何なんだコイツは!!(良い意味で)

東京の、アーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)で開催中の、「石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」を観ての、第一印象が、この表題

鴻池朋子という作家は、ネットで経歴を調べると、中年期に入ってから、表現者としての活動を始めたようですが、
私と同世代の作家ながら、私が、就職してからは恥ずかしくて出来なくなったようなことや、アホらしいと自ら封印してしまったような感性を、無かったことにせず、
なぜそうしたかったのか? なぜそう感じたのか? を、言語化させつつ、「そこまでやるか!」「本気か!」というレベルにまで過激化させて、周到な準備と多くの資金や協力者がいなければ出来ない仕事にしてしまっているように見えます。

その独創性が現れているのは、展示作品そのものより、展示(特に野外作品)の準備段階でのムチャ、台風で作品が吹き飛ばされた後の顛末など、作家本人の行動や心境の吐露。

作家活動に入る前は、玩具のデザインに携わっていたという職歴のせいか、作品自体は、キャラクタっぽさを組み込んでまとめてしまうきらいがあり、良くも悪くもある種の巧みさが、印象に残るのですが、作品が完成する前後の過程を綴った作家本人の文書を読むと、この作家ならではの、”当たって砕けろ!”的姿勢が見えてきます。

本展も当初は、石橋財団の所蔵作品と、自作品のコラボレーションという企画だったものの、所蔵作品の倉庫に何度足を運んでも作品が選べず、結局美術館側のスタッフに数点作品を選んでもらって会場に展示してもらったという顛末。その経緯について、作家が自身の心境を綴った文書が、展示されている作品自体よりも、彼女の表現の核心であるようにさえ、見えてきます。芸術とは結果ではなく過程。ましてや現代芸術は。

彼女の作品は、本展での展示作品に限らず、自然と人間との関わりをテーマにしたものが多いようですが、少なくとも本展を見た印象では、彼女の視点は、自然の営みと共に暮らす人達自身の視点とはいささか違って、あくまで自然と人間との関わりを、俯瞰的に見る視点。では、その俯瞰的な視点がアイデンティティーの作家かというと、どうやらそうでもなさそうです。

確かに会場に掲示されていた、作品のコンセプトだけ読むと、そう見えるのですが、作品と、作品自体のコンセプトを説明する文書だけ見ると、それこそ星の数ほど居る現代芸術作家の中の一人、という以上の印象は希薄になってしまいます。

彼女が、作家:鴻池朋子である所以は恐らく、幾つもの作品が配置された会場に漂う、得体の知れない、パワーのような気がします。

本展で展示されている「皮トンビ」(瀬戸内国際芸術祭で、ハンセン氏病患者療養施設の敷地に野外展示され、野ざらしになっていた作品を、修復・再展示したもの)についての、彼女自身による解説に記載されていた物語、
作品の展示場所を探して藪の中に入っていったときに偶然みつけた、昔の被隔離患者達が作った周遊路跡。その周遊路がどう巡らされていたのか確認もせず、ただひたすら草木を狩って周遊路を復活させる作業に取り憑かれているうちに、協力者が増えて周遊路が復活した顛末。展示期間終了後野ざらしとなり朽ちかけた作品を、修復したら、何かが作品から去っていってしまったと感じた顛末。

そうした、評論の対象になるような、もっともらしい作品説明から大きく外れた部分に、作家としての彼女の、独創性も魅力も、あるのではないかと思います。

彼女のそうした、説明し難い部分が良く現れているのが、本展でも上映されていた、一連の映像作品。

暗い部屋の中で一人、狼の遠吠えを真似ている場面を撮影したり、服を着たまま海に入って歌を歌ったり、樹氷が並ぶ冬山の雪の中に体を埋め首だけ出して、ドラえもんの歌を歌う場面を撮影したり。もちろん事前に周到に準備して機材もスタッフも揃えなければ命を落とす危険もあるわけで、計画されたパフォーマンスなのですが、”いかにもアート”な説明を付けるのが極めて困難なパフォーマンスを、わざわざ手間暇かけて実行しまう行動力は、独創性と言っても差し支えないでしょう。

ネットで経歴を調べると、彼女は最近10年ほどの間に、国内外の視覚芸術の世界では大きな仕事を任されるようになった作家のようで、本人も視覚作品の制作のみならず、絵本を書いたり、語りを書籍化したりと、表現手段を幾つも持っているので、これからも活躍の場は増えていくのでしょう。

願わくば、幾多の諸先輩方のように、気が付いたら、芸術評論の対象になる仕事ばかりの分かり易い”大御所”になっていた、なんていうエンディングに収まりきらない人で、あり続けて欲しいと思います。

P.S.
彼女は絵本を出したこともあり、物語も作れる作家です。私がこれまで書いてきた、彼女の独創性、というか”天然”さも、彼女自身が綴った文書や映像作品からの印象。私が受け止めた、鴻池朋子の作家像さえも、実は、鴻池朋子の作品かも知れません。先に述べた、「キャラクタっぽさ」を組み込んでまとめているように感じらる部分があるというのは、ひょっとしたら、彼女のビジュアル表現に留まらず、彼女自身による、鴻池朋子という人物像の表現にも、及んでいるのかも知れません。

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