人間がAI化したような・・ - カミーユ・アンロ展を見て -

東京オペラシティーアートギャラリーで開催中の、カミーユ・アンロ(Camille Henrot)展を観に行ったのですが、非常に印象的だったのは、その表現手法の多彩さでした。

生花、絵画(ドローイング)、インスタレーション(それも、400㎡ほどの展示室全体を使った巨大な)に、ビデオ作品。作家本人のウエブサイトを見ると、彫刻作品も多数あり、作家として作品発表を始めてから10年も経っていないにも拘らず、既に多岐に渡る手法で多数の作品を発表しているのが分かり、その並外れた制作力に圧倒されます。

オペラシティーギャラリーに展示されていた生花や絵画を見ると、彼女はもともと、手先の器用さも美学の吸収力(既存の知識や技能への好奇心と集中力)も、生半可ではないようですが、一連の作品は良くも悪くも、バランスの崩れもなくそつない印象があり、作家自身の内面の表出というより、現代芸術というのはこういうものです、という解説を見ているような印象も受けました。

大きな部屋全体を使ったインスタレーション「青い狐(The Pale Fox)」では、その、”解説”のような印象は更に強まり、まるで作家が、人間の営み全体に対する、総括・評論を試みているような印象を受けました。

会場の一番奥で上映されていたビデオ作品「偉大なる疲労(Grosse Fatigue)」に至っては、博物館に収蔵されている資料などを映像素材にして、人間が築いてきた知の体系を、自然科学も宗教も含めた(両者を知の営みとして同列に扱っている)俯瞰的な視点から、科学用語と世界各地の神話から引用した詩をラップ風に語る声をBGMにして見せるという、正に解説そのもの(ただしあくまでアート作品なので、論理的一貫性は無い)。そして最後に、その知が招く孤独(自分が全てを知る神になってしまったら、世界には神以外、誰もいなくなってしまう)を語るという、総括まで付いていました。

10年に満たない短期間で、並外れて多彩な表現を展開する彼女は、既存の美学や技能を身につける能力が並外れているのは言うまでもないですが、それだけなら、ただの優等生に過ぎず、世界的に注目されることは無かったでしょう。

では彼女の唯一無二な部分はどこにあるか? というと、テーマに合う素材を取捨選択する、編集者としてのセンスと決断力ではないかと思います。「偉大なる疲労」は、彼女が2013年に、スミソニアン博物館のフェローシップで活動していた間に制作されたもの、つまり一年足らずで制作されたもので、壮大な物語を1年足らずで、たった13分のビデオに凝縮させたのであれば、彼女の名が世界に知れ渡ったのも無理はありません。実際、ビデオの映像を見ると、映像素材の撮影段階で既に、撮影対象がある程度絞り込まれていた(博物館に保管されている剥製など、生物標本の映像が多かった)ように見え、彼女の手際の良さが伺えます。

「青い狐」は、インターネットで調べて見ると、実は、「偉大なる疲労」制作の翌年の2014年、「偉大なる疲労」に基づいて制作されたインスタレーション「The Pale Fox」を、本展向きにアレンジした展示のようで、元の"The Pale Fox"では、人間が持つ、世界を隈なく知りたいという強迫的な好奇心が、テーマになっていたようです。本作に使われている素材集めには、多くの人々の協力があったようですが、それにしても、どの素材を選び?それぞれをどこにどう配置するか?を判断するのによほどのスピードがないと、数百平米の展示空間を膨大な素材で満たすインスタレーションなど、構成できないでしょう。


カミーユ・アンロの一連の仕事は、作家ならではの見方、見え方(つまり主観)が前面に出る、近代芸術における創作とは趣が異なり、人間の営みを、芸術自体も含めて、俯瞰的に捉えて、それらに通底する原理原則を、抽出しようとしているようにも見えます。まるで、現代のAI(機械学習ソフトウエア)が、膨大な学習データを読み込んで、文章の要約を作ったり、人間の代わりに何かを作ったりするように、彼女は次々と、作品を生み出していいるかのようにも見えます。

ありとあらゆる情報が溢れる海に溺れることなく、水を巧に操る彼女はまさに、ネットワーク社会の申し子と、言えるのかも知れません。

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