前世紀の集大成

コロナ禍のため、公演中止となった、アーティスト集団ダムタイプの新作「2020」が、12/25 から三日間限定で無料配信されました。 ネット上でステージを観た印象は、一言で書けば”前世紀”の集大成。 本作を創った人達は、ステージで使うテクノロジーのみならず、様々な表現の歴史も、ものすごく勉強しているのだろうと思います。 古くは革命直後のロシア構成主義、そしてバウハウスに続く、物事を具体的な物語として語るのではなく、象徴的な表現を組み合わせた構成。そこに社会性も盛り込んでメッセージ性を持たせる。20世紀後半はとくに、言語による複雑な思考が貴ばれるようになった・・・ その流れの中でこのステージの、作品としての完成度は、視覚的にも音響的にも、極めて高いのだろうと思います。前世紀末に、様々な表現技法の開拓を試みてきた彼らならではの、多彩な手法を組み込みながらも、イメージの一貫性を維持した、ギクシャク感の無いステージ進行。「2020」というタイトルが付けられたステージの中央には、始まりから終わりまでずっと、大きな真っ暗の穴が、開いたままになっていて(実際にステージ中央部の昇降装置の床が、下がったままになっていた)、それが本作でのテーマを象徴しているようにも見えました。 ただし、その素晴らしさとは、言語による思考を、”消費”として楽しむ余裕のある階層のための、”アート”マーケット(それも、複雑、非日常的な思考であるほど高付加価値とされる)に向けた商材としてどうか?という物差しでの価値。 そして21世紀は、価値観や貧富の分断が、世界規模で加速化・先鋭化する社会。芸術は普遍的と言っても、現代芸術(contemporary art )とは要するに、19世紀以降の西ヨーロッパ(後に北米も加わるが)で培われた、ローカルな評価基準に基づく営み。 21世紀に入って20年経った今、”現代(Contemporary)”という営みがあるとすれば、それは、芸術の在り方も含めて、20世紀、というより西欧の産業革命以降の社会のありようを、俯瞰的に振り返る視点のある、営みではないでしょうか?19世紀から20世紀にかけて、人間は自ら育んだ工業技術の飛躍的発展を背景に、人間の、頭の中の思考、とりわけ言語による思考の反映としての、表現手法の拡大に、ポジティブな評価も肥大していきました。 いわゆる現代芸術も、そうした肥大化のひとつ。であった点には、留意しておいた方がいいでしょう。
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「机上の空論」は政治から”アート”へ逃げ込んだか?

大宮市中心部で開催されていた、「埼玉国際芸術祭」を見に行ってきました。 総じて言えば、がんばった企画で、入場無料の企画にしてはよくできていたと思います。 玉石混交なのは、有料のビエンナーレやトリエンナーレでも同じ。 有料と無料の違いは、私自身がいろいろな作品展に足を運んだ経験からすると、世界的に名の通った作家を数多く呼べるか、とか、モノ造りとして完成度の高い作品を沢山持って来れるか、といった部分で、表現の質が、必ずしも料金に反映されるわけではないと思います(とりわけ現代芸術においては)。 とはいえ、この芸術祭に限らず、知識と頭の中の思考でこねくりまわした作品は、手間をかけて作られたものでも、結局は軽薄な印象に留まってしまうのは否めない気がします。ビデオやディジタル編集技術の普及が、表現の幅を広げたかというと、そこは議論の余地が大いにありそうです。作家自身の、心に刺さった”要”は何なのか? その探究を途中で終わらせて、かき集めた素材ぶちまけても、パッと見体裁よく編集すれば許されてしまう状況が、蔓延しているだけかも知れません。 会場で配布されていた資料や、公式HP上の解説を見ると、確かに、理屈の上では立派なコンセプトが並んでいます。論理的には、よほど芸術論を突っ込んで勉強してきた人でなければ、批判的にチェックするのは無理でしょう。前世紀末から盛んになった、市民(とりわけ地元民)参加の意義も、しっかり組み込まれています。 ただ、古今東西、(祭りではなく)、創作行為というのは、”市民”という文化的最大公約数から生まれて来るものなのでしょうか? 日本の伝統文化だけ見ても、茶道も、能も、現在”日本画”と呼ばれる平面表現も、市民はおろか、同業者の中でさえ異端であった者達が生み出した表現でした。今の日本社会に広まっている仏教の宗派も、その多くが、俗に鎌倉仏教と呼ばれる、平安末期から鎌倉初期にかけての異端僧が広めた思想です。 理屈の上ではもっともらしく見えるけれど、それが実行に移されると空虚。大事な事がおろそかにされている懸念がぬぐえない・・・ それはまるで右翼、そして左派と呼ばれるお年寄り達が語る政治談議のようです。現実から遊離した幾つもの”本質”同士が、ただ反目し合いぶつかり合うばかり。先日劇場公開された、「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」で記録されていた、三島と全共闘との討論もそうでした。 机上の空論を振りかざして世渡りする人達は、古今東西、どこの社会にも居るのでしょうが、今の日本では、そういう人達の世渡りの場のひとつが、かつての政治から、アート(芸術ではなくアート、とりわけカタカナでアートと表記される世界)に移行しているような気もします。 20世紀は確かに、表現の世界で、手法や考え方の開拓そのものに大きな意義があったのだと思います。けれど今世紀は、かつての作家が、一枚のキャンパス、一体の彫刻に何を込めるかが問われたように、自身にとっての核心を見極める能力が問われる時代ではないかと思います。どこまでぜい肉をそぎ落とせるかが、パソコンで何でもできる時代だからこそ大切なのではないかと。 P.S. 放送作家やジャーナリストの真似事にしか見えないビデオを何十分も、あるいは何本も流して、アートだと言ってる人達や、一般人のインスタグラム投稿とどう違うのか? 分からない写真とキャプションを並べてアートだと言ってる人達を見て、いつも思い出すのは、平山郁夫晩年の作品「平和の祈り-サラエボ戦跡」。 後半生は、シルクロードの文化財発掘調査の資金作りのために絵を売るような恰好になって、作家としての評判は、必ずしも良くはなかった平山郁夫が60代後半に差し掛かった1996年、NHKのスタッフと一緒に、停戦したばかりのボスニア・ヘルツェゴヴィナを取材して、その取材を元に一枚だけ、日本画を描いて日展に出した。世間から、偉そうな大家と思われていた作家が、それまでの自分の(遺跡発掘の資金作りで駆使した)作風を脇に置いて、(日本の)他の有名な絵描きが、どんなに財産があってもやらないようなスタンスでガツンと、アーティストだから出来ることを、行動で示した。安全が確保されたとは言い難い場所を、何日も回って、日本画家平山郁夫の作品としては一枚だけでした。 https://walkdntrun.exblog.jp/16976960/
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何なんだコイツは!!(良い意味で)

東京の、アーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)で開催中の、「石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」を観ての、第一印象が、この表題 鴻池朋子という作家は、ネットで経歴を調べると、中年期に入ってから、表現者としての活動を始めたようですが、 私と同世代の作家ながら、私が、就職してからは恥ずかしくて出来なくなったようなことや、アホらしいと自ら封印してしまったような感性を、無かったことにせず、 なぜそうしたかったのか? なぜそう感じたのか? を、言語化させつつ、「そこまでやるか!」「本気か!」というレベルにまで過激化させて、周到な準備と多くの資金や協力者がいなければ出来ない仕事にしてしまっているように見えます。 その独創性が現れているのは、展示作品そのものより、展示(特に野外作品)の準備段階でのムチャ、台風で作品が吹き飛ばされた後の顛末など、作家本人の行動や心境の吐露。 作家活動に入る前は、玩具のデザインに携わっていたという職歴のせいか、作品自体は、キャラクタっぽさを組み込んでまとめてしまうきらいがあり、良くも悪くもある種の巧みさが、印象に残るのですが、作品が完成する前後の過程を綴った作家本人の文書を読むと、この作家ならではの、”当たって砕けろ!”的姿勢が見えてきます。 本展も当初は、石橋財団の所蔵作品と、自作品のコラボレーションという企画だったものの、所蔵作品の倉庫に何度足を運んでも作品が選べず、結局美術館側のスタッフに数点作品を選んでもらって会場に展示してもらったという顛末。その経緯について、作家が自身の心境を綴った文書が、展示されている作品自体よりも、彼女の表現の核心であるようにさえ、見えてきます。芸術とは結果ではなく過程。ましてや現代芸術は。 彼女の作品は、本展での展示作品に限らず、自然と人間との関わりをテーマにしたものが多いようですが、少なくとも本展を見た印象では、彼女の視点は、自然の営みと共に暮らす人達自身の視点とはいささか違って、あくまで自然と人間との関わりを、俯瞰的に見る視点。では、その俯瞰的な視点がアイデンティティーの作家かというと、どうやらそうでもなさそうです。 確かに会場に掲示されていた、作品のコンセプトだけ読むと、そう見えるのですが、作品と、作品自体のコンセプトを説明する文書だけ見ると、それこそ星の数ほど居る現代芸術作家の中の一人、という以上の印象は希薄になってしまいます。 彼女が、作家:鴻池朋子である所以は恐らく、幾つもの作品が配置された会場に漂う、得体の知れない、パワーのような気がします。 本展で展示されている「皮トンビ」(瀬戸内国際芸術祭で、ハンセン氏病患者療養施設の敷地に野外展示され、野ざらしになっていた作品を、修復・再展示したもの)についての、彼女自身による解説に記載されていた物語、 作品の展示場所を探して藪の中に入っていったときに偶然みつけた、昔の被隔離患者達が作った周遊路跡。その周遊路がどう巡らされていたのか確認もせず、ただひたすら草木を狩って周遊路を復活させる作業に取り憑かれているうちに、協力者が増えて周遊路が復活した顛末。展示期間終了後野ざらしとなり朽ちかけた作品を、修復したら、何かが作品から去っていってしまったと感じた顛末。 そうした、評論の対象になるような、もっともらしい作品説明から大きく外れた部分に、作家としての彼女の、独創性も魅力も、あるのではないかと思います。 彼女のそうした、説明し難い部分が良く現れているのが、本展でも上映されていた、一連の映像作品。 暗い部屋の中で一人、狼の遠吠えを真似ている場面を撮影したり、服を着たまま海に入って歌を歌ったり、樹氷が並ぶ冬山の雪の中に体を埋め首だけ出して、ドラえもんの歌を歌う場面を撮影したり。もちろん事前に周到に準備して機材もスタッフも揃えなければ命を落とす危険もあるわけで、計画されたパフォーマンスなのですが、”いかにもアート”な説明を付けるのが極めて困難なパフォーマンスを、わざわざ手間暇かけて実行しまう行動力は、独創性と言っても差し支えないでしょう。 ネットで経歴を調べると、彼女は最近10年ほどの間に、国内外の視覚芸術の世界では大きな仕事を任されるようになった作家のようで、本人も視覚作品の制作のみならず、絵本を書いたり、語りを書籍化したりと、表現手段を幾つも持っているので、これからも活躍の場は増えていくのでしょう。 願わくば、幾多の諸先輩方のように、気が付いたら、芸術評論の対象になる仕事ばかりの分かり易い”大御所”になっていた、なんていうエンディングに収まりきらない人で、あり続けて欲しいと思います。 P.S. 彼女は絵本を出したこともあり、物語も作れる作家です。私がこれまで書いてきた、彼女の独創性、というか”天然”さも、彼女自身が綴った文書や映像作品からの印象。私が受け止めた、鴻池朋子の作家像さえも、実は、鴻池朋子の作品かも知れません。先に述べた、「キャラクタっぽさ」を組み込んでまとめているように感じらる部分があるというのは、ひょっとしたら、彼女のビジュアル表現に留まらず、彼女自身による、鴻池朋子という人物像の表現にも、及んでいるのかも知れません。
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知ると一層遺作が惨めに映る(”三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実”を見て)

今から半世紀ほど昔、東大駒場キャンパスで行われた、三島由紀夫と全共闘の学生たちの討論フィルムから制作されたドキュメンタリー「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を観てきました。 https://gaga.ne.jp/mishimatodai/ トークショーの記録として見るなら、この上なく面白い討論で、今日、これほど面白くて質の高いバトル出来る人達が居るだろうか?と思うほど。けれどその充実した内容を知ってしまうと、この討論から一年半後に三島が遺した遺作(自決)の内容が、あまりに惨めで悲しくなります。 本作の第一印象は、思想や哲学を、自分の日常の糧になるまで咀嚼した人は、畑違いの人達にとってもこんなに刺激的で面白い論議が出来るんだという驚き。そして三島由紀夫は、聴衆を魅せるためなら今でも言う自虐ネタも厭わず、自身の思想の背景になった自分の思春期の影響も隠さず、そこから逃げない。(当時世界同時革命を標ぼうしていた全共闘の)学生から「それでは日本人から一歩も出られないじゃないか」と言われば、「出る気は無い」と返すリアリスト。議論の勝ち負けなど関係なく、どれだけ実りのある議論が出来るかに徹している。とても魅力的なステージ。 三島由紀夫の魅力を引き出した全共闘の学生達の、勉強ぶりも見事。特に、全共闘に加わっていながら、現実的な社会変革には興味を示さず、芸術家としての”解放区”作りに徹しようとする芥正彦と、芸術界のトップスターに登り詰めながらそこに留まることをよしとせず、社会変革を目指してもがく三島由紀夫という、対照的な二人のやりとりは、どちらが正しいという訳ではなく、今も昔も変わらず、表現を極めようとする者が直面する葛藤を、端的に表していているようで、とても勉強になりました。 今も現役のアーティストである芥正彦は、表現者としての道を踏み外さなかったと言える一方、安全な場所から一歩も出なかったとも言えるでしょう。片や三島由紀夫は、見世物のような死に様を想うと、道を踏み外して哀れな最期を遂げたとも言えそうですが、真摯に現実社会に向き合ったことも否定できないでしょう。 三島はこの討論会で、自分の言う天皇とは、現実の天皇制でも天皇のことでもなく、日本の民衆に染みついている意識を象徴的に表した言葉だと説明していましたが、芸術は、既存のしがらみから自由になってこそと、討論会でも一貫して主張していた芥は、本作制作のため新たに行われたインタビューでも、(天皇を国のトップに掲げようとする)自分と共闘してほしいと、学生に呼びかけた三島に対し、「学生をばかにしていた」と語り、今でも三島の考えを容認していません。この対立は、あって然るべきでしょう。 とはいえ・・ この討論を、社会運動の討論として見れば、上から目線も甚だしい机上の空論バトル。こんなことしてたから、(三島も含めて)彼らは結局、何も変えられなかったという、反面教師の典型例であることも、否定できないと思います。 実際、討論の壇上で持論を語っていた当時の学生達(のうち存命の人達)は、本作のためのインタビューで学生運動の総括を問われても皆、のらりくらり、うやむやに語るのみ。主義主張が一貫しているのは討論の当時から、闘争を表現行為の一環としか位置付けていなかった芥のみで、現代の社会運動に関わる人達にとって、学びになるような話は、彼らが結局は何も変えられなかったという現実以外には、見当たりませんでした。 そして私達は皆知っている三島の遺作(自決)。言葉で語る物語は、言葉の世界だから魅力的なのであって、それをそのまま現実にやってしまったら、単なるアブナイ人間にしかなりません。 人に対して誠実な三島は恐らく、自分の闘争的な主張を曲げず、なおかつ実際には誰も傷つけないように、熟慮に熟慮を重ねて、あの自決を遂げたのだとは思いますが、本作の討論場面を見てしまうとなおさら、道化のような三島の死に様が惨めに見えます。あれで自衛官が決起すると本気で考えるほど、思慮の浅い人ではなかったはずなのに。 あんな無様な死に方をせず、成田空港闘争や湾岸戦争のときも三島が社会に激を飛ばしていたら、今ほどレイシストや、対米隷属でしかない(自称)保守、(自称)右派の類が、世間で大きな顔をすることもなかったでしょう。 あんな死に方では、当時20歳そこそこの若造に過ぎなかった芥が討論で、(芸術家としての)三島の活動を批判した「敗退」という指摘を、否定できないでしょう。  他の死に様は、なかったのか・・・・
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人間がAI化したような・・ - カミーユ・アンロ展を見て -

東京オペラシティーアートギャラリーで開催中の、カミーユ・アンロ(Camille Henrot)展を観に行ったのですが、非常に印象的だったのは、その表現手法の多彩さでした。 生花、絵画(ドローイング)、インスタレーション(それも、400㎡ほどの展示室全体を使った巨大な)に、ビデオ作品。作家本人のウエブサイトを見ると、彫刻作品も多数あり、作家として作品発表を始めてから10年も経っていないにも拘らず、既に多岐に渡る手法で多数の作品を発表しているのが分かり、その並外れた制作力に圧倒されます。 オペラシティーギャラリーに展示されていた生花や絵画を見ると、彼女はもともと、手先の器用さも美学の吸収力(既存の知識や技能への好奇心と集中力)も、生半可ではないようですが、一連の作品は良くも悪くも、バランスの崩れもなくそつない印象があり、作家自身の内面の表出というより、現代芸術というのはこういうものです、という解説を見ているような印象も受けました。 大きな部屋全体を使ったインスタレーション「青い狐(The Pale Fox)」では、その、”解説”のような印象は更に強まり、まるで作家が、人間の営み全体に対する、総括・評論を試みているような印象を受けました。 会場の一番奥で上映されていたビデオ作品「偉大なる疲労(Grosse Fatigue)」に至っては、博物館に収蔵されている資料などを映像素材にして、人間が築いてきた知の体系を、自然科学も宗教も含めた(両者を知の営みとして同列に扱っている)俯瞰的な視点から、科学用語と世界各地の神話から引用した詩をラップ風に語る声をBGMにして見せるという、正に解説そのもの(ただしあくまでアート作品なので、論理的一貫性は無い)。そして最後に、その知が招く孤独(自分が全てを知る神になってしまったら、世界には神以外、誰もいなくなってしまう)を語るという、総括まで付いていました。 10年に満たない短期間で、並外れて多彩な表現を展開する彼女は、既存の美学や技能を身につける能力が並外れているのは言うまでもないですが、それだけなら、ただの優等生に過ぎず、世界的に注目されることは無かったでしょう。 では彼女の唯一無二な部分はどこにあるか? というと、テーマに合う素材を取捨選択する、編集者としてのセンスと決断力ではないかと思います。「偉大なる疲労」は、彼女が2013年に、スミソニアン博物館のフェローシップで活動していた間に制作されたもの、つまり一年足らずで制作されたもので、壮大な物語を1年足らずで、たった13分のビデオに凝縮させたのであれば、彼女の名が世界に知れ渡ったのも無理はありません。実際、ビデオの映像を見ると、映像素材の撮影段階で既に、撮影対象がある程度絞り込まれていた(博物館に保管されている剥製など、生物標本の映像が多かった)ように見え、彼女の手際の良さが伺えます。 「青い狐」は、インターネットで調べて見ると、実は、「偉大なる疲労」制作の翌年の2014年、「偉大なる疲労」に基づいて制作されたインスタレーション「The Pale Fox」を、本展向きにアレンジした展示のようで、元の"The Pale Fox"では、人間が持つ、世界を隈なく知りたいという強迫的な好奇心が、テーマになっていたようです。本作に使われている素材集めには、多くの人々の協力があったようですが、それにしても、どの素材を選び?それぞれをどこにどう配置するか?を判断するのによほどのスピードがないと、数百平米の展示空間を膨大な素材で満たすインスタレーションなど、構成できないでしょう。 カミーユ・アンロの一連の仕事は、作家ならではの見方、見え方(つまり主観)が前面に出る、近代芸術における創作とは趣が異なり、人間の営みを、芸術自体も含めて、俯瞰的に捉えて、それらに通底する原理原則を、抽出しようとしているようにも見えます。まるで、現代のAI(機械学習ソフトウエア)が、膨大な学習データを読み込んで、文章の要約を作ったり、人間の代わりに何かを作ったりするように、彼女は次々と、作品を生み出していいるかのようにも見えます。 ありとあらゆる情報が溢れる海に溺れることなく、水を巧に操る彼女はまさに、ネットワーク社会の申し子と、言えるのかも知れません。
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2019年10月27日追記:当初は知事も少女像展示に反対だった(あいちトリエンナーレと大村知事)

展示妨害の脅迫が相次いだ、あいちトリエンナーレに対して、文化庁(というより萩生田文部科学大臣)は、既に決定済みの助成を取りやめたと、報道されていますが、その口実「事前の申請内容が不十分」を用意したのは、他ならぬ愛知県である点に、注意する必要があります。 助成取りやめが報道される前日の9月25日、愛知県は、脅迫の原因となった少女像の展示について、責任を全て芸術監督に転嫁するマスコミ発表を行いましたが、 https://mainichi.jp/articles/20190925/k00/00m/040/219000c https://www.huffingtonpost.jp/entry/hyougenn-no0hujiyuu-ten-geijutsukantoku_jp_5d8b202ee4b0c6d0cef3d4d1 その発表内容をよく読むと実は愛知県は、芸術監督を批判する体裁を取りながら巧妙に、問題となった少女像の芸術性も、否定していることが分かります。 愛知県は、検証委員会という体裁で、芸術監督に責任を転嫁していますが、その、検証委員会がトリエンナーレを、 >広く県民が楽しめる祭典 と、芸術を、レジャーと履き違えた位置づけをしている所からして、芸術のために奮闘した関係者、芸術の展示を期待する来場者を、バカにしています。日本各地で行われているトリエンナーレが、ヴェネチアビエンナーレなど、社会問題に正面から向き合う、欧州の芸術祭を模倣して始まった経緯を考えても、検証委員会の、 >「政治的テーマだから『県立や市立の施設を会場としたい』という芸術監督(津田氏)や不自由展実行委員会のこだわりは、公立施設が想定する使用目的から逸脱している」 という見解は、履き違えも甚だしいものです。 私は今回も含めて過去3回、あいちトリエンナーレの展示作品を見に行きましたが、検証委員会のメンバーが、これまであいちトリエンナーレで展示された作品群を知った上で >広く県民が楽しめる祭典 と言っているのだとしたら、愛知県民は、現代芸術への理解力が、日本社会の中では並外れて高い(大抵の日本人には全く楽しめない、どころか嫌悪感を抱かせかねない作品でも、じっくり鑑賞して様々な想いを巡らせることができる)ということになり、そもそも「表現の不自由展・その後」への批判(実質的には少女像の展示中止要求)は、少なくとも県民の間からは沸き起こらなかったでしょうし、名古屋市長が公然と、幼女像の展示中止を要求できる状況にはならなかったでしょう。ましてや脅迫などの展示妨害に対しては、ほかならぬ県民が、強く批判していたでしょうし、(先日ブログで指摘したように)愛知県警が妨害への捜査を渋るような事態は起きなかったでしょう。 その上同委員会は、史実を題材にしただけの「少女像」について、 >「政治性を認めた上で偏りのない説明」が必要 としていますが、史実を題材にすることが政治性なら、歴史を題材にした絵画などは全て、政治性を認めた上で偏りのない説明が必要になります。しかし愛知県が(私も所用で何度も愛知県に行き、県立美術館の展示は見ていますが)、少女像以外の、歴史を題材にした絵画の展示で、そのような説明をしているのを見たことがありません。実際検証委員会も、問題となった少女像について、どのような説明が望ましかったのかについては一切言及しておらず、実は、”偏りのない説明”とは何かを、一切提示していません。つまり検証委員会を名乗りながら、検証などしていないのです。 こうしたコメントは表向き「説明不足」という体裁を取っていますが、政治性があると決め付ける事自体が、少女像の芸術性(普遍性)を否定する内容で、少女像(のオリジナル)の作者への冒涜でもあります。そもそも、表現の自由が保障されている社会で、作品の中で史実がどう受け止められているかを、いちいち説明(=言語化して公表)しなければいけないという考え自体が、表現の自由を否定する態度です(言語化しなければ表現してはいけないと言うのなら、文学を伴わない表現は、成立しないことになる。ましてや抽象的な表現は)。 また検証委員会は、あいちトリエンナーレへの脅迫の口実が、(少なくとも報道を見る限りでは)少女像一点に集中し、他の作品については批判に留まっていたにもかかわらず、 >慰安婦を表現した少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などに抗議が集中した と、抗議と展示妨害とを混同させ、少女像が問題の核心であったにも拘らず、他の作品と少女像とを同列に述べ、問題をぼかしている点も姑息です。 このように検証委員会は、少女像の展示や説明の是非について、具体的な論評を避けているにも拘らず、芸術監督の言動について、 >「誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為にある」 と結論づけていますが、これは、結論を裏付ける根拠を提示しない決め付けで、責任転嫁に他なりません。 更にマネジメントの基本に立ち返ってこの騒動を振り返ると、そもそもあいちトリエンナーレにおいて、芸術監督は、具体的にどのような事項について決定権や指揮権を持っていたのか? 具体的な責任範囲が、少なくとも私の知る限りでは、全く公表されていません。展示する作品の選定までのプロセスについて、芸術監督が権限を持っているだろうことは予想できますが、では、トリエンナーレの実行委員会が展示を承認した作品についての、安全な展示(作品の保護)と来場者の安全な鑑賞について、誰(どの役職)が、どのような権限と責任を担っているのか? 少なくとも私の知る限り、愛知県は一切明らかにしていません。 このように、責任の所在があいまいな組織での問題を取り扱う場合、最高責任者以外の責任を問題にしようとすれば、責任範囲があいまいなのですから、どうやっても責任転嫁にしかなりません。換言すれば、これまで公開されている情報を見る限りにおいて、あいちトリエンナーレの問題については、最高責任者である実行委員長、つまり愛知県知事の責任を問うこと以外は不可能で、愛知県知事以外の役職の責任を問題した、検証委員会の活動そのものが、責任転嫁だと、言っても差し支えないだろうと思います。 つまり愛知県は、検証委員会という体裁を使って、芸術監督に責任を転嫁した上に、少女像の展示まで否定的に評価していたわけで、愛知県自らが公然と、自らの決済で実施を承認した事業を後から、まるで部下が勝手な真似をしたかのように批判したのでは、文化庁(萩生田)に、展示内容をきちんと事前に申請しなかったと、因縁をつけられても仕方ありません。 大村愛知県知事は、政府に対し、補助金支給を取りやめるなら国を訴えると述べていますが、自ら展示内容に問題があると認めておきながら、補助金だけは確保しようというのは、虫がいいのも程があります。彼は表向き、展示中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」について、再開を目指し”たい”と述べていますが、再開する、あるいは再開を目指すといった、トリエンナーレ実行委員長でもある、自らの責任が問われるような発言を避けている点にも、注意する必要があります(2019年9月末時点)。 つまりどういうことかというと、大村愛知県知事は、トリエンナーレの展示妨害について、自らがトリエンナーレ実施の最高責任者であるにもかかわらず、その責任を全て、展示内容の検討という部分的な権限しか無い芸術監督に転嫁した上で、自らは責任を問われないよう、形式的に、展示再開を希望して見せて、補助金だけはしっかりもらおうとしているわけです。彼は、少女像の展示中止を公然と要求した名古屋市長より、悪い意味で一枚上手です。 私は先日もブログで指摘しましたが、県知事は、県警を指導・監督する権限があり、トリエンナーレの展示を妨害する、執拗な電話や脅迫について、県警に徹底検挙を指示する責任がありました。しかし、その責任を何ら果たさないまま、(検証委員会という体裁を使って)責任を全て芸術監督に転嫁するという姑息なことをしています。彼に、表現の自由を守ろうとする使命感があったとは、考えにくいです。 2019年9月30日追記: なお、「表現の不自由展・その後」を中心に追い込んだ脅迫電話のうち、少なくとも一件は、自民党員が掛けていたことが、既に明らかになっています。 https://mobile.twitter.com/FFMatudo/status/1177962219759267845 この自民党員は、ネット上で松平美濃守と名乗り(脅迫の電話をかけたことが世間に知られた後、ハンドル名を変えている) >自民党員 (河野太郎防衛相支持)。 座右の銘は「お天道様は見ています」。アイコンは不屈の宇宙飛行士、アラン・ シェパード。日本核武装論&パチンコ廃止論者。FGO民(ゆるめ/強運) という自己紹介で、自ら自民党員であることをアピールしていましたが、 あいちトリエンナーレ検証委員会が一連の電話の音声を公開した際、自分の音声を勝手に公開したと腹を立て、そのことをツイートしてしまった(自分が電話の主であると名乗り出た)ため、そのツイートを数多くのネットユーザにスクリーンショットされてしまい、彼が「表現の不自由展・その後」を中止するよう脅した人物の一人であることが、世間に知れ渡ってしまいました。 またこの、松平美濃守と名乗っていた人物が、岐阜県大垣市在住の自営業者(HP制作請負などの)らしいことも、ネットユーザの追跡によって、明らかになっています。 http://okinawansea.hatenablog.com/entry/2019/09/28/231736 2019年10月27日追記: 「表現の不自由展・その後」は結局一般公開されず、10/8から会期終了まで、抽選に当選した者(1日数十から数百名)だけが閲覧できる内覧のみで終わりましたが、同展展示再開後、同展抽選場所周辺で配布されていた、検証委員会の中間報告書には、脅迫の口実になった少女像について、愛知県知事も、県側のキュレータも、当初は展示に反対していたことが記載されていました。 今では表現の自由の守り神であるかのように賞賛されている愛知県知事ですが、展示作品が確定する間際まで、あまり良くない意味での、日本的な芸術展(当たり障りのありそうなものは出さない)を望んでいた様子が伺えます。 また大浦信行氏の作品については、トリエンナーレ実行委員会内部で、展示自体への、強い反対意見はなかったようですが、映像の一部だけが切り取られ、悪意で曲解されて広められる危険性はトリエンナーレ開催前から予想されていて、会場での撮影禁止や、SNS投稿禁止のルール創りが、開会直前まで議論されていたようです。
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「表現の不自由展・その後」ファクトチェック

名古屋市長による、少女像の展示中止要求からテロ予告に発展し、会期終了間際まで展示中止を余儀なくされた、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」ですが、私は幸い、展示再開後の抽選に当たり、作品を直接観ることができました。展示されている作品の中には少女像のように、そのテーマ自体が暴力的な隠蔽圧力に晒された作品もある一方、(出品を拒否された)という武勇伝を、水増ししているかのような作品も、ありました。 話を一旦、先月末に戻しますが、9/29に東京で開催された、日本サウンドスケープ協会臨時総会&シンポジウムの席上、同協会理事長と前理事長(9月時点の)より、 日本サウンドスケープ協会が、2013年に、千葉県立中央博物館において開催した、「音風景の地平をさぐる」展で展示した「福島サウンドスケープ」というコンテンツが、「表現の不自由展・その後」にも展示されているが、コンテンツの説明に、事実とは異なる内容があり、(来年度から正式に社団法人化される)当協会の、社会的信用を損なわないためにも、当協会として事実関係を明確にしておく必要がある。 との問題提起がありました。 私が、抽選制で入場者を限定している「表現の不自由展・その後」に、わざわざ足を運んだのは、個人的な関心だけでなく、自分が理事を務めている日本サウンドスケープ協会の、理事長・前理事長(9月時点)も、「表現の不自由展・その後」の会場における展示内容を問題視しているのが分かったからです。 そして会場に足を運んで観ると、展示されていた「福島サウンドスケープ」の説明にはやはり、事実とは異なる記述がありました。 結論から書くと、 >本作は2013年の「音の風景」展(千葉県立中央博物館)に出品されたが、作家自筆の説明文が。福島大学の学長と執行部の除染活動不徹底への批判箇所の削除である。検閲の多様性も伝える例だ。 という説明文中、 >「音の風景」展(千葉県立中央博物館)に出品された という記述が不正確で、 >作家自筆の説明文 という記述が事実とは異なり >検閲・修正された という記述も、事実とは異なっていました。 以下、事実とは異なる点を具体的に説明します。 まず第一に、検閲とは何かと言うと、検閲を行う(制作物の公開可否を一方的に決める)側と、検閲を受ける側(制作物の公開を申請する)側という、上下関係にある、二つの、それぞれ独立した立場の存在が、大前提となります。更に、比喩ではなく、客観的事実として検閲という言葉を使う場合には、検閲を行う主体が公権力、という限定が付きます。 「福島サウンドスケープ」の展示は、日本サウンドスケープ協会と、千葉県立中央博物館との共催事業である、「音風景の地平をさぐる」展の一部であってので、検閲が成立する上下関係は、そもそも存在しませんでした。共催者に、任意団体である日本サウンドスケープ協会が含まれるので、客観的な意味合いではなおさら、検閲は成立しません。 そして、「福島サウンドスケープ」と命名されたコンテンツの制作者である永幡幸司氏は当時、日本サウンドスケープ協会の常務理事であり、同協会が行う全ての活動を、監督・承認する責務を負っていました。つまり永幡氏は、この展示の主催者側、すなわち出展物をチェックする側の人間でしたので、永幡氏自身と、展示の主催者との関係も、検閲が成立する上下関係にはありませんでした。 更に永幡氏は、日本サウンドスケープ協会の展示担当者と、(説明文原案の修正を求めた)千葉県立中央博物館との折衝で調整された、「福島サウンドスケープ」の説明文の最終的な文面について、電子メールで承認を与えています。すなわち、千葉県立中央博物館と、永幡幸司氏との間には、立場上も、文面を巡る交渉のプロセス上も、「検閲」は存在しませんでした。 次に、問題の説明文の文責は誰にあったかというと、これは、コンテンツ制作者の永幡氏ではなく、「音風景の地平をさぐる」展の、展示パネル(の版下)作成担当者でした。同展では、永幡氏作成のコンテンツに限らず、同展で紹介された協会員の活動全てについて、活動を行った当人ではなく、パネル作成担当者が、展示パネルに記載する文書を作成しており、個々の活動担当者は、永幡氏のみならず全員、パネル作成担当者に、説明文の原案を、提出していました。従って展示物の説明文は、「福島サウンドスケープ」に限らず、どの展示物についても、作家の自筆ではありませんでした。 展示パネルの説明文を、こうしたプロセスで作成したのは、「音風景の地平をさぐる」展が、日本サウンドスケープ協会員個々の、成果発表ではなく、日本サウンドスケープ協会という、団体名義での成果発表として企画されていたからで、同展の企画趣旨も、展示パネル作成のプロセスも、永幡幸司氏を含む、日本サウンドスケープ協会常務理事会が、承認していました。私自身も当時、日本サウンドスケープ協会の事務局長として、「音風景の地平をさぐる」展の構想から会期終了に至るまでの、永幡幸司氏も含む全常務理事、同展実行委員、千葉県立中央博物官側担当者の言動を、自分自身の会合出席と、議事録、メーリングリストによって、逐次確認していました。 上述の通り、千葉県立中央博物館における、「福島サウンドスケープ」の展示は、日本サウンドスケープ協会と、千葉県立中央博物館との共催で開催された、「音風景の地平をさぐる展」の中で、(個人名義ではなく)日本サウンドスケープ協会名義で出展されていた展示の一部でした。「表現の不自由展・その後」の会場パネルに記載されていた、「音の風景」展とは、日本サウンドスケープ協会制作の、「音風景の地平を探る」展も含む、複数の展示の総称なので、 >「音の風景」展(千葉県立中央博物館)に出品された という、「表現の不自由展・その後」での記述も、嘘ではありませんが、「福島サウンドスケープ」が同博物館に展示された経緯を考えれば、正しい記述とも、言えないでしょう。 なお、上述の事実関係の概要は、日本サウンドスケープ協会公式HPの中の、下記URLにも明記されていますので、ご確認願います。 http://www.soundscape-j.org/activity_20th.html
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2019/09/39 追記:テロを隠れ蓑にした検閲(愛知県は被害者というより共犯者)

去る8月3日、愛知県は、県知事が実行委員長を務める「あいちトリエンナーレ」の企画「表現の不自由展・その後」について、出品者に何の聯絡もせず、一方的に、展示中止を通告しました。展示中止を発表した記者会見で愛知県知事は、あたかもテロの心配があったために止む無く展示を中止したかのような説明をしましたが、実は会場の警備に、機動隊員など、暴力犯罪に対応した警官を配備することもなく、警備員に警備させるだけでいたなど、そもそも県に、暴力を防ぐ意思があったのか?報道内容を見る限りでは、極めて疑わしいです。 https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20190804-00137002/ https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019080402000069.html https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichi_jp_5d45462ce4b0acb57fccde0c https://news.livedoor.com/article/detail/16876159/ https://www.asahi.com/articles/ASM836G75M83OIPE02G.html?iref=pc_extlink https://www.asahi.com/articles/ASM835SDPM83OIPE01R.html https://news.yahoo.co.jp/byline/akedotakahiro/20190805-00137053/ https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190804-00136942 県の対応で不可解なのは、県警に警備強化を指示した形跡が見られないだけではありません。テロ予告を含む、数多くの脅迫が、業務に支障を来すほど実行委員会に殺到していたにも関わらず、実行委員長である県知事が、展示の妨害や脅迫を受け付けない、毅然とした姿勢を何ら示すことなく、突然展示中止を決めた点。実行委員長が、脅迫に無言では、脅迫する側が勢いづくのは当たり前で、芸術監督の津田大介氏が記者会見で、 >休止の選択肢もありました。しかし休止は(抗議の)電話を減らす効果がない、火に油を注ぐ可能性もあります と、中止受け入れの理由を述べた背景には、実行委員長である愛知県知事の、怠慢があると考えられます。 更に愛知県警の対応も極めて不自然で、愛知県警は、無差別テロ予告のFAXが送られて来たのを把握していながら、FAXが匿名化されているという口実で、捜査(通信経路の解明)をしなかったことが、津田監督自身のツイートによって暴露されています。もし、匿名化されたFAXの発信源を捜査することが、県警の言う通り、本当に不可能なのであれば、日本は、公衆通信回線を利用した犯罪は、やりたい放題の国ということになります。 これらの経緯を見ると、愛知県は、テロ予告などの暴力に屈して、展示中止を決定したというより、テロ予告を隠れ蓑に、法で禁じられた検閲に手を染めたと、理解した方が良いのではないかと思います。実際、実行委員長が、出品者側に、何の連絡もなく一方的に展示中止を通告し、出品者である「表現の不自由展・その後」実行委員会が抗議声明を出している状況を見ても、愛知県の対応は、出品者に対して高圧的なもので、出品者への配慮が感じられません。 https://www.asahi.com/articles/ASM837HV0M83OIPE034.html https://jp.reuters.com/article/idJP2019080301002161 更にツイッター上では、 >警察はすべて分かった上で止めてる様です。愛知県警だけで判断できないレベルの政治案件に成っています。県警は津田大介さんにも、そのFAXを公開する事を止めています。 と、脅迫自体が、県の権限を越えた政治案件であることを、示唆したツイートも出ています。 私は、これらの経緯を見て、愛知県に対しては、憲法と法を遵守し、暴力・脅迫は容認しない姿勢を国内外にアピールした上で、会場の警備強化をして展示を再開すべきと、提案しました。 また愛知県警に対しても、警察が法の番人であることを、国内外にアピールした上で、テロ予告犯や、実行委員会を脅迫した者を検挙すべきと意見を送りました。 あいちトリエンナーレの会場にはこれまで、入場券を持っていれば、誰でも入場できましたが、日本国内のイベントでも既に、入り口で、来場者の荷物をチェックしたり、会場に持ち込める荷物を制限するのは珍しいことではなく、海外に目を向ければ、例えばパリのポンピドーセンタ-では常時、入館者の荷物チェックを行っています。テロを未然に防ぐ手段は様々あり、とりわけ、あいちトリエンナーレへの脅迫文にあった、ガソリン缶を持ち込むような、小回りの利かない原始的なテロならは、会場周辺の警備を強化するだけで抑止可能です。 要は、愛知県に、表現の自由を守る意思があるか否かの問題でしょう。 2019年9月3日追記: 去る8月24日にネット上で公開された、下記の記事(骰子の眼「あいちトリエンナーレ津田大介芸術監督インタビュー」)では、愛知県警が、「あいちトリエンナーレ」関係者に被害届を出させないよう、一貫して捜査に否定的な姿勢を取り続けている実態が、暴露されています。 http://www.webdice.jp/dice/detail/5849/ 以下、該当部分を引用します: ──「大至急撤去しろや、さもなくばガソリン携行缶を持って館にお邪魔するので」と書かれたファックスによる脅迫事件について教えてください。容疑者の堀田修司が逮捕されたのが8月7日ですが、被害が発表されてから被害届が受理されるまでタイムラグがあったそうですね。脅迫なのに、なぜ警察がすぐ受けつけなかったのでしょうか? 津田:これは全然報道されていないので最も誤解が大きいところですね。また、不自由展実行委とも大きく認識がずれているところです。8月22日に東京で開催された緊急シンポジウムで不自由展実行委の小倉利丸さんが「抗議電話は7月31日、8月1日からあった。我々は暴力の予告があれば警察に委ねるよう言っていた。ガソリンファックスは8月2日だが警察に届けたのは8月6日。メールについての被害届は8月14日。これはサボタージュだ」と発言され、会場からも大きなどよめきと疑問や運営側を責める声が上がったそうです。しかし、端的に言ってこれは事実誤認です。現場で何が起こっていたのかといえば、初日の8月1日から3日まで、落ち着いた展示空間とは異なり、事務局はずっとトラブル対応に追われていました。そんな中、あの脅迫ファックスが来たのが2日の早朝です。脅迫ファックスが届いたと現場が大騒ぎになり、すぐに事務局はすぐ警察を呼びました。通報を受けてやってきた所轄の警察署員がファックスを見て、ヘッダーのところにある番号が5ケタだったため、「これだと発信者はわからないね」と、そっけない対応をされたそうです。このことは後から聞いて判明したことなのですが、いずれにせよ現場に来た警察署員の対応で終わっていて、そもそも被害届を出すような状況ではなかったということです。2日夜に捜査の状況を知事とともに確認しているときに、知事から言われたのは「警察からはファックスが匿名化されていて送り先がわからないと聞いている」という旨の話を聞きました。自分の中では引っかかりがありましたが、そのときはまさに不自由展を中止するかどうかを判断する瀬戸際で現場も大混乱していたため、あとで自分で調べようと思いました。3日の17時に、大村知事が記者会見を行い、不自由展の中止を表明。その後僕が単独記者会見を行い、不自由展のメンバーが記者会見を行いました。後片付けなども含めてすべてが終わったのは深夜でした。 8月4日になり、まだ現場の混乱は続いていましたが、多少僕に余裕ができたので、今回の中止の背景にある脅迫事件を何とかしなければならないと思って、脅迫ファックスの原本を見せてもらいました。実際に見たら発信者番号のところに5ケタの番号が書いてあった。これを警察の捜査にも詳しい専門家に見せたところ、機種は恐らくゼロックスG4で、オフィスにある複合機から送っているのではないかという分析が返ってきました。 その情報をもとにうちの会社の社員が5ケタの番号を解析したところ、オフィスの複合機ではなく、コンビニの可能性があるということがわかりました。コンビニの複合機は主にゼロックスを導入しているセブンイレブンと、それ以外のコンビニで多く使われているシャープの2つがあり、さらに解析すると、ゼロックスではなくシャープのヘッダーで、5ケタの番号はコンビニの店番号じゃないかということまでわかった。つまり、犯人は匿名化を全然やっておらず、単にコンビニから送っただけで、その店番号をウェブサイトで検索してみると普通に店舗名が出てくるんです。そこで、愛知県内のコンビニの特定までできました。送信時間まではわかってますから、あとはコンビニの監視カメラをチェックすれば犯人がわかる。とにかく早く警察に動いてほしかったので、こちらで調べた状況をテキストにまとめて事務局経由で警察にあげてもらいました。そうしたらその翌日に警察から「被害届を出してくれ」という連絡がきて、ようやく出させてもらえて、その1日半後に容疑者が逮捕されたというのが経緯です。 ──堀田修司は、別に本気でやるつもりはなかったと言っているそうですね。 津田:恐らく愉快犯でしょうね。しかし、だからといってトリエンナーレがさらされている脅威が除去されたという単純な話でもありません。これ以外にも多くの脅迫があるからです。一日中抗議電話や脅迫電話があるなかで、あのファックスが届いた。それは愉快犯であったとしても、職員の精神的な状況は察するにあまりある。 ──そのほかメールでの脅迫も大量にきていると。 津田:大量の脅迫メールが届いたのは8月5日の朝からです。あいちトリエンナーレ事務局にも来ましたけれど、それだけではなく、教育委員会への小中学校の爆破予告や職員に対しての射殺予告など、愛知県の関連施設に大量に送られてきました。それが760通、何回かに分けて送られてきました。こちらも届いたその日に警察には相談していますが、被害届は出させてもらえませんでした。メールのヘッダーを見せてもらって分析したら、偽装された形跡はありませんでした。ある宗教団体のメールサーバーを使って送られてきていんたんです。一目で見ておかしいと思いました。 ──僕へのDMでは、×××と言われていますよね。 津田:その宗教団体がまさかそんなことをするとは思えないし、文面を見てみると明らかにおかしい。いろいろ調べてカラクリがわかりました。この手法自体を話すと今後別の愉快犯に悪用されかねないので詳細は避けますが、一言でいってソーシャルハッキングみたいなものだと思いましたね。宗教団体のメールサーバーを使って脅迫メールを送ったらIP開示請求をその宗教団体にしなければならないわけで、警察も動きにくいでしょう。その宗教団体に依頼してIPアドレスを提出してもらうのも手間だし、そもそも適切にIPアドレスを管理しているかも、協力してくれるかどうかもわからない。そして、ここまで悪知恵が働いて身を隠そうとしているなら、IPアドレスがわかったとしても、その先も匿名化されているだろうなと思いました。いずれにせよ、この件もずっと警察には働きかけていたんですが、なかなか動いてくれなかったですね。 ──大村知事からの働きかけはなかったのですか? 津田:もちろんお願いしました。大村知事からの働きかけもあって、少しずつ動き始めた感じです。同時に正攻法でいこうとも思って、僕らがその宗教団体に電話して、理由を説明してIPアドレスを出してもらえないかとお願いしました。非常にその宗教団体は協力的で、状況を理解して2日後にIPアドレスを出してくれました。事前に予想した通り、IPアドレスを調べてみるとTorという匿名通信の手法により匿名化されていました。セキュリティに詳しい専門家に見てもらいましたが、この出口ノードだけでは本人特定は難しいと言われました。8月14日にようやく被害届を受け取ってもらえて捜査に入ってくれたので提供されたIPアドレスを事務局経由で警察に送りました。それまでに9日間かかりました。不自由展実行委の言う、我々が警察に届けてなかった、サボタージュしていたというのは誤解ですし、間違っています。むしろ、この対応に全力を挙げていたことが不自由展やトリエンナーレに参加した作家とのコミュニケーション不足を招いて、いまのような事態に陥っているので、それを「サボタージュしていた」と言われるのは辛いですね……。そして、「警察に脅迫が届いたその日から何度も捜査してくれとお願いしている、このことをメディアも報じてほしい」と報道各社には何度も繰り返し囲み取材などで伝えているのですが、このことをまともに取材して報じてくれるメディアはありませんでした。だから今日僕はこのwebDICEのインタビューを受けているわけです。 特に最初の2週間は、トリエンナーレが崩壊しそうになっている中で、これらのことを同時に対応しなければいけなかった。東浩紀には「なんで脅迫犯の対応や分析を芸術監督自らやってるんだ。それは行政がやるべき仕事であって芸術監督の仕事じゃない」と批判されましたが、なかなか警察の捜査が進展しない状況で、まずこの対応をきちんとやらないとトリエンナーレが崩壊すると思いました。安全で円滑な管理運営をする現場監督は自分。だから動かざるを得なかったという認識です。 引用おわり 2019年9月30日追記: なお、「表現の不自由展・その後」を中心に追い込んだ脅迫電話のうち、少なくとも一件は、自民党員が掛けていたことが、既に明らかになっています。 https://mobile.twitter.com/FFMatudo/status/1177962219759267845 この自民党員は、ネット上で松平美濃守と名乗り(脅迫の電話をかけたことが世間に知られた後、ハンドル名を変えている) >自民党員 (河野太郎防衛相支持)。 座右の銘は「お天道様は見ています」。アイコンは不屈の宇宙飛行士、アラン・ シェパード。日本核武装論&パチンコ廃止論者。FGO民(ゆるめ/強運) という自己紹介で、自ら自民党員であることをアピールしていましたが、 あいちトリエンナーレ検証委員会が一連の電話の音声を公開した際、自分の音声を勝手に公開したと腹を立て、そのことをツイートしてしまった(自分が電話の主であると名乗り出た)ため、そのツイートを数多くのネットユーザにスクリーンショットされてしまい、彼が「表現の不自由展・その後」を中止するよう脅した人物の一人であることが、世間に知れ渡ってしまいました。 またこの、松平美濃守と名乗っていた人物が、岐阜県大垣市在住の自営業者(HP制作請負などの)らしいことも、ネットユーザの追跡によって、明らかになっています。 http://okinawansea.hatenablog.com/entry/2019/09/28/231736
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反戦アートへの疑問

 私が子供の頃、平和運動と言えば、空襲や飢餓の恐ろしさを語り継ぐ活動ばかりで、そこで語られる庶民は一方的に被害者でした。それから半世紀以上経った今でも、日本国内では状況はあまり変わらず、反戦の表現活動と言えば、政府が悪者で、庶民は善人で被害者と、相場は決まっているような印象を、未だに受けます。  けれど現実には、昭和の日中戦争も日米戦争も、マスメディアに煽動された庶民の多くが戦争に賛成し、メディアは競って、戦果に留まらず戦地での現地人虐殺行為まで報じていたことが、今では広く知られているし、戦後の戦争特需も、当事を知る多くの日本人が、(他国民の犠牲で利益を得ていたことを)誇らしげに語っていたのを、私は覚えています。在日朝鮮人や中国人への差別は、現在でも日常的に見聞きします。  戦争を体験なされた方ご自身が、自身の体験や、そこから生まれた表現を世に問うのは当然で、それはいつでも尊重されなければなりません。でも、自分に戦争の体験も記憶もない人が、ただ体験者の立ち位置を真似て、加害者としての側面に触れず、被害者としての庶民ばかりを描くのが、戦争を未然に防ぐ風土の育成に、貢献するのでしょうか? 以前も書いたことですが、反戦・平和を訴える作品の中で、実際に、人権を守る現場で闘っている人達への、リスペクトが感じられる作品が、滅多に無いのも、疑問のひとつです。 https://hiroshi-s.at.webry.info/201402/article_2.html  とりわけ今世紀に入ってからは、口先では平和を愛するとか優しさとか思いやりとか言いながら、人権侵害にも戦争にも無頓着で、現実に何が起きているのか知っていても、何の支援もしなければ発言もしない、冷たい日本の民衆の姿が、次々と露わになっています。 イラク戦争の口実となった「大量破壊兵器」が存在しないことを、米国政府が認めてもなお、漫然と、自民党のイラク戦争支援を支持し続け、戦争で治安が崩壊したイラクに赴くボランティア達にも、カンパをするどころか自己責任だと切り捨てる日本の民衆。そこから派生したシリア内戦の惨状を、日本に伝えようとするジャーリストも、自己責任で勝手な真似をと、突き放す。 2020年の東京オリンピックに向けた建設工事に人や資材を取られ、東日本大震災の復興工事に支障が出ていることが、ニュースで報じられても、何事もなかったように東京オリンピック開催の話題で盛り上がる。 原発事故で住む場所を失い、避難してきた人達を、放射能が移ると差別したり(それでいて、流通している生鮮食品の汚染には無関心)、大金(保証金)もらってるだろといじめたり(実際には避難者のごく一部しか、行政からの支援を受けられないでいる)、 与党が煽動する、生活保護受給者パッシングには付和雷同しても、貧困層への支援事業は、報道されても話題にしないしカンパもしない。 政治や政局を偉そうに批評するのに、沖縄の基地問題は語らない。沖縄での、警察官による暴力的な住民(そのほとんどが高齢者)排除が、何度ニュースで報じられようと。そのくせ、沖縄か米軍が居なくなったら日本はどうなるんだと言う。日本有事に、在日米軍は、直接その戦力を行使することはなく、自衛隊の支援しかしないことは、「日米防衛協力のための指針」にも明記されているのに。 などなど。  恐らくは、いつの時代もそうなのでしょうが、国を、差別や戦争に駆り立てるのは、政府だけではなく、大衆の後ろ盾が決め手になるのだろうと思います。大衆がそうなるように、政府が(マスメディアを使って)煽っているのは否定できないでしょうが、民衆が善で政府が悪、などという、古典的な時代劇のような構図が、現実の社会にあてはまらないのは、何か一つでも、弱者(人間でなくてもいい)を支援する活動に、ボランティアなどで参加してみれば、嫌でも分かることです。 では、表現者は、反戦や、平和を訴えるという文脈で、何をすれば良いのか?  2/24に沖縄県で実施された、辺野古基地建設の是非を巡る県民投票は、元山仁士郎という大学生が、ほんの数人で運動を初めたものです。 最終的には県政を動かし条例に基づく実施にこぎつけ、見事7割を超える反対票を獲得しましたが、当初は、基地建設反対運動をしている沖縄県民からも、失敗した(少なくとも過半数の反対票を獲得できなかった)らどう責任を取るんだ!と、厳しく批判されていたそうです。1~2ヶ月に一回ほど辺野古へ行って、基地建設反対運動に参加している私自身も、基地問題について意見が言いにくい風土の沖縄で、過半数の反対票を獲得できるのか? 懐疑的でした。 https://maga9.jp/190227-5/?fbclid=IwAR3Zpvijd0UXtcZLzRf9Ao4Ig7Oc5PUEDpyqfo99CJwKrUWdDuf2RKXA08I にも関わらず彼は、長年地元で基地反対運動を続けてきた人達の経験則を受け入れず、手探りで、様々な広報、対話を模索し、試しながら支持の話を広げ、周囲が予想する以上の結果を出したわけです。  またロバート・カジワラ氏は、米国人であるにも関わらず、祖先がウチナーンチュだったせいで、辺野古問題に無関心でjはいられなくなり、ホワイトハウス宛に辺野古基地建設中止を請願する署名運動を、インターネットを通じ、世界に呼びかけました。この署名活動は日本国内でも大きな広がりを見せ、これまで政権批判につながる発言がタブー氏されていた日本の芸能界でも、署名への協力を公然と呼びかける芸能人が相次ぎました。更にこの署名運動は、英語での活動だったため、ブライアン・メイ氏など、世界の著名人達からも声援が寄せられ、県民投票の投票率にも、大きく貢献したと、見られています。 https://hbol.jp/183872 https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/361226 https://mainichi.jp/articles/20190108/k00/00m/040/154000c https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/248366/ こうした、県民投票実施に向けての一連の活動は極めて創造的であり、県民投票は、芸術作品そのものではないものの、ヨーゼフ・ヴォイスが1970年代に提唱した、拡張された芸術概念(社会彫刻)の、正に具体例に、該当するのではないかと、思います。 https://ameblo.jp/anthroposophy/entry-12066774044.html http://kusanone-bunka.com/396 https://hiroshi-s.at.webry.info/201002/article_1.html 彼のような結果を出すには、時間もかかるし運や偶然の出会いも必要で、誰にでも出来ることではないでしょうが、常識に疑問を抱き、その謎を探る過程を表現行為につなげることは、作品を作るスキルのある人なら、できることではないでしょうか? 表現活動は、元山氏のような、具体的な成果を出す必要も、ないのですから。 政府(あるいは政治)が悪で、庶民が善という、芝居がかった勧善懲悪も、今、私達が疑問を抱くべき常識、なのではないかと、思います。
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快慶:写実力あってのデフォルメ

東京国立博物館で開催中の特別展、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」を見に行ってきました。特に印象に残ったのは、快慶(の指揮の下で制作された)十大弟子立像の写実性でした。 運慶と並び、「慶派」の立役者として歴史の残る、快慶の仏像の作風は、まるで演劇や舞踏の一場面を切り取ったかのような、今の言葉で言うリアリティに溢れた仏像も多い運慶の作風とは対照的に、それまでの仏像(彫刻ではなく、あくまで信仰の道具としての表象)の美学から大きく外れることのない、端正、というか保守的なものですが(快慶自身、信心深い仏教徒だったと言われている)、この十大弟子立像については、仏像というより、彫刻と言った方が良さそうな、非常に写実的な造形でした。 とはいえ、その写実性は、演劇や舞踊のステージ写真を3次元で撮影したような、運慶の作風とは大きく異なり、写実的だけれども、現実世界の出来事のようなリアリティは感じられませんでした。運慶の写実が、ステージ上の俳優やダンサーのポートレイトなら、快慶の写実は、写真館で撮るポートレイト。モデルがボーズを決めて、静止して、シャッターが切られるのを待っていたかのような写実性。現代の写真撮影に例えれば、ダイナミズムの表現のために、カメラアングルやレンズの画角、それどころか、撮影後の被写体の体型まで画像処理で加工するような、運慶の作風に対し、快慶の作風は、カメラアングルも撮影に使うレンズも、カメラと被写体の距離も、徹底的に吟し尽くした上で固定され、撮影した画像の加工も一切しないような、ストレートな趣。 考えて見れば、極めて高い写実力があればこそ、写実から自在にデフォルメして、自分が追い求める、あるいは顧客が期待する美学に即した仏像の表現ができるわけで、写実的な描写力あっての多様な表現力、というのは、古今東西、共通した原理原則なのかも知れません。 そして、本展のもうひとつの目玉が、肥後別当定慶作(彼の指揮の下で仏師達が制作した)の六観音。 (鎌倉時代に定慶と名乗った仏師は、少なくとも、肥後別当定慶と大仏師法師定慶の二人がいるそうです) 肥後別当定慶の観音像は、髪型と衣の表現の豊かさに特徴があるそうで、確かに、一体一体、髪型も、衣の形やシワの寄り方も異なり、かつ立体的で、まるでファッションショーのような趣でした。 日本の古い仏像の多くは、塗装がすっかりはげ落ちてしまい、今ではそれぞれの造形の特徴しか、確認することができませんが、完成した当初は、着色の効果も相まって、仏師(今で言えば、工房の経営でも作品制作でも陣頭指揮を取るリーダー)毎の作風の違いが、今より一層際立ち、仏像や仏殿は単なる信仰の対象にとどまらず、今私達が目にする寺院より、はるかに多様で個性的な、世界観の表現であったのかも知れません。 まるで演劇や舞踊のワンシーンを再現したかのような、運慶のダイナミックな世界。 信仰に関係のない演出を、意図的に排除したかのような、ストイックな肖像作りに徹した快慶。 衣装、髪型という、今で言う”ファッション”の部分で個性を発揮した肥後別当定慶。 12世紀後半の相次ぐ戦乱を経て、武士という新興勢力が、過去500年ほどに及んだ朝廷の支配を無力化、力を持つ者と持たざる者が大きく入れ替わった時代。日本の文化は、現存する文化遺産から私達がイメージするより、はるかに大きな振れ幅で、変化していたのかも知れません。
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資料紹介:土地の匂いと”正調”

下記の記事は、日本の民謡を録音した音源を素材にDJをしているユニット”俚謡山脈”のインタビュー記事で、直接的には日本の民謡についてしか語っていませんが、世界の音楽産業全般に通じそうな、大変興味深い内容でした。 https://www.danro.bar/article/11623411 上の記事中でも紹介されていた、『日本の民謡』(浅野建二著/岩波新書)の中での指摘「土地の匂い、すなわち郷土色を失った民謡はもはや民謡ではなくて、最下級の流行歌に堕したものといってよかろうと思う」 には、私も、「なるほど」と思いました。というのは・・ 1980年代はじめ、私は大学生だったのですが、講義の無い時間帯に部室へ行くと丁度、NHK-FMの、「民謡の時間」でした。そのせいもあって、当時は相当数多く日本の民謡を聴いたのですが、そのおかで分かってきたのは、一口に民謡と言っても、同じ曲でも、演者によってそれぞれ節回し(西洋音楽で言うところの、リズムやキーや、メロディーや音階)が少しずつ違っていること。同じ曲(演目)といっても、西洋近代音楽の”曲”とは、随分違う概念だということが分かりました。 その一方で、明らかに音階が現代の西洋楽器に合わされ、リズムも五線譜に書き記されたような、まるで、小学校の音楽の授業で歌わされた「ソーラン節」のような民謡も、どんどん放送されるようになっていました。実際には、そうした民謡の方が多かったかも知れません。 時代は丁度、民謡歌手出身の金沢明子さんが、テレビにもよく出演するようになった頃。私が大学を卒業し、社会人になった、1980年代半ばには、伊藤多喜雄さんが、西洋楽器も交えたバンドを率いて、全国を回るようになっていました。 ヒットチャート狙いに変貌した民謡を、「堕したもの」と呼んでいいのかどうかは、議論の余地が大アリですが、ヒットチャート狙いに転じた、と言うより、西洋近代音楽の音階と記譜法に馴染むように変換されてしまった民謡に、オリジナルの魅力が残っていないのは、確かでしょう。それは、名前は同じ民謡でも、もともとの民謡とは全く別世界の表現、近代西洋音楽の派生系と言った方が適切かも知れません。 そして私が社会人になってから、随分と年月が経った後に気づいたのですが、こうした変貌は、日本の民謡に限らないようです。 以前、インドネシアの民族音楽を同国の大学で専攻した人達(インドネシア人)による、ガムランの演奏を収録したCDを、聴いたことがあるのですが、明らかに、五線譜に従って演奏しているのが分かる、(民族音楽にしては)異様にゆらぎの少ない機械的な演奏に、びっくりした記憶があります(特に、新作の曲では)。1990年代以降、日本各地で盛んになった、和太鼓のグループによる演奏も、そのリズムやテンポの刻みは、明らかに五線譜に従っている機械的な演奏が大半で、伝統的な祭囃子とは、似ても似つかぬノリの音楽になっています。 実は、現在、”クラシック音楽”と呼ばれている音楽も含め、世界中のあらゆる音楽は、音楽産業界の”ジャンル”になる過程で、もともと持っていた、ある種の、一期一会のダイナミズムを、捨ててしまっているのかも、知れません。 そして、もうひとつ、音楽が、演奏者”以外”の人達が仕切るビジネスに変貌する過程で、新たに生まれる価値基準についても、上述の記事中で、俚謡山脈のメンバー、斉藤匠氏が興味深い指摘をしていました。 「民謡の世界に「正調」って言葉があるんですけど、それは、正統性を持たせちゃった言葉なんですよね。レコードになったり本で紹介されたりで、それまでいろんな節回しがあったものを、「みんなが歌うべきメロディはこれだよ」って決めちゃったやつが「正調」。そうなると他のやり方で歌っていた人たちが、そっちに合わせがちになっちゃう。」 特定の表現だけが、正しい表現として権威化されてしまう現象。これは、日本の民謡に限った話でしょうか? もともとは地域によって、人によって多種多様だった欧州の音楽が、産業革命の進展に伴い増加した、”ブルジョア”階級向けに大規模化・規格化されて”クラシック音楽”となり、それが、レコード産業や放送産業、更には教育産業の都合に合うように、絶対的なものとして権威化される。 レコード産業とマスメディアの影響力によって、ある時期に、あるプレーヤー達が行った試みが、””スイングジャズ”、モダンジャズ”、”バップ”、”フリージャズ”・・などと細かくジャンル化され、後を追う者達は(特に日本では)レコード会社とマスメディアが、ビジネスのために仮組みしたに過ぎない”ジャンル”を、まるでルールブックのように盲信しながら、勝手に”本質”などという神話を創作しては、本家争いに明け暮れる。 などなど・・・ 私達の、音楽についての感性は、実は、テレビやラジオ放送、最近ではストリーミングを通じて、ビジネス界の都合に合うよう、それこそ物心付く前から、洗脳されているのではないでしょうか? ”土地の匂い”とは、少し違う話かも知れませんが、以前、青森県の弘前城へ、桜を見に行った時、丁度、中学生の、お囃子のコンテストが行われていました。私は全く予備知識も無く、その現場に出くわしたので、詳しいことは分からないのですが、弘前市には、地域毎に、祭囃子を演奏する”社中”があって、その社中が更に、大人の社中と、学童の社中に、分かれて活動しているようです。 その日の課題曲は、岩木山にお参りに行った後、下山するときに演奏するお囃子だそうで、確か、50組前後のグループが、入れ替わり立ち代り、同じ演目を演奏していたのですが、その中にほんの1~2組、嫌でも体が動き出すような、絶妙なビートを刻むグループが居たのを、今でも良く覚えています。 同じ演目を、同じように演奏しているはずなのに、ごく限られた演者だけが、なぜか音だけで、聴衆を沸かせることが出来る。音楽の、とりわけ、民衆の”ハレ”の場で継承されてきた音楽の魅力、音楽の力というのは、そうした、記述や法則化が困難(恐らく無理)な、世界の中に、宿っているような気がします。 今では音源の入手はおろか、演奏の記録や歴史を辿ることさえ容易ではない、日本の古い民謡を、現代の”ハレ”の場の担い手であるクラブDJが、丹念に発掘しては、ダンスビートとして再編集する。 それは奇をてらった見世物というより、音楽的にはむしろ必然なのかも知れません。
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運慶

昨年のことになりますが、国立博物館で開催中されていた、運慶展を見に行きました。  運慶を初めとする、慶派と呼ばれる仏師達の作る仏像は確かに、他の派と比べ、形態としては写実的要素が強いですが、現代の言葉で言う、”描写”、”リアリズム”に満ちていたのは、やはり運慶の(直接指揮で制作された)仏像に限られるようです。  当時の支配層の変遷や、それに伴う価値観の変遷、今風に言えば、反権威・反体制のゲリラ活動でもあった、いわゆる鎌倉仏教の勃興といった時代背景も含めて考えると、とても興味深い内容の展示でした。  様式論で語られがちな、日本の仏師達の技能が、現代の言葉で言う写実性においても並外れたレベルであり、また「表現」という観点から見ても、古代ギリシャ・ローマ時代やルネッサンス期のヨーロッパの彫刻よりも、むしろ、例えばロダンのような、近代の写実的な彫刻を彷彿とさせるリアリティーを有していることは、本展にも展示されている、興福寺所蔵の、四天王像、無著菩薩立像、世親菩薩立像の生々しい描写からも十二分に伺い知ることができます。  まるで優れた舞台演劇の上演中の一瞬を、ホログラフィーで3次元撮影したかのような描写。さらにこれらの仏像が、一人の仏師ではなく、作者として記名される指導者の指示の下、分業で制作されていた事実は、歴史に名を残した仏師達が、単に並外れた作家というだけでなく、高い技能を持っ複数の職人を擁する、今で言う工房のリーダーであったことにも驚かされます。 けれど、その卓越した技巧と表現力は、当時の日本社会の価値基準の中では、必ずしも、「優れた」能力とはみなされなかったようです。  運慶が築きあげた、リアリズムと言っても良い表現は、武士が貴族から、名実共に権力を奪い取った直後の時代は人気が高かったようですが、その子の世代には、形態の写実性(技巧)が引き継がれるに留まり、その写実性も、せいぜい運慶の孫の世代までで、1500年近くに及ぶ、日本の仏像の歴史の中では、ほんの100年足らずの、一時的な動きで終わってしまったようです。  とは言え、その卓越して写実的な表現は、リアリズムとはまた、別の方向性でも生かされたようで、例えば康弁(運慶の三男)作の龍燈鬼立像、天燈鬼立像は、今で言う、マンガ、アニメーションにも通じるような、生き生きした生命感を、実在しない怪物達に与えています。  こうした表現は、運慶の出現以前からあるようで、運慶の父・康慶の作とされる四天王像(興福寺蔵)に踏みつけられた邪気達の表情も、現代のマンガでもよく見られるようなユーモラスなデフォルメが施されています。 https://twitter.com/unkei2017/status/925976983217074176  表現という行為を、様式といった側面から見た場合、何が優れた表現なのか? という評価は結局、その時代の価値観に、大きく左右されるようで、時の流れに沿って進む特定の方向性、つまり、進歩とか後退といったモノサシで、評価できるものはないのでしょう。”印象派”に代表される、19世紀西ヨーロッパでの一部の画家達による試みに端を発し、20世紀(特に前半)に大きく花開いた、抽象表現や、いわゆるコンセプチュアルアートも、いずれは、創造や進歩というより、ある時代の空気を映した鏡として、語られる日が来るのではないかと思います。いや、ひょっとしたら、既に、そういう視点で、いわゆる”現代芸術”を歴史として捉え直すべき時代に、来ているのかもしれません。
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ムチャするなあ(すごく良い意味で)

今日(正確には昨日ですが)東京ろう映画際で、"LISTEN"という映画を見てきました。 http://www.uplink.co.jp/listen/ ものすごくいい意味で「ムチャ」している映画でした。  物心ついた頃から音が聞こえない、ろう者にとっても、”音楽”というもの(聴者にとっての音楽とは全く別の、音を完全に排した)が、存在するのではないかという、監督(ろう者)の、脳内での概念実験を、現実世界で強行してしまうという、正面切っての実験映画。  舞踏家の雫境(DAKEI)氏(彼もろう者)が制作に参加したものの、出演者の大半は、身体表現の訓練を受けたことの無いろう者達。中には演技の経験も無い素人も。そんなろう者達に監督は、「ろう者にとっての音楽とは?」とインタビューした上に、各自の体で音楽を表現してもらうという、無理難題を吹っかける。その根底には、(聴写の都合に合わせるためにプログラムされた)ろう学校での教育などへの疑問がある、とはいえ、理論武装も何もせず、いきなり、音という存在を知らない人達に無音の”音楽”を実演してもらうという・・・・ ほんと、ムチャしてます。  けれど、その結果は単なる混乱で終わった訳ではなく、(私も含めて)手話を少しでも習った経験のある人が本作を見ればすぐ分かるほど、出演者全員が、彼らの日常の”ことば”である、手話の動きから、緩急やリズムといった要素を、手話の意味から切り離して、これまで存在しなかった世界に、再構成しようと試みているのが分かります(とは言え暗い上映室内での完全無音の作品なので、正直私は何度か夢うつつになりました)。  後から映画のパンフレットを買って読んだところ、舞踏家の雫境(DAKEI)氏は既に、身体表現の講義で、手話を(言葉として意味をなさないように)でたらめな順に並べて、その手話の動きから身体表現を構成するという課題を出しているそうです。手話の所作と、意味とを一旦切り離して、ろう者にとっての音楽作品を開拓したり、ろう者が手話を習得する過程で、無意識に身につけているはずの、リズム感や”間”の感覚を、ろう者自身が自覚する試みは、これからの、身体表現の世界で、ひとつの流れとして、広まっていくのではないかと、期待させる一作でした。  私自身、もう20年近く前になりますが、当時の勤め先で行っていた、聴覚障害者向けのイベントで、音が全く聞こえないはずの幼児が、テレビアニメの主題歌に合わせて(音は聞こえなくても振動は感じられる)、夢中になって踊っている場面を目撃しているので、人間にとっての、音楽の根っこは、音波そのものではないのだろう、とは思っていましたが、今まさに、若い世代のろう者達が、その実証に取り組み始めたわけです。 私が生きている間には、市民権が得られるほどの成果は出ないかも知れませんが・・・ P.S.  本編では全く触れられていませんが、パンフレットの中で、何度も指摘されていることとして、聴者が手話を勉強するために行われている手話歌(既存の歌の歌詞を、手話に訳して、歌に合わせてその手話を披露する)を、ろう者のためと勘違いする聴者が多く、迷惑しているろう者が多いという指摘がありました。(聴者が聞く)音楽のフレーズに合わせて手を動かすと、ろう者が日常会話として使っている、手話本来の緩急やリズムを崩してしまうので、手話歌の手話は、ろう者にとっては不自然で、分かりにくい表現なのだそうです。ろう者の中には、手話普及の支援として、手話歌の指導をなされている方も、少なからずいらっしゃいますが、手話歌を勉強する聴者は、(私も含め)変な勘違いをしないよ う、気をつけたいものです。
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2016年9月29日追記:便乗アート

東日本大震災以来、不景気の長期化もあってか、大昔の「セクト」「動員」とは違った形での社会運動が、少しずつ広まってきたように見えます。デモもイベント化し(只のガス抜きで終わってしまうという弊害はありますが)、アーティストと称する人達が、それぞれに工夫を凝らして参加するようになっています。それは裾野を広げるという意味では、プラスの効果があったかも知れません。が、体を張って行政や極右の暴力と闘っている人達の真似事を、安全な場所から後追いでやることまでを、「表現」だと言って賞賛する”芸術家”や評論家、大学教員がいるのは、ちょっと困ったことだと思います。 福島第一原子力発電所のメルトダウンから2ヶ月ほど経ち、政府が隠していたメルトダウンや、ベント・水素爆発による広範囲な放射能飛散が明らかになった後、東京の渋谷に展示されている、岡本太郎の「明日への」に、いたずら書きをした人達が居ました。 http://chim-pom.syncl.jp/?p=custom&id=13339952 http://www.cinematoday.jp/page/N0032438 http://numero.jp/news-20130426-chimpom-pavilion/ http://d.hatena.ne.jp/dark_side_01/20110522/1306073148 当時このいたずら書きを、芸術であるとか、純粋な行為であると書き立て、賞賛している評論家や、大学教員を、少なからず見かけましたが、考えてみれば、原爆の被爆者の方々へのケアなど核兵器の問題は、もう半世紀以上前から問題になり続けていて、この問題にちなんだ作品の制作も、数限りなくと言って差し支えないほど行われています。ましてやいたずら書きが行われたのは、福島第一原子力発電所から大量の放射能が関東から南東北に至る子範囲に飛散したことが明らかになり、大きな社会問題になった後でした。 芸術というのは、もっともらしい”論”を組み立てれば、どんなことでも(机上の空論としては)正当化できますが、 このいたずら書きは、社会問題の表現としても数十年遅れの後追いで、3.11関連の表現としても、マスメディアが報じた原発事故問題に後から便乗して、点数稼ぎをしたに過ぎません。 表現の自由は大切ですが、その、自由という権利を行使して行われた行為の質は、まず同業者の中で厳しく問われるべきしょう。 最近も、中垣克久という人の作品が、展示会場である東京都美術館から、撤去を求められる事件がありました。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014022202000144.html http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014021902000136.html http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-02-20/2014022001_04_1.html http://www.47news.jp/CN/201402/CN2014021901001680.html http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/18/nakagaki-katsuhisa_n_4812562.html 理屈(建前)の上では確かに、東京都美術館の要求は、表現の自由に対する侵害になるでしょう。けれど、表現の自由を主張する、ましてや署名を集めてまで美術館側を糾弾するのであれば、自由を主張する行動には、必ず、自由を主張して世に出す価値があるのかを、厳しく問いただす姿勢がなければなりません。 問題の作品はネット上でも一時大きな話題になり、私も作品を撮影した写真を何カットも見ましたが、少なくとも新聞やネットに掲載された写真を見る限りでは、彼の制作は、日頃体を張って、警察や極右の暴力と闘っている、運動家や弁護士、住民運動に関わる方々の真似事を、安全な場所から、後追いでやっている便乗に過ぎません。造形作品としての、美術的な配慮はあるのかもしれませんが、現実世界の、安全ではない場所で闘っている人達へのリスペクトは、どこにも見当たりません。 この作品の展示でも、極右による破壊活動などで真っ先に危険が及ぶのは、作者本人ではなく、作品が設置される美術館の職員です。自民党政権が、ヘイトスピーチを行う極右集団の暴行を、その模様がYouTubeに投稿されていても容疑者を検挙しないなど、極右の活動を事実上容認している現状を考えれば、職員に危険が及ぶ可能性は充分考えられます。 安全な場所から、現場で闘っている人達の真似事を、闘っている人達へのリスペクトも表現せずに、後追いでやることが、創作活動なのでしょうか? 表現行為なのでしょうか? 表現の自由とは、そんなことのためにあるのでしょうか? 建前に甘えた行動は社会からの信頼を失い、表現者自身の首を絞めることにしかならないでしょう。 2016/09/29 追記: こうした便乗は、視覚表現の世界の中でも、(失礼な言い方かも知れませんが)主流からは距離のあるところで活動している人達の、スタンドプレイだろうと思っていたのですが、名のある美術館に作品が収蔵されている作家の中にも、似たり寄ったりのことをしている人が、居るようです。 昨日、東京都写真美術館で開催中の、「杉本博司 ロスト・ヒューマン」を見に行ってきたのですが、2つある展示室のうち一つは、アンダーグラウンドな演劇の舞台装置が、いくつも並んているような構成で、その、舞台装置のような展示物ひとつひとつに、架空の人物によるモノローグの体裁をとった、コンセプトの解説が掲示されていました。 ところが、そのモノローグの殆ど全ては、これまで書籍やインターネット上の記事に、何度も掲載されていた、おなじみの話(人類滅亡や現代文明崩壊の危険性を指摘した警鐘)ばかり。明らかに、数多くの先人達(学者やジャーナリスト等)の功績を拝借した内容であるにもかかわらず、モノローグの元になった先駆者達への言及や謝辞は、会場内にも、展覧会の公式ホームページ上にも、一切ありません。 表現行為というのは基本的に、アイデアそのものではなく、アイデアを、どのように表すか?の問題です。 従って杉本氏の展示におけるモノローグも、オリジナルとは異なる人称、言い回しで記載されているので、形式的には表現行為と言えます。 けれど、表現の仕方よりも、むしろ表現の意図(コンセプト)が評価の対象となる現代芸術において、他者から拝借したアイデアを断りもなく、自分自身が創造したアイデアであるかのように展示することが、容認されて良いのでしょうか? 少なくとも、アイデアの提供者に礼の一つも無いというのは、人としてどうかと思います。一連の展示の中で、杉本氏自身の創作らしいのは、杉本氏自身が活動する業界を批判した、「コンテンポラリー・アーティスト」のモノローグだけではなかったかと思います。 既に多くの美術館に作品が収蔵され、スタンドプレーをする必要などないはずの知名度がある作家が、還暦を過ぎてから、なぜわざわざこんなことをしたのか?  私にはわかりませんが、この展示は、コンセプチュアルアートの中の、反面教師のひとつと、言えるのではないかと思いました。
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学習指導要領へのパブリックコメント

先日ある民間団体より、”「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」に関するパブリックコメント(意見公募手続)の実施について”というパブリックコメントに、意見を出して欲しいとの依頼メールが来たので、パブリックコメントの募集要綱と添付資料に一通り目を通してみたところ、次期学習指導要領の最大の問題点は、北欧諸国のような、少人数学級で行われている指導を、日本の40人学級でやらせようとしている点にあることが分かりました。 そこで、依頼メールの内容も含め、パブリックコメントに、下記の意見を提出しておきました。 1、まず第一に、次期学習指導要領の実施にあたっては、小中高全ての学校(少なくとも公立校)において、1クラスの生徒数20人以下を実現させた上で、実施すること。本指導要領の内容は、全体として、生徒ひとりひとりに合わせた指導の強化と、多様性への寛容さを基軸としており、好感が持てるものの、こうした教育は、北欧諸国で実施されているような、少人数教育が大前提であり、現在の日本の学校教育のように、富国強兵時代の教育理念(全員に、均一な価値観と思考法と知識をすり込む、実質的には洗脳)を前提とした大人数のクラスう編成では、教師の負担が過大で、持続的な実行は不可能である。よって、本学習指導要領の実施前に、少人数のクラス編成を、日本全国に浸透させなければならない。 2.歴史教育においては、とりわけ中学性以上において、批判的検証の必要性を、学習指導要領として明記すること。歴史とは、考古学とは異なり、客観的な事実ではなく、事実に対する、特定の価値基準に基づく解釈であり、しばしば、客観性の乏しい伝承が含まれることも珍しくない。従って、学習指導要領においては、特に中学校以上の日本史に関し、現在、歴史として伝承されているストーリーが、どのような価値基準に基いているのかを探り、考察するプロセスを盛り込まなければならない。例えば、日本の明治維新以降の歴史については、明治維新が日本の近代化に貢献した側面と、武士階級による、事実上の内戦によって疲弊した経済を立て直すため、新政府が成立直後から隣国への侵略に突き進み、結果的に国を破滅されていった側面の両面を、生徒に学ばせなければならない。更にかつての侵略政策の影響で、日本では現在に至るまで、近隣諸国への差別意識、が蔓延し、近隣諸国との関係改善を妨げていることも、生徒に学ばせる必要がある。 歴史とは、愛する対象ではなく、常に批判的に検証すべき対象であることを、学習指導要領における歴史教育の目的として、明記すべきである。  また地理に関しては、現在の、(人間が住めない厳しい環境の土地や海上にまで国境線を引こうとする)領土という概念が、近代国家特有のものであり、決して普遍的な概念ではないこと。このような、自分達の生活圏から遠く離れた場所にある自然環境までも所有権を確定させようtいう考え方自体が、持続可能な社会の維持への障害となっており、いわゆる”固有の領土”に関する外交上の駆け引きも、経済的権益の奪い合いであること。これらも学習指導要領を通じ、生徒に理解させる必要がある。 3.芸術(音楽、美術、工芸)教育、とりわけ高校における芸術教育においては、作家、あるいは演じ手が、どのような思いで作品に取り組んだのかを考察させることを、鑑賞における指導要領の核とすべき。作品、あるいはその様式とは、作家や演じ手の”思い”の痕跡であり、痕跡から”思い”を洞察する行為が、芸術の鑑賞であり、そこから芸術への理解力が育まれる。また様式にとらわれず、”思い”を洞察することで、芸術の普遍性が理解でき、様々な時代・地域における表現活動への理解力も育まれる。  一方、芸術の様式は、異なる表現行為同士のつながり(変遷)を理解する手助けとなるので、芸術の様式についての授業は、時代や地域をまたいだ、表現行為どうしのつながりの理解を目的とすることを、学習指導要領に明記すべき。日本文化の特色も、他の文化圏からの影響も含めた、歴史的変遷として生徒に認識させることによって、他の文化圏の文化への興味が育まれると期待できる。他の文化圏からの影響の理解が充分でないと、日本文化の特色の理解が、自国文化を特別視する、選民思想に発展する危険がある。 4.長らくその必要性と拡充の必要性が指摘されている性教育については、必ずしも、学習指導要領でその具体的指針を定めるのが良いとは限らないが、性教育の理念として、 ① 他者への思いやり、とりわけ他者に喜んでもらう行為を通じての、両者の幸福追求が、性交渉を行う意義であること。 ② ①の理念の基づき、性的欲求の多様性を尊重すること。LGBTへの理解も性教育の目的とすること ③ ただし、いかなる性的欲求があろうと、性交渉において、支配・被支配の関係を持ち込むことは決して許されない。 といった基本的考えは、学習指導要領に明記すべき。 以上。
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ポスターには描かれない本質(伊藤若冲展を見て)

 先月のことになりますが、東京都美術館で開催されていた、「生誕300年記念 若冲展」を見に行ってきました。作品の展示順やまとめ方は、学芸員がキュレーションしたのか首を傾げざるをない構成(見世物小屋)だったものの、それにもめげす会場内を3回まわってみたところ、本展のポスターに採用された、特異な作風の作品では分からない、伊藤若冲の奥深い底力を垣間見ることができました。 展示を見た感想を箇条書きでまとめると、 1.とにかく平面表現(筆遣い)の引き出しの多さが半端じゃない。  宣伝用のポスターには、当時の絵師らしからぬ作風の作品ばかりが使われていますが、鹿苑寺の屏風絵など、オーソドックスな墨絵の表現でも、美術遺産に相応しいデッサン力と表現力で圧倒されます。彩色画でも、相国寺の釈迦三尊像では、モチーフが画面から飛び出してきそうな、ヴィヴィッドな配色は避けられていました。 2.手段としての写実の追及  若冲の彩色画というと、当時の日本では極めて稀だった、彩度の高い顔料の多用や、鳥の羽根一枚一枚まで精密に描き込む徹底した写実性が話題にされていますが、それは上にも書いたように、若冲の作品の一部であって、あくまで選択肢のひとつであったことが分かります。実際より彩度が高い配色を選びながらも、生き生きとして現実味のある鳥や花の描写は、彼が、モチーフにどのような存在感や、今で言うリアリティを与えるかについて、深く吟味する審美眼と幅広い選択肢を持っていたことを伺わせます。 3.西欧絵画とは位置付けが異なる写実へのこだわり  更に、これでもかという位に細かなディテールを描き詰めた、彼の作品をよく見ると、その細かさは愚直な写実というより、ある種のパターンに見え、彼が、徹底したデッサンの延長線上で、生物のテクスチャーを、デザインされたパタンとして描き込んでいるようにも見えました。彼の緻密な描写を、そう理解すると、まるで中東のタイル画のような、鳥獣花木屏風も、デザインの延長線上にある試みとして、違和感なく鑑賞できます。 4.その上最晩年に新たな地平に踏み出す  上述の感想は全て、18世紀半ばの、若冲の中年期の作品についての感想ですが、最晩年の1790年頃になると、これらとは全く方向性の異なる作品が出ててきます。  (中年期の一部の作品に見られた、今で言うマンガのような擬人化を突き抜けて)抽象化した描写で、対象の動きや内面をどこまで表現できるかを、試したような亀図(1790),伏見人形図(1800)。そうかと思えば蓮池図(1790)では、干上がったか、山火事で焼けたかのような、蓮池が広がる風景が、(地面に座るかしゃがんでスケッチしたような)ローアングルの墨絵で描かれています。それも、(西洋画ほど幾何学的ではないものの)遠近法をとり入れて。  ローアングルの墨絵なんて、日本の屏風絵で他にあるのか? というより近代西欧に風景画にもローアングルの描写なんてあるのか? 最晩年の作品だけに注目すると、本展の宣伝用のポスターでは分からない、若冲の、別の独創性が、見えてきます。  裕福な商家の跡継ぎとして生まれた彼は、若冲として有名になるまでは、周囲からは、絵を描いてばかりと言われ、あまり評判もよくなかったらしいですが、彼が”若冲”になる前の、数十年間に渡る、描画の修業と研究は、並大抵ではなかったのでしょう。裕福な家に生まれた彼は、世界各地から、長崎経由で日本に持ち込まれる、様々な平面表現を、目にしていたのではないかと思います。 以上。
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短文投稿:学問とは

(文部科学省を通じた)自民党による学術研究への圧力が徐々に表面化する中、大学関係者からは、学問の自由に対する圧力を批判する声明も出されるようになりましたが、では、その”学問”とはどのような行いなのでしょう? 大学に講座があれば、無条件に学問なのでしょうか? 大学関係者が、”学術研究”と名前を付ければ、学問になるのでしょうか? 経済競争への貢献を至上命題として、その成果が社会に与える負の影響に知らん顔している (事実上、企業活動の下請けとなっているような)工学や経済学を、”学問”の範疇に入れて良いのでしょうか? では経済競争と無縁なら良いのでしょうか? 固定観念を疑うことなく、それどころか、固定観念を権威化して、固定観念の継承に学位を与えるような活動が学問なのでしょうか? 特定の価値基準に基づく、変化に対する評価を、進歩だと言って、あれが進んでいる、これが遅れているなど、文化活動をランク付けするような言論が学問なのでしょうか? ましてやその価値基準を明示しない評価が学問と言えるのでしょうか? 固定観念を破るために行われた問題提起行動の、手法や方法論を、新たな固定観念にし、更には権威化し、行動を起こした当人の、行動の動機(精神)を封印してしまう。時として、行動を起こした当人が、自らを権威化してしまう。 表現活動の場では、しばしば見聞きすることですが、それを芸術の進歩・発展だと論じる行いが、芸術”学”と言えるのでしょうか? 学問の自由は、決して犯されてはなりませんが、私達が守るべき学問とは何なのか? 注意深く吟味する必要が、あるのではないかと思います。
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創作とは誇示に非ず(故・池田満寿夫氏の足跡を見て)

先日、熱海にある「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」と、網代にある池田満寿夫記念館を訪れ、故・池田満寿夫氏が遺した作品群を見てきたのですが、変化に富み、Challenging だった彼の制作物は、いわゆる”作品”にありがちな、押しの強さ(ドヤ顔)、問い詰め、謎かけ、苦悩の表出、創造性(既成観念破り)の強調、人生や社会への眼差しのアピール、と言った類のオーラを放つこと無く、ただひたすら、生命力に満ちていたのが印象的でした。 創作の家で上映されていたビデオでは、彼の最後のパートナーであった佐藤陽子氏が、「池田は誰にでも同じように接していた」と、彼の懐の広さを語り、記念館で上映されていたビデオでは、生前の池田満寿夫氏本人がテレビのインタビューで、「自分は世間からはヒモのように思われているが、パートナーに食わせてもらった事は一度も無い(実際、彼が版画を始めたのも、生活の糧のためだった)」と、日本的な固定観念に縛られた市井の人達に誤解されがちだったことを告白していましたが、彼はその作品においても、自分自身の生活においても、他者から偉ぶっていると思われるようなことは、一切しなかったようです。 だからと言って彼は、芸術界に自分の足跡を残す意欲が無かった訳ではなく、記念館で上映されていたビデオには、美大生達の前で、「芸術家というのは芸術の歴史に自分の様式・スタイルを遺そうとするものだ」と語る、死の10年ほど前の彼の姿が収録されていました。 ただしそう語る彼自身の作品は、(視覚的な特徴という意味での)スタイルには、全く囚われていないように見えました。 若き日の彼を世界に知らしめた、版画やコラージュでの業績など忘れたかのように、中年期には執筆活動やテレビ出演等が続く多忙な日々の中、陶芸作品制作に精力的に挑み続ける一方、絵画制作から遠ざかったわけではなく、若い頃、生活の糧にはならなかった油彩に再度挑んだ矢先に、心不全で急逝。 記念館で上映されていたビデオでは、彼自身が、作家として世に知られる前の自分について、 「(芸大に落ちて、少しでも糧を得なければと)アメリカ兵の集まる所へ行って似顔絵を書いていると、いつの間にか、自分より早く上手く似顔絵を描いている奴が後ろに居て、結局自分の絵はアメリカ兵に買ってもらえなかった」と、画家になる志は揺るぎなかったものの、結果を出すことができない年月だったことを語っていました。 ひょっとしたら、彼の作家としての半生は、絵を描くことへの熱意だけだった少年時代から死の瞬間まで一貫して、”今はまだ手が届かない”ことへのチャレンジだったのかも知れません。 創作の家で上映されていたビデオでは、彼の最後のパートナーである佐藤陽子氏が、「池田はエロスの探求を公言してはばからなかったが、実生活での彼は、そんなこと(世俗的な意味でのエロ)はなかった。初めて会ったときも、下心は全く感じなかった」と語っていましたが、少なくとも著名人になってからの彼が語った「エロス」とは、異性に対する憧れや探究心という狭義のエロスを離れ、人間や生き物全て、あるいは地球や宇宙の核心・正体、といった事柄への探求に、広がっていたのかも知れません。 二つの記念館に展示されていた彼の作品に、それが”作品”であることを強調するようなオーラが漂っていなかったのは、彼自身の意識が、他者に提示するものとしての、制作の結果より、探求行為としての制作過程そのものに、強く向けられていたせいなのかも、知れません。
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備忘録として(デッサン力)

丁度一年前に、秋葉原で開催された、DOMMUNE/KANDA INDUSTORIAL というイベントで行われた対談の感想で、フェイスブックに掲載した文ですが、備忘録として自分のブログにも残しておくことにしました。 今夜の収穫は、DOMMUNE/KANDA INDUSTORIAL 夜の部の、冨田勲さん(シンセサイザ音楽の世界的フロンティア。82歳にはとても見えない若さ!)と、松武秀樹さん(言わずと知れたYMOのプログラマ)を交えた対談。 冨田さんは、シンセサイザー作品を作るとき、なぜ(当時の機材では合成が極めて難しかった)現実の音を模した音で作品を作ったのかと司会者に尋ねられ、「音のデッサン力が必要だから」と語っていました。 (1970年頃には、現代音楽畑などでシンセサイザ等の電子音を使った作品が次々発表されるようになっていたが)デッサン力の無い人の作品は、音がグシャッとしてしまうと。冨田さんのスタジオでシンセサイザの扱いを学んだ松武さんも若い頃、自然音をオープンリールのテープに録音しては、それをスロー再生して、音の構造を"耳で"自分なりに解析したとのこと。 冨田さんは、「自分は前世紀の人間だから」と、謙遜していましたが、テクノ、ハウスが、まるで20年位、時計の針が止まったようになっているのは、正に、音のデッサン力の無い(デッサン力という問題意識すら無い)パフォーマーが、殆どだからでしょう。 対談の最後には、冨田さんと松武さんが、その場で、MOOG3で鐘の音を合成するという実演がありました。複数のオシレータで、倍音構造からマニュアルで作り、最後にエンベローブを被せて仕上げるという、まさに”デッサン力”が問われる達人技でした。
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8/9追記:表現は道具。良くも悪くも

現在 IZU PHOTO MUSEUMで開催中の、”戦争と平和ー伝えたかった日本”展を見に行ってきました。展示内容については、「戦中・戦後の〈報道写真〉をテーマにした」と説明されていましたが、中身は、今で言う”報道”やジャーナリズムというより、むしろ「政府広報」と言うべきものでした。 会場全体を見て、まず心に浮かんだのは、「今と変わらないじゃん」という印象。もちろん、テクニカルな部分では飛躍的発展がありましたが、被写体への向き合い方や、編集のポリシーといった部分について、日本政府の広報は、80年前からあまり進歩していないのではないか?と。 とりわけ2020オリンピック招致関連や、観光立国関連については。 日本で初めての、海外向けグラフィック誌「Nippon」が創刊されたのは、満州事変を機に日本政府が国連脱退した翌年の1934年。日本からの組織的対外PRは始めから、戦争遂行と連携したもので、そのPR向けの写真を撮影、編集していたのが、戦後、日本の写真界を牽引することになる写真家達。日米開戦後にはFRONTという雑誌も刊行されます。彼らが率先して、大日本帝国の政策に協力して行ったことは、会場に掲示されている、当時の彼らの遺した言葉からもはっきり分かりました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/NIPPON_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E8%AA%8C) http://www.tanken.com/sensou.html https://ja.wikipedia.org/wiki/FRONT http://blog.kmhr-lab.com/2009/03/front.html *以下、会場に掲示されていた、写真家達の言葉を引用: 名取 洋之助 写真家は何時でも編輯者と読者と云ふ二重の要決を考慮せねばならないのです。 (「時評と考察 ルポルタアジユ写真のこと」『帝国工芸』1934年) 木村 伊兵衛 本当に日本を正しく理解させる為には、日本に於て或る程度不自然と思はれるやうなことを敢てすることに依つて、初めて先方に正しく理解させることが出来ると思ふ。 (谷川徹三・木村伊兵衛対談「写真と対外宣伝」『報道写真』1941年) 伊奈 信男 印刷化された写真によるイデオロギー形成の力は絶大である。 (「報道写真について」『報道写真に就いて』1934年) 林 謙一 殊に大東亜共栄圏のやうに十数種の人種、言語が交錯してゐると、文字や言葉では宣伝がなかなか困難であり、映画でさへアナウンスで困却してゐる。写真宣伝がなによりも真先きに飛出してゆかなくてはならない。 (「戦時に於ける報道写真の重要性」『アサヒカメラ』1942年) 土門 拳 僕達は云はばカメラを持つた憂国の志士として起つのである。その報道写真家としての技能を国家へ奉仕せしめんとするのである。 (土門拳「呆童漫語(三)」『フォトタイムス』1940年) 山端 庸介 写真機持つたら、フットボールを撮るのも重慶を撮るのも、そんなに気分は変らないですネ。カメラマンというものは写真機を持ったら写真のことばかりしか考えませんからネ。 (『アサヒカメラ』1942年) そして彼らは、戦前・戦中に磨いた写真表現の能力を、戦後の日本の写真界で遺憾なく発揮して行くのですが、私達がここで学ぶべきことは、表現とは、良くも悪くも手段であって、使い方によっては、人を生かすのにも殺すのにも、どちらにでも役立つということでしょう。 その中の一人である土門拳について、会場には 「リアリズム写真は現実を直視し、現実をより正しい方向へ振り向けようという抵抗の精神の写真的な発現としてあるのである」 という敗戦後の彼の言葉が、(戦前の活動への)反動ではないか、という注釈付きで掲示されていましたが、リアリズムというのも、結局は、ある価値尺度に従った見方の一つに過ぎない訳で、リアリズムを語る人が、それをはっきり自覚していなければ、リアリズムもまた、いとも簡単に、権力に利用されてしまうでしょう。 現在ではメディアリテラシーの基礎として広く知られているように、何が直視か、何を持って正しいとするかは、見る人の価値尺度如何です。社会的な事柄について、「リアル」とか「フラットな見方」と言う表現を多用する人、とりわけ、拠って立つ価値基準を明示せずにこうした表現を使う人には要注意でしょう。 本展でもう一つ印象に残ったのは、1956年に日本で開催された、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」に関する展示、これは当時の、米国政府の広報活動の一貫で、本展では、日本における「ザ・ファミリー・オブ・マン展」が、1955年から1957年にかけて日本各地で開催された「原子力平和利用博覧会」と連携した企画である旨の指摘が掲示されていました。 実際、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」では、戦前の日本の広報誌で活躍した写真家達の作品も展示されたのですが、原爆投下直後に、長崎で撮影された写真だけは、一旦は展示されたものの撤去されたそうで、 表にヒューマニズムや平和を打ち出しながら、その裏にあった核軍事政策を巧妙に隠蔽する、米国政府のしたたかな広報戦略が分かります。 日本政府が、東日本大震災直後に行った「絆」キャンペーンはさしずめ、米国のこうした、政府の方針を前面に出さず、ヒューマンドラマを前面に出す広報戦略を、半世紀以上遅れて真似たものだったのかも知れませんが、インターネットが普及した社会では、政府が絆の名の下に隠蔽しようとした被災者の声が、たちどころに日本中に広まってしまったのは周知の通りです。 冒頭に、本展の第一印象を、「今と変わらないじゃん」と、書きましたが、それは、メッセージを伝える手段という側面から、写真の使い方を見た場合の話であって、「Nippon」や「Front」に掲載された写真を、作品として見た場は、現在の広報誌の類と比べて、写真の使用目的の是非を別とすれば、はるかに生き生きとして、余分な贅肉の無い、質の高い作品群ではないかという印象を抱きました。あらかじめ定められた手順に従って大量生産されているような、現在の広報写真には見られない、一枚一枚が新たなチャレンジであるかのような、力強い存在感が感じられ、その意味では、現在の広報写真は、政府の広報に限らず、70~80年前より、むしろ退化しているのかも知れません。 しかし・・・ 日本政府の広報戦略が、このように、お世辞にも優秀とは言い難いにも関わらず、多くの国民が未だ、政府の政策の内容を詳しく知ろうともぜす、政府を支持している状況は、いったいどういうことなのでしょう?
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短文投稿: これは著作権に非ず

TPP協議で、著作権法の非親告罪化が合意されるとの報道が出ていますが、非親告罪化であれば著作権はもはや人格権としての側面を失い、単なる財産権に過ぎず、特許権同様、有効期間を短期間に制限すべきでしょう。 http://mainichi.jp/select/news/20150726k0000m020081000c.html 著作権は、純然たる経済競争の手段として法体系が整備されている特許権とは質的に全く異なり、創作者を尊重するという倫理に根ざしたも概念で人格権としての側面があります。だから特許権とは異なり、社会的な手続きは何ら必要なく、権利が成立するのです。 *特許権についても、人格権の一部だとする思想はありますが、特許権は、公的機関への申請が承認されて始めて権利が生じるので、特許権の実態は、財産権としての側面しか持ち合わせていません。 人格権としての側面がある著作権について、それが侵害されたかどうかを判断する権利は、著作者本人にしかありません。また、法人など、組織に対して弱い、生身の個人(自然人)特有の権利である人格権だからこそ、特別な保護を正当化し得るのです。 著作権法を、非親告罪化するならば、それはもはや自然人固有の人格権利ではなく、商売道具としての財産権に過ぎません。そうであるなら、著作権の及ぶ範囲は、現在より、はるかに狭い範囲に限定しなければなりません。 著作権者の死後も、相続人が権利を引き継ぐなど論外でしょう。
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さがゆき即興音楽ワークショップ

昨年秋のことになりますが、私は、ヴォーカリスト&ヴォイスパフォーマであるさがゆき氏が指導する、「第14回さがゆき即興音楽WS合宿」に、写真記録係として参加しました。 幼い頃からレコードや、親戚達の演奏でジャズに親しんださがゆき氏は、北村英治グループ、中村八代グループの専属ヴォーカルとしてプロのキャリアをスタートさせた後、ジャズのみならず現代音楽から邦楽まで、様々なジャンルのスペシャリストとの共演を通じて独自の表現論を形成してゆきました(彼女の経歴は下記の通り)。 http://www.aruma.be/profile.htm 即興演奏というのは、普通の音楽とは別種の、特別な表現様式であるかのように扱われることが多く、それ専用の学会を作る人達も居ますが、彼女が ”完全”即興 と語る即興は、様々な楽曲表現を生み出す根本原理とでも言うべき位置に置かれ、様式や技法を排した所に、時間芸術表現としてどんな本質があるのかが、厳しく問われます。 そのステージは、(ジャズミュージシャンによる即興セッションではしばしばあるものの)、クラシック音楽や、その延長である現代音楽における即興とは大きく異なり、演奏において、事前の約束事、規則の類(音階や和声、リズムなど)は全て排除され、演奏の開始・終了のサインすらありません(実際に、演奏者が観客と談笑している状態から突然、観客席から演奏が始まることもある)。 こうした自らの即興演奏に関し、彼女はしばしば弟子達に、「私の音楽の基本は全て、(完全)即興の中にある。」と語っています。実際、彼女のライブは、楽曲の様式で分類すれば、ジャズ、ブラジル音楽をはじめ多岐に渡ります。彼女が、自らの音楽に基本と語る完全即興をステージで披露するのは、年100回を超える彼女のライブステージの中の、1割あるかないかですが、声による即興が珍しくはなくなった現在も、彼女の卓越した発声コントロールと表現の幅広さは際立っています。 彼女の即興ワークショップではまず、自身の心のありように対して、目を開く大切さが指導され、次いで、心身の底から湧き出る、テクニックの披露ではない、表現者自身にとって必然性のある音(というより心身の動き)への自覚が促され、更には、音楽はもとより、武道も含む身体表現全てに通じるような基礎としての”グルーヴ”についての指導、セッションを通じての、共演者の音を聞きながら自らの応答をコントロールする(単に合わせるだけでもばらばらでもだめ)練習へと、指導は進みます。 その指導内容は、音楽というより、身体表現の指導と言っても差し支えないようなワークショップで、実際、これまでも、今回も、音楽以外の表現者(舞踏家、役者、パフォーマなど)が参加しているのですが、今回特筆すべきは、初日の夜、その場の流れで、即興セッションが、音を出さないセッションへと進んだ点ではないかと思います。 身体表現全てに通じるような彼女の音楽理念からすれば、当然起こり得る展開ですが、そうは言っても、毎回、ミュージシャンが大半を占めるこのワークショップで、音の無いセッションが成立したのは、今回が初めてでした。 (参加者からの感想とワークショップの模様を撮影した写真は、下記の通り) http://blog.goo.ne.jp/crescer_music/e/1400262d1fbf8025246f183e684537d9 http://blog.goo.ne.jp/crescer_music/e/6561bbe410d38f32951f4e0ee8198d4c かつての勤め先で、先天性高度難聴の子供達が、アニメの音楽に合わせて夢中で踊っている(彼らには音は全く聞こえず、かすかな空気の揺れと、床から振動として伝わる音楽のリズムしか感知できない)のを、何度となく目撃していた私にとっては、 人間にとっての、音楽の本質が、垣間見れた瞬間でした。 以下、参考ですが、さがゆき氏の即興パフォーマンスは、私の、YOUTUBEチャンネルにも一部収録されていますので、よろしければご参照願います。 https://www.youtube.com/user/THEMRSKYOU/videos
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美術館と言うより憩いの場

先日所用で金沢へ行った折り、金沢21世紀美術館へ行ってきました。友人のアーティストが「全部最低(展示作品について)!」と評していた美術館ですが、確かに芸術展示の施設としては、20世紀末に流行った「現代美術」を権威化する装置の域を出ず、21世紀に相応しいコンセプトは見出し難い状況でした。けれど、観光名所に忍者寺を擁する金沢市が、これからの観光に向け新開発した見世物として見れば、なかなか楽しい施設ではないかと思います。立地も兼六園に隣接していて、観光名所を歩いて回るときの、休憩場所としても便利です。 常設展の展示は、良くも悪くも20世紀の”現代”美術(今の時代から見れば過去)業界の価値基準で選ばれた作品を、その作品が評価された当時の評価基準で説明する解説を添えて展示しているのみで、21世紀の現在から、これらの創作活動を振り返る視点は見られませんでした。残念ながらこれでは、1990年代に日本のアート界で流行ったことを十数年以上遅れて真似ているようにしか見えず、厳しい言い方をすれば、童話「裸の王様」に出てくる仕立て屋のようなものです。21世紀に入ってから既に十数年を経た今、こういうキュレーションを公金で支援することの是非は、議論の余地があるところでしょう(そうしなければ文化そのものが流行と命運を共にして衰退してしまう)。 とはいえ、少なくとも私が訪れた2014年8月5日時点での展示作品について書けば、一部を除いては視覚的に美しい作品が多く、小難しい芸術論など何も知らなくても、充分に楽しむことができます。どんな作品を収蔵するかという選定基準については、江戸時代から続く、金沢の工芸の精神が、引き継がれているのかも知れません。 今回見た常設展示作品の中では、照屋勇賢(米国在住)による、マクドナルドの包装袋を使った、精密な切り紙細工が印象に残りました。一方、ヤノベケンジの作品については、良くも悪くも、日本の一時代の風潮を反映させた、時間的にも場所的にも極めてローカルな作品であるにも関わらず、現在から当時の彼(のような輩)の行動を振り返る視点での紹介が全く無く、この美術館のキュレーションが未だ、悪い意味での”業界人目線”による支配から脱し切れていないことが、露呈していました。 企画展(レアンドロ・エルリッヒ ーの作品展)は、舞台装置や映画のセットを作品化したような、視覚効果を狙った、大掛かりな作品群の展示で、これも理屈抜きで楽しめました。彼の作品の特長は、”芸術作品”という既成概念にとらわれないアイデアの豊富さですが、中には非常に手の込んだ作品もあり、「サイドウォーク」という映像作品は、一見すると、古いアパートが立ち並ぶ街の一角を、固定カメラで撮影したような構成でしたが、良く見ると、実写とCG(あるいはそれらに加えて模型を撮影した映像?)を合成したらしい、手間のかかった作品でしt。 その他、鹿の骨から、まるでドライフラワーのように、写実的な植物の形を切り出した橋本雅也の作品展、建築家中村好文の仕事(自然エネルギーによる自給自足の小屋作り)紹介も、特別な予備知識無く楽しめる企画でした。 この美術館は、東京やその周辺の美術館と比べれば、決して大きな施設ではなく、同時に展示できる作品数には限りがあります。けれど、一つの部屋に一つの作品のみを展示するという、ゆとりのある展示がなされ、展示室以外の、無料で利用できるスペースも広く、ガラス貼りの外壁からは芝生が敷き詰められた敷地を眺めることができ、全体的にゆったりした時間を過ごせる雰囲気があります。人口密度が高い首都圏では、このような、ゆとりのある空間を(ましてや市街地の中心部で)運営するのは無理でしょう。 私がここを訪れた日も、平日ながら夏休み中のせいか、館内は親子連れで賑わっていました。美術館の企画・運営を担当する人達が、自分達や収蔵作品の権威化を慎み、収集した”現代”美術作品(に表れた作家の行為)に対して、(20世紀末の業界基準ではなく)21世紀の現在から、20世紀の現代美術(と、その評価のあり方)を検証する歴史学的・社会学的考察を怠らなければ、この施設は、”21世紀”というネーミングに相応しい内容の美術館として、文化的な発信を、続けて行けるのではないかと思います。
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これは写真展ではない。良い意味で。

ダム建設で沈むことになる故郷を撮り続け、一時はテレビ番組でも取り上げられた「カメラばあちゃん」こと、増山たづこさんの回顧展「すべて写真になる日まで」を見に行ってきました。以前も、(確か作者本人存命の頃)都内で写真展を見た記憶があるのですが、今回改めて思ったのは、これは「写真」でも「視覚」表現でもないということ。敢えて分かり易く書けば、これは「闘争の記録」でしょう。権力(と言うよりその背後に居る私達の価値観)の手による抹殺と戦うための。 自分の故郷が水没するダム建設計画を、阻止するのは無理そうだと悟り、水没前に少しでも多く、故郷の記録を自分の手で残そうをしていた増山さんは、偶然出会った旅人から、ピッカリコニカ(KONICAC35EF)というカメラのことを教えられ、1977年から、猛烈な勢いで、沈み行く故郷とそこに住む人々、訪れる人々を撮影し始めます。撮影は、自身も含めた村人が故郷を去った後も、ダム工事が始まってからも続き、村人の移転先に出向いての撮影も続けられ、10万カットにのぼる膨大なネガを遺しました。 そのため、増山たづ子さんはフォトグラファーとして世間の注目を集め、今回もフォトギャラリーで遺作展が開催されたのですが、彼女はプリントした写真の多くにキャプションを書き込む等、膨大な文書も遺していました。1985年には、まるでそのキャプションを台本に作られたようなドキュメンタリー番組(東海テレビ制作の「消える村」。本展会場で上映)が放映され、増山さん自身も番組取材に応じ、肉声も残しています。そればかりではなく、彼女は写真撮影を始める以前の1973年(ダム建設計画が正式に決定された年)以来、村の中で聞くことのできるさまざまな音や、人々の会話や歌を、計500本に上るカセットテープに録音し(その一部は本展会場内の背景音として再生されていた)、更には自らが語り部となり、村の昔話集(CD)の制作にも携わっていました。 彼女の書き残した言葉の一部(といっても100編を超えていたかも知れない)は、活字として印刷され、写真と共に会場に展示されていましたが、その言葉には、自分の日常生活はおろか心の拠り所さえ、「蛇の生殺しのように」奪われていく喪失感と共に、国家権力と個人との関係や、損得計算無しで助け合ってきたコミュニティーに突然持ち込まれた、”金銭”という価値観についての冷静な考察が綴られていました。 徴兵されたまま行方不明になった夫が、いつ帰ってきてもいいように、一枚でも多く、(水没する前の)故郷の姿を残したいという思で撮影された膨大な写真と、(移転を強いられた後)寂しくなったときに聞けるようにと、故郷の自然の音、生活の音、人々の会話を、掻き集めるように録音した膨大なカセット。 その一方で、 戦争で伴侶を奪い、経済成長で若者を奪い、ダムで生活場所そのものを奪い、自分達に対しては奪う一方だった、日本という国家、戦争でもダムでも、やると決めたら絶対にやる権力の恐ろしさ(ダム建設の必要性は、住民との補償交渉が行われていた80年代初頭には既に、水需要の変化によって失われていた。)、自分の故郷は人口が少なく、補償金も少なくて済むからターゲットにされたのだろうという、冷静な視線も、数多く綴られていました。 個人としての喪失の表現力と、国家に対する冷静な視線を併せ持っていた彼女は、「真剣にはじめは反対しました」」と語る一方、(ダム建設を阻止するための)補償金受け入れ拒否では一歩も前進できないという自らの政治判断も書き残していました。そして本人の言葉によれば、「覚悟をもって」ダム建設を受け入れ、その覚悟によって、(ダム建設反対運動とは)別の力がみなぎるようになったと、ふるさとの記録に余生を捧げたいきさつを書き遺しています。実際、テレビ局の取材班に、公団から補償金の通知を受け取る場面と、その封を開けず(補償金額は見ずに)仏壇に捧げ、「(代々受け継いだ土地を守れず)申し訳ありません」と、仏壇に詫びる場面を撮影させた彼女は、その後年金の殆どを写真の現像・プリントに費やした一方、受け取った補償金は一部しか使わず、この世を去ったそうです。 彼女の写真や音声の記録は、彼女自身にとって欠くことの出来ない心の拠り所の記録であると共に、ダム建設反対運動とは、「覚悟を持って」距離を置いた彼女にとって、記録という行為は、反対運動に代わる闘争だったのではないでしょうか? 政治的運動には、敢えて加わらなかった彼女は、村に住む(住んでいた)人々のみならず、村を訪れる行政職、工事関係者も、ダム建設に対する立場に関係無く、好意的な視線で撮り続けていました。仲たがいする村人のどちらかを責めるのではなく、補償交渉を通じて村に持ち込まれた、損得という価値観を憂い、工事関係者に対しては、「ダムは嫌いだけれど工事に来る人は大切な人」という内容のキャプションまで残して。その結果、彼女の遺した記録は、彼女達の生活も心の拠り所も奪った権力の背後に居る、「経済成長」という私達自身の価値観を、主犯として浮かびあがらせているように感じました。実際に彼女は、「ダムが少しでも長く皆さまのお役に立って、少しでも喜んでくれる人がいないと、私たちは何のために村を出たのかわからなくなる。私たちが出てきたことでどうぞ皆が幸せになってくれますよう祈らずにはおれない。」と書き遺しています。 彼女の視線が、ダム建設にまつわる、地元住民対国家という構図の背後にある、より根本的な問題も見据えていたことは、1982年の時点で校内暴力に言及し、教師と生徒が親しい親子のように接している自分の村では、校内暴力など起こり得ないと述べていたこと(尾崎豊が、校内暴力を歌詞に織り込んだ「卒業」をリリースしたのは1985年)や、ダム建設が避けられない状況になってから、地元の歴史を発掘する調査が大きく進展し、縄文時代の土器も多数発掘されたこと、畑を荒らすこともなく地元の人々に可愛がられていた猿が、ダム工事に邪魔だと殺されたエピソードを紹介する(農村と野生の猿が共存していた例がかつてはあった)、などの、故郷の水没とは、少し離れた視点での記述が散見されることからも伺えます。 「ピッカリコニカ」との出会いがきっかけで、世の中にその名が知れ渡ることになった増山たづ子さんですが、仮にピッカリコニカとの出会いが無かったとしても、写真以外の方法で、文字や肉声や、録音や、ひょっとしたら絵筆を取って、たった一人の社会運動を、展開していたのではないかと思います。 彼女の足跡を、フォトグラファーとしての足跡と解釈してしまったら、彼女の「覚悟」を読み解く事も、志を学ぶことも、出来ないような気がします。彼女の書き残した言葉だけを取り上げても、録音だけを、取り上げても、それらを表現の組み合わせとして(マルチメディアとかインスタレーションのように)受け止めてしまっても、駄目でしょう。 国家と一庶民との力関係を、冷徹に見据えた上での「覚悟」によって明確になった、「残さなければ」という信念。覚悟の結果得られた、自分の故郷の環境のみならず、暮らしの中の「美しさ」の発見。発見によって、更に強まる信念。彼女の行為の芸術的価値というのは、こうした、信念と発見の相乗作用(撮影に行くたびに美しさの発見があるという記述が残っている)にあるのではないでしょうか? 残された写真について言えば、ネガそのものより、彼女の、被写体との関係の築き方自体が、後世に向けての表現行為であったような気がします。 本展について、「涙無しには見られない」といような文書で紹介する投稿を、何度かネットで見かけたことがありますが、こうした感想には、正直、違和感を覚えました。作品という意識でモノづくりをした事も無く、公共事業にまつわる問題にも疎かった一般の人が、この展示を見て、涙するなら分かります。 けれど、表現者を自認し、国が引き起こすさまざまな社会問題についてネットでコメントを書き込んでいるような人達が、涙が出るとか出ないという表現で、人にこの展示を紹介するのは、疑問に思います。 ふる里の無い自分には想像し難いような、深い喪失感で人生を終えた、何万人居るか分からない人達の犠牲で、今までの自分達を支えてきた”経済”が成り立っている現実を、改めて突きつけられた時、私の目からは、一滴の涙も出ませんでした。

短文投稿:科学の限界

日本音響学会誌(自然科学系の学会誌)2014年6月号の博士論文紹介に、「慢性期統合失調症患者に対する音楽療法介入の研究」という論文が紹介されていました。 要旨を見ると、 音楽療法は、精神機能、社会機能、認知機能における効果が存在するが、これらの効果は個人の音楽背景によって変化の仕方が異なっていた という、 言うまでもない、人類史上、恐らく一度も疑問視されたことのない常識(経験則)でした。 私も科学(Science)の教育を受けた人間なので、社会に広く浸透している経験則を、科学の方法で立証するのが如何に大変か(だから博士号が取れる)は知っていますが、 自然科学の、文化への貢献というのは、未だかくも稚拙なレベルに留まっているということを、科学に身を置く人間は、常に自覚しておく必要があると思います。 科学で立証できないことは、本当は「分からない」としか言えず、分からないことを率直に分からないというのが本来の科学ですが、 それを自覚せず、立証できないことを公然と、「存在しない」と言い切ってしまう、思い上がった研究職、大学教員、サイエンスライターの類を、私は信用しません。
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アーティストはミュージシャンより創造的なのか?

18世紀末の産業革命を機に、人類は自然の模倣や手仕事の蓄積から離れ、定規で引いた図面通りにモノを作る術を手にしました。抽象芸術も現代音楽もモダン・ダンスもコンセプチュアルアートも、その延長線、つまりは、頭の中だけで構築する抽象的な思考に特別な意義があるとする(ある時代特有の)価値基準に基づいて発展してきたものではないかと思います。 一方、20世紀後半以降、人類は環境問題を中心に、人間の「頭の中」の浅はかさを嫌というほど目の当たりにしてきたわけで、科学がそうであるように、表現行為においても、本来であれば、近代以降に発展した抽象的な思索や表現について、その発展の経緯を一旦俯瞰し、その必然性が問い直されるべき時代が、現代なのではないかと思います。 けれど、そのような吟味を経た上で、なおも”現代”あるいは”コンテンポラリー”と呼ばれる表現に道を見出そうとするのか?別の道を進むのか? を、自らの意思で選択した(ように見受けられる)表現者を、今の日本で見かけることはほとんどありません。 音の表現に関して言えば、”現代”とか”コンテンポラリ”とか名前が付くと、最先端のように聞こえますが、これらのほとんどは、1950年代から60年代に流行った発想に基づく表現で、ミュージシャンで言えば、バップやモダンジャズに拘っているジャズプレーヤー達と同様な立ち位置な訳です。しかし、ジャズの人達は歴史を学んだ上で、古いスタイルの踏襲を選んでいるのに比べ、芸術畑の人達の大半は、歴史を咀嚼することもなく無自覚に、最先端の表現に関っているつもりで居たり、普遍に意義のあることをしている気分に浸っているだけのように見えます。 20世紀の半ばまでに生み出された思考法や方法論を、半世紀以上だらだら踏襲する(大抵は手法の上っ面を真似るのみで踏襲すらできているのか疑問)行為をアートとか創作と呼ぶのが、果たして創造的なのでしょうか? ある時代の「アンチ」や「カウンター」も、かつてそれらが敵とみなした体制と、対抗していたから存在意義があったわけで、まったく違う時代に対の一方だけ取り上げても、未来に向けての発展性が、生まれる訳ではないでしょう。せいぜい、芸術業界という内輪で話が盛り上がって、多少のお金が内輪で回るだけではないでしょうか? 近年の生物学、とりわけ生態学や認知科学の研究によれば、人間も含めた全ての生物は、与えられた環境に適応しているのであって、自然界において普遍的な優劣というのは存在しないそうです。表現者(や評論家)もいい加減、時代と共に表現も「進歩」する(しなければならない)という幻想から目を覚ました方が良いのではないでしょうか?成長や進歩というのは、方法論や様式の問題ではなく、あくまで個人それぞれの生き様の問題だと思います。 音楽でも視覚作品でもパフォーマンスでも、過去の表現者(やグループ)の活動を、個人の生き様として、あるいはその当時の社会現象の一環として学ぶことには意義があると思いますが、過去の彼らの功績を、様式や方法論で括ろうとする発想は、歴史学や、大学教員や評論家を権威化するためには必要かも知れませんが、作品やパフォーマンスの切磋琢磨にとってはむしろ弊害でしょう。 それは表現行為に限らず、科学研究や技術開発でも同じだと思います。
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創造的とは

あるミッション系大学に務めている教授から聞いた話ですが、キリスト教の教えでは、人が生み出したものを創造とは言わない(言ってはいけない)そうです。宇宙で唯一の創造主は神であり、人間は、神が創造したものを発見することしかできないのだと。けれどこの教え、世俗的な意味での創造物(作品や商品、ビジネスの企画など)の価値を考える上でも、とても有益ではないかと思います。 今の世の中、特にビジネスの世界では、前例が見当たらない事はなんでも”創造”的(クリエイティブ)だと言いますが、創造を、単に「前例が無い」という意味で使うなら、必ずしも、創造=意味がある とはなりません。 繁華街から離れた官庁の跡地に突然現れた高層雑居ビルや東京の下町に登場した、世界一高い電波塔の、根元にあるビル内に作られた人口の街や、不動産会社の都合で、地上から地下5階に移転させられてしまったターミナル駅の上に立つビルの中には、庶民の物欲、虚栄心、一時的な好奇心をくすぐる仕掛けが目一杯詰め込まれていますが、神が創造したものを発見するような喜びが一つでもあるでしょうか? そこまでハードルを上げなくても、一過性ではない、何十年でも、財布のひもをゆるめにくい時でも、連れ歩くパートナーが居ない時でも付き合えそうな出来事があるでしょうか? めまぐるしく変わり続ける産業やビジネスに負けまいと、自分が世の中のどこに立って、どこに歩いているのか(何と格闘しているのか)見極めようともせず、何か前例の無い解釈法を作り出せないかと概念をいじりを繰り返しながら、それも”アート”だと称して社会からの評価を求めたり(期待ほどの評価が集まらなければ社会の未熟さのせいにする)、概念をいじるならまだしも、先人がこしらえた概念や方法論をなぞるだけの行為にアートとしての評価を望んだり、それを”論”と称して学生から金を巻き上げたり、そんな行いの行く先に、神が創造したものを発見するという意味での、人間としての創造はあるのでしょうか? クリエイティブとか、創造という言葉が、日常生活用語のようになってしまってから随分長い年月が経ってしまいましたが、これらの言葉の本来の意味を、キリスト教の教えをヒントに、もう一度じっくり考えてみた方がよさそうな気がします。 世俗的な成功を離れて、何かを発見しよう(大事な教えを学ぼう)とする姿勢が創造性であって、前例があるかないかは結果論に過ぎないような気がします。
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絵画というより建築そのもの(応挙寺を見て)

先日、所用で兵庫県を訪れた折、日本海に面した香美町にある、大乗寺(通称”応挙寺”)を見学してきました。円山応挙が十代の頃、苦学する彼に大乗寺の住職であった密蔵上人が学資を支援したのが縁で、後年、絵師として名を馳せた応挙が、大乗寺客殿建築に際し、若い頃の恩返しにと、一門の精鋭を率いて大乗寺の障壁画、欄干の木彫りを手がけたのだそうです。 日本の寺院では通常、本尊となる仏像の周囲に、四天王像、あるいは十二神将像を配置しますが、大乗寺の客殿では、十一面観音像を安置した中央の仏間の周囲を、10の部屋(2階部分も入れると12)が取り囲み、それらの部屋の襖や壁全てに、応挙一門の手で様々な風景が描かれていました。近年の研究によると、描かれた襖絵は単なる風景画ではなく、仏間を中心とした曼荼羅図となるよう、それぞれの作品テーマが選ばれ、普通は四天王像で表現される価値観も、風景画に置き換えて描いたのではないかと、考えられているそうです。 それぞれの部屋に描かれている絵を漫然と見ていただけでは分かりませんが、それぞれの部屋に描かれた絵は、「水の流れ」を通じて隣室とつながっています。仏間に描かれた須弥山から流れ出た水は、仏間の南側(山側)の部屋を巡り、最後は仏間から見て北(海側)にある「山水の間」に描かれた海に流れ込んでいます。 寺院の現実の立地に合わせ、仏間から見て山側には山を描き、海側には海を描き、なおかつ作品の題材を四天王が象徴する価値観を表現するように選ぶ。 単に美しいだけでなく、現実世界の風景との符号を図りながら寺院に相応しいメッセージを込めるという重層的な空間構成は、現代社会での仕事に置き換えれば、単なる壁画制作ではなく、建築空間のデザインそのものと言えるかも知れません。 足の無い幽霊像という、前例の無い斬新な表現を開拓して一世を風靡した応挙は、大乗寺の襖絵ではオーソドックスな様式からの逸脱を避けながらも、卓越した写実力を発揮し、現代の目から見ても単なる様式に留まらないリアリティを感じさせる作品を残しています。制作に参加した他の絵師達の作品も、卓越した写実力で描かれ、見ていて飽きません。猿の間を手がけた長沢芦雪だけは、下絵を描かず、立てかけた襖に即興で一気に、水辺に遊ぶ猿達を描いた(毛並みは筆ではなく刷毛で描いた)そうですが、その描写はあくまで写実であり、このプロジェクトが一貫したコンセプトに貫かれていた様子が伺えます。 大乗寺の襖絵制作に、最晩年の8年をかけた応挙は、制作完了直後、63歳の生涯を閉じたそうです。60歳を過ぎた頃から病気がちとなり、病気で視力も衰えた応挙ですが、大乗寺に残した作品が絶筆ではなく、その他の仕事を幾つも抱えながら死を迎えた晩年だっそうです。 苦学して絵師となり、現代社会で言えば企業戦士のような生涯を過ごした応挙は、斬新かつリアルゆえに恐ろしい幽霊画も生み出しましたが、作品の殆どは地道に写実を追及したもので、一世を風靡した幽霊像も、病気がちな妻の姿がモデルだったそうです。 表面的な様式ではなく、様式に力を与えるための、裏方のように位置づけられた写実力の鍛錬の結果として、斬新な表現を生んだ(しかしそこにも固執しない)応挙。彼の存命時の人物評としては、面白味に欠けるという評価もあったそうですが、近年の研究では、彼の(単に写実的というだけではなく)、時として凄みを感じさせる表現は、彼の、決して平穏ではなかった生い立ちと、その境遇から逃げずに向き合った彼の生き様だからこそ生まれた、という見方も出ているそうです。 現在の私達が、芸術と呼んでいる行為は、ちょっと表面的な方法論や様式に、とらわれすぎてはいないでしょうか?その結果、新しい世界が広がるどころか、かえって、芸術がその力を発揮する場を、狭くしてはいないでしょうか? 生前は、良くも悪くも地味と評されていたらしい円山応挙による、200年前の空間プロデュースを見て、いろいろ考えさせられました。
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技術はあるけど(産業界と同じ構図その3)

昨日、浅草のアサヒアートスクエアへ、福永敦の個展「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、墨田と浅草」を見に(というより聴きに)行って来ました。その内容は、個展のタイトルでもある、墨田と浅草界隈のあらゆる場所で収録した音の数々を、肉声による擬音で表現し、その肉声を記録した(数十は下らないであろう)音源を、暗い会場内に配置するという構成で、更にこれらの音源のうち少なくとも幾つかは、センサーによって人の接近が検知された時に音るらしい、非常に手の込んだインスタレーションでした。 非常に手のかかる仕事を丁寧にやり抜くというだけでも、十分に評価し得るインスタレーションかと思いますが、ではそこになんらかの世界が表現されていたかというと、多数の擬音サンプルの集まり、以上のものは見出し難く、「ほんとにお疲れ様でした」以上の感想は浮かびませんでした。 「まちなか」をテーマにし、「まちなか」の再構成を狙ったかのような、広い空間内での音源配置を行いながら、何の音かはっきり分かる音のみ擬音化して、「まち」を特徴づけているはずのバックグラウンドノイズの擬音化に挑まなかったのが、散漫な印象を与えてしまった原因かも知れないし、あるいは、あまりにも多くの音源を配置してしまったがために、敢えて擬音にしてから録音・再生するという作家のポリシーがぼやけてしまった(擬音化を表現の要とするなら、むしろスピーカの数を絞り込んで、汎用的な2、あるいは4チャネル(サラウンド)のステレオ音源として作品を構成した方が良かったのかも?)のかも知れませんが、いずれにせよ、作品というよりある種の見世物(上品に言えばアトラクション)的な印象、それもディスニーランドのような、一貫性のある世界観というより、技術見本市でのデモンストレーションのような、何かを作る”手段”、”道具”の展示を見た時に近い印象を受けました。 会場で配布されていた資料を読むと、彼の制作活動は、日本のマンガの擬音表現に、着想の源泉があるようですが、では彼の制作に、マンガ家ではなく芸術家ならではの、着想の発展があるのか? 彼の制作は、元ネタであるマンガの擬音表現の発想を、高い技術で再編集したものではあるけれど、新たな世界の創造に至っているのか? 彼の経歴を見ると、海外でも精力的に活動を行っている(展示の機会が与えられている)様子なので、言語によるプレゼンテーション能力、つまりコンセプトの説明段階でのアピール力は、少なからず持ち合わせているようですが、コンセプトを形にする部分に課題があるように見受けられました。 どんな活動でも、言葉だけならどうとでも取り繕うことが出来ます。でも実力とは、ましてや創造力とは、その先の話です。 かつて私が籍を置いていた日本のエレクトロニクス業界は、この個展の作家のように、手のかかることをこつこつやり遂げる仕事にかけては恐らく世界一でした。今でもそうなのかも知れません。言葉の上で、立派なコンセプトを語る人、未来像を語る人、理論を語る人も大勢居ました。議論だけなら、スティーブ・ジョブスに一歩も引けを取らない人材も大勢居たでしょう。 けれど彼らの中に、自身が語るコンセプトなり未来なりを具体的な形にした人が何人居たか?百人に一人でも、形にした人が居れば、日本のエレクトロニクス産業は、現在のよう窮状に陥ってはいなかったのではないでしょうか? 技術はある、仕事もこなす、大いに語る。でも、誰かが価値を認めた思考回路から外れることを無意識に避け、過去に市民権を得た世界の中で何とかしのごうとする。 それは、分野を問わず、日本人の大半が、気づかずにいる、無意識の呪縛なのかも知れません。
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産業界と同じ(コモディティ化するアート)その2

その1からの続き:企画のユニークさや、社会的意義は熱心に語られる一方、創った当人にとっての切実さはほとんど語られない。これは、SMFに限ったことではなく、おそらく、(カタカナで語られる)アート全般に言えるような気がします。私が、本末転倒だと感じた、「当人にとっての切実さ」の希薄さ。切実さを伝える姿勢が弱いのか、はじめから自分にとっての切実さよりも他者に対するユニークさで勝負しようとしているのかは分かりませんが、この本末転倒は、私がかつて籍を置いていた、日本の電機業界に、とても良く似た構図ではないかと思います。 はじめは、お客様のニーズに応えるためにやってきた。お客様に、喜んでもらうためにやっていた。それがいつの間にか、新しい形態や機能を考案すること自体が目標になってしまった。営業からは、「(お客様が使おうが使うまいが)新しい機能が付いていないと買ってもらえない」と言われ、機能競争・性能競争はエスカレートする一方。そのうち商品を作っている当人たちも、何が本当に良いのか?大事なのかを考えもしなくなり(その一例については、かつてブログに掲載させていただきました)、気が付けば、まともな品質の商品など作れるはずがないと、馬鹿にし切っていた韓国ブランド、更には中国ブランドが世界標準。更に視野を広めて見れば、かつてのステレオやテレビやカメラに代わって、今ではiPhoneに代表されるスマートフォンの時代。 (1990年代末から、一部電機メーカーは、自己目的化した機能・性能競争の危険に気付き、作り手の思いを消費者に伝えるマーケティングを試み始めましたが、そこで語れた”思い”の多くが、企画や宣伝担当者の描いたシナリオに従ったもの、つまりヤラセだったためか、多機能低価格競争の流れの前では殆ど無力でした) かつて私が居た電機業界の人間達は、世界中のお客様から見放されたことでようやく、大事な事を忘れた新規性競争が無意味なことを思い知らされました。昨今の円安を喜んでいるのは、素人投資家と、市場に疎く利権にしか興味の無い経団連幹部くらいのものでしょう。現場の人間達は、円相場や人件費が本当の敗因で無い事を知って居ます(表立って認めるかどうかは別として)。 けれど、アート業界の人達はどうなんでしょう? 具体的な表現行為の必然性に触れることなく、つまりは中身に触れることなく、身近な場所でアートを享受し、支援するプラットフォームを目指すとか、アウトリーチプログラムがどうとか?そういう話に、机上の空論(良く言えば形而上学的議論)以上に何か意味があるのでしょうか? アートの中身に触れずに、どうしてアートと美術教育の関係を議論できるのでしょう? 自身にとっての切実さも無い、他者の比較での新規性(思考の拡張)が創造と言えるのでしょうか?(ちなみに産業界では、必然性を伴う活動である”創造”や”イノヴェーション”と、単なる思考の拡張にすぎない”ブレインストーミング”は明確に区別されます) 自分の行為について、自分にとっての切実さを、腹を割って語りもしない人達に、どうして他者との交流が出来るのでしょう? ましてや日常に様々な困難を抱え、文字通り一日一日を生きるのに精一杯な人達が、切実さがあるのかないのかも分からないような人達と、関わる必要があるのでしょうか? SMFに限らず、アートの世界の人達は、アートと社会の関係を(抽象的に)語るのが上手です。でもよく考えてみると、世の中には、物質的にも精神的にも、具体的な目標を掲げて活動する非営利団体が、様々な成果を挙げています。厳しい見方をすれば、(日本の)アーティスト達は、「アート」を言い訳に、中途半端なことを正当化している、とも言えます。残念なことに、”類は友を呼ぶ”ようで、SMFの資料を見ると、アートボランティアの人達にも、アーティストと呼ばれる人達の言うことの受け売り以上の姿勢は見られません。 その結果は、産業界と同じコモディティ化。どれもこれも似たり寄ったり。どうでもいい枝葉の意匠にしか多様性がなく、世の中には、安売り競争で勝ち残ったものだけが残ればいい。世間のアートイベントを見て回ると、それが既に顕在化しているように思えてならないのですが・・・・? 彼らは行政その他から様々な公的支援を受けることを成果だと思っているのかも知れませんが、行政から見れば、これを大衆が「文化」だと言って喜んでくれるなら安いものです。 産業界ではブレインストーミング(柔軟な思考力を養う手法の中の一つ)と呼ばれている行為を、こちらの世界ではアーティストと称する人達や学芸員や大学教員が「創造」や「芸術」だと持ち上げ、ひとりひとりの生との関わりも問われない、自己目的化した新規性を、崇める大衆を増産してくれる。 施政者から見れば、手のかからないガス抜きです。この手の出し物が”文化”ということになれば、権威や権力の前でも毅然とした姿勢を失わない、他者との比較からではなく自身への問いかけから生まれる(歴史の中で後世まで語り継がれるような)文化は居場所を無くし、コモディティ化したアート界は、似たり寄ったりの商品で互いの市場を食い合ってきた産業界同様、(無自覚のうちに)公的補助を巡りアーティスト同士で共食いしてくれるでしょう。だから施政者にとってはコントロールも容易で、なおさら好都合(長期的には、その国の文化的アイデンティティーを喪失する結果になりますが)。 日本の(カタカナで表記される)アートは、携わる者の志の良し悪し以前に、構造的な課題を抱えているように見えます。その課題は自己崩壊プログラムとして動作し続け、確実にアーティスト達の将来を摘み取っているように見えますが、解決策が無いわけではありません。 方法論や新規性至上の価値判断をやめればいいんです。 表現の真髄は、方法論や新規性ではないでしょう。 キュビズムを継承した平面作品で歴史に名を残したピカソだって、写真もやっていたし、晩年は陶芸にも夢中になっていたのですから。 パフォーマンスでしか自分の切実さを表出できない人はパフォーマンスをすればいい。でも(表面的な様式としては確立されてしまった)バレエや民族舞踊が自分にぴったりならそれでやればいいし、誰が見ても何を描いているかがすぐ分かる絵(俗に具象画と呼ばれる)を描いたっていい。 アートかどうか?アートの価値は、手法(の新規性)で決まるのでしょうか? 日本における抽象表現の先駆者の一人である、清川泰次は生前、 >現代芸術の底流は「人間の自由」の尊厳ということであろう とした上で、 安直な過去との対立や、なんらかの方法に頼る表現に陥ることを厳しく戒めています。 妙な固定観念を捨てれば、より多くの人が手を取り合って、より大きな力を発揮することが出来るのではないかと思います。
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