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zoom RSS 快慶:写実力あってのデフォルメ

<<   作成日時 : 2018/10/30 01:49   >>

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東京国立博物館で開催中の特別展、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」を見に行ってきました。特に印象に残ったのは、快慶(の指揮の下で制作された)十大弟子立像の写実性でした。

運慶と並び、「慶派」の立役者として歴史の残る、快慶の仏像の作風は、まるで演劇や舞踏の一場面を切り取ったかのような、今の言葉で言うリアリティに溢れた仏像も多い運慶の作風とは対照的に、それまでの仏像(彫刻ではなく、あくまで信仰の道具としての表象)の美学から大きく外れることのない、端正、というか保守的なものですが(快慶自身、信心深い仏教徒だったと言われている)、この十大弟子立像については、仏像というより、彫刻と言った方が良さそうな、非常に写実的な造形でした。

とはいえ、その写実性は、演劇や舞踊のステージ写真を3次元で撮影したような、運慶の作風とは大きく異なり、写実的だけれども、現実世界の出来事のようなリアリティは感じられませんでした。運慶の写実が、ステージ上の俳優やダンサーのポートレイトなら、快慶の写実は、写真館で撮るポートレイト。モデルがボーズを決めて、静止して、シャッターが切られるのを待っていたかのような写実性。現代の写真撮影に例えれば、ダイナミズムの表現のために、カメラアングルやレンズの画角、それどころか、撮影後の被写体の体型まで画像処理で加工するような、運慶の作風に対し、快慶の作風は、カメラアングルも撮影に使うレンズも、カメラと被写体の距離も、徹底的に吟し尽くした上で固定され、撮影した画像の加工も一切しないような、ストレートな趣。

考えて見れば、極めて高い写実力があればこそ、写実から自在にデフォルメして、自分が追い求める、あるいは顧客が期待する美学に即した仏像の表現ができるわけで、写実的な描写力あっての多様な表現力、というのは、古今東西、共通した原理原則なのかも知れません。

そして、本展のもうひとつの目玉が、肥後別当定慶作(彼の指揮の下で仏師達が制作した)の六観音。
(鎌倉時代に定慶と名乗った仏師は、少なくとも、肥後別当定慶と大仏師法師定慶の二人がいるそうです)

肥後別当定慶の観音像は、髪型と衣の表現の豊かさに特徴があるそうで、確かに、一体一体、髪型も、衣の形やシワの寄り方も異なり、かつ立体的で、まるでファッションショーのような趣でした。

日本の古い仏像の多くは、塗装がすっかりはげ落ちてしまい、今ではそれぞれの造形の特徴しか、確認することができませんが、完成した当初は、着色の効果も相まって、仏師(今で言えば、工房の経営でも作品制作でも陣頭指揮を取るリーダー)毎の作風の違いが、今より一層際立ち、仏像や仏殿は単なる信仰の対象にとどまらず、今私達が目にする寺院より、はるかに多様で個性的な、世界観の表現であったのかも知れません。

まるで演劇や舞踊のワンシーンを再現したかのような、運慶のダイナミックな世界。
信仰に関係のない演出を、意図的に排除したかのような、ストイックな肖像作りに徹した快慶。
衣装、髪型という、今で言う”ファッション”の部分で個性を発揮した肥後別当定慶。

12世紀後半の相次ぐ戦乱を経て、武士という新興勢力が、過去500年ほどに及んだ朝廷の支配を無力化、力を持つ者と持たざる者が大きく入れ替わった時代。日本の文化は、現存する文化遺産から私達がイメージするより、はるかに大きな振れ幅で、変化していたのかも知れません。



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