2020/01/04,05辺野古写真展向け資料 -普天間基地(移設)問題の概要

説明資料本文 辺野古写真展プレゼン用1.pdf 参考資料リンク先: 普天間問題経緯一覧 http://www.city.nago.okinawa.jp/kurashi/2018071900226/ https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00399/ https://vpoint.jp/column/123608.html http://standwithokinawa.net/ja/2019/10/20/timeline-ja/ 1995沖縄海兵隊員らによる少女暴行事件 https://www.jiji.com/jc/d4?p=okn780&d=d4_oo https://www.moly.jp/105536/ https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81 海兵隊沖縄残留は日本側の要望 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/44046 https://hiroshi-s.at.webry.info/201711/article_2.html https://hiroshi-s.at.webry.info/201004/article_6.html 在日海兵隊は北朝鮮侵攻のため https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-01/2018070101_02_1.html http://ospreyfuanclub.hatenadiary.jp/entry/2019/03/15/033559 受け入れ条件反故の経緯 https://news.tbs.co.jp/newsi_sp/heisei/archive/20190208.html http://ospreyfuanclub.hatenadiary.jp/archive/2019/02/08 http://ospreyfuanclub.hatenadiary.jp/entry/2019/01/02/102803 日本会議の暗躍 http://uyouyomuseum.hatenadiary.jp/entry/2017/03/19/182532 http://uyouyomuseum.hatenadiary.jp/entry/2017/03/27/000000_1 在沖縄海兵隊再編(米国領内への集結)計画 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/pageRedirect.php?url=/2556/2581/2582/37840/37844.html https://www.aviation.marines.mil/Portals/11/2019%20AvPlan.pdf https://note.com/tkatsumi06j/n/nc5e52ab9c65c 埋め立て工期・工法見通しの無い現状を隠す政府 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/397443 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55968 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-10-23/2019102301_01_1.html http://ospreyfuanclub.hatenadiary.jp/entry/2019/08/25/225206 https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/a4994e509e6406d216e5e7b39802af92 2030年になっても終わらない埋め立て https://mainichi.jp/articles/20191223/rky/00m/040/002000c https://jisin.jp/region/1813105/ 日米防衛協力のための指針 https://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/shishin/ 日米安保条約条文 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html 日本有事の兆候あれば米空軍は事前撤退 https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/1-2/1-2-8.pdf 何のための沖縄(奄美~南西諸島)要塞化か? http://www.magazine9.jp/article/mikami/22529/ http://www.magazine9.jp/article/mikami/22064/ 伊波洋一議員(前宜野湾市長)の発信などのリンク集 (米国の代理で戦争をするための南西諸島基地) https://hiroshi-s.at.webry.info/201803/article_2.html
posted by オフィシャルひろし at 02:04Comment(0)

短文投稿:ほんとはいつからだったのか?(自己責任の蔓延)

今世紀に入ってからの日本固有の(悪い意味での)社会現象としてしばしばメディアに取り上げられるようになった「自己責任」。ほんとうに今世紀にはじまった風潮なんでしょうか? 社会学者の橋本健二氏(早稲田大学教授)は、”自己責任”を明確に拒絶する政策要求で注目を集めた、山本太郎について語るインタビューの中で、日本に蔓延する”自己責任”について、下記のように述べています。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69315 ---- 以下引用 ---- >橋本「ものごとを選択する余地がある場合に限り、人びとは責任を問われるべきです。アンダークラスの人びとに自己責任論は成立しません。低賃金で不安定な仕事を社会的に強制されているのです」 (中略) 橋本「自己責任論には表と裏、プラスとマイナスのふたつの側面があります。プラスは『自分が恵まれているのは自分のおかげだ』、『自分が努力し、能力があったからだ』という側面です。これがマイナスにはたらくと、『自分が貧乏なのは自分のせいだ』となります。これは表裏一体の関係です。新中間階級はこれまで勉強や仕事で成功してきた人たちです。この人たちはまず、自身の成功を プラスの側面で考える。『自分の地位や財産は自分で築いたものだ』という見方です。 そしてこの層の人びとは論理的にものを考えますから、いま世の中にある貧困についても同様の考え方をする。『貧しいのは本人の責任だ』。そうしておかないと論理整合性がとれないのです。こうして、強固な自己責任論が成り立ちます」 ---- 引用ここまで ---- このような解説を読むと、私の親や祖父母世代にも、今で言う”自己責任”を振りかざしている人達は、決して、珍しくなかったような気がします。 考えてみれば、日本社会でよく言われる、「感謝の気持ち」や「思いやり」というのは大抵、私が小学生のとき受けた道徳の授業なども含めて、キリスト教社会で言われる”博愛”や、仏教で言う”慈悲”とはいささか違って、自分との利害関係(金銭面だけでなく、世間体など社会的評価も含めて)が見通せる相手に、限られた話だったように思います。 それに加えて、その、利害関係が見通せる範囲でさえ、歳を取るにつれて、重要な評価基準が、感謝でも思いやりでもなく、競争の中のポジションになって行く。 私が、物心ついてから今に至るまで、日本の社会は半世紀以上一貫して、そういう方向に変化し続けているように見えます。 そういう社会の中で、安定した居場所を確保した大人達が、若い世代を、勝ち負けの軸でしか評価されない(どころか生活基盤さえ奪われかねない)世界に追い詰めながら、勝ち負けに縛られた世代を捕まえて、「お年寄に席を譲らない」だの「思いやりが無い」だのと、マウンティングして自分達の正義を誇示する。 その延長線上に現れたのが、今世紀に入って過激化した、”自己責任”による、日本社会の自滅ではないかと思います。 更に今世紀に入ってからの特徴は、政権側の政治家が自己責任の名の下、本来国家が責任を持たなければならない、国民の安全や、健康までも、公然と国民の側に責任転嫁をするようになった点です。 そのきっかけは、イラク戦争において、イラクで人質となった日本国民に対する、政権側(自民党)の政治家による非難ですが、 https://bunshun.jp/articles/-/9514 自民党の政治家たちがこぞって、日本政府の退去勧告に従わなかったことを、無責任だと非難していた一方、当時米国政府の国務長官だった、コリン・パウエル氏は、イラクで捕らわれた日本人の人質について >より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う >彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ とコメントしたのを忘れてはいけません。 自民党の政治家は、権力の指示に従うかどうかを、唯一の善悪の判断基準にしていたのに対し、 パウエル氏は、イラクへの攻撃の中心となった米国の閣僚という立場でありながら、戦場からの退避を拒否した彼らについて、権力の都合ではなく社会的な観点から評価したわけです。 日本では今なお、現実に起きている日本社会の自滅に対して、明確に”NO”を突き付けているのは、日本の野党の中でも、共産党社民党、そして、(俗に、ロストジェネレーションと呼ばれる世代の)山本太郎(率いるれいわ新選組)しか見当たらないのが実情です。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65987
posted by オフィシャルひろし at 18:46Comment(0)

2019/08/28 追記:資料紹介:性奴隷(従軍慰安婦)問題

安倍政権が河野談話を見直すかのような姿勢をマスコミ発表したことで、再び注目され、米国をはじめ多数の国々から批判を浴びた従軍慰安婦問題ですが、本人の意思に反して慰安婦にさせられた被害者が居たかどうかと、それが、正式な命令系統を通じて行われた行為かどうかという問題は、分けて考えなければなりません。 後者は当時の日本政府内部の責任問題であり、今となっては歴史学の問題ですが、前者は、その加害者が日本の国家権力を利用したのであれば、日本政府は、被害者に対する責任を免れません。それが記録に残された公式命令によるものかどうかは関係ありません。 http://d.hatena.ne.jp/dj19/20121213/p1 また私たちは、自国政府の責任を認めることによってはじめて、他国政府による同様な人権侵害を批判することができます。 「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」元慰安婦ら会見 http://www.asahi.com/articles/ASG374Q7LG37UHBI028.html?iref=com_rnavi_arank_nr02 4/21追記: http://www.kanaloco.jp/article/70041/cms_id/76481 8/18追記: いわゆる従軍慰安婦という性奴隷は、当時の日本の法令にも違反していたという指摘 http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm 9/08追記:  フジテレビ創設者の鹿内信隆が、自身が在籍した日本陸軍による従軍慰安婦管理の実態を、『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)という書籍に遺しており、以前は保守系陣営自らが、従軍慰安婦が軍の管轄であったことを公然と語っていた。という指摘。 以下、一部引用 >鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。  さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。  断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。  300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。   表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。 1 酒保ノ開設 2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催 3 恤兵品ノ補給及分配 4 商人ノ監視  ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。 http://lite-ra.com/2014/09/post-440.html 9/9追記: 法務省も、1962年の段階で既に、旧日本軍が軍命で従軍慰安婦を連行していた事実を把握していたことが、国立公文書館に保管されていた資料から判明。以下、記事を引用: >旧日本軍の従軍慰安婦問題で、太平洋戦争中にインドネシアのバリ島に海軍兵曹長として駐屯していた男性が、1962年の法務省の調査に「終戦後(慰安所を戦争犯罪の対象に問われないよう)軍から資金をもらい、住民の懐柔工作をした」と供述していたことが分かった。  元兵曹長は「(慰安婦として)現地人など約70人を連れてきた」「他にも約200人を部隊の命で連れ込んだ」と連行の実態も説明していた。  関東学院大の林博史教授(日本近現代史)の研究室が国立公文書館(東京)保管の資料で見つけた。林教授は「河野洋平官房長官談話が認めた軍の関与を裏付けるもので重要だ」と評価している。 2014/03/22 17:53 【共同通信】 http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014032201001850.html 10/17追記: 日本政府が、クマラスワミ報告の修正を国連に要求し、世界各国から厳しく非難されている件 http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/10/blog-post_15.html 2015年4月6日追記: 今日知ったのですが、従軍慰安婦問題について、これまで分かったことをまとめて紹介するサイトがありました。 http://fightforjustice.info/ 2017年11月25日追記: 日本政府は、未だ、従軍慰安婦の確保の過程で、軍による強制連行があったことを認めていませんが、実は、第2次大戦当時の日本軍が発行した公式証明書の中に、慰安婦を連行するとの、具体的記述が残っているそうです。 http://d.hatena.ne.jp/scopedog/touch/20150410/1428689812#20150410f2 http://ameblo.jp/qtaro9blog/entry-11779758678.html これは、当時中国に駐留していた台湾混成旅団(塩田定七少将を旅団長とする、通称塩田兵団)に所属する台湾歩兵第1連隊(林部隊)(連隊長・林義秀)に所属する慰安所の経営者を、慰安婦連行のために、台湾に向かわせるための証明書で、以下の文面の証明書が発見され、吉見義明著「従軍慰安婦資料集」の133頁に、その文面が掲載されているそうです。 証明書 ■■■■←慰安所の経営者名は、プライバシー保護のため伏せられている。 当年二十二歳 右ハ当隊附属慰安所経営者ニシテ 今回 慰安婦連行ノタメ帰台セシモノナリ 就テハ 慰安婦ハ当隊ノタメ是非必要ナルモノニ付 之カ渡航ニ関シテ何分ノ便宜附与方取計相成度 右証明ス 昭和十五年六月二十七日 南支派遣塩田兵団林部隊長 林義秀 2017年11月25日追記: 従軍慰安婦についての証言収集は、日本国内でも続けられています。 旧満州のチチハルでは、従軍慰安婦の徴用を、軍が業者を介さず直接行っていたと述べた、元日本兵の証言の詳細が、昨年公表されています。また証言によれば、軍が徴用した慰安婦の中には、「看護婦の募集」だと、騙されて慰安婦を強制された女性も居たそうです。 http://testimony-of-grandfather.webnode.jp/ また、「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正ノ件(昭和19年7月12日、閣議決定)」という公文も残っていて、そこにはるそうで、そこには、朝鮮総督府管内においても、国家総動員法に基づく労務調整令による動員も警察による動員によって、青少年女子が、軍慰安所の「酌婦、女給」として動員されたことが記載されているそうです。 http://masato555.justhpbs.jp/newpage147.html 2019年8月28日追記: 性奴隷の扱い方を記載した旧日本軍の公式文書は、実は戦時中既に、米軍によって翻訳され、保管されていたそうで、その資料の内容を、日本政府も承知しているそうです。 https://note.mu/tkatsumi06j/n/na61cc2f6db29 https://twitter.com/i/moments/1162549090586021889 https://togetter.com/li/928203 アジア女性基金も、性奴隷(従軍慰安婦)に関するディジタルアーカイブを、インターネット上で公開しています。 http://www.awf.or.jp/index.html
posted by オフィシャルひろし at 17:48Comment(0)TrackBack(0)

世俗人を祀るは宗教に非ず(LOVEさんの素直な疑問)

8/14の昼に放送された、TOKYO FM の番組”LOVE CONNECTION”でのこと。パーソナリティーのLOVEさんが、毎日新聞論説委員の平田崇浩氏語る”NEWS CONNECTION”のコーナーで、靖国神社問題について、人間を神にして祀る宗教を、海外の人に理解してもらうのは困難で、靖国問題(A級戦犯合祀の是非について)は、これからも平行線のままになりそうだと、語っていました。この発言は残念ながら、番組の公式ブログではカットされてしましましたが、日本国内では見落とされがちな、重要な視点だと思います。 言われて見れば、日本以外の国で、戦死した兵士など、俗世の出来事のために尽くした人間を祀るのは、(地域限定の)民俗・風習に属する文化で、宗教とは別の概念とみなされます。実際、そうした風習に人々が期待するのは大抵、現実社会の生活でのご利益で、(少なくとも建前上は)現実世界の利益から離れた所に価値を見出そうとする、宗教における信仰とは全く異質なものです。 日本の神社は、形式的には一応、神官が居て巫女が居て、参道には鳥居があるなど、統一された様式はあるものの、そこで何が祀られているかと言えば神社ごとにばらばら。五穀豊穣や無病息災、子孫繁栄など、現世のご利益のためという共通点はあるものの、樹木や岩石、山といった自然環境の一部が祀られたり、広い意味での政治(戦闘も含む)で貢献のあった人を神格化して祀ったり、逆に、政治的に不遇なまま生涯を終えた人や部族を(祟りを恐れてか、その関係者からの復讐を防ぐためか?)神格化して祀るなど、様々な自然崇拝や呪術の総称と言った方が良いかも知れない存在です。 そして日本の神社が、もともとは、現在「宗教」と呼ばれる体系立った、かつ現実社会での利害や優劣・豊かさとはと関わりを絶った価値を尊ぶ思想ではなく、現実生活に直結した見返りを期待する、いわゆる”原始”宗教だったからこそ、少なくとも明治維新までの間は、宗教施設である仏教寺院とも共存できた(寺院の敷地の中に神社の祠がある、など)のではないでしょうか? それが明治維新以降、神社と、様々神社で継承されてきた様々な(原始宗教の範疇に入る)伝承・思想の集合体だった神道が、国民の精神を支配する道具として再編され、神格化された天皇と結び付けられたことで、あたかも神道を、(”原始”というただし書きのつかない、国や民族を超えて広まる)宗教と同列に語る人が、多くなったのではないかと思います。 現実世界の生活での見返りを求める気持ちや、人種や民族を比較する発想を(少なくとも建前上は)絶った、仏教やキリスト教、イスラム教のような宗教が、信仰として一般化している社会で生まれ育った人達にとって、神道を宗教とみなす考えは、理解困難だとしても、何ら不思議ではないでしょう。 ましてや近代国家が、政府側について命を落とした将兵だけを、神格化させるための施設を造って、更にそれを宗教法人にするというのは、”宗教”を真面目に信仰している人達から見れば、まさに、神をも恐れぬ、理解し難い行動かも知れません。 日本社会にはこれからますます、明治政府が造った、特異な文化や価値観について、日本の外からの視点で客観的に、考える必要があるのだろうと、思います。
posted by オフィシャルひろし at 23:56Comment(0)

短文投稿:中立を装いデマを流すNPO

徐東輝という弁護士が代表を務める、Mielka というNPO法人が、2017年に行われた衆議院選挙で、虚偽情報を広めていたことが判明し、批判されています。 https://twitter.com/mattobaa/status/1122167214541426690 デマが含まれていた記事はこちらです。 http://senkyo.japanchoice.jp/archives/705 このNPOに限ったことではありませんが、世の中には、中立公正を装いながら、差別や偏見が横行しているクリティカルな問題でさえも、情報の真偽を確認せずに嘘の情報をたれ流す組織があるので、注意が必要です。 4月28日追記: 上記の、虚偽情報掲載に対する批判について、Mielka はどう応えるのかと、Mielka 公式ページの問い合わせ機能を使って問い合せたところ、下記の通り返答があったことをお知らせいたします: この度はJAPAN CHOICE内の記事に対するご指摘に関するお問い合わせ、誠にありがとうございます。 ご指摘のツイートに関する内容を検討させていただきましたところ、当法人の本意ではない解釈がされうる画像となってしまっておりました。 大変申し訳ございません。 改めて検討いたしましたところ、ミスリーディングであるとのご指摘もごもっともかと存じますので、訂正がなされるまで記事を非公開として対応させていただきました。 なお、当法人に関する種々の言及がございますが、政治的意思を持った一切の企業、組織からの献金をお受けしておらず、政治的に公平な立場を堅持しております。 政治的な主張に絶対的な中立などなく、それを堅持することの困難さは当法人も今回のようなケースがあるたびに痛感しております。 今後も有権者の皆様にとってわかりやすい情報発信ができるよう努めてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。 NPO法人Mielka
posted by オフィシャルひろし at 02:35Comment(0)TrackBack(0)

2019年4月17日追記:短文投稿:安全保障は無関係

もし、海兵隊の新基地が、安全保障のために必要ならば、運用開始がいつになるか目処も立たない辺野古基地の計画など、とっくの昔に変更になっているでしょう。ましてやそれが米軍のための基地ならば、米国政府が完成の目処も立たない米軍基地工事を静観するなど、あり得ないでしょう。 けれど辺野古基地工事が、安全保障には無関係で、自民党の土木利権のためだけに行われているとすれば、全て説明がつきます。 安全保障に貢献しないのだから、工事を完成させる必要もなく、工事が長引けば長引くほど、自民党の議員達はバックリベートで潤う。その原資は血税。 ”米軍”基地という建前は、違法な工事を強行するための口実に過ぎず、自民党の狙いは、利権のために、国の予算で、沖縄の自然を、破壊し続けることでしょう。 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-870424.html https://ryukyushimpo.jp/news/entry-872176.html 2019年4月17日追記: 実際、今年(2019年)に入って、米海兵隊の公式な計画書からは、昨年(2018年)まで記載のあった、"Okinawa Furtenma Replacement Facility" (沖縄普天間代替施設計画)という表記が、一切なくなっていることが、すでに明らかになっています。更に普天間基地についても、2028年までの記載しかないそうです。つまり米国政府も、海兵隊を、沖縄に長居させるつもりはない可能性が、濃厚になっています。 https://note.mu/tkatsumi06j/n/nc5e52ab9c65c?fbclid=IwAR3OJuPerdU_jXO2Le3A7dcAPzClKLp3oo5t_AW43zpky7h9o9asuwwJS28
posted by オフィシャルひろし at 17:44Comment(0)TrackBack(0)

戦前とどうちがう?(公教育にまで差別を持ち込む自民党)

アジア各国から連れて来られ、パスポートも取り上げられ、休みも与えられず最低賃金も守られない、実習生という名の奴隷達。何人命を落としたのか? 元締めも把握していない。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190125/k10011790841000.html そして気がつけば、日本の経済は、法による保護が届かない外国人労働者が底辺を支えている。外国人労働者の数は、厚生労働省が把握しているだけでも146万人。日本人派遣労働者数130万人を上回る。 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40474100V20C19A1MM8000/ 更にこのような、外国人(日本以外のアジア人)への虐待と差別を、なんとも思わないような差別を、公教育を通じて、潜在意識に刷り込もうとしているのが、自民党と、その支持層なわけです。 https://toyokeizai.net/articles/-/260713 以下、上記URL (東洋経済 ON LINE 2019 1/27 前川喜平著:ヘイトを撒き散らす危険な「愛国思想」の元凶) より引用→ 国民と同胞とを一体視する思考は、国家と家族も一体視する。国家とは血筋を同じくする大きな家族、即ち血縁共同体だという観念だ。それはまさに「國體思想」である。1937年に文部省が作成・配布した「國體の本義」という文書にはこう書いてある。 「我が國は一大家族國家であって、皇室は臣民の宗家にましまし、國家生活の中心であらせられる。臣民は祖先に對する敬慕の情を以て、宗家たる皇室を崇敬し奉り、天皇は臣民を赤子として愛しみ給ふのである。」 このような家族国家観は、直ちに自民族中心主義につながり、それはさらに排外主義や人種差別主義を呼ぶ。「同胞を大切にする」ということは、「同胞でない人は大切にしない」ということだからだ。 日本社会に暮らしている「同胞でない人」の中で最も数が多いのが在日コリアンだ。彼らが自らの民族の言語、文化、歴史などを学ぶために設置しているのが朝鮮学校である。安倍政権は朝鮮学校を高校無償化制度から排除し、各都道府県等に対し、朝鮮学校への補助金を見直すよう促した。このような動きを、私は「官製ヘイト」と呼んでいる。 「在日に日本人の税金を使うな」などと筋の通らない主張をする者がいるが、在日コリアンの人々もしっかり税金を納めている。官製ヘイトがまかり通る背景には、在日コリアンの人々に対する偏見と差別意識がある。「同胞でない人は大切にしない」という意識が、その偏見や差別の土壌になっている。そういう偏見・差別の極端な姿が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のようなヘイト団体だ。 日本は血のつながった日本人だけの国だという國體思想は、移民という「異なる血」を日本の社会に入れることを拒否する思想である。安倍政権は國體思想にとりつかれた政権だから、当然移民を嫌う。 ところがその反面、深刻な人手不足に直面する経済界からの要求に押されて、外国人労働者の受け入れを本格化するための出入国管理難民認定法の改正を強引に行った。これは事実上の移民解禁だと言ってよい。 移民を受入れるのであれば、教育、福祉、医療、住居その他生活万般にわたる円滑な受け入れ環境の整備を行わなければならないはずだ。しかし、安倍首相は移民政策は採らないという。つまりは、外国人労働者を人間扱いしていないということだ。 ←引用おわり そればかりか自民党は、差別意識などの刷り込みを徹底させるため、自分の頭で考えるという主体性を、国民から奪う教育を推進しています。 https://toyokeizai.net/articles/-/260699 以下、上記URL (東洋経済 ON LINE 2019 1/26 前川喜平著:我慢と自己犠牲を美化する教育勅語のヤバさ) より引用→ ところが、実際の検定教科書を見てみると、「考え、議論する道徳」のための教材だとは到底考えられないような読み物であふれている。 一例を挙げれば、2018年4月から小学校で使われている8社の教科書のうちの1つ、教育出版の教科書「小学どうとく」には、「れいぎ正しいあいさつ」と題する教材が載っている。「つぎのうち、れいぎ正しいあいさつはどのあいさつでしょうか。」と設問を掲げ、3つの選択肢が示されている。 (1)「おはようございます。」といいながらおじぎをする。 (2)「おはようございます。」といったあとでおじぎをする。 (3)おじぎをしたあと「おはようございます。」という。 正解は2、1と3は不正解、だそうだ。 この教科書の監修に当った貝塚茂樹武蔵野大学教授によれば、正解の2は「語先後礼」という礼儀の基本に沿ったものなのだそうだ。私は60年以上日本の国で生きてきたが、「語先後礼」という言葉は初めて聞いた。 貝塚氏によれば、このことは明治時代に文部省が刊行した「小学校作法教授要綱」以来の基本なのだそうだ。しかし、あいさつの仕方について「これが正解だ」と教えることは、子どもたちを1つの型にはめ込む指導であり、子どもたちの主体性を育てるどころか、それを阻害してしまうことになるだろう。文部科学省が求める「考え、議論する道徳」とは正反対の教材だと言わざるをえない。 ちなみに、中央教育審議会の専門委員を務め、文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇談会」の委員でもあった貝塚氏は、日本教育再生機構(2006年に「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれて発足した団体)の理事を務めるなど、日本会議系といわれる学者だ。 貝塚氏は、「考えたり、議論するという過程を経なければ、自分の問題として道徳的価値を自覚し、内面化できない」(『特別の教科道徳Q&A』ミネルヴァ書房、2016)と言うが、彼が言う「考え、議論する道徳」は、それ「自体が目的なのではなく、道徳的諸価値を“自覚”するための方法である」(『「考え、議論する道徳」を実現する!』図書文化、2017)と言う。 彼の論においては、道徳的価値は絶対的なものとして子どもたちの「外」にあり、それを「考え、議論する」という方法によって「自覚」させ「内面化」させることが道徳教育なのだということになる。「考え、議論する」過程を経ることにより、子どもたちは外から注入される価値を、あたかも自ら見いだした価値であるかのように思い込む。 これは、単なる教え込みよりもさらに巧妙な教化であり、洗脳といっても過言ではない。 教育出版などいくつかの教科書では、子どもたちに個々の徳目に沿った自己評価をさせている。この「自己評価」も外在的な価値を子どもたちが「内面化」する効果的な手段になるだろう。 「絶対的な価値」を「内面化」した子どもは、その価値観を他者にも押し付けるようになるに違いない。そのような子どもが多数を占めるに至ったとき、その価値観に納得できない少数者は否定され、排除され、敵視される危険にさらされるだろう。 「考え、議論する道徳」がこのような考えの下に行われた場合、それは徳目の注入方法として単なる「刷り込み」以上に強力な方法になる。それよりはまだ個々の徳目を「教師が抱く正解」として認知する「いい子」になるほうがましである。 また、貝塚氏の論に拠れば、「道徳の上にさまざまな学問・科学が乗っている」のだという。道徳を基盤にして哲学、政治、経済、科学、文学などが成り立つというのだ。これは国語、理科、社会などすべての教科が道徳を基にして教えられなければならないということであり、修身科を「筆頭の教科」と位置付けていた戦前の教育課程の考え方を復活させるものだと評価できよう。 徳目の教化が全教育課程を覆い尽くすというのだ。歴史教育は愛国心教育の上に行わなければならないということになる。これでは科学的思考や批判的精神はまったく育てられないだろう。 ←引用終わり 日本の社会には既に、日本国籍所持者に対しても、血筋や権力の都合によって、手の平を返したような差別が横行しています。 国際的には容認されている、二重国籍者が議員になると、マスメディアは、まるで敵国のスパイであるかのような憎悪の記事を流す一方、海外で暮らす日系人であっても、(権力に差し障りの無い)娯楽の対象になるなら、”日本人”だと言って賞賛します。 日本人と、ハイチ人との間に生まれ、米国で育ち、米国で暮らす、二重国籍のテニス選手、大阪なおみの活躍を、日本のマスメディアは、日本人の快挙だと賞賛する一方、彼女のもうひとつのルーツである、ハイチについては一切触れない異常さに、私達は気づく必要があります。 https://www.nikkansports.com/sports/news/201901270000017.html 日本のマスメディアは、彼女の血筋の一方を、まるで存在しなかったかのように扱っているのです。
posted by オフィシャルひろし at 11:20Comment(0)TrackBack(0)

快慶:写実力あってのデフォルメ

東京国立博物館で開催中の特別展、「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」を見に行ってきました。特に印象に残ったのは、快慶(の指揮の下で制作された)十大弟子立像の写実性でした。 運慶と並び、「慶派」の立役者として歴史の残る、快慶の仏像の作風は、まるで演劇や舞踏の一場面を切り取ったかのような、今の言葉で言うリアリティに溢れた仏像も多い運慶の作風とは対照的に、それまでの仏像(彫刻ではなく、あくまで信仰の道具としての表象)の美学から大きく外れることのない、端正、というか保守的なものですが(快慶自身、信心深い仏教徒だったと言われている)、この十大弟子立像については、仏像というより、彫刻と言った方が良さそうな、非常に写実的な造形でした。 とはいえ、その写実性は、演劇や舞踊のステージ写真を3次元で撮影したような、運慶の作風とは大きく異なり、写実的だけれども、現実世界の出来事のようなリアリティは感じられませんでした。運慶の写実が、ステージ上の俳優やダンサーのポートレイトなら、快慶の写実は、写真館で撮るポートレイト。モデルがボーズを決めて、静止して、シャッターが切られるのを待っていたかのような写実性。現代の写真撮影に例えれば、ダイナミズムの表現のために、カメラアングルやレンズの画角、それどころか、撮影後の被写体の体型まで画像処理で加工するような、運慶の作風に対し、快慶の作風は、カメラアングルも撮影に使うレンズも、カメラと被写体の距離も、徹底的に吟し尽くした上で固定され、撮影した画像の加工も一切しないような、ストレートな趣。 考えて見れば、極めて高い写実力があればこそ、写実から自在にデフォルメして、自分が追い求める、あるいは顧客が期待する美学に即した仏像の表現ができるわけで、写実的な描写力あっての多様な表現力、というのは、古今東西、共通した原理原則なのかも知れません。 そして、本展のもうひとつの目玉が、肥後別当定慶作(彼の指揮の下で仏師達が制作した)の六観音。 (鎌倉時代に定慶と名乗った仏師は、少なくとも、肥後別当定慶と大仏師法師定慶の二人がいるそうです) 肥後別当定慶の観音像は、髪型と衣の表現の豊かさに特徴があるそうで、確かに、一体一体、髪型も、衣の形やシワの寄り方も異なり、かつ立体的で、まるでファッションショーのような趣でした。 日本の古い仏像の多くは、塗装がすっかりはげ落ちてしまい、今ではそれぞれの造形の特徴しか、確認することができませんが、完成した当初は、着色の効果も相まって、仏師(今で言えば、工房の経営でも作品制作でも陣頭指揮を取るリーダー)毎の作風の違いが、今より一層際立ち、仏像や仏殿は単なる信仰の対象にとどまらず、今私達が目にする寺院より、はるかに多様で個性的な、世界観の表現であったのかも知れません。 まるで演劇や舞踊のワンシーンを再現したかのような、運慶のダイナミックな世界。 信仰に関係のない演出を、意図的に排除したかのような、ストイックな肖像作りに徹した快慶。 衣装、髪型という、今で言う”ファッション”の部分で個性を発揮した肥後別当定慶。 12世紀後半の相次ぐ戦乱を経て、武士という新興勢力が、過去500年ほどに及んだ朝廷の支配を無力化、力を持つ者と持たざる者が大きく入れ替わった時代。日本の文化は、現存する文化遺産から私達がイメージするより、はるかに大きな振れ幅で、変化していたのかも知れません。
posted by オフィシャルひろし at 01:49Comment(0)TrackBack(0)

9月30日加筆:情に流され分断と衰退を招く「基地引き取り運動」

沖縄に集中する在日米軍基地を、沖縄県外(具体的には本州)に引き取ろうとする運動が、一部の市民と大学教員によって、組織的に進められています。私はこの運動について、問題提起としては重要である一方、社会運動としては、国内世論を分断させ、沖縄の基地反対運動への、他県からの応援を阻害し、結果的に沖縄の人達を一層孤立させかねない、無責任な運動だと、認識しています。 https://news.yahoo.co.jp/feature/999 (沖縄県kら県外への)基地引取り運動を推進すべき理由としてまず第一に挙げられるのは、世論調査における日米安保賛成の割合が8割を超えているにも関わらず、在日米軍基地の大半が、沖縄県だけに集中し、沖縄県民だけが、在日米軍基地運用に伴う負担を強いられているという問題点です。 http://wpb.shueisha.co.jp/2017/06/16/86525/ http://wpb.shueisha.co.jp/2017/06/17/86533/ http://wpb.shueisha.co.jp/2017/06/18/86540/ それは確かに非常に深刻で、現実に起きている問題を深く考えず、日米安保に賛成している日本人に、彼らの有権者としての無責任さを自覚させる手段として、基地引取りという毒を彼らの喉元に突きつけるのは、一つの方法でしょう。ただし、それをそのまま、具体的な社会運動として進めて良いことにはなりません。 第一に、現在行われている基地引取り運動は、そもそも日本に米軍基地が必要かという、本来真っ先に考えなければならない問題を、後回しにする手法で、これでは結局、日本国内での、基地負担の押し付け合いを、煽るだけで終わるでしょう。 そもそも世論の8割以上が、日米安保に賛成しているといっても、そのうちどれくらいの人が、日米安全保障条約の条文や、日米地位協定の内容を知っているのでしょうか?基地引取り運動には、ます基本的な問題を、多くの人に理解してもらうという姿勢が見えません。 第二に、一連の引取り運動が、沖縄県への基地への集中が、日本の世論によってもたらされたように、宣伝している点です。 沖縄県に住んでいる方の中には、そういう思っている方も少なくない、というのは否定し難いのでしょう。 けれど、その認識に客観性があるのかどうかは、また別問題です。 確かに 1950年代、(現・沖縄県を除く)日本国内の基地反対運動の影響で、当時日本国内にあった米軍基地の、兵員や装備が、沖縄(当時は米国領)に移転した事実はあるのでしょう。けれどその当時、日本国内で基地反対運動に関わった人達は、基地が沖縄へ移ることを予想して、反対運動を展開してきたのでしょうか? またそれ以降も、沖縄県以外で、米軍基地反対運動に携わってきた人達は、基地が沖縄へ移ることを想定して、運動をしていたのでしょうか? そもそも、日本に米軍基地は要らないという、運動だったのではないでしょうか? いずれにせよ、在日米軍基地を沖縄に集中させたのは、日本政府(具体的には自民党と外務省)が一方的に決めてやったことで、その責任を、日本人全体に求めるような、現在の基地引取り運動のあり方は、誤りでしょう。責任を問う矛先は、日米安保条約に賛成している人達と、沖縄の在日米軍基地を容認している人達に、限定して突きつけるべきでしょう。そうでなければ(これまで、当事者意識を欠いていた人達に焦点を当てて当事者意識を持つように促す手法を取らないなら)、この運動を、展開する意味は無いと思います。 2018年9月30日追記: 沖縄国際大学の野添文彬准教授によると、日本国内で反・米軍基地運動が盛んになった1950年代末、米国内では、在日米軍基地を米国本国に返すべきという意見が多かったことが、米国内に残された資料から分かるそうで、日本政府側の岸信介総理(当時)も、沖縄での強引な基地建設が、日本本土に居る10万人の琉球出身者を通じて、日本国内での反米軍基地運動に飛び火するのを懸念し、この問題は琉球だけの問題ではなく日本人9000万人の問題であると、米国政府に伝えていたことが、米国の公文書に記載されているそうです。 https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20180928-00098462/ つまり、日米両国政府共に、当時日本国内にあった海兵隊基地を、日本国内の反米軍基地運動を沈静化させるために、沖縄(当時は琉球)に移転させたことを示唆する記録はなく、それどころか、沖縄(当時は琉球)での強引な米軍基地建設が、むしろ日本国内の反・米軍基地運動を激化させる懸念を持っていたわけです。こうした記録からも、当時の日本国内での反・米軍基地運動が、沖縄への基地集中を招いた原因だとする主張は、根拠に乏しいことが分かります。 沖縄の基地を、沖縄県以外に引き取らせるのが、本当に大事だと考えるなら、本来は何よりもまず、沖縄への基地集中を先導し、推進させている、自民党と外務省に対して、具体的な要請行動等を起こさなければならないはずですが、少なくともこれまでの報道を見る限り、基地引取り運動を進めている人達も、支援している人達も、自民党や外務省に対しては行動を起こさず、様々な意見を持つ一般国民を一括りにして、(基地引取りを進めないのは沖縄県民に対する差別だと)国民に矛先を向けているだけです。この運動姿勢は本末転倒でしょう。 第三に、現在行われている基地引取り運動は、これまでの、基地反対運動、つまり、沖縄かヤマトかを問わず、日本に米軍基地は必要ないとする運動や、沖縄県内外の、基地反対運動同士の連携を、知っていながら無視している点です。本来、これまでの基地反対運動を否定する方策を採るのであれば、これまでの、沖縄だけでなく、日本のどこにも米軍基地は要らないという運動より、基地を沖縄県外で引き取る運動の方が、早期に、沖縄の米軍基地を減らせると見込める根拠を示さなければいけないのですが、彼らは未だ、その根拠を示してはいません。 基地引取り運動を支持する、東京大学教授の 高橋哲哉氏も、これまでの反基地運動は成果が出ていないと批判するものの、では、自分が支持する基地引取り運動が、どのような理由で、従来の運動より、沖縄からの米軍基地撤退に関して大きな成果が期待できるのか? 具体的根拠は何も示していません。 http://gendainoriron.jp/vol.11/feature/f07.php すくなくともこれまで報じられている範囲では、基地引取り運動の参加者達は、単に思想を宣伝しているだけで、沖縄県の各米軍基地の移転先として、それぞれ具体的に、何県のどの地域なら可能なのか? その候補地検討すら始めていません。これでは、彼らが声高に思想を宣伝している間に、辺野古の基地も完成してしまうでしょう。 沖縄県の辺野古や高江での、米軍基地や訓練施設建設に反対する運動で、現場の陣頭指揮を撮り続けている、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんも、平和運動の連帯を大切にする必要性から、基地引取り運動には賛成できないと、発言しています。 https://news.yahoo.co.jp/feature/999 以上を整理すると、現在の、基地引取り運動は、下記の理由から、これまでの在日米軍基地反対運動や、日米安保見直し運動を、社会から孤立させ、沖縄への基地集中を一層長引かせるだけの、無責任な分断工作にしか、なっていないと思います。 1.既存の基地反対運動を、結果が出ていないと批判しながら、自分達の手法が、より優れた結果を出せる見通しを、一切示していない(辺野古基地建設に向けての埋め立て工事が、始まろうとしている中、基地引取り運動の推進者達は、辺野古に計画されている規模の基地を移転させられる具体的な候補地制定作業すら、始めていない)。 2.全国の基地反対運動や、平和運動に携わる人達と、既に長年、連帯して運動を続けている、沖縄県民を無視している。彼らに対する、建設的な提案を、何一つしていない。 3.日本政府(自民党と外務省)が一方的に進めた、沖縄県への在日米軍基地集中に関し、多様な日本の世論を一括りにして、(沖縄県民以外の)日本人の責任だと主張。本来落ち着いて分析し、広く国民に知らせなければならない、責任の所在を、あいまいにしている。そればかりか、本来真っ先に矛先を向けなければならない、自民党と外務省に対して、特別な行動を起こすことなく、一般国民に対してのみ、(本土に米軍基地誘致をしないのは沖縄県民に対する差別だと、)矛先を向けている。 実際、最近は基地引取り運動も、幾多の批判を受けているせいか、運動継続のために目標を変えているように見えます。 昨年秋、日本平和学会2017年度秋季研究集会で、新潟県立大学の福本圭介氏が発表した、「基地引き取り運動とは何か?─その認識、方法、希望─」によると、基地引取り運動は現在、普天間基地の、(沖縄県外への)移設先を具体的に議論する前に、日本に米軍基地が必要かどうか?当事者意識を持った国民的議論を行う。と、しています。 https://www.psaj.org/2017/10/20/%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%8F%96%E3%82%8A%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%8D%E8%AD%98-%E6%96%B9%E6%B3%95-%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%83%BC/ けれど、もしそのような軌道修正をするなら、国民的議論も始まらないうちから、既存の平和運動を、勝算もなく批判して、基地引取り運動を、進める必然性が、どこにあるのでしょう? 基地引取り運動とは、少なくとも現時点では、従来の基地反対運動を分断させるだけの、イデオロギーの宣伝に過ぎず、 沖縄にある米軍基地を減らす方策は、何一つ示していない点に、注意しなければなりません。 私は、この運動には、関わらない方が良いと思うので、引き続き、(沖縄に限らず)日本に米軍基地は要らない(現在の日米動面のあり方を見直すべき)という趣旨での基地反対運動に、参加や支援を続けたいと思います。 続く
posted by オフィシャルひろし at 22:26Comment(0)TrackBack(0)

2019/08/18 追記:南京虐殺

戦時中、南京郊外での住民虐殺を行った兵士達が、当時書き残した日記「陣中日記」を、小野賢二さんと言う方が、長年かけて調査している様子が、2008年4月6日深夜、日本テレビで、「兵士たちが記録した 南京大虐殺」というタイトルで放映されました。 http://www.dailymotion.com/video/x117i42 http://www.dailymotion.com/video/x39i2m1 http://www.dailymotion.com/video/x111yel http://www.dailymotion.com/video/x11lnxa 私もこの番組を見て、mixiにはその感想を書いたのですが、インターネット上でこの番組についての記録がないかと探していたところ、公開ブログ上でこの番組を紹介している方がいらっしゃいました。 http://plaza.rakuten.co.jp/sirjapan/diary/200804070001/ とても丁寧に番組の概要を紹介しているので、私のブログでも紹介させていただきたいと思います。 当時の兵士達が書き残した複数の陣中日記から、1937年12月16,17の2日間で、2万人弱の捕虜が虐殺された事が確認され,更に12月18日にも、1万人以上を虐殺したという記述が残されています。捕虜と言っても、その中に老人や子供が多数含まれていたことを明記した日記も残されています。虐殺(日記には銃殺と記載)が軍命だった事は日記にも明記され(虐殺の場所や方法も詳細に記録されている)、虐殺の理由は、捕虜に与える食料が無かったためと推察される(日本兵への食料補給もなく、軍命で現地での食料略奪が行われていた)というお話。 たった一つの歩兵連隊が関わった虐殺だけでも、老人や子供を含む2万名以上が虐殺されていた訳です。虐殺された犠牲者の総数が数十万という数字は,見当違いの推量とは言えないでしょう。 日本国内のメディアでは、南京大虐殺について,信憑性の低い情報はしばしば紹介されますが(虐殺を否定するため)、こうした地道な調査活動は、殆どメディアで紹介されない点に,注意しておく必要があると思います。 4/2追記: 1938年の南京において市民の保護に尽力したドイツ人を描いた映画「ジョン・ラーベ」(フローリアン・ガレンベルガー監督/中・仏・独)の、日本公開を求める署名運動が進められています。 http://www.shomei.tv/project-897.html 運動の趣旨に賛同してくださる方がいらっしゃいましたら、上記URLから署名をお願いいたします。 2015/10/08追記: 2015年10月4日深夜には、本テレビのNNNドキュメントで、上記番組の続編ともいえる内容が、「南京事件 兵士たちの遺言」というタイトルで放映されました。 https://www.dailymotion.com/video/x38lb8r_%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%80_news http://www.dailymotion.com/video/x5tvnkn http://www.dailymotion.com/video/x5nxc5t http://www.dailymotion.com/video/x493w0u http://www.dailymotion.com/video/x38lb8r http://lite-ra.com/2015/10/post-1564.html この続編では、番組スタッフによる、当時の軍部の公式記録と陣中日記との照合で、日記の記載に事実と異なる内容が無かったことが放送された他、小野賢二さんが撮影した、陣中日記を書いた本人へのインタビュー映像も放映されました。2008年の放送では放映されなかったもので、証言者に危害が加えられるのを防ぐため、証言者の存命中は、放送を控えていたのかも知れません。 また最近、この陣中日記に記載された虐殺は、暴動を起こした捕虜を鎮圧するためだったという説が流されていますが、この日の放映では、陣中日記に暴動鎮圧を示唆する記述が一切無いことも、指摘されていました。 なお、南京虐殺についての事実関係は、下記のインターネットサイトでも、確認することができます。 http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/ 2018/05/14追記: 本日 00:55-01:50 に、上記番組の更に続編となる、”NNNドキュメント「南京事件2」”が放映されました。 http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html http://www.dailymotion.com/video/x6jhn9a https://togetter.com/li/1227359 http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-1274.html 今回の放映では、残された陣中日記の内容や、虐殺を命じられた元兵士の証言内容を更に詳細に分析し、虐殺が行われた場所(揚子江沿岸)の、ピンポイントでの特定(現地取材)や、虐殺に使われた機関銃の配置、銃撃開始の合図など、虐殺手順の詳細が放映された他、虐殺を否定するデマに対する反証も、放映されました。 まず、殺されたのが、武装解除された捕虜や民間人ではなく、民間人になりすまし武器を隠し持っていた便衣兵だというデマについては、虐殺された捕虜が、ボディーチェック済みであったことが、陣中日記に記載され、虐殺現場に居た元兵士の証言も残っていることから、否定されました。 また、殺されたのは、開放直前に暴徒化した捕虜であって、やむを得ない自衛発砲だったというデマについては、その大元が、虐殺を行った、福島65連隊の、両角連隊長による1962年の発言(福島県内ローカル紙)であることが明かされました。 両角連隊長は、虐殺2日目の、12/17に初めて南京入りし、虐殺現場に居なかったことが資料で確認できる上、虐殺現場の責任者だった田上大隊長の護衛を担当した上等兵が、自身の陣中日記に、12/16日に2500名あまりの捕虜を殺害したこと(原文では”殺す”と表記)、,12/17に連隊長がようやく南京に入城し、同日に15,000人余りを殺害(原文では始末と表記)したことを、書き残していたそうです。 更に田上大隊長は、虐殺について一切口外するなと部下に命じていたとの、虐殺現場に居た元兵士の、生前の証言が残されており、田上大隊長、両角連隊長共に、捕虜を殺害した当日の時点で既に、虐殺が国際法違反であることを認識しており、自身が戦犯になることを恐れ、当初から虐殺の隠蔽を画策していた疑いが、持たれています。 2017/01/22追記: 少し古い記事ですが、南京事件に関連する、日本側の記事や証言(略奪や虐殺を認めた内容)をまとめた記事がありましたので、リンクを張っておきます。 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090602/p1 2019年8月18日追記 ”NNNドキュメント”はもっぱら、虐殺を命じられて実行した兵士の、陣中日記や証言の紹介でしたが、虐殺を目撃した、元海軍兵士の証言も、残っています。 http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2014-11/23/content_34127485.htm 以下、該当部分を引用: 1937年12月12日、南京防衛戦が最も激しかった時、18歳の三谷青年は日本軍艦隊と同時に南京近くに侵入し、烏竜山砲台を攻撃した。 三谷青年は当時、日本軍の駆逐艦「海風」の信号兵で、射撃などの命令を伝える役を負っていた。三谷氏は「海風」の写真を見せながら、自分は日本海軍の第24駆逐隊に属していたと語った。同隊の「山風」「河風」「江風」などの艦艇とともに、中国防衛軍の陣地を川から集中砲火した。 12月13日、南京が落ちた。日本の軍艦は下関江に停泊した。「中山埠頭の方から4隻の筏が流れて来た。上にはごちゃごちゃと人のようなものが重なっている。2メートル以上はありそうだ。偽装して襲撃しに来たのかと10分ほど射撃したが、反応はない。それで上に積まれていたのが中国人の死体だったことがわかった」 「12月16日夜、翌日入城式に参加せよとの命令が来た。参戦してから2カ月以上経つが、足が泥で汚れていない。岸に上がって式典に参加できると聞いて、みんなハイキングにでも行くような気持ちだった」 埠頭からユウ江門までの道は瓦礫だった。南京占領から4日経って、衣服や死体が町中に散乱していた。「中山北路付近の広場には、あちらこちらに死体の山が積み上がっていた。死体の山は一つで死体が5、60体はありそうで、地上にも血が凝固していた。死者の多くは老人や女性で、子どももおり、すぐに一般市民であることがわかった。刀で刺されて死んだらしいのもいれば、首が落とされたのもあった。裸の死体もあったし、手が後ろで縛られているのもあった。酷くて見ていられなかった」。三谷老人はそう言って目を閉じた。 「中山北路だけがこうだったわけでなく、南京全体が地獄だったはずだ。陸軍は恥知らずで、やりすぎた!」 写真を握る三谷老人の両手が震え始めた。「町全体が生気を失って、死んだように静かだった。鳥さえ見なかった。日本兵以外には、日本国旗を持った中国人が時折通った。日本国旗を持っていないと殺されるからだ」。 軍艦に戻った三谷老人は翌日、さらに恐ろしい情景を見ることになった。「12月18日午後、軍艦のブリッジで見張りをしていると、下関の南岸から機関銃の銃声が聞こえてきた。悲鳴も時々聞こえた。軍艦は岸から500メートルほど離れていた。望遠鏡で見ると、中国人が一組ずつ、銃声と一緒に倒れる。映画のスローモーションを見ているようだった」 三谷氏はその後数日、朝から晩まで、一群一群の中国人が下関江の川原でまとめて虐殺されるのを見ることになった。「トラックで20人、時には30人もいっぺんに川原に連れて来て、機銃掃射する。ダダダッ、ダダダッ」。老人が機関銃の音を真似る。 恐ろしい悲鳴が機関銃の音にまじって響きわたり、数十秒してから静かになる。静かになったと思ったらまた響き始める。「南京を離れたのは12月25日だが、それまで下関の岸では毎日こうだった」。長江は当時、渇水期に入っており、水位が下がっていた。「殺された後、一部の死体は泥に埋まって、一部の死体は岸辺に重なっていた。日本兵が中国人に死体を回収させているのも見た。穴を掘って埋めたり、川に投げ入れたりしていた」。三谷老人は投げる動作をしてみせた。 三谷氏はこうして南京大虐殺の真相を目撃したが、沈黙を強いられることになった。休暇をもらって正月を日本で過ごすことにした三谷氏は、南京で見たことを誰にも話してはならないという厳命を受けた。その後、数十年にわたって、三谷氏は南京での見聞を口にしなかったという。 以上。引用おわり
posted by オフィシャルひろし at 02:23Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:拉致問題は決着済み

米国と北朝鮮との、電撃的な和平交渉開始に次いで、北朝鮮に捉えられていた米国籍人3名が開放され、日本神羅ち被害者はどうなるのかが、改めて問題になっていますが、日本の拉致被害問題は、外交上は、小泉政権時代に決着済みとの指摘が出ています。 http://gekkan-nippon.com/?p=13334 以下、元日朝議員連盟会長の石井一氏による重要な指摘部分を引用します: 石井 小泉訪朝には裏話があるはずです。小泉一行は平壌に到着後、北朝鮮側から予期に反して「拉致被害者13人のうち、5名は生存しているが、8名は死亡している」と通告されました。しかし、日本側は事前に「拉致被害者13人は生きていて、全員返す」というメッセージを受けとっていたはずです。小泉は拉致被害者13人を奪還できると思って平壌まで行ったが、土壇場で「8名死亡」を告げられ、茫然自失したのではないか。  その後、日本側は北の用意していた昼食をキャンセルしましたが、それは「騙された」「話が違う」という不満の表れでしょう。それならば、その場で机を蹴飛ばして帰国すればよかったのです。  この時、金正日は日朝首脳会談を機に拉致を国家犯罪として認め、主席の立場で正式に謝罪したのです。その上で小泉と金正日は平壌宣言に署名しました。つまり、拉致被害者に関する北朝鮮の説明は、両首脳の間で「事実」として決着したということです。この事実はトップの間で確認されているので非常に重いものであり、拉致問題はこの時点で終わったということです。  日本側も不本意ながらこれを認めました。現に小泉訪朝の当日に、東京では福田官房長官が外務省飯倉公館に拉致被害者の家族全員を招集して、北朝鮮側の説明を伝達しました。国際社会から客観的に見た場合、「両首脳の合意によって事実を確認した上で拉致問題は決着した」ということになります。 引用おわり 自民党政権は、拉致問題の今後について、曖昧な説明しかせず、北朝鮮の金正恩氏からも、なぜ日本政府は自分に直接言わないのかと、言われてしまいましたが(日本政府が北朝鮮政府に、直接拉致被害者の帰国を求めたのは、公にされている範囲では2016年が最後)、 http://bunshun.jp/articles/-/7372 https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20180511-00085074/ https://johosokuhou.com/2018/05/11/4689/ https://ameblo.jp/kazukttk/entry-12375257791.html 上述の指摘通り、外交上は決着済みなのであれば、日本政府は国際的には、強い姿勢に出ることはできないでしょう。
posted by オフィシャルひろし at 00:25Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:日本のフェイク・ニュース

 近年、インターネット上で、ニュースの体裁で拡散される虚偽情報、いわゆる「フェイク・ニュース」が、大きな問題になっていますが、日本の場合、閣僚や、与党議員自らが、公式の発言や公式メディアを通じて、虚偽情報を、絶え間なく流し続けるという、他の先進国には見られない異常さがあります。 http://buzzap.jp/news/20180331-fake-news-japan/  それは今にはじまったことではなく、第二次世界大戦中に、撤退を「転進」と偽り、全滅を「玉砕」と偽り、自爆攻撃を「特攻」と言い換えた大本営発表から続く、日本の権力機構の、常軌を逸した慣例ですが、日本の権力機構でひんぱんに見られるに虚偽情報の発信や公文書の改ざんは、国を、近代国家として統治するのを、不可能にする行為です。 http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/39447 https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180405-00083596/ https://thepage.jp/detail/20180408-00000002-wordleaf?pattern=3&utm_expid=90592221-90.LNdTmeJYRGyCrKRhiosRkg.3 もともと日本政府には、公文書を管理しようとする姿勢に乏しく、国立公文書館の職員数は、2014年の内閣府の調べによると、米国が2720人、ドイツが790人、英国が600人、フランスが570人、(独立から1世紀を経ていない)韓国が340人なのに対し、日本はわずか 47人なのだそうですが、 https://twitter.com/CybershotTad/status/982978263277449217  とりわけ安倍政権以降は、国会審議での議事録の改ざん(与党議員の暴言、不適切発言の削除や議決ねつ造)が頻発し、報道でもしばしば取り上げられるようになった他、インターネット上で、同政権を支持する勢力による、組織的な虚偽情報拡散による世論誘導が常に行われるようになりました。 https://the01.jp/p0006605/ その中でもとりわけ、沖縄県(民)に対する、虚偽情報拡散による、組織的な差別の扇動は執拗です。 https://twitter.com/trueokinawa2017 https://www.facebook.com/uchinaaruaru/ その上、警察による拘留も、先進国の中では異質な、非人道的なものになっています。 https://toyokeizai.net/articles/-/215509 日本は本当に、先進国と言えるのでしょうか? 
posted by オフィシャルひろし at 01:44Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:米国の代理で戦争するための南西諸島基地

以前のブログで、日本周辺で紛争勃発の危険が高まったときは、在日米軍は撤退してしまい、沖縄や南西諸島に配備された自衛隊が、沖縄県を主戦場に、米国の代理で戦争をするという、米国政府の方針を紹介しましたが、 http://hiroshi-s.at.webry.info/201303/article_2.html それに関連した資料、主に、伊波洋一参議院議員(元宜野湾市長)の寄稿や発言の幾つかが、インターネット上で閲覧できるようなので、以下にそのリンク先を掲載します。 IWJによるインタビュー記事(2013年4月2日) https://iwj.co.jp/wj/open/archives/72007 伊波洋一氏のツイートまとめ(2013年10月15日) https://togetter.com/li/577171 伊波洋一氏の発言を紹介したブログ(2014年8月3日) http://sun.ap.teacup.com/souun/14868.html IWJによるインタビュー記事(2014年12月20日) https://iwj.co.jp/wj/open/archives/215279 映画『標的の村』を撮影した三上智恵氏による解説記事(2015年9月9日) http://www.magazine9.jp/article/mikami/22529/ IWJによるインタビュー記事(2015年12月21日) https://iwj.co.jp/wj/open/archives/279853 上記URLより一部引用: その場合、限定戦争の主たる舞台になるのは沖縄周辺だ。伊波氏は、米国は南西諸島を舞台に自衛隊と中国軍とを戦わせて、日本が敗退するシナリオを描いていると説明する。  「中国に花を持たせ、台湾は米国が押さえて戦争を終わらせる。すべて米国の国益のため。日本にとって、選択肢は他にもあるのに選べない。もっと中国と仲良くやればいい。それができないのは、とても近視眼的だ」  伊波氏はインタビューの前半で、琉米修好条約締結160周年で、琉球新報と沖縄タイムスが沖縄の「自己決定権」を歴史的に検証した記事を紹介して、琉球王国の歴史を説明した。  「琉球国は武器を持たず、他国との信義を重んじることで、450年もの間、平和を保ってきた。1853年には独立国として、米国と琉米修好条約を締結している。その後、明治政府による琉球処分(1872〜79年)があり、明治政府は有利な通商権を得るために、宮古・八重山割譲案で、中国(清)に与えようとした。しかし、亡命琉球人が命懸けで清朝政府に抗議し、調印は撤回されている。このような琉球の歴史は、今まで隠されていたに等しい」  また、現在の沖縄で、イデオロギーを超えた「オール沖縄」から「島ぐるみ会議」に至った動きには、国際立憲主義と自己決定権という考え方があることを示し、自己決定権について、「ニュージーランド、オーストラリアやハワイで起こっている、先住民の土地の返還と権利の確認だ」と説明。「これに基づき、翁長知事が辺野古の埋め立て承認を取消し、『政治的イデオロギーよりもアイデンティティ』との言葉を生み出した」と述べた。  インタビューの終盤で伊波氏は、「日本にも、ひとつの指針が芽生えてくれれば」と期待を口にし、辺野古の問題は日本全体を左右するという危機感を、国民が共有できるかが問われていると訴えた。 映画『標的の村』を撮影した三上智恵氏の寄稿などを紹介したブログ(2016年1月21日) http://d.hatena.ne.jp/cangael/20160121/1453349535 ウエブジャーナル”コモンズ”掲載記事 「講演】辺野古埋め立て承認の取り消しと沖縄の自己決定権 「辺野古基地建設強行糾弾!12・5緊急関西集会」での伊波洋一さん講演録」(2016年1月24日) http://com21.jp/archives/10777 伊波洋一氏がネット上で公開しているpdf資料 http://ihayoichi.jp/yoichi_wp/wp-content/uploads/2017/06/4ec373358be7964b5ffc7627a7d8cac5.pdf 以上。
posted by オフィシャルひろし at 21:58Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:ペリー元国防長官の証言。辺野古基地は日本政府の意向。

先週のことになりますが、NHK教育テレビで、クリントン政権時代の国防長官であった、ウィリアム・ペリー氏へのインタビューが放映されました。 http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2017-11-18/31/6516/2259599/ インタビューの内容は、1990年代半ば、北朝鮮の核開発が明らかになった時の、米国政府の沖縄基地政策に関する事柄が中心でしたが、ペリー氏は、普天間基地の県内移転は、日本政府の意向であって、米国政府の要求ではなかったと、明言していました。 沖縄の海兵隊基地を巡る、ペリー氏の証言の要点は、下記の通りです。 1.北朝鮮の核開発が判明した当時、米国政府は、沖縄の在日米軍基地を拠点にした北朝鮮への先制攻撃を考えていた。 2.当時国防長官だったペリー氏は、日本政府に対して事前に、北朝鮮への先制攻撃に、在日米軍基地を使って良いか尋ねた(ペリー氏曰く、「日本政府に”ノー”と言う機会を与えるため)が、日本政府からの答えは”Yes”だった。 3.米国政府は、普天間基地より能力の高い、新しい海兵隊基地を必要としてた。普天間返還というのは新しい基地を作るための表向きの理由に過ぎず、ペリー氏は、1995年の時点で、次期総理と目されていた橋本龍太郎(当時通産大臣)にも、米国政府が、普天間に代わる新基地を検討している旨を伝えた。そしてそれから3ヶ月後、総理大臣となった橋本龍太郎と、クリントンとの会談で、普天間基地返還を表向きの理由とした、海兵隊の新基地検討が決まった。 4.米国側は、普天間基地の移転先として、沖縄県内への移転にはこだわっておらず、ペリー氏は(沖縄県民に配慮して)県外移転を望んでいた。しかし、日本政府が普天間基地の県外移転に消極的で、県外移設の日米合意は出来なかった。 こうした経緯の延長線上に、現在の、辺野古基地建設がある訳ですが、NHK取材班に案内され、辺野古の工事現場を視察したペリー氏は、「普天間基地を訪れたとき以上に失望した」と、語っていました。 ペリー氏は、北朝鮮に対する抑止力(朝鮮有事の際には、迅速に大量の地上兵力を挑戦半島に送り込む体制を、北朝鮮政府に対し手誇示する必要性)として、今でも在日海兵隊基地が必要だと、番組中で主張していましたが、米国政府は既に、海兵隊のグアム島集結を決めていて、沖縄に海兵隊基地を作る必要性は、薄れる一方です。 米国が一方的に正義で、北朝鮮が一方的に悪であるかのように国際情勢を語り、米国が、北朝鮮への先制攻撃の姿勢を見せ続けることで、世界の平和が保たれるとする、ペリー氏の政治信条には同意できませんが、若き日に一兵卒として終戦直後の沖縄へ赴き、自らその惨状を目の当たりにしただけでなく、国防長官就任後に、沖縄戦の生き残りでもある大田昌秀元沖縄県知事と真摯に議論を交わし、強い信頼関係で結ばれたペリー氏にとって、自らの政治上の信念を、沖縄に押し付けることは、戦争を知らない世代には計り知れないほど、つらく厳しい役目だったのかもしれません。 沖縄の人達の苦難に一番無関心なのは、米国の政策担当者よりも、ヤマトの政治家や官僚や、大衆なのではないでしょうか?
posted by オフィシャルひろし at 02:21Comment(0)TrackBack(0)

権力の暴走よりも、批判よりも、国民の沈黙の方が怖い

沖縄県東村高江地区でのヘリパッド建設反対運動を見て、「東村村民には賛成している人も少なからずいる」とか、「沖縄県民の意見は多様」とか言う人達が居ますが、こうした言動は、この問題が、深刻な騒音公害問題であるという、基本的な事実を無視した、とても無責任な言動だと思います。高江にせよ、普天間・辺野古にせよ、嘉手納にせよ、沖縄の米軍基地問題は、騒音公害問題であるこを、忘れてはいけないと思います。 http://ryukyushimpo.jp/news/entry-319557.html  また、沖縄の米軍が、日本を守っているからと、沖縄県内の米軍基地存続や、新規の基地建設を正当化しようとする人達も居ますが、少なくとも、普天間、辺野古、高江で問題にっなっている海兵隊は、制海権・制空権を確保した後でなければ出撃できず、仮想敵国に攻撃を思い留まらせるという意味での抑止力には、何ら貢献しません。  更に、海兵隊に限らず、沖縄駐留の米軍に限らず、在日米軍は全て、日本の有事が懸念される場合は、日本から撤退することが決まっています。これは、一般に公開されている方針なので、もちろん、日本政府が仮想敵国としている中国政府も、充分承知しているでしょう。 http://hiroshi-s.at.webry.info/201303/article_2.html つまり海兵隊に限らず、在日米軍は、日本有事の際に、日本政府の施政下にある領土が戦場になるのを防ぐ、という意味での抑止力としては、全く機能しないということです。いざ日本が有事になった際、日本国民を戦略者の砲弾やミサイルから守ることのない米軍のために、沖縄の貴重な自然の生態系を破壊し、沖縄の人達を深刻な騒音で苦しめなければいけない必然性は、政治家や官僚、一部土木事業者たちの利権以外に、何があるというのでしょうか? 沖縄平和運動センター議長の山城博治さんは、「『知らない、見ない、聞きたくない』。権力の暴走よりも、批判よりも、国民の沈黙の方が怖いですよ」と、基地問題に関心を持とうとしない一般国民が、権力以上に恐ろしいと述べています。 https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/takae-2?utm_term=.uadwdearL#.fmd4BjZ0V 公害問題や環境破壊問題に、県民かどうかは関係ないし、ヤマトンチュかウチナンチュかも関係ありません。(何の抑止力にもならない軍需利権のためだけの施設のせいで)今でも昼夜を問わない騒音公害に苦しめられている方々に対して、私達が一人の人間として、どう考えるのか? どう手助けするのか? の問題です。私は定期的に、沖縄県での海兵隊施設建設に反対する人達に、資金援助をしています。
posted by オフィシャルひろし at 17:13Comment(0)TrackBack(0)

学習指導要領へのパブリックコメント

先日ある民間団体より、”「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」に関するパブリックコメント(意見公募手続)の実施について”というパブリックコメントに、意見を出して欲しいとの依頼メールが来たので、パブリックコメントの募集要綱と添付資料に一通り目を通してみたところ、次期学習指導要領の最大の問題点は、北欧諸国のような、少人数学級で行われている指導を、日本の40人学級でやらせようとしている点にあることが分かりました。 そこで、依頼メールの内容も含め、パブリックコメントに、下記の意見を提出しておきました。 1、まず第一に、次期学習指導要領の実施にあたっては、小中高全ての学校(少なくとも公立校)において、1クラスの生徒数20人以下を実現させた上で、実施すること。本指導要領の内容は、全体として、生徒ひとりひとりに合わせた指導の強化と、多様性への寛容さを基軸としており、好感が持てるものの、こうした教育は、北欧諸国で実施されているような、少人数教育が大前提であり、現在の日本の学校教育のように、富国強兵時代の教育理念(全員に、均一な価値観と思考法と知識をすり込む、実質的には洗脳)を前提とした大人数のクラスう編成では、教師の負担が過大で、持続的な実行は不可能である。よって、本学習指導要領の実施前に、少人数のクラス編成を、日本全国に浸透させなければならない。 2.歴史教育においては、とりわけ中学性以上において、批判的検証の必要性を、学習指導要領として明記すること。歴史とは、考古学とは異なり、客観的な事実ではなく、事実に対する、特定の価値基準に基づく解釈であり、しばしば、客観性の乏しい伝承が含まれることも珍しくない。従って、学習指導要領においては、特に中学校以上の日本史に関し、現在、歴史として伝承されているストーリーが、どのような価値基準に基いているのかを探り、考察するプロセスを盛り込まなければならない。例えば、日本の明治維新以降の歴史については、明治維新が日本の近代化に貢献した側面と、武士階級による、事実上の内戦によって疲弊した経済を立て直すため、新政府が成立直後から隣国への侵略に突き進み、結果的に国を破滅されていった側面の両面を、生徒に学ばせなければならない。更にかつての侵略政策の影響で、日本では現在に至るまで、近隣諸国への差別意識、が蔓延し、近隣諸国との関係改善を妨げていることも、生徒に学ばせる必要がある。 歴史とは、愛する対象ではなく、常に批判的に検証すべき対象であることを、学習指導要領における歴史教育の目的として、明記すべきである。  また地理に関しては、現在の、(人間が住めない厳しい環境の土地や海上にまで国境線を引こうとする)領土という概念が、近代国家特有のものであり、決して普遍的な概念ではないこと。このような、自分達の生活圏から遠く離れた場所にある自然環境までも所有権を確定させようtいう考え方自体が、持続可能な社会の維持への障害となっており、いわゆる”固有の領土”に関する外交上の駆け引きも、経済的権益の奪い合いであること。これらも学習指導要領を通じ、生徒に理解させる必要がある。 3.芸術(音楽、美術、工芸)教育、とりわけ高校における芸術教育においては、作家、あるいは演じ手が、どのような思いで作品に取り組んだのかを考察させることを、鑑賞における指導要領の核とすべき。作品、あるいはその様式とは、作家や演じ手の”思い”の痕跡であり、痕跡から”思い”を洞察する行為が、芸術の鑑賞であり、そこから芸術への理解力が育まれる。また様式にとらわれず、”思い”を洞察することで、芸術の普遍性が理解でき、様々な時代・地域における表現活動への理解力も育まれる。  一方、芸術の様式は、異なる表現行為同士のつながり(変遷)を理解する手助けとなるので、芸術の様式についての授業は、時代や地域をまたいだ、表現行為どうしのつながりの理解を目的とすることを、学習指導要領に明記すべき。日本文化の特色も、他の文化圏からの影響も含めた、歴史的変遷として生徒に認識させることによって、他の文化圏の文化への興味が育まれると期待できる。他の文化圏からの影響の理解が充分でないと、日本文化の特色の理解が、自国文化を特別視する、選民思想に発展する危険がある。 4.長らくその必要性と拡充の必要性が指摘されている性教育については、必ずしも、学習指導要領でその具体的指針を定めるのが良いとは限らないが、性教育の理念として、 ① 他者への思いやり、とりわけ他者に喜んでもらう行為を通じての、両者の幸福追求が、性交渉を行う意義であること。 ② ①の理念の基づき、性的欲求の多様性を尊重すること。LGBTへの理解も性教育の目的とすること ③ ただし、いかなる性的欲求があろうと、性交渉において、支配・被支配の関係を持ち込むことは決して許されない。 といった基本的考えは、学習指導要領に明記すべき。 以上。
posted by オフィシャルひろし at 23:17Comment(0)TrackBack(0)

日本政府には無い歴史への誠実さ

去る8月6日に、NHKスペシャルとして放映された、「決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~」を見て、一番驚いたのは、近年の研究で明らかになった、トルーマン演説の嘘そのものより、トルーマンの嘘を暴く資料が、米軍の施設も含め、公的な図書館にきちんと保管されて、(恐らくは一定の期間経過後に)社会に開示されている、という点でした。 更に、トルーマンの嘘を暴いているのが、米国内の現職の大学教員達であることも。 もしこれが、日本(特に今世紀に入ってからの)ならば、権力者に都合の悪い資料は、官僚が闇に葬ってしまい、図書館に渡ることはないでしょうし、歴史の闇を暴こうとする大学教員は、国内の愛国者達から、様々な脅迫を受けてしまうでしょう。 そして、今回の放送で紹介された、日本への原爆投下の経緯(近年の資料発掘で明らかになった史実)は下記の通りで、日本への原爆投下は、日米戦争の戦況とは関係なく、大統領の指示でもなく、米軍の意向によって強行されたとのことです。 1、レズリー・グローヴス率いる、米軍の原爆開発部隊は、戦況に関係なく、初めから一般市民虐殺(によって原爆の威力を世界に誇示すること)を目的に、日本の都市、それも、空襲被害を受けていない都市に原爆を落とす計画だった。しかしトルーマンは、ルーズベルトの急死により急きょ大統領になったため、軍の原爆開発(マンハッタン計画)については何も知らず、関心も無かった。大統領就任当初は、クローブスから計画遂行の承認を求められても、報告書に目を通すことすら面倒くさがった。 2. 一方、文民側のトップである、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、B29による度重なる日本空襲が、米国の国際的評価を落とすことを懸念していた。とりわけ、クローブスが強硬に主張した、京都への原爆投下については、実行すれば、米国はナチス以上に残虐な国だと非難されかねないと考え、決して認めなかった。トルーマンも、スティムソンの進言を採用し、グローブスの、再三の承認要求にも関わらず、京都への原爆投下を却下し続けた。 3.クローブスは当初、京都への原爆投下にこだわっていたものの、日本の敗戦が近い戦況となったので、日本の降伏前に、原爆を出来るだけ数多く落とす方針に計画を修正し、京都への原爆投下を断念した。その代わり、当初からの投下目標のひとつだった広島を、軍事都市だと偽って大統領に報告し、大統領が原爆投下を承認するよう工作した。 4.しかし、米国内に残る資料の中に、トルーマン大統領が、原爆投下を承認した記録は、未だ発見されておらず、広島、長崎への原爆投下が、どのような手続きで実行されたかは、未だ明らかになっていない。 5.トルーマンは、広島への原爆投下の2日後の、1945年8月8日に、広島の(軍事施設ではなく)市街地の中心に、原爆が落とされたことを知り、大勢の女性や子供までも犠牲にする作戦を、(事実上)黙認してしまったことを後悔しているとの私信を、友人宛に出している。トルーマンが、広島の市街地に原爆が投下された事を知ってから半日後には、長崎へ原爆が投下された。 6.トルーマンは、1945年8月10日になってようやく、原爆投下の中止を軍に指示したが、その際、「(原爆投下の度に)10万もの人々の命が奪われることは、考えるだけでも恐ろしい」と発言していたことが、記録に残されており、トルーマンが、原爆投下を、極めて非人道的な行為と認識していたことが、判明している。 7、にもかかわらずトルーマンは、その前日の8月9日に放送された、国民向けのラジオ演説では、戦争を早く終結させるために原爆投下を決断したと、実際の原爆投下の経緯とは異なる、嘘の説明を行い、その後も生涯、世界各地で、同じ説明を繰り返した。 トルーマンは、ルーズベルト急死により、何の引き継ぎ説明も受けることなく大統領に就任したため、何も知らされないまま、日米戦争にまつわる重大な決定を強いられていた、という事情はあるものの、軍の暴走を追認し、正当化するために、国民に嘘をつくという、大日本帝国が、中国大陸で行ったのと同じ過ちを、犯してしまった訳です。 今年5月、米国のオバマ大統領は、戦後の米国大統領としては初めて、広島の原爆慰霊碑を公式訪問しましたが、この訪問の背景の中のひとつには、今回放映されたような、米国内での歴史研究の進展が、あったのかも知れません。 原爆投下を正当化した、トルーマンの演説内容が、嘘だったと、米国内から指摘され始めているわけですから、これからの米国大統領は、かつての原爆投下に関して、これまでとは違った態度で、臨む必要に迫られるのかも知れません。オバマ大統領の広島訪問は、ひょっとしたら、その布石という意味合いも、あったのかも知れません。

日本の大手メディアが伏せる「国際海洋法条約」

先日日本の新聞各社は、フィリピン政府が国際海洋法条約に基づき提訴した仲裁裁定で、フィリピンと中国が領海を巡って争っている南沙諸島における、中国の領有権が否定された、というような報道が相次ぎましたが、調べてみると、一連の報道には、すくなからず嘘が含まれていることが分かりました。 私も国際海洋法条約の条文を確認してみたのですが、そもそも国際海洋法条約では、領海については仲裁裁定で決められない(当事国が裁定を拒否できる)規定がありました。 結論から言うと、今回はフィリピン政府が、条約の抜け穴を利用し、問題を領有権ではなく、中国が埋め立てを進めている南沙諸島上の岩礁が、「島」と言えるかどうかの裁定に持ち込み、間接的に、中国政府の主張を退けるのに成功したというのが真相のようです。 http://blogos.com/article/183352/ こうしてフィリピン政府は、島ではなく岩礁(=領有権は存在しない)→岩礁周辺には領海は存在しない、という間接的論法で、中国の領有権・領海の主張を退けたのですが、国際海洋法条約では第298条で、「海洋の境界画定に関する紛争」については、いずれの国も拘束力を有する解決手続を拒否できると定めれていて、中国が島と主張する場所が、岩礁と認定されたからといって、中国に、領海の境界を変更する義務が、直ちに生じるわけではなさそうです。 http://diamond.jp/articles/-/95522 https://tanakanews.com/160717china.htm 更に、今回の裁定は、当事者であるフィリピン・中国以外の国の、領海の主張にも、大きな影響を与える副作用をもたらしました。今回の裁定では、台湾が実効支配する太平島(滑走路がある広大なもの)も、岩礁と裁定され、南沙諸島における、台湾の領有権主張も否定しています。当然台湾政府は、裁定受け入れ拒否を宣言しました。 http://www.asahi.com/articles/ASJ7F3DJHJ7FUHBI00F.html https://twitter.com/sohbunshu/status/753081966241648641 また、今回の裁定が、「判例」となると、日本の沖ノ鳥島はじめ、太平島よりはるかに小さい島々も、岩礁と認定される可能性が高く、日本の領海も、大幅な縮小を余儀なくされる可能性が高いです。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160712-OYT1T50124.html となると、フィリピン、中国、台湾以外の当事国(南沙諸島内で領有権を主張する国々)の反応が気になるところですが、日本のメディアは、これらの国々の反応を、一切報じていません。 しかし実際には、中国、台湾だけでなく、ベトナムも、今回の裁定受け入れを拒否している模様で、 https://twitter.com/sohbunshu/status/753712421760409600 カンボジア政府は、日本政府が水面下で、今回の裁定に賛成するよう要求してきたが、拒否したと、発表したそうです。 https://twitter.com/sohbunshu/status/753709088404418560 この問題で日本のマスメディアは、中国政府が一方的に悪で、フィリピン政府が全面的に正義であるかのような報道をしていますが、事はそう単純ではないようです。
posted by オフィシャルひろし at 21:59Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:自民党の変貌と外務省の暗躍

2015年12月13日付けの、インターネット版産経ニュースに、日本共産党の、不破前議長の会見の模様(文字起し版)が、掲載されています。 終戦直後から現在までの政治の変遷を、保守政党からファシズム政党に豹変してしまった自民党の変化の様子や、対米隷属を支えてきた外務省の暗躍について、詳細な証言が記載された、貴重な資料になっています。 http://www.sankei.com/politics/news/151213/plt1512130002-n1.html
posted by オフィシャルひろし at 01:09Comment(0)TrackBack(0)

短文投稿:顧みられなかった遺言

先日公開された、井深大氏晩年の講演録。 http://newswitch.jp/p/2478 ソニーの創業者の一人であり、戦後の日本の、技術競争力を築いた立役者の一人である井深氏は晩年、 技術信仰をたしなめ、エレクトロニクス産業におけるパラダイムの転換に備えるよう、警告を発していました。 けれど、 その警告に耳を傾けた人は、ソニーにも、日本の電子産業界全体でも、皆無でした。 そして井深氏の警告通り、エレクトロニクス産業界のパラダイムはめまぐるしく変わり、日本企業の競争力も市場開拓力も、凋落し続け、今に至っています。
posted by オフィシャルひろし at 02:22Comment(0)TrackBack(0)

英国政府と米国財閥の謀略

 最近、特にニュース番組の内容について、「アベチャンネル」とも言われ、その公共性が疑問視されているNHKですが、今夜放映されたNHKスペシャル「新・映像の世紀  第1集」は、同番組HPでは詳細に触れられていないものの、気骨のある内容でした。  番組の内容は、サブタイトルに「百年の悲劇はここから始まった」とあるように、第一次世界大戦が、その後現在に至るまでの、世界各地の紛争の原因になっていることを様々な視点から解説するものでしたが、その中で、英国政府の謀略と米国金融財閥(モルガン、ロックフェラー、と名指し)の思惑が、現在も世界中で続く紛争の原因であることを、明確、かつ、分かり易く指摘していたのが印象的でした。  崩壊寸前のドイツ帝国の支援で、ロシア帝国に送り込まれたレーニンが、第一次大戦に疲弊した兵士を組織して、大衆の手による王政転覆を銃の力で奪い取り、ソビエト連邦を作った経緯は、私も知りませんでした。  限られた放映時間の中で、多岐に渡るテーマが手際よくまとめられた作品だったと思います。白黒フィルムにCGで着色するなどの、見栄えのための演出も控えめでよかったと思います。  なお、パレスチナ問題については、英国政府が第一次大戦中、ユダヤ人コミュニティに対して密かに、パレスチナでの建国支援を約束したのは、米国のロスチャイルドなど、ユダヤ系金融資本からの資金調達のためだったと、放映のナレーションで明言した点は良かったですが、ユダヤ人と呼ばれる集団が、約2000年前にパレスチナを追われた民族の末裔だというナレーションは、明らかな嘘で(イスラエル大使館への配慮?)、学術的には既に否定されています。  http://hiroshi-s.at.webry.info/201502/article_1.html  また、今回の放映で指摘された、米国金融財閥と第一次世界大戦との関係は、専門家の間では、既に広く知られていた話のようです。  欧州各国が金本位制を止めたのは、第一次世界大戦に必要な、膨大な戦費をまかなうために、それまでとは比較にならないほど大量の紙幣を発行する必要に迫られたためで、更に英仏の連合軍側は、戦費の供給源となった米国通貨である、ドル建てで戦時国債を大量に発行したため、当時中立を保っていた米国政府も、(連合国が負けて戦時国債が紙切れとなり、債権者である米国金融界が破綻するのを防ぐため)参戦を余儀なくされた、という経緯があったそうです。そして、連合軍側の勝利によって米国金融界には膨大な利益が入り、ドルが世界経済の基軸通貨となったそうです。 http://diamond.jp/articles/-/44923
posted by オフィシャルひろし at 00:14Comment(0)TrackBack(0)

8/9追記:表現は道具。良くも悪くも

現在 IZU PHOTO MUSEUMで開催中の、”戦争と平和ー伝えたかった日本”展を見に行ってきました。展示内容については、「戦中・戦後の〈報道写真〉をテーマにした」と説明されていましたが、中身は、今で言う”報道”やジャーナリズムというより、むしろ「政府広報」と言うべきものでした。 会場全体を見て、まず心に浮かんだのは、「今と変わらないじゃん」という印象。もちろん、テクニカルな部分では飛躍的発展がありましたが、被写体への向き合い方や、編集のポリシーといった部分について、日本政府の広報は、80年前からあまり進歩していないのではないか?と。 とりわけ2020オリンピック招致関連や、観光立国関連については。 日本で初めての、海外向けグラフィック誌「Nippon」が創刊されたのは、満州事変を機に日本政府が国連脱退した翌年の1934年。日本からの組織的対外PRは始めから、戦争遂行と連携したもので、そのPR向けの写真を撮影、編集していたのが、戦後、日本の写真界を牽引することになる写真家達。日米開戦後にはFRONTという雑誌も刊行されます。彼らが率先して、大日本帝国の政策に協力して行ったことは、会場に掲示されている、当時の彼らの遺した言葉からもはっきり分かりました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/NIPPON_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E8%AA%8C) http://www.tanken.com/sensou.html https://ja.wikipedia.org/wiki/FRONT http://blog.kmhr-lab.com/2009/03/front.html *以下、会場に掲示されていた、写真家達の言葉を引用: 名取 洋之助 写真家は何時でも編輯者と読者と云ふ二重の要決を考慮せねばならないのです。 (「時評と考察 ルポルタアジユ写真のこと」『帝国工芸』1934年) 木村 伊兵衛 本当に日本を正しく理解させる為には、日本に於て或る程度不自然と思はれるやうなことを敢てすることに依つて、初めて先方に正しく理解させることが出来ると思ふ。 (谷川徹三・木村伊兵衛対談「写真と対外宣伝」『報道写真』1941年) 伊奈 信男 印刷化された写真によるイデオロギー形成の力は絶大である。 (「報道写真について」『報道写真に就いて』1934年) 林 謙一 殊に大東亜共栄圏のやうに十数種の人種、言語が交錯してゐると、文字や言葉では宣伝がなかなか困難であり、映画でさへアナウンスで困却してゐる。写真宣伝がなによりも真先きに飛出してゆかなくてはならない。 (「戦時に於ける報道写真の重要性」『アサヒカメラ』1942年) 土門 拳 僕達は云はばカメラを持つた憂国の志士として起つのである。その報道写真家としての技能を国家へ奉仕せしめんとするのである。 (土門拳「呆童漫語(三)」『フォトタイムス』1940年) 山端 庸介 写真機持つたら、フットボールを撮るのも重慶を撮るのも、そんなに気分は変らないですネ。カメラマンというものは写真機を持ったら写真のことばかりしか考えませんからネ。 (『アサヒカメラ』1942年) そして彼らは、戦前・戦中に磨いた写真表現の能力を、戦後の日本の写真界で遺憾なく発揮して行くのですが、私達がここで学ぶべきことは、表現とは、良くも悪くも手段であって、使い方によっては、人を生かすのにも殺すのにも、どちらにでも役立つということでしょう。 その中の一人である土門拳について、会場には 「リアリズム写真は現実を直視し、現実をより正しい方向へ振り向けようという抵抗の精神の写真的な発現としてあるのである」 という敗戦後の彼の言葉が、(戦前の活動への)反動ではないか、という注釈付きで掲示されていましたが、リアリズムというのも、結局は、ある価値尺度に従った見方の一つに過ぎない訳で、リアリズムを語る人が、それをはっきり自覚していなければ、リアリズムもまた、いとも簡単に、権力に利用されてしまうでしょう。 現在ではメディアリテラシーの基礎として広く知られているように、何が直視か、何を持って正しいとするかは、見る人の価値尺度如何です。社会的な事柄について、「リアル」とか「フラットな見方」と言う表現を多用する人、とりわけ、拠って立つ価値基準を明示せずにこうした表現を使う人には要注意でしょう。 本展でもう一つ印象に残ったのは、1956年に日本で開催された、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」に関する展示、これは当時の、米国政府の広報活動の一貫で、本展では、日本における「ザ・ファミリー・オブ・マン展」が、1955年から1957年にかけて日本各地で開催された「原子力平和利用博覧会」と連携した企画である旨の指摘が掲示されていました。 実際、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」では、戦前の日本の広報誌で活躍した写真家達の作品も展示されたのですが、原爆投下直後に、長崎で撮影された写真だけは、一旦は展示されたものの撤去されたそうで、 表にヒューマニズムや平和を打ち出しながら、その裏にあった核軍事政策を巧妙に隠蔽する、米国政府のしたたかな広報戦略が分かります。 日本政府が、東日本大震災直後に行った「絆」キャンペーンはさしずめ、米国のこうした、政府の方針を前面に出さず、ヒューマンドラマを前面に出す広報戦略を、半世紀以上遅れて真似たものだったのかも知れませんが、インターネットが普及した社会では、政府が絆の名の下に隠蔽しようとした被災者の声が、たちどころに日本中に広まってしまったのは周知の通りです。 冒頭に、本展の第一印象を、「今と変わらないじゃん」と、書きましたが、それは、メッセージを伝える手段という側面から、写真の使い方を見た場合の話であって、「Nippon」や「Front」に掲載された写真を、作品として見た場は、現在の広報誌の類と比べて、写真の使用目的の是非を別とすれば、はるかに生き生きとして、余分な贅肉の無い、質の高い作品群ではないかという印象を抱きました。あらかじめ定められた手順に従って大量生産されているような、現在の広報写真には見られない、一枚一枚が新たなチャレンジであるかのような、力強い存在感が感じられ、その意味では、現在の広報写真は、政府の広報に限らず、70~80年前より、むしろ退化しているのかも知れません。 しかし・・・ 日本政府の広報戦略が、このように、お世辞にも優秀とは言い難いにも関わらず、多くの国民が未だ、政府の政策の内容を詳しく知ろうともぜす、政府を支持している状況は、いったいどういうことなのでしょう?
posted by オフィシャルひろし at 02:21Comment(0)TrackBack(0)

短文投稿:産業革命遺産と松下村塾

日本政府がユネスコに申請した、産業革命遺産の内容について。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/yuushikisya/kadouisan03/singigaiyo.pdf 日本政府は、「萩の産業遺産群」と、ぼかしていますが、その具体的内容を見ると、この”群”の中には、産業遺跡とはほど遠い、松下村塾が、しっかり組み込まれています。 http://www.city.hagi.lg.jp/site/sekaiisan/h6081.html 松下村塾は、吉田松蔭が、暴力(今で言うテロとクーデター)による倒幕と、自分達が主導権を握りながら表向き天皇を立てる「尊皇」と、西欧と武力で戦う「攘夷」、更には琉球・アジア諸国の植民地支配を説いた場であり、彼(と、彼の死後彼を神格化して政治利用した長州藩)にとって、近代産業育成は、その手段のひとつに過ぎません。 http://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/2008/09/post-c5cc.html http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/08/002325.html http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150405/dms1504050830004-n1.htm http://digital.asahi.com/articles/DA3S11798172.html 今回、日本政府がユネスコに申請した”産業遺跡”の狙いが、日本の工業化史の保存・継承そのものではない点に、注意する必要があると思います。
posted by オフィシャルひろし at 01:12Comment(0)TrackBack(0)

資料紹介:イスラエルに関する10の嘘

ベルギ-人ジャ-ナリスト、ミシェル・コロンが、イスラエル建国を正当化するために、メディアが­大衆に信じ込ませた嘘について解説したビデオが、日本語字幕付きで無償公開されています。 https://www.youtube.com/watch?v=iJU3VBA7euU&feature=youtu.be 上記ビデオの内容をかつまんで書くと、次のようになります。 嘘1.イスラエルはホロコーストを受けて建国された(実際は1897年バーゼル会議で決まった、ユダヤ民族主義者によるパレスチナの植民地化。後ろ盾は英国、次いで米国)。  嘘2.ユダヤ人は古代ローマ帝国によって、現在のイスラエルから追放された(当時のユダヤ人とされる人々はローマ帝国支配下でも同じ土地で暮らし続けた。今のパレスチナ人がその子孫で、ユダヤ民族は始めから存在しない。彼らユダヤ教の信者に過ぎない) 嘘3.イスラエルを建国した人々は誰も住んでいない地域を開拓した(実際には、始めは英国人、次いでイスラエル人が、肥沃な土地から暴力でパレスチナ人を排除した)。 嘘4.イスラエルは中東唯一の民主主義の国家(実際には法で領土を規定しておらず、そもそも国家の体を成していない。またイスラエルはユダヤ人の国家であるという、明白な民族差別が憲法に記載されているので民主主義でもない)  以下、5番目以降は、パレスチナ問題をめぐる、米国や欧州の政策に関する嘘の指摘が続き・・・・ 結論として、 国連は、占領されている人々、植民地支配されている人々の抵抗を、正当なものと認めているので、パレスチナ人の、イスラエル占領に対する抵抗は、テロとは言えない。暴力と言えるのは、イスラエルによる占領のみ。 解決策は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、すべての信仰を持つ人に対して平等な権利を保障する単一国家を、(現在のイスラエルも含めたパレスチナに)作ること。 実現に必要なことは、イスラエルの共犯者となっている政治的指導者(当然、日本政府も含まれる)に、世界中の市民が圧力をかけること。 真実を報じないマスメディアにも、圧力をかけること。 と結び、中東の平和実現のため、世界の人々に、インタ­-ネットなどを使い正しい情報を伝える記者の役目を果たすよう呼びかけています。 以上。
posted by オフィシャルひろし at 18:04Comment(0)TrackBack(0)

空虚を祀る神殿にて

画像
 先日、パルテノン多摩で開催されていた、報道写真家・福島菊次郎氏の写真展を見に行ってきました。  私がまだ子供だった頃、テレビのニュースで見た話の現場の様子が撮影された写真の数々。私達の、現代の生活の犠牲になった人達を写した写真。礎ではなく、居なかったことにされた人達。  権力は、彼らを抹殺しようとした一方、新聞でも、後にはテレビでも報じられ、菊次郎さんはじめジャーナリスト達が書籍も出していた。なのに居なかったことにされてしまった。誰に?  本展でも多数の写真が展示されていた、成田空港闘争、東大紛争は、私も子供の頃、テレビのニュースで見ていたし、60年安保、水俣病や、原爆症認定問題等の話は、本やインターネットを通じて、知っていました。  けれど、広島の原爆被災者が集まっていた集落(朝鮮から連れてこられた労働者やその家族も多く、スラム状態だった)の住民に、行政は支援するどころか水道・電気も供給せず、最後は平和公園造成のため、多くの住民が行くあても無く強制排除されていたことは、以前、福島さんのドキュメンタリー映画で初めて知った話で、本展でも関連する写真が、百枚を超えて展示されていました。 (この問題をインターネットで検索すると、いわゆる「原爆スラム」に住んで居た人達が皆、市が提供した公営住宅に引っ越したかのうような記述が見られます)  日本軍に徴用された朝鮮や台湾の人達が、戦後、日本政府から一切の補償を拒否され、出身国にも帰れずにいたのに(中には戦前の皇国化政策のせいで、日本語しか喋れない人も)、同じ戦争体験者だった日本人は、平和団体さえも、ごく一部を除いて、彼らの存在や日本政府への働きかけを知りながらを黙殺し続けていたことも、福島さんの写真や、以前テレビで半世紀ぶりに再放送された、若き日の大島渚監督のドキュメンタリー番組で私は知りました。 成田闘争は語られても、なぜ闘争が起きたかは語られなくなった日本。  行政の犠牲になった人達を、居なかったことにしたのは、権力者ではなく日本の大衆。その大衆の多くが今、まるで蜘蛛の糸に群がる地獄の亡者達のように、1%の富裕層のために残りの99%を犠牲にする経済政策を、支持しているわけです。この写真展の会場となったパルテノン多摩の屋上に並ぶ、幾何学的様式だけ西欧を真似たモニュメントは、日本の大衆が謳歌する、物質と金銭だけの繁栄を、象徴する存在にも見えます。 ところで、  会場の所々に遺作集と表記された、2000枚にものぼるプリントの展示で、日本の戦後史から抹殺されてきた人達の生活を、改めて世に問いかけた福島さんですが、彼は活動家ではなく報道写真家であり、抹殺する側の立場にある政治家、警察官(機動隊員)、自衛官、自衛隊の兵器、その生産現場、更には極右勢力まで、膨大なポートレートを撮影していました(本展でもその一部が公開されていた)。  原発建設問題で揺れる瀬戸内海の祝島についても、福島さんは、原発建設計画が出来るはるか前、1960年代にも取材に訪れ、当時の非常に貧しい島の生活を記録に残していました。原発建設計画が持ち上がったのは、祝島の人達が、厳しい自然環境を克服し、安定した生活を営めるだけの農業、漁業を確立させた後のことで、原発計画が、こうした島民達の格闘の積み重ねさえも、ほんの一時の札束によって、単なる昔話として葬り去ろうとしていたことが、福島さんの長年に渡る取材から、浮き彫りになっていました。  また、東大紛争や成田空港闘争で、学生を撲殺したり、怪我人救護にあたっていた学生をガス弾の至近射撃で射殺した警察官の犯罪(捜査もされず闇に葬られた)を、激しく非難していた福島さんですが、その一方で、成田空港闘争が、地元農民の頭越しに始められたことも、写真のキャプションに書き残していました。力による解決を志向しても、それは結局、暴力の応酬にしかならず、それこそ権力の思う壺であることも、福島さんの写真から学ぶことができる、重要な教訓だと思います。
posted by オフィシャルひろし at 02:08Comment(0)TrackBack(0)

昭和の亡骸

画像
先日、建築家の黒川紀章さんが生前開いた事務所が、会社更生法の適用を申請したとの報道がありました。 http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/3992.html http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ15HNP_V11C14A2TJ1000/ 1960年代から1970年代にかけて、斬新な建築(計画)を発表した世代の建築家達の大半が、他界したり、第一線から退いていますが、こうした人達の影響力が薄れてゆくことは、社会的には損失というより、むしろ良いことかも知れません。 建築物の物理的な大きさや形状によって、時として経済性や利便性を犠牲にしてまでも、建築物に象徴性を与えて周囲の環境にインパクトを与えることを、建築家の力量とする。 恐らくは、昭和時代のモダニズムの先駆者とみなされた、前川國男らの世代より少し若い、丹下健三や、その弟子達の時代に顕著になった(ように見える)価値基準は、終戦直後のバラックが珍しくなかった日本で、これから鉄とコンクリートによる都市インフラを整備する必要性が高かった時代には、社会的ニーズに合致する部分が、大きかったのかも知れません。 けれど、人類の全ての活動の持続可能性が、社会的な大きな課題となり、とりわけ、経済規模の頭打ちに伴う格差拡大と固定化、高齢化の急速な進行による、生産年齢人口の急減が大きな社会問題となっている日本において、このような価値基準が、今も社会的ニーズ実現の役に立つのでしょうか? モダニズムと呼ばれた価値基準の見直しが求められいる時代に、モダニズムとしての必然性からも逸脱したような象徴性が、建築物に必要なのでしょうか? 現在、日本国内で、多くの批判を浴びている、ザハ・ハディッドによる新国立競技場案は、環境へのインパクトに偏重した、価値基準の社会的弊害が、顕著に現れた事例ではないかと思います。 同建築案は、実際に施工した場合の経済合理性、火災等災害時の安全性など、経済的・科学的にもその合理性が疑問する声が数多く挙がっていたばかりでなく、人々の暮らしや文化への影響という点でも、深刻な悪影響が指摘されています(下記URLの11-15ページ)。 http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/034/0000034/file/bE2fOwgf.pdf こうした批判に対し、ザハ氏からの反論も出たと報じられていますが、日本語での報道を見る範囲では、ザハ側も指摘された問題点への、直接の反論を避けているように見えます。 http://matome.naver.jp/odai/2138222981105663301/2138377381370631303 http://www.gizmodo.jp/2014/12/post_16114.html これらの対立について、磯崎新氏が、仲裁案のような提言をしていますが、 http://architecturephoto.net/38874/ 磯崎氏はこの中で、本来、建築家を選ぶはずだった国際コンペ(具体的な計画・設計は諸条件を詳細に検討してから最終決定すべき)なのに、コンペに提出された図案が一人歩きしてしまったために、話がこじれたという趣旨の指摘をしていて、巨大なハコモノ作りに固執する、日本の官界・財界の根本的な問題点を、指摘しているようにも見えます。 いずれにせよ私達は、高度経済成長期に”良し”とされた価値基準、普段は意識もしないほど徹底的に刷り込まれている価値基準を、一つ一つ自覚し、見直す必要があるのではないかと思います。 今月始め、所用のついでに見に行った、金沢21世紀美術館で開催中の、2つの展示会 ジャパン・アーキテクツ 1945-2010 と、 3.11以後の建築 も、昭和の価値観と、これからの、あるべき建築の模索(完成した建築物の姿形より、計画から竣工に至る過程や維持管理のあり方を問題にする)との違いが端的に示されていて、一般来場者にも、その趣旨が分かり易い展示でした。 また先ごろ、熊本県にある荒瀬ダムの解体工事が始まり、それ以降、川の水が綺麗になるだけでなく、河口周辺の沿岸では、貝類などの漁獲高が回復したことが報じられました。 http://nikkan-spa.jp/766574 これからは、負の遺産となってしまった前世紀の構築物を解体し、環境を元に戻すことも、重要な公共事業になるのではないかと思います。 今年の秋の夕暮れ時、四十数年振りに見に行った、太陽の塔は、まるで、この塔が作られた昭和の後半に、映画やテレビで一世を風靡した、怪獣の亡骸のように見えました。
posted by オフィシャルひろし at 01:47Comment(0)TrackBack(0)

10/29追記: 文部科学省官僚の質の劣化

下記のブログに、文部科学省による検定を経た道徳教科書の紙面が紹介されていますが、日本国憲法はもとより、近代国家の基本理念からも逸脱した価値感を、学童に身につけさせようとする記述が見受けられ、現在の文部官僚の知性が、いささかお粗末なレベルであるように見えます。 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2641.html 上記ブログによると、ある中学生向け道徳教科書には、 「日本人としての自覚をもって、この国を愛し、その一層の発展に務める態度を養っていきたい」 と記載されていますが、 近代国家制度の下での日本人とは、国籍上の分類に過ぎず、 それ以外に、国として語ることが可能な意味合いはそもそも存在しません。国籍上の分類以外で使われる「日本人」という言葉は、政治的、あるいは経済的利権の必要性から、特定の歴史観を絶対視する思想から生まれる価値基準に対する呼び名であり、民主主義国家においては、政府や自治体が、住民に共有や同意を要求してはいけない概念です。 徳や(人の)道とは本来、国籍や民族という色眼鏡で人を見ない理性が前提ですが、上記の道徳の教科書はこうした理性とは対極にある、国籍や民族へのこだわりを、学童に要求しています。これでは国際社会に貢献する人材を育成するどころか、下記のような民族差別を助長するだけです。 http://lite-ra.com/2014/10/post-578.html また、国というのは、生き物でも人間の生産物でもなく、人為的なシステム(規則の集合体)に過ぎず、そもそも愛の対象にはなり得ません(フェティシズムの対象にはなり得ますが)。更に、民主主義社会において、国とは、健全な組織運営がなされているかを、住民がその責任として監視しなければいけない対象です。 住民が努めなければいけないのは、人々の暮らしの(コンセンサスが得られた価値基準に沿った)発展であって、その手段として絶えず改編され続けなければならない「国」というシステムではありません。 上記の中学生向け道徳教科書では、こうした特定の価値基準の強要に続き、 「現在に生きる私たちは、日本の伝統と文化のすばらしさを知り、その良さを受け継いだ上で新たな文化を創造し」 と記述されていますが、 何を伝統とみなすか、伝統とみなされた文化をどう評価するか、受け継ぐべきかどうかは、 少なくとも民主主義社会においては、全て、個人が考えるべきことであって、行政の介入は許されないことです。 歌舞伎や能の変遷を少しでも調べて見れば分かることですが、伝統は、政治や興行上の都合で、改編・固定化された文化であり、創造とは、こうした改編・固定化の経緯を学ぶところから始まります。それなしの「受け継ぎ」とは、単に先人達の猿真似でしかありません。 更にこの教科書には、 「ふるさとを愛する気持ちを広げていくと、私たちが暮らすこの国を愛し、その発展を願う気持ちにつながっていく」 と記述されていますが、国とは上述の通り、人為的なシステムに過ぎず、その発展はシステム自体の維持・拡張であるばかりか、しばしば、ふるさとの生活を、生活者のコンセンサスも無いまま強引に変化させます。 この記述から、文部科学省が学童に対し、郷土愛=国家への愛という、思考停止によってはじめて成り立つ信仰を、要求していることが分かります。 多くの場合、国を愛することは、ふるさとを想う気持ちを尊重したままでは出来ないことです。東京都など、ごく限られた自治体を除き、ふるさとを愛する気持ちと、国家単位で見た発展との間では、しばしば衝突が起こります。 ふるさとより国家を取った結果の典型が、福島第一原発事故後の福島県(浜通り、中通り地方)であることは、既に周知の通りです。 以下のビデオは、無用な諍いを防ぐための、「共感教育」を概説したものですが、上記の道徳教科書は、人を分類すること、道徳観で人を裁くなど、コミュニケーションの障害となり暴力の原因として強く戒められている行為を、逆に煽動する内容であり、倫理的に極めて不適切であることが分かります。 https://www.youtube.com/watch?v=7HX_A-s50DU 現在の文部科学省が、街中でヘイトスピーチを繰り返すような極右達と、大差ないレベルの理性しかない官僚達に支配されている様子が、道徳教科書の文面からも伺えます。 言葉本来の意味の道徳(人の道と人の徳)の授業とは、例えば下記のビデオで解説されているような、建設的なコミュニケーション育成を図る教育であり、下記のような教育こそ、国主導の公教育で行うべきだと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=ZUGq2eJLmpg
posted by オフィシャルひろし at 11:09Comment(0)TrackBack(0)

アーティストはミュージシャンより創造的なのか?

18世紀末の産業革命を機に、人類は自然の模倣や手仕事の蓄積から離れ、定規で引いた図面通りにモノを作る術を手にしました。抽象芸術も現代音楽もモダン・ダンスもコンセプチュアルアートも、その延長線、つまりは、頭の中だけで構築する抽象的な思考に特別な意義があるとする(ある時代特有の)価値基準に基づいて発展してきたものではないかと思います。 一方、20世紀後半以降、人類は環境問題を中心に、人間の「頭の中」の浅はかさを嫌というほど目の当たりにしてきたわけで、科学がそうであるように、表現行為においても、本来であれば、近代以降に発展した抽象的な思索や表現について、その発展の経緯を一旦俯瞰し、その必然性が問い直されるべき時代が、現代なのではないかと思います。 けれど、そのような吟味を経た上で、なおも”現代”あるいは”コンテンポラリー”と呼ばれる表現に道を見出そうとするのか?別の道を進むのか? を、自らの意思で選択した(ように見受けられる)表現者を、今の日本で見かけることはほとんどありません。 音の表現に関して言えば、”現代”とか”コンテンポラリ”とか名前が付くと、最先端のように聞こえますが、これらのほとんどは、1950年代から60年代に流行った発想に基づく表現で、ミュージシャンで言えば、バップやモダンジャズに拘っているジャズプレーヤー達と同様な立ち位置な訳です。しかし、ジャズの人達は歴史を学んだ上で、古いスタイルの踏襲を選んでいるのに比べ、芸術畑の人達の大半は、歴史を咀嚼することもなく無自覚に、最先端の表現に関っているつもりで居たり、普遍に意義のあることをしている気分に浸っているだけのように見えます。 20世紀の半ばまでに生み出された思考法や方法論を、半世紀以上だらだら踏襲する(大抵は手法の上っ面を真似るのみで踏襲すらできているのか疑問)行為をアートとか創作と呼ぶのが、果たして創造的なのでしょうか? ある時代の「アンチ」や「カウンター」も、かつてそれらが敵とみなした体制と、対抗していたから存在意義があったわけで、まったく違う時代に対の一方だけ取り上げても、未来に向けての発展性が、生まれる訳ではないでしょう。せいぜい、芸術業界という内輪で話が盛り上がって、多少のお金が内輪で回るだけではないでしょうか? 近年の生物学、とりわけ生態学や認知科学の研究によれば、人間も含めた全ての生物は、与えられた環境に適応しているのであって、自然界において普遍的な優劣というのは存在しないそうです。表現者(や評論家)もいい加減、時代と共に表現も「進歩」する(しなければならない)という幻想から目を覚ました方が良いのではないでしょうか?成長や進歩というのは、方法論や様式の問題ではなく、あくまで個人それぞれの生き様の問題だと思います。 音楽でも視覚作品でもパフォーマンスでも、過去の表現者(やグループ)の活動を、個人の生き様として、あるいはその当時の社会現象の一環として学ぶことには意義があると思いますが、過去の彼らの功績を、様式や方法論で括ろうとする発想は、歴史学や、大学教員や評論家を権威化するためには必要かも知れませんが、作品やパフォーマンスの切磋琢磨にとってはむしろ弊害でしょう。 それは表現行為に限らず、科学研究や技術開発でも同じだと思います。
posted by オフィシャルひろし at 23:15Comment(0)TrackBack(0)

本土では報道されなかったこと

沖縄以外では報道されなかったようですが、昨年11月、共同通信社の調査で、陸上自衛隊が秘密裏に予算を使い、独断で海外諜報活動を行っていることが明らかになりました。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-215901-storytopic-3.html http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-215942-storytopic-11.html ところが、日本の政治史に詳しい方に訊いたところ、この組織は、(上記の新聞記事でも若干触れていますが)旧帝国陸軍時代からある組織だそうで、日米の政界では「公然の秘密」なのだそうです。 その方の話によると、陸上幕僚監部運用支援・情報部別班は、日中国交正常化当時、すなわち台湾との国交断絶に際しては、日本と台湾との間の民間のパイプを繋ぎ止める政治工作を担当したり、その後には中国の改革開放路線を支援していたそうで、少なくともある時期までは、政府が公然とは行えない裏仕事を引き受ける下請け組織だったようです。 インターネット版の琉球新報記事には記載されていませんが、琉球新報紙面には、情報部別班のメンバーが商社員になりすまし(一部商社は別班の活動に協力している)海外で諜報活動を行っていること、冷戦時代は米軍の指揮下で活動していたことも掲載されていました。 どうやら、少なくとも冷戦終結までは、陸上自衛隊の情報部別班は、米軍や日本政府の統制下にあり、勝手な真似は出来なかったようですが、冷戦終結から20年以上が経ち、保守だった自民党が極右に様変わりした現在では、別班も何をするか分かりません。 実際日本政府は現在も、別班の存在を認めていません。存在を認めないということは、法規制の対象外ということで、陸上自衛隊の情報部別班は、安部政権が組織化を急ぐ日本版NSCにも組み込まれず、日本版NSC設立のために強行採決された特定秘密保護法の規制も受けず、超法規的な行動が許されることになります。 存在が否定されている政府組織は、何をやっても罪に問われません。存在しないのですから。
posted by オフィシャルひろし at 21:14Comment(0)TrackBack(0)

信仰とは

友人から紹介してもらった講演録です。 恐れ入りましたと言うほかないです。今の自分は、「勉強になりました」と言える段階にすら、至ってないでしょう。 http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/honda.htm
posted by オフィシャルひろし at 02:03Comment(0)TrackBack(0)