも、「優れた」能力とはみなされなかったようです。
 運慶が築きあげた、リアリズムと言っても良い表現は、武士が貴族から、名実共に権力を奪い取った直後の時代は人気が高かったようですが、その子の世代には、形態の写実性(技巧)が引き継がれるに留まり、その写実性も、せいぜい運慶の孫の世代までで、1500年近くに及ぶ、日本の仏像の歴史の中では、ほんの100年足らずの、一時的な動きで終わってしまったようです。

 とは言え、その卓越して写実的な表現は、リアリズムとはまた、別の方向性でも生かされたようで、例えば康弁(運慶の三男)作の龍燈鬼立像、天燈鬼立像は、今で言う、マンガ、アニメーションにも通じるような、生き生きした生命感を、実在しない怪物達に与えています。
 こうした表現は、運慶の出現以前からあるようで、運慶の父・康慶の作とされる四天王像(興福寺蔵)に踏みつけられた邪気達の表情も、現代のマンガでもよく見られるようなユーモラスなデフォルメが施されています。
https://twitter.com/unkei2017/status/925976983217074176

 表現という行為を、様式といった側面から見た場合、何が優れた表現なのか? という評価は結局、その時代の価値観に、大きく左右されるようで、時の流れに沿って進む特定の方向性、つまり、進歩とか後退といったモノサシで、評価できるものはないのでしょう。”印象派”に代表される、19世紀西ヨーロッパでの一部の画家達による試みに端を発し、20世紀(特に前半)に大きく花開いた、抽象表現や、いわゆるコンセプチュアルアートも、いずれは、創造や進歩というより、ある時代の空気を映した鏡として、語られる日が来るのではないかと思います。いや、ひょっとしたら、既に、そういう視点で、いわゆる”現代芸術”を歴史として捉え直すべき時代に、来ているのかもしれません。





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