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zoom RSS 資料紹介:土地の匂いと”正調”

<<   作成日時 : 2018/06/21 23:48   >>

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下記の記事は、日本の民謡を録音した音源を素材にDJをしているユニット”俚謡山脈”のインタビュー記事で、直接的には日本の民謡についてしか語っていませんが、世界の音楽産業全般に通じそうな、大変興味深い内容でした。
https://www.danro.bar/article/11623411

上の記事中でも紹介されていた、『日本の民謡』(浅野建二著/岩波新書)の中での指摘「土地の匂い、すなわち郷土色を失った民謡はもはや民謡ではなくて、最下級の流行歌に堕したものといってよかろうと思う」
には、私も、「なるほど」と思いました。というのは・・

1980年代はじめ、私は大学生だったのですが、講義の無い時間帯に部室へ行くと丁度、NHK-FMの、「民謡の時間」でした。そのせいもあって、当時は相当数多く日本の民謡を聴いたのですが、そのおかで分かってきたのは、一口に民謡と言っても、同じ曲でも、演者によってそれぞれ節回し(西洋音楽で言うところの、リズムやキーや、メロディーや音階)が少しずつ違っていること。同じ曲(演目)といっても、西洋近代音楽の”曲”とは、随分違う概念だということが分かりました。

その一方で、明らかに音階が現代の西洋楽器に合わされ、リズムも五線譜に書き記されたような、まるで、小学校の音楽の授業で歌わされた「ソーラン節」のような民謡も、どんどん放送されるようになっていました。実際には、そうした民謡の方が多かったかも知れません。

時代は丁度、民謡歌手出身の金沢明子さんが、テレビにもよく出演するようになった頃。私が大学を卒業し、社会人になった、1980年代半ばには、伊藤多喜雄さんが、西洋楽器も交えたバンドを率いて、全国を回るようになっていました。

ヒットチャート狙いに変貌した民謡を、「堕したもの」と呼んでいいのかどうかは、議論の余地が大アリですが、ヒットチャート狙いに転じた、と言うより、西洋近代音楽の音階と記譜法に馴染むように変換されてしまった民謡に、オリジナルの魅力が残っていないのは、確かでしょう。それは、名前は同じ民謡でも、もともとの民謡とは全く別世界の表現、近代西洋音楽の派生系と言った方が適切かも知れません。

そして私が社会人になってから、随分と年月が経った後に気づいたのですが、こうした変貌は、日本の民謡に限らないようです。

以前、インドネシアの民族音楽を同国の大学で専攻した人達(インドネシア人)による、ガムランの演奏を収録したCDを、聴いたことがあるのですが、明らかに、五線譜に従って演奏しているのが分かる、(民族音楽にしては)異様にゆらぎの少ない機械的な演奏に、びっくりした記憶があります(特に、新作の曲では)。1990年代以降、日本各地で盛んになった、和太鼓のグループによる演奏も、そのリズムやテンポの刻みは、明らかに五線譜に従っている機械的な演奏が大半で、伝統的な祭囃子とは、似ても似つかぬノリの音楽になっています。

実は、現在、”クラシック音楽”と呼ばれている音楽も含め、世界中のあらゆる音楽は、音楽産業界の”ジャンル”になる過程で、もともと持っていた、ある種の、一期一会のダイナミズムを、捨ててしまっているのかも、知れません。


そして、もうひとつ、音楽が、演奏者”以外”の人達が仕切るビジネスに変貌する過程で、新たに生まれる価値基準についても、上述の記事中で、俚謡山脈のメンバー、斉藤匠氏が興味深い指摘をしていました。

「民謡の世界に「正調」って言葉があるんですけど、それは、正統性を持たせちゃった言葉なんですよね。レコードになったり本で紹介されたりで、それまでいろんな節回しがあったものを、「みんなが歌うべきメロディはこれだよ」って決めちゃったやつが「正調」。そうなると他のやり方で歌っていた人たちが、そっちに合わせがちになっちゃう。」

特定の表現だけが、正しい表現として権威化されてしまう現象。これは、日本の民謡に限った話でしょうか?

もともとは地域によって、人によって多種多様だった欧州の音楽が、産業革命の進展に伴い増加した、”ブルジョア”階級向けに大規模化・規格化されて”クラシック音楽”となり、それが、レコード産業や放送産業、更には教育産業の都合に合うように、絶対的なものとして権威化される。

レコード産業とマスメディアの影響力によって、ある時期に、あるプレーヤー達が行った試みが、””スイングジャズ”、モダンジャズ”、”バップ”、”フリージャズ”・・などと細かくジャンル化され、後を追う者達は(特に日本では)レコード会社とマスメディアが、ビジネスのために仮組みしたに過ぎない”ジャンル”を、まるでルールブックのように盲信しながら、勝手に”本質”などという神話を創作しては、本家争いに明け暮れる。

などなど・・・

私達の、音楽についての感性は、実は、テレビやラジオ放送、最近ではストリーミングを通じて、ビジネス界の都合に合うよう、それこそ物心付く前から、洗脳されているのではないでしょうか?


”土地の匂い”とは、少し違う話かも知れませんが、以前、青森県の弘前城へ、桜を見に行った時、丁度、中学生の、お囃子のコンテストが行われていました。私は全く予備知識も無く、その現場に出くわしたので、詳しいことは分からないのですが、弘前市には、地域毎に、祭囃子を演奏する”社中”があって、その社中が更に、大人の社中と、学童の社中に、分かれて活動しているようです。

その日の課題曲は、岩木山にお参りに行った後、下山するときに演奏するお囃子だそうで、確か、50組前後のグループが、入れ替わり立ち代り、同じ演目を演奏していたのですが、その中にほんの1〜2組、嫌でも体が動き出すような、絶妙なビートを刻むグループが居たのを、今でも良く覚えています。

同じ演目を、同じように演奏しているはずなのに、ごく限られた演者だけが、なぜか音だけで、聴衆を沸かせることが出来る。音楽の、とりわけ、民衆の”ハレ”の場で継承されてきた音楽の魅力、音楽の力というのは、そうした、記述や法則化が困難(恐らく無理)な、世界の中に、宿っているような気がします。

今では音源の入手はおろか、演奏の記録や歴史を辿ることさえ容易ではない、日本の古い民謡を、現代の”ハレ”の場の担い手であるクラブDJが、丹念に発掘しては、ダンスビートとして再編集する。

それは奇をてらった見世物というより、音楽的にはむしろ必然なのかも知れません。




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