10/30 追記:資料紹介(原発事故関連)

中日新聞で連載されている、原子力関連記事を紹介するブログがありましたので、リンクを張っておきたいと思います。これからの社会を担う人達が、リテラシーを身に付ける上でも、大切な記録になるのではないかと思います。 http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-531.html http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-532.html またこちらは、富山県富山市など、行政によるSLAPP訴訟を取り上げた記事です。SLAPP訴訟とは、組織が個人を陥れる目的で、法的落ち度の無い個人を訴え、裁判費用という経済的ダメージを与える訴訟で、米国では規制されているそうですが、日本では野放し。おまけに日本では行政が公的資金でSLAPP訴訟を起こしてます。日本の行政の腐敗ぶりが伺えます。 http://blog.goo.ne.jp/toyamama/e/b9582e895d1f55b1e8b007595b41e88b (3/19追記) 福島第一原発事故の原因については、国会事故調査委員会が、津波到来以前の配管損傷の可能性を指摘するなど、未だ不明のままです。2013年3月1日付けで発行された、原子力資料情報室通信465号の5頁目には、東京電力が、津波が発電所に到来した時刻を、沖合1.5kmの波高計への到来時刻としている矛盾が指摘されています。つまり、津波の到来時刻を、実際より数分間早いことにしておかないと、非常用発電機の故障時刻(表向き津波が故障の原因とされている)と、津波の到来時刻が大きくかけはなれてしまうということです。 同じく原子力資料情報室通信465号の9頁では、京都大学原子力原子炉研究所の今中哲二氏が、事故直後に原子力安全委員会(当時)が子供を対象に行った、甲状腺被曝検査の信頼性について問題を指摘しています。 以下、その部分を引用します。 ---引用はじめ--- 子ども達の甲状腺被曝を心配した安全委員会の指示により、3月26日から30日にかけて、いわき市、川俣町、飯館村の1,080人の子ども達を対象に甲状腺も似たリングが実施された。甲状腺モニタリングでは、頸部の甲状腺のところに放射線サーベイメータを宛てて放射線量を測定する、安全委員会の報告によると甲状腺被曝量100ミリシーベルトに相当する毎時0.2マイクロシーベルトを超えた例はなく、全体の55%が毎時0マイクロシーベルト、26%が0.01マイクロシーベルトとなっている。この検査が実施された同時期に私たちは飯館村で調査を行っていた。飯館村役場周辺の放射線量は毎時5~7マイクロシーベルト、役場のコンクリート建物の内部で約0.5マイクロシーベルトであった。そのような状況の飯館村の中で、どうやって毎時0.01マイクロシーベルトという精度の甲状腺モニタリングが可能であったか私には謎である ---引用おわり--- 福島県内で、甲状腺の検査を受けた子ども38,114人のうち、3人が甲状腺がんと診断され、7人ががんの疑いと診断されたことについて、政府は事故の影響ではないとしていますが、そもそも政府が行った被曝検査の信頼性に大きな疑問のあることに、注意する必要があると思います。 (4/2 追記) 疫学の専門家である、岡山大学の津田敏秀教授は、福島第一原子力発電所事故後の、福島県内の子供の甲状腺がんについて、疫学上、多発が確認できると、結論づけています。 http://www.mynewsjapan.com/static/extrapictures//Tsudabunseki.pdf ドイツのZDFテレビが制作した報道番組には、福島の説明(チェルノブイリでは事故後4、5年経ってからしか甲状腺癌は発症していない)のトリックを告発する、北海道国立がんセンターの西尾正道氏の講演が収録されています。西尾氏は、チェルノブイリで甲状腺ガンの調査が行われたのは事故後4、5年経ってからで、それ以前の甲状腺癌の発症数は、実は不明であることを暴露しています。また同番組では、放射能に汚染された木や草や土を集めては、汚染の少ない地域(除染対象区域外)に捨てている除染の実態も報じられていますが、これらは日本のマスメディアでは一切報じられていません。 http://www.youtube.com/watch?v=--6dStqKunk http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-1170.html (10/22追記) 津田敏秀氏の指摘に関して、日本国内では批判的な情報が出回っていますが、ドイツでは、津田氏と同様、福島県内での子供の甲状腺がん発症が、通常ではかんがえにくい数であることが指摘されています。 http://www.youtube.com/watch?v=HIOEVbZ6mLg また上記の報道では、「統計的には、福島の原発事故による日本国民への 直接的な健康リスクあるいは健康被害は無い」としたUNSCEARの報告に、署名を拒否した学者がいる事、UNSCEAR報告は統計学の扱いに疑念がある事、現在WHOには放射線と健康との関係についての専門家はおらず、WHOの発表も信頼性に乏しい事が指摘されています。 (4/3追記) またこちらは野生生物(稲、ヤマトシジミ、ウグイス、ニホンザル)を対象とした調査ですが、やはり、低線量被曝でも、その悪影響を否定し難い結果が出て居ます。 http://toyokeizai.net/articles/-/13516 (5/2追記) ところで、不正確に低く見積もられて来たとの批判が多い原子力発電のコストですが、使用済み核燃料の再処理コストまで含めて計算すると \11.86/kwh と、火力発電の \9.91/kwh を上回ってしまい、更に核廃棄物の保管コストまで含めると \94/kwh と、太陽光発電のコスト \40/kwh の2倍近くになることを、脱原発を目指す首長の会世話役の三上元(湖西市長)氏が公表しています。事故処理のコストも含めると、\100/kwh を超えるそうです。 http://zeronomics.files.wordpress.com/2012/02/skmbt_c360130430122611.pdf http://monogusa-fumifumi.cocolog-shizuoka.com/blog/2013/06/post-bbaf.html (10/30追記) 現在の除染作業も、違法な雇用とピンハネを前提にコストが見積もられている点に留意すべきでしょう。 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE99O06A20131025?rpc=131&pageNumber=1&virtualBrandChannel=0 事故現場からの、使用済み核燃料取り出しも、安全に完了させられる目処は立っていません。原子炉も建屋も破壊されている現在、燃料棒同士が事故で接近して発火すれば、ばら撒かれる放射能の量は、これまでの量の比ではなくなります。 http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2432.html (5/29追記) 国連「健康に対する権利」特別報告者による福島に関する調査報告書でも、福島第一原発事故に対する政府対応に寄せられている批判・疑問の多くが、科学的合理性に立脚したものであること、甲状腺の調査(結節の大きさだけでリスクを判断している)が、放射線被害を見落とす可能性がある手法で行われている点に留意すべき事、初期被曝に対するケアについての不備が指摘されているほか、汚染地域への帰還はあくあで個人の意思を尊重すべきこと。帰還する人に対しても、帰還を拒む人に対しても、分け隔てなく支援すべきことが、明記されているようです。 http://hrn.or.jp/activity/area/cat32/post-199/ (7/30追記) 東大の早野龍五氏らが実施している、ホールボディカウンタによる内部被爆検査の信頼性についても、異論が出ています。早野龍五氏らの測定は、ただちにケアが必要なほど高レベルの内部被曝を受けた被災者がいたかどうかの検査であって、不検出という結果であっても、放射能汚染の無い地域の住民と比較すれば、はるかに高レベルの内部被曝をしている可能性は、否定できません。ホールボディカウンタの測定結果を根拠に、内部被曝が無かったかのうように語る言動には注意が必要です。 http://tamaky.com/kibou/2013/07/20/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%81%A7%E3%81%AE%E8%A2%AB%E6%9B%9D%E5%88%87%E3%82%8A%E6%8D%A8%E3%81%A6/ http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/09/blog-post_19.html http://tamaky.com/kibou/wp-content/uploads/2013/07/2527c642d897e5b236ba36b2d49c164b.pdf
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資料紹介(尖閣問題)

政治的思惑による発言のみが報道され、素人の知識のひけらかしが宣伝される一方、専門家による学術的研究は封印されがちな尖閣諸島の帰属問題ですが、横浜国立大学の村田忠禧氏が、学術調査の結果を、インターネット上で公開しています。 http://www.geocities.jp/ktakai22/murata.html *上記URLは現在閲覧不能になっていますが、 その内容は「日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実」というタイトルで書籍化され、と販売されているようです。 https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E6%97%A5%E4%B8%AD%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90++%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F *また上記URLに記載された経緯の概略は、下記URLからも参照可能です http://www.mdsweb.jp/doc/1155/1155_02u.html 調査の結果は、これまでもしばしば指摘されていたことですが、日中どっちもどっち、ということです。 まず、日本政府が主張する、明治政府が領有を宣言するまで、尖閣諸島は「無主地」であったとする主張については、中国側だけでなく、日本側の資料も示しながら、明確に否定しています。 さらに日本政府が、 >1894年に日清戦争を発動し、日本の勝利が確定的となった1895年1月14日の閣議決定で国標建設を認める決定を出した。 後、実際に標柱を立てたのは、 >閣議決定から74年後の1969年5月10日。 であることを指摘し、実際には日本政府も中国政府と同様、 >この周辺海域に石油が産出する可能性がある、といわれてからあわてて領有権を主張しだしたのである。 と結論づけています。 実在する資料に対する精査の結論として、村田氏は下記のように述べています。 >日本も中国(台湾当局をも含む)も、前述した通り、この島々周辺海底に石油が産出する可能性があるとの情報が流されてのち、領有権を主張するようになったのであって、それ以前に両国の間で領有権をめぐる争いが発生したことはなかった。この点は両国の地図の表記でも明白である。中国の地図(台湾当局をも含む)において釣魚島、黄尾嶼、赤尾嶼を中国の領土であると明示するようになったのも、日本の文部省検定済みの地理教科書において、尖閣列島なる名前でこれらの島々の存在が登場するようになったのも、すべて領土問題が発生した1972年以降のことである。 これらの扱いから「固有の領土」と主張するには、日本政府にも中国政府にも「いささか後ろめたい」ところがあってしかるべきであろう。 米国政府が事ある毎に、尖閣問題について「中立」を宣言するのは、歴史的根拠のある合理的な対応であることが分かります。
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4/8追記: 東京都の外国人政策

オリンピック誘致に余念が無い東京都ですが、世界中の人達を歓迎しなければいけないはずの東京都で、最近、不穏な外国人政策が散見されるようになりました。 一つ目は、様々なメディアで大きく報じられた、新大久保での民族差別(ヘイトスピーチ)デモ。行政に対する政策要求のデモについては、コース変更をはじめとして様々な規制をかける東京都公安委員会が、ヘイトスピーチのデモについては申請通りのデモコース(在日外国人が多く住む商店街)を許可するという、差別にお墨付きを与えたと言われても仕方の無い対応をしました。 http://www.j-cast.com/2013/03/27171314.html http://tanakaryusaku.jp/2013/03/0006905 一方こちらは、誰の指示によるものかは不明ですが、東京都町田市が、市内の小学校の新入生に配っている防犯ブザーについて、突然、朝鮮学校への支給だけを取りやめたことが報じられています。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130405/kor13040516480005-n1.htm http://mainichi.jp/select/news/20130405k0000m040087000c.html 町田市教育委員会は、この対応の理由について、 >社会情勢と市民感情に照らし という言い方をしていますが、この説明は、政治問題で子供を制裁対象にすると、公言しているに等しい内容です。 最近マスメディアを賑わす北朝鮮の強行な対外政策は、朝鮮学校やその生徒達に何の責任もないことは言うまでもありません。 また在日朝鮮人への差別的対応の口実としてよく持ち出される拉致問題は、北朝鮮側の事後処理に問題があるにせよ過去の事件であり、日本在住の朝鮮籍の人々に対し、新たに不利益を強いる政策を正当化する理由にはなり得ません。北朝鮮政府の人権の扱いを非難するのであれば、非難する側は人権に対して模範的に振舞わなければならず、北朝鮮情勢を理由に、朝鮮籍の人々に対し、新たに不利益を強いるのであれば、そのような対応をする(支持)する人達の意識は、北朝鮮側と、程度の差こそあれ、同類です。 国際政治を口実に、在日外国人に対する差別を行政官が率先するような自治体に、オリンピックを誘致する資格があるのでしょうか? (4/8追記) 町田市が行った、朝鮮学校への防犯ブザー支給取りやめは、4/8に撤回されたそうです。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130408/kor13040814500005-n1.htm
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日本による国家テロ

日本国内で行われる歴史教育の中で、客観的事実に明らかに反している歴史改ざんのひとつが、1941年12月8日に日本軍が行った、米軍人数千人を一方的に殺した大量虐殺です。 日本ではこれを「真珠湾攻撃」と呼び、奇襲であると教育していますが、「攻撃」も「奇襲」も、交戦状態下、つまり宣戦布告後の出来事に対して使う言葉です。しかし旧日本軍は周知の通り、宣戦布告を行う前に、数千人の米国人を殺戮しています。これは疑う余地もなく国家テロであり大量虐殺に他なりません。 この時日本軍は主目標だった米軍空母を発見することが出来ず、この作戦は軍事的にも失敗だったのですが、にもかかわらず、日本軍は米軍側が応戦体制を採る前に、民間人も含め数千人を、手当たり次第に殺戮しています。 日本政府が12/8時点でもなお、(表向き)対米交渉を続けていた点を考えても(日本政府が既に開戦の意思を固めていたことは、米政府も暗号解読によって把握していたとされていますが)、この殺戮が「奇襲」の類でないことは明らかです。 このテロについて日本では、 「日本政府は駐米大使宛に宣戦布告を打電したが、大使館員が打電内容をタイプするのに手間取り、結果的に、宣戦布告が攻撃後になってしまった」 という話になっていますが、 専門教育を受けた外交官が、宣戦布告という一大事を口頭で伝えることもせず手書きで伝えることもせず、悠長に下手なタイプで文章を打っていたというのは、明らかに不自然な説明です(ましてや日本政府は既に開戦の意思を固めていたのですから、駐米大使にとって宣戦布告は、本当に寝耳に水だったのでしょうか?)。 タイプに手こずると攻撃開始に間に合わないタイミングで本国から宣戦布告が打電された事自体、当時の日本政府がはじめからテロを狙っていた(当初から現地の外交官をスケープゴートにするつもりだった)ことを疑わせるのに十分な状況証拠ではないかと思います。近年、テレビ番組や出版物で何度も報じられている通り、当時の日本政府内は、軍部でさえ、米国との戦争で勝てるとは考えていませんでした。にも関わらず、政府内の支配力争いに引きずられ、誰も開戦に反対せず、得られる見通しの無い戦果を迫られていた状況を考えれば、誰かが、結果的に宣戦布告が間に合わなかったというシナリオでテロを画策していたとしても、不思議ではありません。 ルーズベルトが日本軍によるテロの日時を事前に察知していたか(暗号解読によって)どうかについては諸説ありますが、それは米政府の米国民に対する責任問題であり、仮にルーズベルトが真珠湾テロを事前に知りながら、あえて現地には伏せていたとしても、日本軍の卑劣な殺戮に、弁解の余地はありません。 そもそも日本が米国・英国と開戦することになったのは、日本政府が満州事変の後始末で落とし所を探るのを拒み、国際連合を一方的に脱退したのがきっかけで、その後も米英が日本に敵対せざるを得なくなるような政策を採り続けた挙句、米英と敵対関係にあるドイツ・イタリアと、(日本政府内の反対を押し切って)三国同盟を結んだこが原因です。当時の日本政府は、自ら進んで経済力・技術力が遥かに勝る米英と対決する道を選らんだことは、客観的事実として否定のしようがありません(それ以前に、日本が近隣のアジア諸国に対して行った侵略行為が、人道的に許し難いことは、もはやいうまでもないと思います)。 かつての日本が、世界の近代史上稀な、自滅的外交政策を採り続け、近代国家として例の無い卑劣な国家テロを、国家の名の下で行ったことを、私たちは忘れてはいけないと思います。 最近は「愛国者」を名乗り、アジア諸国の政策や人権問題を鬼の首でも取ったかのように批判する輩が目立ちますが、自国の歴史を直視できない人間に、外国のことを指摘する資格などありません。
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軍事クーデターを舞台に描かれた人間ドラマ

記録的な低視聴率と評判のNHK大河ドラマ「平清盛」は、視聴率という先入観無しで見れば、(登場人物の中年期がそれに相応しいメイキャップになっていない点を除けば)充分世界に通用するレベルではないかと思います。近年良好な視聴率をマークしたとされる他の大河ドラマ(篤姫、こう、など)と見比べれば、「平清盛」は内容が悪いのではなく、大河ドラマの視聴者層が既に、中身の濃いドラマなど期待しない人々になっていたと、考えた方がよさそうです。 それはそうと、「平清盛」では、従来の源平合戦物語ではあまり語られてこなかった、当時の日本の政治情勢を前面に出したストーリー展開になっているという点で、非常に興味深いです。平家の盛衰を、平清盛という稀有な政治家のドラマとして描いた点が、このドラマのユニークな点であり、また最近の大河ドラマファンからそっぽを向かれた理由かも知れません。 源平盛衰を現代の目で見れば、源氏・平氏共、政府軍を構成する軍閥であり、その平氏の中の一門である伊勢平氏(後の平家)が三代に渡りじわじわ財を蓄え、遂には政局を左右する存在となったわけです。 そうした時代背景の中、宋国の文化・政治研究を通じて、貨幣経済の途方もない潜在力に気づいた御用学者信西はやがて後白河上皇のブレーンとなり、平家三代目棟梁平清盛と手を組み急進的な政治改革を手がける。一方清盛は、朝廷への忠誠と悪政に苦しむ庶民との板ばさみで悩んだ末に武士の世を目指した父の遺志を引継ぎ、自ら政争へと身を投じる。ほどなく政府(朝廷)は内部分裂状態に陥り、やがて軍部(武士)を巻き込んだ軍事クーデターの応酬が始まる。 信西は保元の乱で政敵の粛清に成功するものの、数百年封印されていた死罪を復活させたことで、政府内の対立は収まるどころか更に熾烈なものとなった。死罪復活で粛清を進める信西により身内の処刑を命じられたことで、源氏、平家の行く末も大きく分かれた。平清盛は身内の処刑を強いられてもなお、新しい国作りという大儀のため信西と行動を共にしたが、父の殺害を強いられただけで、政治的にも経済的にも何ら得るものが無かった(その裏には、武士の世を阻止するため、故意に武士同士の対立を画策する後白川上皇の思惑があった)源義朝は、クーデター(平治の乱)を起こし信西を抹殺する。しかしこのクーデターが源平の対立を決定的なものとし、源氏(河内源氏)一門は圧倒的な軍事力を誇る平家によって、壊滅状態に追い込まれ、義朝は敗走先で自害。 しかし、「武士の世」という大義のため心を鬼にして人を殺して来た清盛は、大義の盟友でもあった義朝の子の命を奪うことが出来ず、義朝の嫡男頼朝を、源氏代々伝わる太刀を持たせた上で伊豆へ流した。義朝の側室の子である牛若(後の義経)は、そのまま都へ住まわせた。 清盛の情が、やがて戦乱の世で平家を滅ぼすことになる。 平治の乱の後、武士の中で一人勝ちとなった平清盛は、自らが思い描く国(経済体制)作りに邁進するが、それは平家一族のみを富ませる結果となり、朝廷内で一人勝ちとなった後白河上皇(後に出家し法皇)や、信西の愛弟子であり後白河のブレーンでもある西光との思惑のずれが、時を追って目立ち始める。 こうした政情の中にあって、後白河法皇の妻である建春門院滋子(清盛の義理の妹)は、卓越した政治手腕により清盛と後白河法皇の共闘を何とか維持していたが、滋子の病死によって、政権は再び内部分裂状態に陥り、清盛率いる平家内部の結束にも亀裂が広がって行く。 政府(朝廷)内はやがて清盛追放のクーデター画策と粛清の応酬に陥るが、自らの余命を悟っていた清盛は、自らが目指す国づくりを急ぐため粛清の手を緩めようとはしなかった。しかし清盛が朝廷内の権力闘争に明け暮れている間、都からはるか離れた東国では、民を苦しめるばかりの平家を打倒すべく、流罪となった頼朝をリーダーに掲げた北条一族を中心に、武士達の組織化が進み、後白河側も権力掌握の切り札として源氏の利用を企み・・・・ もし平家物語が、政治ドラマとして描かれていたら、ジェークスピアに500年先行する偉業になっていたかも知れません。 蛇足: そして平家は源氏に滅ぼされますが、源氏の棟梁頼朝は、朝廷(=後白河法皇)からの影響を排除するため、たった一人の血縁である義経を、そのスポンサーである奥州藤原氏もろとも滅亡させ、血縁者を失ってしまう。頼朝の子は北条氏に暗殺され源氏は滅亡。最終的には源氏でも平家でも朝廷でもなく、伊豆の一豪族に過ぎなかった北条氏が権力を掌握し、源平合戦は幕を閉じます。後世から見れば、源氏は最後まで利用されるばかり。源平合戦は、日本版三国志でもあります。 頼朝に一目惚れし、頼朝を平家打倒のリーダーに育て上げた北条政子本人が、源氏の血を絶やしてまで北条一族を栄えさせようとしたのか? それは神のみぞ、知るところなのでしょう。
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官製差別(教育を受ける権利を奪われた人達)後編

前編からの続き) 最初に書いたように、ろう者は中途失聴者とは異なり、「障がい」と言うより「マイノリティ」と呼ぶべき境遇の人達で、そのアイデンティティと不可分の言語(日本のろう者の場合は日本手話)と、文化(ろう者特有の生活様式やマナー)を共有しています。しかしこれらの言葉や文化は、文部科学省による手話排除政策によって、ろう学校の中だけでなく、社会でも一層厳しく拒絶されるようになり、多くのろう者達を苦しめてきたそうです。 ろう者の子を持つ親が、手話を使おうとするわが子に手を上げる、学習の機会を奪われた上に無能扱いされる。何かをやろうとしても(ろう者)だからダメと決め付けられる。このような差別は、親もろう者の場合には、ひどくならないようですが、ほとんどのろう者は、聴覚に異常の無い(いわゆる健聴者の)両親から生まれて来るそうです。この日の講演で、具体例は殆ど出ませんでしたが、米内山さん(ろう者)によると、悲惨な事例はいくらでもあるそうです。 最近では、聴者のための手話学習サークルも増え、一見すると、ろう文化への理解が広まったようにも見えますが、殆どの手話サークルで指導されている手話は、ろう者が使う日本手話とは文法が全く異なる、日本語対応手話だそうです。この手話は、日本語を、その語順に従って、擬似的に手と指で表現する言葉ですが、語順が日本手話と全く異なる上(日本手話の語順は英語に類似)、文法規則の中に、表情や上半身の動き(日本手話では不可欠)が無く、ろう者にとっては非常に理解しにくい表現だそうです。ろう者の米内山さんは、日本語対応手話にはろう者のアイデンティティの匂いが全く無いと、日本語対応手話の乱用に警鐘を鳴らしていました。 筆者補足: 日本語対応手話は、日本語の単語を、逐次(日本語の語順に沿って)手や指の動きに置き換える表現で、手指日本語とも呼ばれます。どちらの言い方を使うかは論者の政治的スタンスにより、今回の講演者である、玉田さんや米内山さんなど、日本手話がろう者のアイデンティティである面を強調する人達は、手指日本語と言いますが、ウイキペディアなどネット上では、日本語対応手話という言い方が優勢のようです。一部のテレビ番組の画面脇に出る手話通訳の映像は、日本手話と日本語対応手話が混ざっているケースが多いようです。 また、(健聴者対象の)手話サークルで指導する手話コーラス(音楽に合わせて手話を演じる)も、その大半が日本語対応手話で演じられるにも関らず、それをろう者の前で披露しようとするグループが後を絶たないことから、手話コーラスは少なからぬろう者から、「ありがた迷惑」と非難されていることも、前の勤め先で知りました。 米内山さんによると、日本の手話サークルの数は世界一だそうですが、例えば北米には、手話サークルに相当する活動自体が存在しないそうです。ろう者のコミュニティーの外部で、手話指導(ましてやろう者が使わない手話の)をするという発想が、北米には無いそうです。 このように、ろう者を取り巻く、社会の現状について、批判的な認識を示した講演者のお二人でしたが、お二人共、自ら積極的に社会に溶け込み、一歩一歩、状況を改善してきた実績がある上での批判なので、非常に論理的、具体的で、対案も明確であり、説得力がありました。 玉田さとみさんは、日本手話の導入を頑なに拒絶する文部科学省を尻目に、まずは、日本手話を教えるフリースクールを開設し、その実績を元にNPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBED)を立ち上げ、更に2008年、当時の構造改革特区制度を利用し(実際には何度も応募・落選を繰り返し様々な苦労があったそうですが)、都内品川区にろう児のための私立学校「明晴学園」を、米内山さんと共に創立しました。その傍ら、ろう者達から「聴者が日本手話を身に付けるのは不可能」「聴者がろう児を手話で子育てするのは不可能」と言われながらも、日本手話を学び、今ではろう者と、日本手話で会話をしています。 一方米内山明宏さんも、ろう者劇団の立ち上げ、運営をはじめ、様々なメディアでの手話(ろう者向けの)監修など、多彩な文化活動の実績で、日本で最も著名なろう者の一人です。 学術の世界では、日本手話による書記日本語などの教育には効果が無いという意見も根強い(ただしその事を示す具体的データも無い)ようですが、今回の研究会では、玉田さん達が、これまでのバイリンガル(日本手話と書記日本語)教育実践の成果に基づいて制作した教材(書籍やDVD)が、複数紹介されました。また米内山さんからは、近年普及が進んでいるスマートフォンやタブレット端末で再生できる、ろう者(ろう児向け)のコンテンツ日本手話の動画を収録したコンテンツ出版への協力が、要望として述べられました(出版関係者が集まる会合なので)。 その他、質疑応答の場で出た話としては、 最近、さまざまなハンデを持つ人達への「情報保障」が、法的に定められる動きが出て来たのは良いが、何が情報保障かを、当事者でない人達が一方的に決めている現状には問題がある。(玉田さん) ろう学校や手話サークルでの、日本語対応手話の氾濫で、日本手話の使い手が減り、ろう者のアイデンティティーが奪われる懸念を抱いている(日本手話などの、Sign Language だからこそ伝えられる心情が多々ある)。(米内山さん) 手話に限らず、言語教育にはネイティブの指導が不可欠。日本の言語教育はネイティブの指導が無いので、ろう者教育でも英語教育でも成果が出ない(米内山さん)。 (北米では聴覚障害者でも航空機パイロットのライセンスが取得できる事等を例に挙げ)「ろう者だから無理」を無くすのが、大人の仕事。(米内山さん) (「聴覚障害者を音楽会に誘って良いものだろうか?」という質問に対して) ろう者でも、音楽への接し方や好みは人それぞれなので一概に言えない。相手が「行きたい」と言ったら誘えば良い。特別に気を遣う必要は無い(米内山さん) ろう者にも音楽を楽しんでもらおうなど、聴者の文化をろう者に押し付ける発想自体が大きなお世話(玉田さん)。 日本におけるろう者教育が立ち遅ている、一番の原因は文部科学省の政策ですが、それを助長するような心は、私達一人一人の中にも潜んでいるのではないでしょうか?官僚だけを責めても、問題は改善されないような気がしました。 また、一口に「ろう者」と言っても、考え方は様々で、日本手話、日本語対応手話に対する意見もいろいろあるようです(私は以前、ろう者の方々のブログで、日本語対応手話や手話コーラスを、ありがた迷惑と批判する人達と、聴者がろう者を理解するためのステップの一つとしての効用を認め、表立った批判を避けている人達がいる事を知りました)。現状では、先天的な聴覚障害者の全てが、ろう者のコミュニティーに入り、日本手話を身につけられる訳でもなく、問題は複雑です。 私は、玉田さん、米内山さんのスタンスを支持していますが、彼らとは異なる意見については、下記などをご参照願います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E6%96%87%E5%8C%96 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A9%B1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E6%95%99%E8%82%B2
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官製差別(教育を受ける権利を奪われた人達)前編

先週末、久しぶりに出版UD研究会の会合に参加してきました。今回のテーマは、「ろう児・ろう者にとっての読書」で、話題は主に、未成年のろう者(ろう児)の学習環境についてでした。私にとっては、十数年前、当時の勤め先での社会貢献活動の一環として勉強した、ろう者を取り巻く社会環境についての、再勉強になりましたが、改めて驚いたのは、日本の文部科学省による、執拗なまでの手話の排除でした。 ろう者とは、先天的か、言語獲得前の幼い時に、音声言語獲得に必要な聴力を失ってしまった人達(約1000人に一人の確率で生まれる)のことで、音声言語を獲得してから聴力を失った中途失聴力者とは、全く異なる世界(音というものがはじめから存在していない)に生きている人達です。ろう者は、ろう者同士のコミュニティーの中で暮らす限りにおいては、社会生活に何ら支障が無く、障害者というより、マイノリティーと言った方が適切な境遇の中で暮らしています。 現在、日本のろう者が日常会話で使っている、「日本手話」と呼ばれる身体言語(手、指の動きだけでなく、表情や上半身の動きにも文法規則がある)は、明治11年、京都の聾学校(京都盲唖院)で使われたものが起源だそうで、昭和のはじめ頃には聾学校だけでなく、ろう者の間で広く使われていたそうですが、1933年(昭和8年)、鳩山一郎文部大臣が、全国の聾学校での手話使用を禁止し、ろう者の教員は次々とろう学校を解雇されました。それ以来現在に至るまで、聾学校では、口話法(話者の唇を見て音声言語を理解させる訓練法。現在では補聴器も併用)が唯一の教授法として教育指導要領に定められ、これを生徒に強制し続けています。 しかし口話法は、ろう学校の生徒に強制されてから80年が経過したにも関らず、教育法としては、極めて例外的なケースを除き、学習効果が見られないことが広く知られています。実際日本語には、唇(口)の動きでは全く判別できない単語が多数あり、ある程度以上の聴覚機能がないと、いくら補聴器を使っても、視覚を頼りに音声言語を判別することは、物理的にも不可能であることが分かっています。 文部科学省が現在も採用する口話法(現在は補聴器が併用されるので「聴覚口話法」と呼ばれる)のせいで、ろう児のほとんどは学校で基本的な学力を身につける機会を奪われ、高等教育に対応できるレベルの書記日本語(読み書き)を身に付けるのが厳しい環境に置かれているそうです。 この日の研究会の、講師の一人であった米内山明宏さん(ろう者)も、ろう学校で口話法を強制された一人ですが、ろう学校の授業では、(さっぱり分からないのに)教師の唇から目を離すことができず、発話の訓練では、(自分で発音の確認が出来ないので)、自分の発声が上手く行ったかどうか?いちいち教師の顔色を伺はなければならず、「普通に息が出来ない」状況だったと語って(もちろん日本手話で)いました。では、ろう学校での授業になじめなかった米内山さんが、どこで現在のような流暢な書記日本語(読み書き)を学んだかというと、たまたま近所に住んで居た、ろう者のおんじさんからだそうです。この方が実は、先に触れた、1933年の手話禁止で、ろう学校を解雇された国語教員に方だったそうで、米内山さんは、日本手話だけで、書記日本語の文法(ろう者にとって理解しにくい、て、に、を、は、の使い分け方も含めて)を教わったそうです。 その方は、「もし生まれ変わることが出来るなら、もう一度聾学校の教員になって、(自分が解雇されたせいで)途中で放り出す結果になった生徒(ろう者)達に、最後まできちんとと読み書きを教えたい」と語り、教職を辞めざるを得なくなったことを、後々まで悔やんでいたそうです。 つまり、 日本では、1933年に手話が禁止される前、既に、日本手話による書記日本語(読み書き)の指導法が存在し、教育現場で実践されていた、ということです。 日本手話は、既に言語として、ろう者の間に定着していたので、文部科学省がろう学校での手話を禁止した後も、日本手話は継承され続け、近年は、実際にろう学校でも、表向きのカリキュラムには存在しないものの、手話による指導も増えつつあるそうです。2011年には、障がい者基本法の改正において、手話が「言語」であると明確に規定されましたが、日本の教育指導要領では未だ、手話による指導が認められておらず、ろう学校の授業で手話の使用が許されるのは、国語や数学などの基本教科以外、学校独自の裁量が許される授業に限られているそうです。例えば札幌聾学校では、従来、口話法の指導に充てられていた「自律活動」と呼ばれる授業で、日本手話の指導が行われているそうです(けれど大半の聾学校では残念ながら、ろう者が使う日本手話とは文法が全く異なる、日本語対応手話と呼ばれる特殊な表現が用いられているそうです)。 西欧では1980年代以降、ろう者コミュニティーの間で共有されている手話を言語と認め、ろう学校教育にも公式に手話が導入されているそうですが、日本の文部科学省は、手話につていは未だ、「黙認」するに留まっています。 この日の講師の一人である、玉田さとみさんは、1999年に生まれた次男が先天的な聴覚障害(ろう者)だったことから、ろう教育に関ることになったそうです。 ろう者には「日本手話」という言語が継承されていることを知り、口話法教育の無益さも知った玉田さんは、最初はろう学校、次に教育委員会、最後に、監督官庁である文部科学省へ、ろう学校への手話導入(教育指導要領の中に、ろう者の母国語として手話の授業を取り入れ、ろう児が日本手話で読み書きその他の勉強が出来るようにする)を訴えたそうですが、文部科学省側は、 「手話は研究されていない(実際は数多くの研究例があるので嘘)、実績もない(1933年以前は日本手話による授業が行われていたので嘘)」 という、少し調べれば嘘だと分かるような理由をつけて、要請を拒否したそうです。 更に、「それならばこれから、自分の子供を使っても良いから研究して欲しい」と頼んだところ 「子供を実験台にできない」 と、あたかも、研究目的の授業というもものが存在しないかのような説明で、手話による教育の研究を拒否したそうです。 更に、(聴覚)口話法の実績の無さを指摘したところ 「ある面では問題があることは承知している」 と、ごまかしたそうです。 玉田さんが後に、「全国ろう児をもつ親の会」を設立し、米内山さんと共に、日本手話の授業を行う学校法人「明晴学園」を創立したのは、上記のような、文部科学省による、執拗な手話排除(特に日本手話排除)があったからだそうですが、文部科学省による執拗な手話排除は、ろう学校の中だけでなく、ろう者の家庭にも、暗い影を落とし続けてきました。 後編に続く。
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2012/04/06追記: 改めて勉強。原子力発電導入の経緯

NHKが、17年前にきっちり取材して放送していたんですね。 NHK現代史スクープドキュメント「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」 http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134# http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999403160130097/ 日本に原子力が導入されたのは、日本国内の反核兵器世論を抑えるため。「毒を持って毒を制す」という米国政府の意向。当時電力不足による復興の遅れが懸念されていた日本は、米国公文書に「ターゲット」と明記されていた。日本側の世論工作・政治工作、学術団体への工作を取り仕切ったのは読売新聞(と日本テレビ)の社主であった正力松太郎。 当時(1950年代)米ソは、原子力の平和利用技術(原子力発電技術)の供与と引き換えに、自国の核兵器配備を認めさせ、相手国の核兵器開発を禁じる取引拡大によって、自国を中心とした核ブロックの拡大を競っていた。表向きは原子力平和利用が軍縮を推進するとされ、米国を中心とした核ブロック拡大の手段としてIAEA(国際原子力委員会)が創設された。 そういう内容でした。 (2012/04/06追記) インターネット上の読み物でも、戦後の原子力政策から福島第一原発事故後までを整理した記事が公開されています。 http://www.47news.jp/hondana/nuclear/
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6/22加筆:差別という概念自体が無かった時代

今年は法然上人生誕八百周年だそうです。法然上人は、それまで特権階級の学問だった日本の仏教を、民衆のための教え(現代的な意味での宗教)として、あらゆる人に分け隔て無く布教した先駆者として、歴史に刻まれています。 世の中に、歴然とした身分差別があった、というより統治の基本構造が身分制度だった時代。”差別”という概念自体が、現代から過去を振り返る視点であって、当時は恐らく、”平等”という概念自体が存在しなかったのでしょう。 人間には生まれながらに貴賎の差があるのが自然の摂理のように見なされていた時代、仏の道を進む機会を与えられた人々の中には、経典に記された理想の生き方と、現実をどうすることも出来ずに死んでゆく民衆(道端に遺体が放置されているのが当たり前の社会だった)との落差に心を傷める人も、大勢居ただろうと思います。 自然科学が殆ど体系化されず、経験則の積み重ねでしかなかった当時の日本では、仏教は唯一の科学だったでしょう。けれどその仏教は、裕福な特権階級や超人的な修行に耐えた人間に、救いの道を示しても、世の中の大多数の民衆には、何の救いも与えない。おまけに当時の日本では、仏教の布教は御法度。6世紀頃日本に仏教が伝来して以来ずっと、仏教はあくまで国家を統治するための学問であって、民衆に知られてはならない国家機密だった訳です。 分け隔て無く民を救う教えだったはずの仏教を、なぜ民衆のために生かしてはならないのか? 大和朝廷が日本を統一してから、自らが仏教で得た知恵を生かし、今で言う慈善事業に身を投じた僧は和知れず居たと思います。空海のように、今で言う土木工事のプロデューサを日本各地で引き受けた(その多くはフィクションかも知れませんが)天才も居ました。 けれど、法然上人の登場まで、布教という違法行為で民衆を救おうとした僧は現れませんでした。いや、実際には無数の僧が試みたのかも知れませんが、大きな運動になる前に活動を潰されてしまったり、一般人にも理解できる教義を編み出せなかったのかも知れません。 国家権力に独占されていた膨大な情報の中から、学問に接する機会も文字を学ぶ機会も無い民衆にも理解できるエッセンスを抽出し(それだけでも常人がいくら努力しても達成できない成果ですが)、五百年以上守られてきた禁を破って、全ての人を一切の分け隔て無く極楽へ導く。 身分の貴賎が自然の法則のように当たり前だった(差別という概念自体が存在しない)時代。現代的な意味での「宗教」という概念が存在せず、仏教が(現代の自然科学に相当するような)学問だった時代に、人々を、「分け隔て」なくという発想をしただけでも、とてつもなく独創的なのに、更にそれを具体化する方法まで編み出し、実行してしまった。 浄土思想の基本の一つである「悪人正機説」も、法念が日本で最初に、理念として明確に打ち出したと言われています。ただしここで言う悪人とは、現代的な意味での悪人、つまり悪事を犯さない選択肢があったにも関わらず悪行に陥った人間ではなく、生まれながらの境遇のせいで、倫理的に好ましくない事に手を染める以外、生き残る方法が無かった人々を念頭に置いた言葉で、悪人正機は、こうhした境遇の人達の救済を願った理念だとも言われています。 法然の両親は、(今で言う軽工業)技術を持った裕福な渡来人の末裔で、法然の父は地方官吏だったと言われています。が、官吏と言えば聞こえは良いものの、実際には、その出自ゆえに地方の利権の調整役を任され、彼は、法然がまだ幼い修行僧だったときに、その利権争いで暗殺されたと言われています。 法然が最後に父を訪ねたとき、父は、「間もなく私は殺されるだろう、しかし決して、仇を取ろうなどと考えてはいけない」と言い残したと伝えられています。自分の出自ゆえに殺戮の応酬に巻き込まれ、けれど息子には、その連鎖を断ち切るよう言い残した法然の父。法然の言う「悪人」とは、自身の父のような境遇の人達だったという説もあるそうです。 日本の歴史上初めて、現代的な意味での”宗教”を布教した人物として歴史に残る法然上人の功績は、思想上の革命と言っても差し支えないでしょう。実際、革命だったからこそ、権力から弾圧を受けたのでしょう。 法然が始めた現代的な意味での宗教はその後、親鸞日蓮を通じて様々な祈りに展開され、日蓮に至っては(特権階級ではなく)民衆の平和を最上位概念に置いた統治システム構築という、当時の政治的価値観を180度ひっくり返すような運動を試みます(結果的には弾圧されますが)。法然とは全く別の出発点から生まれた禅宗も、武士階級から民衆へと広まって行きました。 よく、日本の文化は「侘び寂び」とか「和の心」とか言われますが、それよりほんの数百年歴史を遡って見れば、法然、親鸞、日蓮などに代表される極めてラディカルな思想運動が存在したことを、私達は忘れてはいけないと思います。「侘び寂び」の元になった禅宗にしても、室町時代に一休禅師のような、ラディカルな思想家(今で言う、リアリスト、実存主義者か?)を生んでいるし、現代の茶道の源流となった千利休にしても、わざわざ喧嘩を売るような表現法で、旧来の価値観や慣例を打ち破って行った(その結果何人かの弟子は殺され自らも切腹を命じられる)わけです。 法然、日蓮は革命家 一休 利休はパンク と理解しても、差し支えないのではないかと、思います。 参考:浄土宗ホームページ http://www.jodo.or.jp/index.html
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マスメディア自身の言論弾圧

今夜のNHKスペシャルはとても良い勉強になりました。 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか第3回 "熱狂”はこうして作られた 」 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110227.html 大日本帝国が、収拾の見込みもない15年戦争へ突入していった背景として、関東軍の暴走を容認した陸軍や、陸軍のみならず海軍、政府側も含めた官僚組織全体に見られた保身・責任回避優先の体質は、これまで何度となく、様々な番組や書籍で指摘されていましたが、今回の放送では、彼ら官僚を宣戦拡大に追い込んだマスメディアの報道姿勢が検証されていました。 満州事変を期に、売り上げを伸ばすために競って戦意高揚を図る新聞各社。そのうちメディアに踊らされた民衆からの圧力(不買運動等)によって、新聞社自らが言論を自主規制するに至る。やがては政府も軍も、メディアに煽られた民衆にNOと言えなくなっていく。 更に悪いことに、当時ラジオ放送を独占していたNHKは、ナチスドイツのメディア戦略を詳細に調べ、日本国内の戦意高揚のためにラジオ放送を周到に利用して行った。 日中戦争当時、満州事変が関東軍の自作自演だったことを陸軍参謀から打ち明けられても、終戦までその事実を記事にせず戦意高揚を煽り続けた新聞各社。 「世論などなかった」と、新聞社による世論の自作自演を語った当時の新聞記者達の証言は、そのまま現代の新聞各社が報じる「民意」にも当てはまるでしょう。 再放送は 2011年3月1日(火)  午前0時15分~1時04分(2月28日深夜) 見損なった方、お見逃しなく。 日本のマスメディアの売り上げ至上主義が、戦前からの体質であることを明らかにした良質な番組でした。NHK自らが、過去の暗部を公開した点も素晴らしいと思います。
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2/17追記:米英よりも好戦的だった日本のイラク戦争報道

昨日、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」主催のシンポジウムに参加してきました。 http://iraqwar-inquiry.net/?p=678840820 イラク戦争への協力が、適切だったか否かの検証を行う事は、国会で議決済み(2007年イラク特措法延長の付帯決議として)なのですが、未だ実施されていません。一方検証実施済みのオランダでは、米軍のイラク侵攻とそれへの協力は違法だったという結論が既に出ていて、英国でも検証委員会がブレア元首相など関係者への喚問を続ける一方、委員会権限で、イラク戦争に関わる文書を、公文書のみならず個人宛のメモやEメールも含めて一般公開するという、徹底的な情報開示が進んでいます。 今回のシンポジウムは、イラク戦争検証議員連盟が正式に発足したのを受けたもので、イラク戦争(米軍のイラク侵攻)自体についての法的、人道的問題について、特別新しい情報はなかったのですが、イラク戦争に対する日本のメディアや政府の姿勢について、いくつか新たな報告がありました。 アジアプレス代表の野中章弘さんからは、NHK放送文化研究所が集計した、イラク戦争に関する各国メディアの報道姿勢について報告がありました。 同研究所が2004年に発行した年鑑によると、イラク戦争に関するテレビ報道のうち、イラク市民の被害を扱った報道が、米国ABC放送(World News Tonight)やBBC放送(10 O'clock News)では3番目に多かった(1位は米軍の動き、2位は米政府もしくは英軍の動き)のに対し、テレビ朝日(ニュースステーション)では4番目、日本テレビ(きょうの出来事)では6番目、NHK(ニュース10)およびTBS(NEWS23)では8番目。フジテレビ(ニュースJAPAN)に至っては全く報道しなかった実態が明らかにされています(ただし米国のテレビ局全てがイラク市民の被害を報じた訳ではなく、Fox News では日本のフジテレビ同様、調査対象期間中全く報じなかったそうです)。 海外主要メディアと比べ、日本のテレビ局は、イラク市民の被害を伝えなかったこと。 とりわけ、 フジ・サンケイグループはイラク市民の被害を全く報道しないという特異な報道姿勢であった点に、 注意を払うべきでしょう。 今回のシンポジウムでは、陸上自衛隊情報保全隊が、市民やジャーナリストの行動を監視・記録し、独断で「反自衛隊活動」を記録していた問題も取り上げられ、この監視活動には法的根拠は無く、情報保全隊の監視活動が、シビリアンコントロールから逸脱している実態が、指摘されていました。 その他今回のシンポジウムでは、フリーディスカッションの場で、今後の運動方針について様々な意見が出ましたが、イラク派兵差止訴訟原告の池住義憲さんから提案のあった、国会でのイラク戦争検証は、政府がイラク戦争支持に至った経緯の検証と、自衛隊のイラク派兵に至った経緯の検証(誰が、いつ、どんな情報に基づいて、どんな理由で、どんな法律に従って、どんな権限に基づいて決定を下したのかを明らかにする)に的を絞るべきという考えは、非常に効果的ではないかと思いました。 他のパネリストからは、イラクにおける自衛隊の活動内容や、戦争支援(結果的に米軍による虐殺やイラク国内の混乱を後押し)との間に優先順位を付けることへの疑問も出ましたが、池住さんが提案した2項目について、まず政策判断の善悪を判断するための事実関係を明かさない限りは、他の問題についても、政策判断としての是非を議論できないのではないか(倫理観による水掛け論に終わってしまうのではないか?)と思います。 会場から、イラク戦争の検証より、アフガニスタン(政府の腐敗や米軍による虐殺を助長する)復興支援や、ミサイル防衛計画を中断させる方が優先度が高いのでは?という意見も出ていましたが、そのためにもまず、米軍が起こした戦争に対して日本政府が行った対応の是非を、法的な根拠から検証する作業が必要だろうと思います。 また、今回のパネリストの一人である孫崎亨さんは、9.11以降の米国が、国連憲章に定められた自衛のための戦争を逸脱し、将来の脅威(になりそうな要素)を事前に破壊するための一方的な侵略(イラク攻撃など)を政策として定めた点と、日米の同盟関係が、2005年締結「日米同盟未来のための変革と再編」を機に、自衛隊を米国の政策(米国外への一方的な攻撃)に組み込む方向に変貌した点をh指摘し、イラク戦争検証は、今後の日米関係をどうするかを考えるために不可欠である(歴史は過去を知るためではなく、現在と将来を考えるとために学ぶもの)と、何度も述べていました。この視点からも、池住さんの提案は重要だと思います。 余談: 孫崎享さんが、ツイッターやフェイスブック等ソーシャルメディアを利用した市民パワーの盛り上がりについて、非常に楽観的な見通しを述べたのに対し、ジャーナリストの野中さんはじめ、具体的な社会問題に取り組んで来た経験の長いパネリストの方々は、日本の市民(世論)の変化については、極めて慎重な見通し(ソーシャルメディアが普及しても社会に高い関心を持つ日本人はごく一握りにとどまる)を語っていたのが印象的でした。 追記: アメリカ政府が、全く嘘の話を理由にイラク攻撃を決定した経緯は、菅原出さんの著書「戦争詐欺師」 http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%A9%90%E6%AC%BA%E5%B8%AB-%E8%8F%85%E5%8E%9F-%E5%87%BA/dp/4062153424 に詳しく掲載されていますが、2月16日には、英国の新聞紙上で、その経緯の一部(ラフィド・アハメド・アルワン・ジャナビ氏がフセイン政権を倒すため嘘の情報を流した事を認めた)が、改めて報じられたようです。 http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2785653/6823689
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2/10 追記:政府が隠す事実関係(領土問題で世界から孤立する日本)

最近は、インターネットを使った情報収集で、政府の宣伝と現実との乖離(政府が隠したがっている事実)がすぐ分かるようになってきました。 昨年、尖閣諸島での中国人船長逮捕をきっかけに、国内でも大きな話題になった領土問題ですが、翻訳家の池田香代子さんが、北方領土と尖閣諸島の領有権について、分かり易く整理して、解説してくださっています。 http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51746409.html http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51746144.html http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51746576.html 北方領土問題については、 ①サインフランシスコ条約に記載された千島列島には、国後島、択捉島の2島も含まれており、この2島の領有権を、日本はサンフランシスコ条約によって放棄した。しかし日本が、歯舞、色丹島の領有権を放棄した事はなく、 ②従って1956年に発表された日ソ共同宣言にも、歯舞、色丹の2島返還が盛り込まれていた。 ③ところがアメリカ政府(ダレス国務長官)が、日本とソ連が2島返還で平和条約を締結したら、米国は永久に沖縄を返還しないと恫喝。 ④そのため日本政府は冷戦時代、4島一括返還に固執せざるを得なかったが、沖縄が返還され、冷戦が終結した後も、なぜか4島一括に固執し続け、ロシアとの交渉の機会を自ら放棄した。 というのが、現在までに分かっている事実関係だそうです。 2島返還で交渉すればよかったものを、日本側が4島一括にこだわって、ロシアとの交渉の機会を失ったことは、以前からいろんな人が何度も指摘していましたが、日本政府が4島一括に固執したきっかけが、アメリカ政府の脅しだったことは初めて知りました。 2/10追記: 1951年締結のサンフランシスコ条約で、日本が領有を放棄した千島に、国後、択捉島が含まれるというのは、その当時の日本政府の見解でした。(西村政府委員および草葉政府委員が、国後島・択捉島はサンフランシスコ条約で放棄した千島列島に含まれると説明) http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Gaiyou.htm http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/MAP_Kyoukasho/Kyoukasho.htm けれど現在の外務省は、サンフランシスコ条約の条文に、具体的な島名が記載されていない点を突き、 条約締結当時の政府見解を無かったことにして、千島に北方4島は含まれないと主張。 更に、 ロシア(当時のソ連)がサンフランシスコ条約に署名していないことを理由に、 北方領土の4島一括返還を求めているというのが現状のようです。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html 更に池田さんのブログで気になる点は、自民党の町村信孝元外務大臣の、「元来、四島一括返還を言う人は、党にも外務省にもいない」という発言です。政府の誰も望んでいなかった4島一括返還に、政府が固執したのは、誰の意向だったのか? また尖閣諸島については、私も全く知らなかったのですが、 >尖閣諸島の久場島に日本人が立ち入るには、米軍の許可が必要です。米軍はここを実弾射爆場として、終戦直後から今にいたるまでずっと使っているからです。 だそうです。となれば現実問題として、中国政府は尖閣諸島に軍事侵攻すれば、アメリカ軍と対峙せざるを得ません。つまり尖閣諸島に米軍が居座る間は、中国政府は尖閣諸島に手を出せない、つまり日本にとって尖閣諸島の危機はない訳です。 菅政権が、それをあたかも、危機があるかのように見せかけたのは、以前私自身のブログでも説明しましたが、池田さんが調べた所によると、そればかりか、 「尖閣は安保条約の適用対象」というクリントン国務長官の発言自体が、実は存在しなかったそうで、 http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51478558.html 菅政権は国民に、虚偽の説明をしていたわけです。 日本政府は誰の利益のために、外交をしているのでしょう? 2/8追記分: 北方領土問題については鳩山前首相が、2/5に行った北海道根室市での講演で、「4島を同時に返せ』というアプローチでは、未来永劫平行線のままだ」と延べ、サンフランシスコ条約および日ソ共同宣言に基づく二島返還をベースにした交渉を進めるべきと述べたの対し、 前原外務大臣は2/7に、、「元首相が日本(政府)と異なる考え方をおっしゃるのは控えていただきたい」と延べ、あくまで(国際条約上の根拠を欠く)4島一括返還にこだわる姿勢を強調しました。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110205-OYT1T00642.htm http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/490072/ http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110207-OYT1T00611.htm http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/490445/ http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011020700502 更に菅総理が、サンフランシスコ条約を無視して、ロシアの北方領土支配を、わざわざ暴挙と発言したことで、ロシア側の姿勢は一層強硬になりました。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110207-OYT1T00956.htm http://mainichi.jp/select/world/news/20110208ddm002010066000c.html http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/490413/ http://mainichi.jp/select/today/news/20110208k0000m030068000c.html http://www.jiji.com/jc/zc?key=%cb%cc%ca%fd%ce%ce%c5%da&k=201102/2011020700780 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110208-OYT1T00934.htm http://www.xinhua.jp/socioeconomy/politics_economics_society/269217/ 4島一括返還という方針が、国際的取り決めの根拠も無く、(1950年代の)アメリカ政府の圧力によって生まれた経緯を考えれば、前原外務大臣は、自民党政権時代の歴代政府と同様、(アメリカ政府の意を受け)あえて日本とロシアとの間に紛争の火種を残し続ける選択をしたことが分かります。 菅内閣が、北方領土返還に向けての交渉進展を目指すのとは逆に、日露対立を強化している点は要注意です。
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マルクスが預言した通り

19世紀にマルクスとエンゲルスが発表した資本論は、その後、社会主義革命を目指す運動家たちに愛読されたせいか、今では誤った経済論の一つとみなされがちです。けれどここ数十年、とりわけ、新自由主義という言葉がメディアをにぎわすようになってからの社会情勢を見ると、現在の世界経済(資本主義)は結局のところ、マルクス・エンゲルスの預言通り、破綻に向かう自己増殖を続けているようにも見えます。 今月上旬に決まった法人税減税について、経団連の米倉会長は、当初法人税減税が日本国内での雇用を増やすかのような印象を、マスコミを通じ世間に流布させていたものの http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00189662.html いざ法人税減税が決まってみれば、「雇用・投資増大の約束はできない」と、実質的に減税決定前の発言をあっさり否定して見せています。そればかかりか、「資本主義でない考え方を導入されては困る」と、財界人としての社会的責任も無視した発言(資本主義は、社会的責任に拘束されるべきでないという発言)を、公然と行っています。 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010121300146 日本国内の法人税減税が必要だという論拠は、日本の法人税が世界的に見ても高い、法人税が下がるとその分企業の国際競争力が上がる(輸出が伸びる)、法人税が下がれば下がるほど、外国からの投資が増える(日本国内での新しいビジネスが増えて国内消費が増える)、法人税が高いままだと、日本企業がどんどん海外へ移転してしまう、という点にあるようですが、 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc%2Fdomestic%2Fcorporate_tax%2F#backToPagetop これらの議論は何れも、企業活動が事実上財務環境で決まるという、現実的と言えるのかどうか?議論の余地が相当ありそうな前提の上に成り立っています。 もちろん、財務の視点から見れば、上記の議論も理屈としては成り立つのですが、これに対し、法人税減税で企業が競争力を増すという前提の信憑性自体を批判する議論も、少なからずあります。 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10591101981.html http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51137001.html つまり、企業の国際競争力が高まっても国内の雇用や所得が増えないのは2000年代の好景気で実証済み、そもそも輸出(国際競争力)は日本のGDPの2割しかないし法人税は企業の国際競争力に影響する数ある要素の中の一つに過ぎない、法人には金はあるが投資先(需要が)無いのが現在のデフレである、などの理由で、上記の前提の信憑性が否定されているのですが、実際、企業経営者の間でも、法人税が下げられたら、投資に回すのではなく内部留保に回すという考えが支配的になっているようです。 http://www.garbagenews.net/archives/1558386.html またそれ以前の問題として、そもそも日本の(実際の)法人税は、国際的に見ても高くないという指摘もあります。 http://blogs.yahoo.co.jp/anti_war1021/32548540.html http://ameblo.jp/kokkororen/entry-10700000307.html http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/084.htm それどころか実際には、上場企業の7割が法人税を収めていないそうです。今法人税を上げようが下げようが日本企業の国際競争力には殆ど影響は無いでしょう。 http://www.nippon-dream.com/?p=1775 結局のところ、法人税減税の要求は、企業という組織を潤すための要求でしかなく、その効果を日本国内での雇用増や、その前提となる、新しい市場(新しい需要)の発掘と消費者の購買余力の増大にどう結びつけるかという点については、(すくなくとも財界に影響力のある企業や人物は)誰も具体性のあるヴィジョンを提示していない模様です。 例えば嘉悦大学教授の高橋洋一氏による以下の記事は、減税に対する見返りとしての(国内の市場活性化に向けた)投資努力や雇用拡大努力と言った企業の社会責任を、「それは統制経済的な考え方で」という議論のすり替えで拒否し、更に、「雇用というのは、経済の派生としてでてくるものだ。経済のパイを大きくして景気が良くなったら人を雇う、というのが正しい順番」と、そもそも企業が投資しなけ大きくならない経済のパイを、企業以外の誰かが大きくしてくれるかのような、(学者さんらしからぬ)能天気な主張を述べています。 http://diamond.jp/articles/-/10483?page=2 ビジネス誌を見ていればすぐに分かることですが、企業が日本から国外へ拠点を移すのは、円高の影響や、移転先に大きな市場があったり、移転先の人件費が日本より大幅に安いケースです。法人税の高低が企業の移転に影響するケースなど、それこそ重箱の隅をつつくように様々な経済記事を読み漁らなければ見つかりません。 (少なくとも私は、統計に影響するほど雇用を生み出す力のある業界の企業が、法人税の影響で以前と違う国に拠点を移したという話など、聞いたことがありません) ところが、話題が(企業の海外移転ではなく)法人税の話になるといきなり、法人税の税率が企業の事業拠点の選定に大きく影響するという論調になってしまう(ただし具体例を紹介する記事は皆無)が、ビジネス誌や経済新聞の不思議なところです。 そもそも経済とは、何のためにあるのでしょう?企業とは何のためにあるのでしょう?それが人類全体の生活水準の底上げに貢献するのではなく、単に貧富の格差を、自分が住んでいる社会から見えにくくする(自分の知らない世界の人に犠牲になってもらう)だけならば、それは人類にとって、脅威にしかならないでしょう。 資本主義は今でも、19世紀にマルクスとエンゲルスが預言した破綻への道を、歩み続けているものではないかと思います。現在、米国の同盟国からは悪と見られている南米の国々が、100年後には世界を動かす勢力になっている可能性も、充分にあるでしょう。 http://blogs.yahoo.co.jp/anti_war1021/trackback/1165101/32548540
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命を賭けた非暴力不服従

私も、Democracy Now に記事が出るまで知りませんでした。 アメリカの公民権運動は、当時の州法(憲法違反の判決が確定していた)に逆らって、バスの白人席に黒人が乗り、黒人席に白人が乗る運動から火がついたそうです。当時はそれだけで、地元住民(だけでなく警官からも)に襲撃される、行動を起こした乗客だけでなく運転手までも襲われる、命賭けの行動だったそうです。 当初10人ほどで始まったこの運動(フリーダムライド)は、やがて400人以上が参加する大きな運動となり、運動に参加した乗客を警察が次々逮捕したため、ミシシッピの刑務所はフリーダムライダーズで一杯になってしまったそうです。更に運動は広まり、南部で大きな暴動が起きる一歩手前になってようやく、当時の大統領(ケネディ)が重い腰を上げ 憲法違反の州法を撤廃させたそうです。 行政の犠牲になった人達を、「自己責任」「甘えている」と言って蔑み、(自らも行政の犠牲になっているにもかかわらず)無益な自己満足に浸っている、日本でよく見かける大衆とは大違いです。 http://dnj.sakura.ne.jp/video/20100201-1

20011/02/21加筆:物理的に有り得なかった9.11と警視庁のムスリム差別(1)

日本ではほとんど報道されていませんが、米国では、9.11事件を科学的に検証した番組「ZERO 9/11の調査報告」が制作されたそうで、日本語字幕版をYouTubeで見ることができます。 http://www.youtube.com/watch?v=8AYb77_2Tk8&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=veJQKbXTysI&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=jd8kRoFs8iE&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=IaClbMcwuks&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=6f5AqDAhYBM&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=eVpQeHbcVrc&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=Nx0_LqwgbQg&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=Ad69wS5nWQU&p=34372C99649F57D0 http://www.youtube.com/watch?v=4Kr4Zq7nRGg&p=34372C99649F57D0 9.11事件 では、世界貿易センタービルが、ハイジャックされた航空機の激突によって(激突で発生した熱で建物の強度が弱まり)建物が崩壊したことになっていますが、物理的には、航空機燃料でこのような高熱は発生せず、また、航空機の激突場所から順に崩壊したと仮定すると、あのような高速(10秒足らずで)でビルが崩壊することは、物理的にあり得ないそうです。 9.11でのビルの崩壊速度は、物体が自由落下する速度にほぼ等しく、この崩壊は、ビル内の多くのフロアが同時に破壊された場合しか起こり得ないそうです。事件の生存者や救助に向かった消防士らの証言から、世界貿易センタービルは崩壊前に複数のフロアで爆発が発生し、更にそのうち幾つかは地下で発生し、地下の爆発は航空機衝突前(上層階の爆発)以前に発生したことが分かっています。 実際事故現場の残骸から、崩壊したビルの鋼材は、ジェット燃料の爆発では発生し得ない高温で溶解したことも分かり、事故現場の破片や塵には、ビルの残骸としては考えにくいほど高濃度の硫黄とバリウムが検出されたそうです。硫黄とバリウムは、サーマイトと呼ばれる高温を発生させる爆薬(アルミ粉、酸化鉄、硫黄、硝酸バリウムの混合物)の材料として知られています。 これらの客観的事実から唯一説明可能な、世界貿易センタービル崩壊のメカニズムは、 ビルは航空機の衝突ではなく、事前に、複数のフロアに仕掛けられた爆薬による制御破壊で崩壊した だそうです。これは以前からたびたび指摘されていた爆破説とも符合します。 *2011年2月21日追記: 一般的な制御破壊では、ビルは下から崩壊するため、制御爆破説を否定する議論もあり、現状では、WTCビルの崩壊を、現実に起きた現象と矛盾なく説明できる説はまだ出ていません。 世界貿易センタービル爆破説は、日本の報道番組でも以前紹介されました。 http://www.youtube.com/watch?v=MbzFVX-3u3A 一方、ペンタゴンに突入したとされる旅客機ですが、こちらは、 旅客機の突入そのものが物理的にあり得なかった ことが分かっています。つまり旅客機の乗客たちは、 事件現場とは別の場所で、密かに(アメリカ政府によって)抹殺されたか、そのフライト自体が存在しなかった ということです。 アメリカ政府の公式発表では、乗っ取られたボーイング757はペンタゴンの建物に衝突し、建物を突き抜けたことになっていますが、ペンタゴンの建物には直径5mほどの穴しか空いておらず(757の横幅は38m)、現場には機体の残骸が一点も残っていませんでした。また、ペンタゴンに突入した航空機は、市街地の地表すれすれ(高度6m)を時速850kmで距離1km 以上飛行したことになっていますが、大型の航空機がビルや電柱より低い所を、これらと接触せず飛行することは物理的にあり得ず、そもそもボーイング757型機には、このような低空(空気の濃い所)を高速で飛ぶ性能は無いそうです。事故現場を写した映像に、ラムズフェルド国防長官(当時)が負傷者を救護する一員ととして映っている点も指摘されています。なぜ国家の一大事の真っ最中に、国防長官が屋外に出ていたのか? *2011年2月21日追記: ペンタゴンに建物(外側)の壁の崩壊規模は、後に30mと訂正されましたが、衝突した航空機の翼幅より狭い範囲にしか建物の損傷が見られなかった(旅客機はほぼ真正面から建物に激突したことになっているにも関わらず)理由は未だ不明です。ただし、主翼の付け根が建物に触れた瞬間に、主翼全体が後方に折りたたまれ、その状態のまま航空機が建物を貫通したと主張する人は居ます。 また、貿易センタービルとペンタゴンの双方の惨事について、事件発生当初から指摘されていたことですが、航空機突入前に、複数の旅客機がハイジャックされ、規定の航路を外れたことが分かっていながら、空軍のスクランブル発進が行われなかったばかりか、ペンタゴン周辺の防空ミサイルも作動しなかった点も明らかに不自然です。 特にペンタゴンへの航空機衝突に関しては、航空機の航跡が戦闘機にしか描けないカーブ(旅客機では不可能な急旋回)であったこと、防空システムのIFF(敵味方自動識別装置)が作動しなかったことから、自動操縦された米軍の軍用機が突入したと、推察されています。 9.11の犯人に至っては、当初からFBI発表のでたらめさが再三指摘されていますが、実行犯(旅客機の突入で死んだはず)とされた人たちが、実は生きていることが後で分かった(本人が名乗り出て抗議)他、FBIが実行犯とした人間が1990年代まで、CIAの下請け企業に雇われ、ボスニアなどの紛争地で活動していたことも分かっています。つまり9.11の犯人は、アメリカ側の工作員だった訳で、彼らが容易に、米国への入国ビザが得られた理由が説明できます。実際FBIには、事件前から航空機テロの危険を知らせる情報が寄せられていたものの、FBIがなぜかこれを無視し続けたことも、FBIに通報した本人の証言から分かっています。 現在分かっている客観的事実から推測を行うと、 9.11はアメリカ政府の自作自演(少なくとも、テロをあえて防がず、テロに便乗して多くのアメリカ人を故意に犠牲にした) という説に説得力がありそうです。 そして、その(自作自演の疑い濃厚な)9.11を受けて日本の警察は何をしているかと言うと (続く) 以下、加筆分: 過去には日本の建築学会が、世界貿易センターが旅客機の衝突で崩壊したプロセスを説明するシミュレーションを発表しましたが、 http://shopworld.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/911_d5d2.html このシミュレーションでは、ビル(のうち、とりわけ航空機が衝突した部分より下の部分)がほぼ垂直に崩壊したメカニズム(ビルの各部に加わった水平方向の力が、互いに打ち消しあうような大きさ、方向、タイミングで加わらない限り、ビルは真下に崩壊しない)や、ビル崩壊が始まった後で(航空機衝突直後ではなく)ビルから複数の鋼材群が、水平距離で100m以上飛んで行ったメカニズム(鋼材にそのような運動量を与えた力がどこから発生したのか?)は説明されていません。また、シミュレーションで想定した世界貿易センタービルの構造が現実の存在したビルをどの程度正確に摸したものかも不明です。 それ以前の問題として、このシミュレーションでは、衝突したユナイテッド航空機は衝突時に燃料を満載していた、衝突時の速度は時速943キロ(高空での最大巡航速度に相当)、水平面より5度下向きに激突した、という、無理のある仮定を、いくつも積み重ねてようやく成立するシミュレーションである点にも、注意する必要があります。 ペンタゴンへの航空機衝突についても、多数の目撃証言があるとされていますが、”旅客機”が、ペンタゴンの建物に衝突した瞬間までを見届けたという証言があるのか?あるとすれば幾つあるのか?どんな立場の人の証言かも問題です。飛行機が衝突したという証言や、金属のカタマリが衝突した瞬間を見たという証言は、数多くありますが。 もし、ペンタゴンへの旅客機衝突が、多くの市民に目撃された自明の事実であれば、なぜ、アメリカ政府は、事件発生直後、現場周辺に設置されていた監視カメラを一斉に回収し、カメラに記録された映像を非公開にしたのか? 「ペンタゴンに衝突した旅客機の残骸」と称する写真も数多く公開されていますが、撮影日時や場所が特定できない写真だったり、写真ではどんな航空機の残骸であるか判別できない内容であったり、一見旅客機の破片にも見える、塗装されたスクラップが、物理的には全く不自然な場所に、衝突の衝撃で発生したはずの熱によって損傷した様子もなく放置されている写真だったり。ある程度のリテラシーがある人間にとっては不自然な内容ばかり。 事件後何年かして米政府は、事件直後に回収した、ペンタゴン周辺の監視カメラの映像だとする映像を公開しましたが、「ZERO 9/11の調査報告」によると、公開された映像には、衝突直前の一コマ(1/30秒)にだけ、白い物体が映っていただけだそうです。 もしこの白い物体が旅客機だったとすると、長さ数十mの旅客機が、わずか1/30秒間の間にカメラの視野を通り過ぎた訳ですから、衝突時の旅客機の速度は秒速数百m以上。音速を超えていたことになります。 その他、9.11に関する物理学的検証資料の例 http://www.asyura.com/08/wara3/msg/720.html http://www17.plala.or.jp/d_spectator/ http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100211_dramatic_images_911/

日英の大きな違い(イラク戦争検証)

先週の金曜日、ジャーナリスト志葉玲さんの報告会を聞いてきました。 http://reishiva.exblog.jp/14051302/ http://iraqwar-inquiry.net/?p=678840427 内容は、イギリスで進められている、イラク戦争検証についての視察報告会。 イギリスで、イラク戦争の検証が始まっていることは以前から知っていましたが、その検証で行われた公聴会のビデオから、当初機密扱いだった公文書から、政府高官同士のEメールまで、検証委員会の決定があれば原則全てホームページで世界に公開されるとは知りませんでした。公聴会で嘘ついても、資料が次々公開されるので、すぐにばれてしまうそうです。 http://www.iraqinquiry.org.uk/ 英国の場合、枢密院という、形式的には議会より上の立場の組織があり、今回の検証はその仕組みをうまく使っているらしいですが(検証委員の主要メンバーは枢密院のメンバー)、こういう大掛かりな検証を始めるまでには、やはり何年もの紆余曲折があったそうです。また、世論の支持も大きかったそうで、イラク戦争参戦を決定したブレア元首相は先日自叙伝を出したものの、表に出ると暴徒が押しかけかねないので、サイン会の類は全く開けない情況だそうです(志葉玲さんの話によると)。 そして、検証を通じてこれまで分かったことは、 イラクに大量破壊兵器など無いことも、もしイラクを攻撃すれば、イスラム教徒同士の内戦(テロの応酬)になることも、国連決議1441だけでイラクを攻撃すれば国際法違反(侵略)になることも、英国政府内では、事前に報告が上がっていたそうです。けれど、米英両政府はそれを知りながら戦争を強行した上に、アメリカ政府はよりによって、過激なイスラム教勢力を警察や新生イラク軍にしたものだから、イラク全土に虐殺や略奪が蔓延してしまったそうです。 オランダにもイラク戦争の検証委員会があって、こちらは既に、「イラク戦争開戦は誤り」「イラク戦争への参加は違法だった」という結論が出ているそうです。 日本も、イラクに派遣された自衛隊輸送機の主要な積荷が「米兵」だったので、日本もイラク戦争参戦国の一つです。日本でもイラク戦争検証は不可欠でしょう。官僚や政治家達が、国家権力のなすべき事から大きく逸脱した(疑いのある)決定を下したときには、たとえ国家機密であっても、(公人の)私文書であっても、検証のために国民の公開されるという前例を作っておくことは、国民の生活や安全を守る上で、非常に重要だと思います。 ちなみに、日本での検証実現を推進しているグループがこちら。 http://iraqwar-inquiry.net/ 国会では、斉藤つよし衆議院議員が精力的に動いているそうです。 http://www.tsuyoshi.or.jp/
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アフリカ裏話など

5月末開催された、日本サウンドスケープ協会シンポジウムの後、会長の西江先生から伺ったアフリカなどの裏話。実際に、紛争地域も含め、何度もアフリカへ取材に出かけている西江先生のお話だけに、リアルです。 1.最近、物凄い勢いでアフリカに経済進出している中国から、時々、普通の人とは明かに顔つきが違っていて、皆同じ服を着ている集団が、アフリカの国々へ入国しているそうです。現地の人の話では、「恐らく囚人だろう」とのこと。 2.最近は、アフリカのどんな僻地へ行っても携帯電話を見かけるそうです。原始的な遊牧生活を続ける部族の中にも、インターネット・トレーディングで荒稼ぎしている輩がいる。かと思えば、年収300円程度(万円ではなく)しか無いのに携帯電話電話を使っている住民も居るとのこと。電話会社が料金取り立てに来れないのをいいことに、どこかから、次々と携帯電話を仕入れて来ては、使えなくなるまで通話料を踏み倒しているのかも? 3. ソマリアは、どの部族も話し言葉が同じなのに、かつて様々な国の植民地に分割されていたせいで、書き言葉はバラバラ。部族間交渉になると、同じ言葉で交渉しているのに、ある部族は英語でメモを取り、ある部族はイタリア語でメモを取り・・・(西江先生はその場に居たのか?) けれど小学校では、どの部族も、アルファベットを使った共通の書き言葉で国語を教えるようになったとのこと。この子達が部族のリーダーになる時代には、戦争も終わってひとつの国にまとまるか? *ちなみに、かつてアフリカ大陸から新大陸(南北アメリカ)へ次々と奴隷が送り出されていた時代、新大陸の白人に奴隷を売ったのもまた、アフリカの人々だったそうですが、北米に向かった奴隷船には、違う部族(対立している)の住人達が乗せられ、奴隷同士が団結しないように工作されていたそうです。そのせいで奴隷達は、彼らの文化を新大陸で継承させることが出来ず、やがて北米の黒人特有の文化が生まれて行ったそうです。 一方、中南米に向かった奴隷船には、同じ部族の住人ばかりが乗った船も多く、実際奴隷が団結して暴動を起こし、奴隷になることなく新大陸(中南米)へ散らばって行ったケースも多いそうです。そうしたケースでは、祖先の文化が途絶えることなく継承される場合が多く、実際今でも、ブラジルの隣国スリナムでは、アフリカから伝わった音楽がそのまま伝承されている地域もあるそうです。 4. ニューギニアには、1960年代になって初めて、外部の人間に接触したという民族が居る。以前、西江先生がそこへ調査に行ったとき、滞在中だけでも5~6人以上の部落民が「仇」で殺された。村で誰かが殺されると、殺された人と親しかった人達が集団で仇討ちに行く。殺した側も集団で迎え撃ち(昔のヤクザの果し合いみたいなもの)。必ず誰かが殺される。でまた仇討ち。 それを何百年か何千年か、延々と続けているのに戦略家(軍師)は決して生まれないし、仇の村を占領するとか皆殺しとか、捕虜にするという発想は決して生まれない。永遠に仇討ち(個人的な恨みを晴らす)のまま、戦争には発展しない。生きるのに何の不安も無いほど食料に恵まれた地域では、領土拡張とか敵とか支配という概念が、そもそも生まれないらしい。 その他、シンポジウム後の打ち上げでは、「なぜ霊長類の中で人類だけ、体毛がほとんど無くなってしまったのか?」という話題も出ました。服や火を発明する前に体毛が抜けたならとっくに絶滅しているし、体毛があるうちに服を発明したなら、なんの必要があって服を作ったのか? 西江先生からは、人類起源水棲生物説(霊長類のうち、一旦アシカのように水中生活に適応し体毛を失った種が再び陸上生活を始めた)が紹介されたのですが、ではその、水中ザルはどうやって食料を確保していたのかという話になりました。 陸上には果物があるけど天敵だらけだし、元がサルでは泳ぐ魚を捕まえるほどの運動能力も無い。 ならば、「みんなで陸上の動物を水中にひきずり込んだのでは?」とある大学教員が言い出しました。 それって・・・・・ カッパ
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現代デザインの原点(ロシア構成主義のまなざし)

先月のことになりますが、東京都庭園美術館で開催中の、「ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし」を見てきました(6/20 まで開催中)。 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/rodchenko/index.html アーティストやデザインやってる人は必見だと思います。現代音楽や、エレクトリックやってる人も。彼らが無意識に、普通にやっていることに、世界で初めて市民権を与えたのは、恐らくこの人達でしょう。 彼らの仕事は正に、現在「デザイン」と呼ばれている仕事全ての原型で、芸術における(視覚表現、聴覚表現共に)抽象表現(実在する物事の表現ではない、表現のための表現) の原型ではないかと思いました。 もちろん当時の世界には、似たような発想で活躍していた人が大勢居たし、彼らの仕事は前例の存在しない、完璧なオリジナルだったわけじゃありません。展覧会場の解説にも、彼らが当初、20世紀初頭の「未来派」と呼ばれる運動から大きな影響を受けていたことが明記されています。 けれど彼らの仕事は、既に存在して用途も決まっているモノの形や装飾を決めるという意味でのデザインから大きく踏み出し、与えられた目的に沿ってどんなモノを作るか、どんな表現手段を取るか、の段階から考える現代的な意味でのデザインというプロセスを確立させた。「構成主義」と呼ばれた彼らの仕事の革新性は、そこにあるのだなと思いました。 そして、現代的意味でのデザインを実行可能にしたのが、彼らの芸術作品造り。 ロトチェンコは、現実的テーマのある絵画から出発し、やがて線や面や色彩に、何かを描く道具ではなく、それ自体の価値、それ自体の生命を見出し、後年「無対象」と呼ばれる表現(後に抽象画と呼ばれる)を相次ぎ発表し、やがて画面全体を同じ色で塗りつぶした作品(20世紀後半のマーク・ロスコのような!)に至って絵画制作からは手を引いた(その後はポスター、舞台装置、衣装、建築、家具のデザインに没頭) 色や線が、何かを描く手段ではなく、それ自体の意味を見出したロトチェンコの発見がなければ、後の抽象画の開花やバウハウスでの多彩なデザインも生まれなかったろうし、現代音楽の発想も、(自然音とは似ても似つかない)電子音による演奏なんて発想も、今みたいに広まることは無かったのではないでしょうか? 一方、ステパーノワは、「何かを表現する手段としての絵画というスタンス」は守りつつ、現実世界には実在しない抽象的な形で人間を表現する作品を次々と発表したり、「色彩による詩(色彩や形によるリズムの表現に発展する)」を試みたり、今の視覚デザインやアニメの原点になる表現を次々発明して行きます。 二人の成果はやがて「構成主義」と呼ばれるデザイン思想に集約され、現在の広告、ファッション、工業・・およそ全てのデザインの元になり、その思想は、スターリン独裁を嫌って欧州へ流れた人々によって欧州(ドイツのバウハウスなど)の様々な運動と合流し、飛躍し、第2次大戦を通じて(ナチスを嫌ってアメリカへ亡命した欧州人らによって)アメリカ経由で世界へ広がって行くわけですが、 どんなことでも、事の始まりは、個人の自由な発想と努力から始まるんですね。 ロシア構成主義というのは、大勢の作家達が関わりながら発展して行った運動だと私は理解していたのですが、その中からなぜ、ロトチェンコとステパーノワに的を絞ったのか?展示を見て理解できました。 それから、展覧会の解説には明記されていませんでしたが、ロトチェンコが線や色といった抽象表現に価値を見出した背景には、機械という、自然界には存在しない形、設計図に定規やコンパスで描かれら直線。曲線といった、正に抽象的な要素から構成された形態を持つ道具が、人々の生活を見る見る変えていったという時代背景が、大きく影響していたのではないかと思います。 機械が人間の生活を、より幸せにすると信じられた時代だからこそ、ロトチェンコら芸術家達達がこぞって、抽象表現に未来を見出そうとしたのではないかと思います。 (実際、急激な工業化の弊害が目立った19世紀の英国では、ウイリアムモリスが自然をモチーフにした製品を積極的に開発したりしています) さて、 人間による環境破壊で人類自体の滅亡が危ぶまれている今、抽象表現に未来はあるでしょうか?
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対立こそ歴史の真実

日韓の歴史教育における、互いに相容れない教育内容の対立が報じられていますが、 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100324ddm010040173000c.html http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/03/23/20100324k0000m010063000c.html http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100323-OYT1T00991.htm http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/330427/ 歴史とは、事実(と推定される事柄)についての解釈であって、その根本となる事実さえ、確認する資料が完璧に揃っているとは限らないのですから、人によって正しいと思う歴史が違うのは仕方のないことです。 学校教育で生徒に叩きこまなければならないのは、そのこと(客観的に正しい歴史など存在しないということ)でしょう。だからどんな教科書が採用されようとも、教科書に書いてあることが正解とは限らないし、時代と共に歴史も変わるということを、教師は生徒に伝えなければならないし、教師を監督する役所や人間は、絶対に、「教科書に書いてある歴史が正解」であるような教育を、教師に要求してはいけないのです。 日韓関係の歴史についても、同じ出来事に関わる「正しい歴史」が対立しているという事実を、、子どもにも伝えるのが、望ましい教育でしょう。どちらが正しいか、両方とも正しくないかを最終的に判断するのは、子供達自身(が大人になってからの)個人個人の問題です。 「正解」とは受験の世界だけのこと。本質的には学問全てがそうなのだけど、とりわけ歴史や考古学はどんどん変遷するので注意が必要だと思います。 私の中学生時代の社会科教師(海軍に徴兵され戦場で九死に一生を得て復員)は、表向きは、上からの指示に逆らうよう授業はしませんでしたが、生徒に常々、 「歴史の教科書というのはその時の権力に都合が良いように書かれるものだから、学校の(歴史)教科書を信用してはいけない」 と言っていました。 「権力の都合」とまで言い切ってしまってよいかは議論のあるところでしょうが、 今にして思うと、これは立派な歴史教育だと思います。
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Perth報告その6(過去の汚点も伝える公立博物館)

パース滞在6日目。2010年元旦。 こちらの元旦も、日本と同様、商店街はほとんど休み。ホテル近くのカフェやパン屋も軒並み休み。なので元旦の朝食は、観光客の多い通りで営業していたコーヒーショップまで行って、コーヒーとケーキ。
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今日はツアーが中止になったので、午前はのんびり撮影した写真の整理。午後はまず西オーストラリア博物館見学。 http://www.museum.wa.gov.au/oursites/perth/perth.asp 現在開催中の企画展は”Dinosaurs Alive!”(生きている恐竜)。コンピュータ制御で、昔の怪獣映画のように動く恐竜の、実物大模型を7体展示。入場料は$17(¥1400弱)。決して安くはないけれど、模型の出来は、いかにも動物っぽい動きの自然さも含めて素晴らしい(製作したのは日本の会社)。 ちなみに、企画展以外の常設店は全て入場無料。主に地質、動物に関する考古学展示がメインだけれど、先住民の歴史を特集した部屋も。オーストラリアやニュージーランドの博物館には、かつて白人が先住民を弾圧・差別した歴史を伝えるコーナーが必ずある。日本の公共施設とは、歴史を正しく伝えようとする姿勢がまるで違う。ミュージアムショップのある建物の2階には、19世紀から20世紀はじめの生活用品がいろいろ展示されていた。生活用品はもとより、昔の薬局を再現した部屋や、大昔の歯医者の設備も。マニアックな所では、蓄音機や蝋管式録音機、世紀初めの無線通信機、機械式計算機など。これらが全て無料で見れる。つまり全てが税金で運営されている。
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次に、博物館の向かいにあるアートギャラリー(美術館)へ。 http://www.artgallery.wa.gov.au/index.asp こちらも、企画展以外は見学無料。パースに限らず、メルボルンやオークランド(ニュージーランド)の美術館へ行ったときも感じたのだけれど、オーストラリア・ニュージーランドの芸術は、西欧の受け売りか、先住民のシンボルから構成された作品か、どちらかが殆どで、白人も、先住民の子孫も、自分のアイデンティティを、現在の彼らとは遠い世界(距離的・あるいは時間的に)の文化に頼り切っているように見える。それは芸術家の姿勢として理想的ではないように思えるけれど、この地の歴史を良く知らない素人が、とやかく言うべき話ではないだろう。日本だって、専門誌に取り上げられる芸術家のほとんどは、現代芸術も含めてアメリカか西ヨーロッパの芸術観の受け売りでしかなく、大衆の権威主義のおかげで立場を維持しているだけのこと。 美術館の別館は、昔、警察兼裁判所兼留置所だった建物を改装して使っているそうで、法廷のあった部屋はほぼそのまま残っていて、死刑台をモチーフにしたらしい作品(木で作られた、中が空洞で高さが人の背位あるの台の上に椅子が置かれている)が展示されていた。 博物館、美術館見学の後は持ってきたネットブックの電源を入れ、無料のHotspotにアクセスしてメールのチェックなど(オーストラリア、ニュージーランドでは図書館など公共の文化施設に無料のHotspot が設置されている。Perthでは、博物館の隣に図書館がある)。 日差しが弱まる夕暮れ時になってから(日差しの強さが半端じゃない。真夏の沖縄より強いかも?)、電車でフリーマントルへ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AB_%28%E8%A5%BF%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%29 http://www.thewaguide.com/fremantle.htm http://www.ne.jp/asahi/tabitabi/train/aus3.htm 普段はお洒落な店でにぎわっているらしいフリーマントルの街も、この日は元旦のせいか、駅前の店はほぼ100%休業。幸い、マーケットと、マーケット近くの通称”Cappuccino Strip”(カプチーノ通り)沿いの飲食店だけは大方営業していて、観光客でにぎわっていた。
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マーケットの中には、飲食はもちろん、様々なみやげ物やアクセサリ、大判写真のプリントといった美術品、更にはマッサージまで、恐らく100軒くらいの様々な店が軒を連ねているけれど、日用品の店はほとんどなく、縁日のような空間。何か珍しい食べ物はないかと探していると、インド系の人がやっている揚げ物屋を発見。厚手の餃子の皮にカレー味の野菜を包んだ揚げ物と、カレー味のマッシュポテトを揚げたような揚げ物を購入。二つで$4.5(360円位)。まずまずの味。 おやつも食べたし、街の写真も一通り撮ったので、Perthへ戻ろうと思ったけれど、まだちょっとお腹がすいていたせいかついフラフラと、 Cappuccino Strip沿いのピザ屋に入ってしまい、(ピザではなく)ジェラートを食べてから帰還。 Perth に戻り、再度美術館前で1時間ほどインターネットにアクセス。そのままホテルへ戻ろうとしたけれど、夕方たっぷりおやつを食べたのにまた、ついフラフラと、ホテル近くのケバブ屋に入ってしまい、ケバブロール($8.5)をテイクアウト(こちらではTake away と言う)。この旅で体重が何キロ増えたことやら・・・・(帰国後、体重が4kg増えていたことが判明) フリーマントルへの行き帰りの電車の中で、改めて実感したのは、自転車持参で電車に乗って来る人の多さ。高島氏から、パースでは自転車を(折りたたまないで)そのまま電車に持ち込めるとは聞いていたけれど、ほんとに普通に自転車が持ち込まれて来る。見るからにツーリング用の自転車はもちろん、ママチャリに乗っているスカート姿の女性まで、自転車を押して電車に乗って来る。どの駅にもエレベータが完備されているから出来ることですが、人口密度が低い(と言っても人口100万人を超える都市なんですが)からこそ為せる技。うらやましいです。 続く Perth報告その1~その5はこちら http://hiroshi-s.at.webry.info/201001/article_4.html http://hiroshi-s.at.webry.info/201001/article_5.html http://hiroshi-s.at.webry.info/201001/article_6.html http://hiroshi-s.at.webry.info/201001/article_7.html http://hiroshi-s.at.webry.info/201001/article_8.html
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ヴァヴァウ島テストツアー

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オーストラリア在住の名物(というより怪しい)ツアーコーディネータ、高島雅之氏 http://whats-wa.com/ から、 ザトウクジラが去りオフシーズンになったヴァヴァウ島(トンガ王国)に、体長2mのキハダマグロの群れが出るので是非見に来て欲しいと、テストツアーに招待されたので参加してきました。 結論から言えば、目当てのキハダマグロは見れませんでしたが、いろいろ勉強になりました。写真もあれこれ撮影できたので、アルバムにアップロードしました。 http://picasaweb.google.co.jp/skyoukai/TestTourToAuklandVavauIsland# 参加したのは主催者の高島雅之氏と私と、高島氏の幼馴染H氏、そしてニュージーランド在住のダイビングインストラクタのアッコちゃん。彼女は以前、高島氏の会社で働いていたそうで、今は陸の上で仕事をしているらしい。 まずは12月14日、オーストラリアのシドニーで、私と高島氏とH氏が合流し、そこで一泊。翌日ニュージーランドのオークランド空港でアッコちゃんと待ち合わせて、その日のうちにトンガへ移動する予定が、台風接近のためトンガ行きの便が欠航。代わりの便は丸一日後の、12/16夜発なので、止むを得ずオークランドで一泊。余談ですが、オークランドは海沿いなので、魚介類がムチャ美味しい。100円寿司みたいな格安の店は無い代わりに、鮮度の良い最高級の刺身は、恐らく東京で食べるときの半額位。この日はみんなでイタリア料理店に行って、殻付きの生ムール貝(カラス貝)を堪能しました。
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さて翌日、飛行機が夜の8時半発なので、夕方まで各自自由行動。私は市内の観光名所を回るエクスプローラ・バスの1日券($35)を買って市内見物(アルバム参照)。オークランドは大都会なのに、ダウンタウンのすぐ近くにビーチがあったり、市内を一望できる山があったり、以外と自然が豊かです(ただし土地の起伏が激しい上に、ダウンタウンの中心以外は道が碁盤の目からは程遠い方向に走っているので、方向音痴の人が歩いたら、地図を持っていても間違えなく遭難します)。そして夜、無事トンガの首都ヌクアロファに到着してそこで一泊。 12月17日昼、ヌクアロファから国内線に乗ってヴァヴァウ島にようやく到着。午後から船でキハダマグロの群れ探し。ところが、台風接近のせいか波が高くて沖へは出られず、この日は島の周りでダイビングをして終わり。一昨日、オークランド発の飛行機を欠航させた台風は、結局トンガへは向かわなかったものの(そのかわりフィジーを直撃して死者も出た)、ヴァヴァウでは南東からの風が収まらず、2日目、3日目のキハダマグロ探しも、けっこうハードな航海になりました。 結局、ヴァヴァウ滞在最終日の19日まで、お目当てのキハダマグロの群れは見当たらず。 あとで高島氏から詳しく話を聞いてみれば、確かに地元ガイドから、夏(日本の冬)に巨大がキハダが出たという目撃情報が寄せられていたものの、それが群れになっているのを誰かが見た訳じゃない。普通のキハダマグロ(体調1m位)の群れはザトウクジラのシーズン(こちらの冬~早春)に出ていて、群れ目当てなら、わざわざオフシーズンに来る必要もなかったらしい。自腹で来なくてよかった。 とはいえ、キハダの群れは逃したものの、最終日に運良く、Pilot Whale(オキゴンドウ)の群れに遭遇することはできました。ヴァヴァウ島の周りには、年中大物がうろついているのは間違えないようです。
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*今回のキハダ探しでは、ダイブヴァヴァウさんにお世話になりました。 http://www.divevavau.com/index.asp ヴァヴァウ島は、ホエールウオッチングがブームになる前は、1年を通じて観光客(というよりヨット)が立ち寄る島だったそうですが、今はザトウクジラが去ると同時に、観光客もさようなら。オフシーズンには営業しているカフェも、ほんの2~3軒しかありません。一年を通じて海には大物の回遊魚 が居るので、釣り客にとっては面白い島かも知れませんが、そのほかの観光客にとっては、ザトウクジラ以外にこれと言ってネタが無いのが現状。通年のリゾートにするのは、いろいろ工夫が必要でしょう。 ヴァヴァウ島滞在中、夕食を食べたレストランのオーナー兼シェフのローレンスさんは、自分の店を持つ前は、世界の要人のパーソナルアドヴァイザー(元レバノン大統領の執事など)をしていたそう。トンガはキリスト教国になって植民地化を免れたけど、自分たちの歴史を抑圧してしまい、自分達が何者だか分からなくなってしまっていると語っていました。確かに、独自の文化を語ることもなく中途半端に都会の真似事をしているだけの田舎(それも半端じゃないド田舎)に、コンスタントに観光客を呼ぶのは難しいでしょう。 そんなことを頭で考えながら彼の話を聞いていたら(私の語学力では、半分位しか理解できなかったんですが)、彼にえらく気に入られてしまったらしく、 「じゃあ君に本をあげるよ」 と、英語の歴史研究書を2冊ももらってしまいました。 来年再訪するまでに翻訳しなくちゃ(下の写真は、ローレンスさんお手製のスペシャルデザート。手間がかかるので、店がヒマなときにしか作れないそうです)。
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ちなみに、ローレンス氏の奥さんは日本人。彼が元レバノン大統領の執事をしていた頃、サウジアラビアの英国大使館のパーティーで、日本大使館のインターンをしていた彼女と出会った(ひっかけた?)そうです。酒はご法度のイスラム諸国でも、大使館の中は治外法権なので呑み放題。だから大使館でパーティーがあると、サウジアラビアに滞在中の各国大使館関係者が集まるそうで、日本大使館からも日本酒の差し入れがあるとか。 彼女は普段、日本で(ご主人のレストランとは全く無関係の)仕事をして居るそうで、私達がヴァヴァウ島に滞在していたとき、たまたま彼女もご主人の店に居たおかげで、いろいろおしゃべりできました。ローレンス氏(50代)とは、どう見ても干支で一回り以上年下の若い奥様。出身は大阪の堺で、大学を出た後も、一時パリに留学したり、国内外でいろんな仕事をしてきそうですが、どうして(一回り以上年上の)ローレンス氏と結婚したのかについては、最後まで口を割りませんでした。謎めいた夫婦です。 12月19日夕方、ヴァヴァウ島からヌクアロファへ戻り、20日(日曜日)に丸1日ヌクアロファに滞在した後、21日に日本へ向けて出発。22日朝、無事帰国(正確に言うと、帰国したのは私1人で、残り3人は、エウア島と言う離島へ旅立って行きました)。 トンガ王国の日曜日は、法律で「ビジネスをしてはいけない日」になっています。だから空港も休業、タクシーも休業、ツアーもダイビングサービスも休業、お店もカフェもレストランも休業。外国人向けのホテルなど、例外的に営業している店もなくはないものの(そこまで歩いて行ける場所に泊まっている人はいいですが)、土曜日のうちに食料を買い込んで置かないと断食することになります。普段は人が行き交う港も、日曜日はこの通り、完璧に無人
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海の生き物はあまり撮影できませんでしたが、いろいろ勉強になったテストツアーでした。
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外交の始まり

鳩山首相が、沖縄の普天間米軍基地の移転先について、自民党政権時代の日米合意(と報じられているが調印が行われた訳ではない)である辺野古への移転を前提としない、と明言したことについて、メディア上であれこれ騒ぎになっています(特に、産経・読売など右派メディア)が、 http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c9%e1%c5%b7%b4%d6&k=200911/2009111400374 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/324568/ (隷従ではなく)外交とは、そもそもこういうものでしょう。 もちろん、日本政府は戦後60年間、アメリカ政府と安全保障に関して「外交」をした経験がありませんから、非常に厳しい展開になるでしょうが、民主党は沖縄の米軍基地について、従来から国外(最低での沖縄県外)への移転を公言し、日本の有権者の多くが民主党を支持したのですから、各論レベルでの日米関係見直しは当然です。 日本国内では、”自称”有識者達が、この鳩山発言を、国際政治として極めて非常識な発言であるかのように論じていますが、例えば英国のフィナンシャル・タイムズには、今回の鳩山発言への批判について >過去の合意を神聖視する主張はあやしい と指摘し、 >政権交代を果たした民主党の「徹底的な政策見直しは当然」 だと結論づけた記事が掲載されたそうです。 http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-11-13-K_002.html?PSID=4790e03a988da6530a214b59a87a5a88 http://sankei.jp.msn.com/world/america/091113/amr0911132136013-n1.htm http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/324292/ また、元外務官僚の佐藤優氏は、週間金曜日 11/13号(775号)誌上(36頁)で、自民党政権時代の、普天間基地を辺野古へ移転させるとの日米合意について、 >確かに国際関係において「合意は拘束する」という大前提が存在する。 >それとともに「事情変更の原則」もある と解説し、辺野古への移転を、沖縄の意向を無視してでも強行すべきとする意見については >とんでもない暴論だ と、一蹴しています。 冷戦終結後も、沖縄に米軍が常駐し続けることの不自然さは、これまで再々指摘されてきました。アメリカ政府は表向き「テロとの戦い」と謳いながら、実際には、治安が安定していたアフガニスタンとイラクを、一般市民の誰がいつ死んでもおかしくないような、テロが頻発する社会になるまで破壊した事実、つまりアメリカ政府が、アメリカ政府自身の政策によって、アメリカ海兵隊の海外常駐が必要な状況(普天間基地も海兵隊基地)を維持しているという、厳然たる事実を、私達は直視しなければなりません。 更に最近は、沖縄米軍基地(少なくとも海兵隊基地である普天間基地)について、地勢学的には日本に置き続ける必要が既に無いばかりでなく、米軍は当初、沖縄からの海兵隊引き上げを予定していた。にもかかわらず沖縄に米軍が駐留し続けているのは、日米の安全保障のためではなく、日本の官僚が、これまで通りのやり方で政治的支配力を維持するため、(米軍駐留の経費負担という餌で)米軍を引き留め続けてきたせいではないかという分析も、出てきています。 http://tanakanews.com/091115okinawa.htm (↑田中宇の国際ニュース解説 2009年11月15日 日本の官僚支配と沖縄米軍) 日本の政権が、沖縄からの米軍撤退を模索する限り、日米関係は厳しいやりとりが続くでしょう。私達の生活にも影響するような報復を、アメリカ政府が打ち出す可能性も充分ありますが、世界の平和を求めるなら、これは避けて通れない道だと思います。
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信仰と宗教の違い(似て非なるもの)

私は、(無神論者と言うほど頑なではないものの)神という存在に未だリアリティを感じたことはありませんが、他者の信仰心は、出来る限り尊重してきました。信仰心は、違う信仰を持つ人の心も、暖めることがあるからです。 でも、宗教というのは何であれ、信仰を広めるための組織化が生まれた瞬間に、政治的統治のヴァリエーションの一つ、つまり所詮は下界の人間の営みの一つになってしまうのではないか?と、ずっと思っていました。 信仰と宗教は似て非なるもの。明治から昭和にかけて、琵琶湖畔の人々の生活向上に献身的な貢献をし、最近は建築家としても再評価されているヴォーリズさんの伝記を読んで、ますますそう思いました。 ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人 (単行本) 奥村 直彦 (著) 出版社: 港の人 (2005/07) ISBN-10: 4880083321 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA%E8%A9%95%E4%BC%9D%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E9%9A%A3%E4%BA%BA%E6%84%9B%E3%82%92%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA-%E5%A5%A5%E6%9D%91-%E7%9B%B4%E5%BD%A6/dp/4880083321/ref=cm_cr_pr_product_top ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人 レビュー http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4880083321/ref=pr_all_summary_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1 私が子供の頃、ボーイスカウトでお世話になった牧師は、神社を訪れれば拍手を打ち、お寺へ行けば手を合わせ、様式的な部分では、全ての宗教を尊重する方でした。後年母から聞いた話では、彼は、大人向けの講話では、どの宗教も同じ神を崇めているのだけれど、人間は神の全貌を見ることができないから、立ち位置によって神の姿が違って見えるのだと説明していたそうです。 牧師という立場にも関わらず、イエスを信じてはいない人達も神の子であると、みなすようなスタンスを公言してしまった彼が、その後どういう人生を歩んだのか、私には知る由もありませんが、ヴォーリズさんの伝記を読んで、ふと、彼のことを思い出しました。
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参考資料として

いささか遅ればせながらの、終戦記念日関連情報ですが、こんな情報を、知人から紹介されました。かつて日本が行った戦争を考える上で、知っておかなければいけない事実を記録した、大切な資料のひとつだと思います。 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/index.htm
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「日本海軍400時間の証言」を見て その3

NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」第三回 戦犯裁判 第二の戦争 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html 今回は、軍令部が如何にして旧海軍の戦争犯罪を隠蔽したかが、戦後第2復員省に所属し、東京裁判で旧海軍側の裁判対策を担当した、豊田隈雄(当時大佐)さんが遺した証言と膨大な資料(まだほとんどが手付かずのままになっているそうです)を軸にして明かされて行きました。 なぜ、東京裁判では、陸軍の東條英機が死刑になった一方、海軍のトップ(海軍大臣、のちに軍令部総長兼務)だった嶋田繁太郎は終身刑(結局講和条約締結後に保釈)だったのか?番組では、軍令部からの口頭指示により、艦隊向け命令書が作られた虐殺(撃沈した民間商船の乗組員も含めて敵方の人間は殲滅せよとの命令)を、旧海軍が組織ぐるみで隠蔽した様子が、「反省会」での証言から明らかにされます。 敗戦と同時に、海軍省は(表向き)解散となり、代わりに第2復員省が組織されましたが、表向き海外の将兵の復員が業務とされた第2復員省には旧軍令部のメンバーが数多く在籍し、裏では東京裁判に向けた証拠隠滅(口裏合わせ)を指導していたことが、「反省会」の証言や防衛省に残る資料から明かされます。東京裁判で検察側が嶋田繁太郎有罪の根拠の一つにした、日本軍潜水艦乗組員による民間人殺害も、本物の命令書を「偽造」だと、関係者が(第2復員省の指示により)口裏を合わせたことで、嶋田繁太郎の死刑が免れた様子が、「反省会」の証言から明るみに出ます。 その一方で、戦争犯罪の責任を全て、現地の指揮官、あるいはそれ以下の立場の将校の責任となるよう、第2復員省が工作した疑いがあることも番組では紹介されていました。BC級戦犯(スラバヤにおける捕虜虐殺の罪で)死刑となった篠原多摩夫さんは、最後まで潔白(独断ではなく連合艦隊の命令で捕虜を処刑した)を訴えながらも、死刑を執行されてしまいましたが、問題となった捕虜処刑の現場には、海軍の法務官が立ち会っていた(艦隊司令部の決定による処刑だった)こと、その法務官が、戦後行方不明扱いになっていたこと。その裏に第2復員部が絡んでいると、篠原さんの弁護人が語っていたことが、上官の命令で捕虜処刑を実行した元海軍兵士の証言から、明らかになります。 更に「反省会」では、海軍によるこうした殺戮が、日中戦争当時から行われていたことが明かされ、昭和13年、海軍が中国の三灶(さんそう)島に航空基地を作る際、住民を虐殺して滑走路を作ったことが明かされます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9B%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A 証言をした大井篤元大佐は、 >昭和13年三灶島事件というのがあって。わたしはその後で行ったんです >けど臭くて死臭が、あの三灶島に海軍の飛行場をつくったんです。 >飛行場をつくるのに住民がいるもんだから全部殺しちゃったんですよ何百人 >か殺した。要するに支那事変(日中戦争)のころから人間なんてどんどん。 >作戦が第一なんだ 勝てばいいんだ そう言う空気でしたよあのころの >空気は。こっちは負けてるんだから。いや勝ってる時にもやってるんだ >勝ってる時やってるんだからね。 と、生々しい証言をしていました。その後現地で取材したNHKは、実際に日本軍による住民の連行と虐殺を目撃した、当時の住民の証言を得るのに成功しますが、海軍の公式記録では、住民の大半は逃げたことになっています(住民の証言では、逃亡は許されず、海軍が持つ住民名簿と人数が異なる家族は皆殺しにされた) そのあと話題は天皇の戦争責任から(「反省会」では天皇の責任を問う声無し)、(天皇を生かすことで占領を円滑に進めようとした)マッカーサーと第2復員省との関係に進みます。 第2復員省で東京裁判を担当してた豊田さんが、当時連合軍と頻繁に会っていた米内元海軍大臣から聞いた、フェラーズ准将(マッカーサーの腹心)の話として、 ・天皇が無罪であることを、日本側から立証して欲しい ・東條に全責任を負担せしめるように が紹介され、東京裁判については、まだ手付かずのまま残っている膨大な資料があることを示唆して番組は終わっていました。 >陸軍は暴力犯、海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れて >いた。敗戦の責任は五分五分である。 とは、東京裁判対策を担当した豊田さんが、「反省会」で述べた言葉です。 当時軍の中枢に居た人達自身が、戦争が誤りであったと、はっきり述べていた現実を、今、戦争を美化している国会議員達や元航空幕僚長は、どう受け止めているのでしょう? よろしければ、下記もご参照ください。 「日本海軍 400時間の証言」第一回のレビューはこちら http://hiroshi-s.at.webry.info/200908/article_5.html 第二回のレビューはこちら http://hiroshi-s.at.webry.info/200908/article_6.html
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「日本海軍400時間の証言」を見て その2

前回の続き。 NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 第2回「特攻 “やましき沈黙”」を見ました。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html 神風特攻隊に代表される「特攻」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E7%89%B9%E6%94%BB%E9%9A%8A が、戦時中宣伝されたように「志願兵」によるものではなく、強制(軍による命令)や、特攻であることを隠した隊員募集によって行われたことは、近年しばしば報じられるようになりましたが、今回の放送では、少なくとも海軍の特攻は、軍令部が勝ち目の無い戦争を継続させるため、つまり国家権力維持のためだけに発案し、強行し、更にその犠牲を戦意高揚のために計画的に利用したことが明かされました。 以前は、大西瀧治郎海軍中将の発案によるとされていた、航空機の体当たりによる特攻ですが、旧海軍将校らによる「反省会」では、大西中将が軍令部に特攻を進言する前、特攻開始の1年以上前から、既に軍令部の発令により、各種特攻兵器の生産が始まっていたことが指摘されます。 NHKの補足取材により、軍令部は遅くとも、特攻が始まる半年前の1944年四月には、航空機の体当たりや人間魚雷、ボートによる特攻の構想をまとめていたことが残された資料から確認できること。構想の発案者は、軍令部第2部(兵器担当)の部長であり、連合艦隊長官山本五十六の腹心でもあった黒島亀人少将であること。特攻を作戦として承認したのが軍令部第1部(作戦担当)部長であった中澤佑少将であり、特攻開始前に、特攻を戦意高揚のプロパガンダに利用することを指示した(特攻に限っては、全ての出撃をマスコミ報道するよう電報で命じた)のが、軍令部第1部の源田実(戦後、自衛隊航空幕僚長を経て自民党衆議院議員)であったこと。が明らかにされます。 このように、兵士の命を単なる消耗品として扱っていた軍令部の残虐な実態が、番組では次々紹介されて行きますが、(「反省会」でも、少なくとも海軍航空隊の特攻は、ヴォランティアではなく編成、つまり命令であったことが指摘されます) 番組では同時に、軍令部の幹部達が不本意ながら特攻を推進し、命令による特攻を志願だと偽って報道していた様子も紹介されます。 山本五十六と並び、真珠湾攻撃を成功させた功労者として、黒島亀人は神格化され、軍令部内に彼に逆らえない風土があったこと。特攻を承認した(ただし本人は生涯、特攻が軍令部の発令であったことを隠し続けた)中澤佑が戦時中、息子に対して、特攻はやってはならないと思うが個人の意見を言える状況ではなかった、という意味の話をしていたこと。特攻は志願兵だと偽り続けた源田実が、特攻で命を落とした兵士達全ての氏名や出撃日(命日)を記録した資料や、戦死した特攻隊員達の膨大な遺言を、生涯大切に保存していたことが、番組では明かされます。 なぜ「特攻」が構想され、承認されたのか?番組では、海軍(だけではないと思いますが)に蔓延していた驕りや、新兵器に頼り過ぎる風土の弊害を指摘する、「反省会」での意見を紹介するもの、詳細な経緯は未解明のまま残り、構想を最初にまとめた黒島亀人の本心も、この番組では不明のままでしたが、彼が戦後、哲学や数学などの学問に熱中し、数多くのノートを遺していたことが、番組で紹介されていました。 「特攻は決してやってはいけない」と思っていた常識人達が、「今は個人の意見を言ってはいけない」と長いモノに巻かれ、若者を次々無駄死にさせていった(カミカゼは作戦開始直後を除きほぼ戦果ゼロ。桜花も母機から発進前に母機ごと迎撃。人間魚雷の命中率は2%だったそうです)。この過ちを、現代の組織人が犯さないと、誰が言えるでしょうか? 人の生死に関わると分かっていても、責任ある立場の人間が長いモノに巻かれ危険を隠蔽し、数々の公害問題や薬害問題を引き起こし続けているのが、現代社会です。 旧海軍が、(表向き)カミカゼの戦死者第一号として神格化した関行男さんが、軍から特攻を命じられた後、実際には痛烈な軍部批判を残し、出撃して行ったことは、今では広く知られるようになりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A1%8C%E7%94%B7 (軍に人質に取られたも同然の)奥さんを守るために死ぬんだと言って出撃した関さんをはじめ、特攻で命を落とした人達のほとんどが、とにかく一日も早く戦争を終わらせて欲しいと願って死んでいったことは、今では広く知られれていますが、実際には、彼らは、戦争を継続させるために、死を命じられたことを、私達は再認識する必要が、あると思います。 補足:当時の軍の組織は、下記のURLで参照できます。 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaiguntop.html
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「日本海軍 400時間の証言」を見て

昨夜は久々にテレビの電源を入れて、3夜連続放映のNHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20090807et08.htm の初日放送を見ました。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html 1980年から11年間、戦時中、海軍の中堅幹部だった生存者が、非公開で定期的に開催していた戦争についての「反省会」。その模様を記録したテープに録音されていた新事実をまとめたのが今回の特別番組ですが、これまで、旧陸軍の暴走に比べ、あまり報道されてこなかった海軍の暴走、具体的には、海軍の最高決定機関であり、陸軍参謀同様、当時政府以上の権力を握っていた海軍軍令部 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%e8%bb%8d%e4%bb%a4%e9%83%a8 の暴走に、焦点が当てられていました。 初日のテーマは「開戦:海軍あって国家なし」 日本の戦線が東南アジアに拡大し、日米対立が深刻化していた1941年、軍令部のトップ(総長)であり、開戦派だった永野修身 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E6%B0%B8%E9%87%8E%E4%BF%AE%E8%BA%AB が、部下に説明した開戦主張の理由が「海軍が反対しても、陸軍や右翼がクーデターを起こすのでどの道戦争は不可避。ならば日本が不利にならないうちに(石油が底を尽く前に)開戦すべき」だったことが、「反省会」で明かされました。 しかし番組では、これが永野の本音だったかどうかまでは検証せず、一人の反省会参加者が執拗に取り上げた、軍令部と皇室とのつながりに焦点を移します。永野の前任者は、皇族の伏見宮博恭王 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE%E5%8D%9A%E6%81%AD%E7%8E%8B で、昭和7年(1932)からなぜか9年間もの長期間、軍令部総長の座にありまた。反省会の中では、これが「謀略」であるという証言しか出なかったものの、NHKの補足取材により、博恭王の登用は、当初海軍省が担っていた予算や軍備の決定権を、軍令部に移す法律を通すためであった事が明かされます。当時の軍令部が、法案が通らなければ博恭王が辞任すると政府を脅したこと、昭和天皇が、この法案が通ると軍部の暴走に歯止めがかからなくなることを懸念したこと(しかし彼は最終的に法案には反対せず、歴史は彼の予想通りとなった)が、現防衛省が保管する当時の資料に記載されていたそうです。 更に番組では、反省会では証言を拒否したある軍令部メンバーが、終戦直後に行われたインタビューに答えている模様を録音したテープを調べ、日米対立が深刻化する前から、軍令部内で海軍の肥大化が自己目的化しており、(対米開戦で勝ち目が無いことを知りながら、日米対立を煽って軍備増強を正当化し、(陸軍との競争で)予算獲得合戦に走り、遂には(陸軍などから)腰抜けと言われ権力を失うのを恐れるあまり、自ら対米戦争を推進するに至った内部事情が明らかになって行きます。 正に、軍部あって国家なし。ましてや将兵や国民の命など全く眼中に無い軍国主義の実態が、次々と明かされていった訳ですが、これは過ぎ去った過去の話でしょうか? なぜ戦後、日本は軍を管理する機関を、防衛「省」ではなく、省の下位組織である「庁」にしたのか?それをなぜ再度「省」に昇格させたのか?もし、政府自民党や防衛省幹部が過去の戦争を本当に反省しているのなら、なぜ、旧帝国軍人の中でも、日本を意図的に戦争へ巻き込んだ勢力と瓜二つの言動を繰り返す田母神俊雄のような人物を、航空幕僚長にまで昇格させたのか?彼の、戦争回避の方法も戦争が起きた後の事も熟慮せず、ひたすら外国との対立を煽り軍備増強を主張する論法は正に、日本を日米開戦に引きずり込んだ、大日本帝国軍令部の幹部達の、思考回路そのものです。 ちなみに、海軍省や連合艦隊の慎重論を押し切り、日米開戦を強行した軍令部は、いざ戦争が始まった途端、機能不全に陥ります。「反省会」での証言によれば、戦争が始まっても平時の体制のまま増員も許されず、仕事が回らなくなってしまったそうです。これも当時の軍部が、戦争に真摯に取り組んでいなかったことを示す状況証拠でしょう。 更に今度は、連合艦隊(山本五十六)が、戦争を始めたからには有利な戦況を作らなければと、暴走を始め、計画時点で無謀さが明らかだったミッドウエー海戦(連合艦隊が立案)を、最高機関であるはずの軍令部が止められなくなった模様が、「反省会」での証言から、次々明かされて行きます。 番組の終盤近く、反省会で、ミッドウエー海戦当時の潜水艦隊長が、軍令部の生き残りに向かって、「(明らかに準備が間に合わないので)1ヶ月延期を頼んだのになぜ無視した?」「戦争のことを本当に真剣に考えていたなら、対米海戦を止めることは出来たはずだ。本当に勝てないと思っているならなぜ総長に言わなかった?」と詰め寄る音声が放送されました。 それに対する旧軍令部員の発言は「いや真剣に考えていた。でも総長に直接言うことはできない。」と、終始組織内のルール説明ばかり。 戦争を起こした人間達は死ぬまで、「人の命より組織の論理」だったようです。

背景を考えよう

未だ情報が錯綜している中国ウイグル自治区での暴動ですが、 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090711-OYT1T00403.htm http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090711-OYT1T00383.htm その背景には、中国政府による、半世紀以上に渡る、地元民族に対する残虐行為があることは、否定し難いのではないかと思います。 http://saveeastturk.org/jp/index.php/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 中国内でも、昔から漢民族が住む地域では、インターネットの普及等によるなし崩し的な民主化が少しずつ進んでいるようですが、少数民族が多い地域では未だに、民族浄化に等しい残虐行為が繰り返されている可能性も小さくないことを、私たちは認識しておく必要があると思います。 以下は報道記事の引用 ウイグル死者184人、漢族137人と新華社 【北京=佐伯聡士】 中国国営新華社通信は10日、新疆ウイグル自治区ウルムチの大規模暴動の死者数が同日深夜までに、184人になったと伝えた。これまでの当局発表の死者数は156人だった。  死者の民族別の内訳は、漢族が137人(男性111人、女性26人)に上り、ウイグル族が46人(男性45人、女性1人)、イスラム教を信仰する少数民族、回族の男性が1人だったとしている。 (2009年7月11日11時19分 読売新聞) ウイグル人死者1千人にも…世界会議議長 【ワシントン=本間圭一】 亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長は10日、ワシントンの連邦議会で記者会見し、暴動で死亡したウイグル族は800~1000人に上るとの見方を明らかにした。  地元からの情報によるもので、多くは中国公安当局の発砲などで殺害されたという。 (2009年7月11日10時59分 読売新聞)
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