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zoom RSS 語らぬ存在感と語る空虚さ

<<   作成日時 : 2011/10/28 02:20   >>

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ここ一週間ほどの間に、都内での所用の合間、二つほど作品展を見て回りました。

一つ目は、銀座のステップスギャラリーで開催中の、串田治さんの個展

(上記URL上では、色の階調がかなり単純化されてしまっているので分かりにくいですが)それこそありとあらゆる色相、明度、彩度の組み合わせ。デザインの入門書に書いてあるような色の組み合わせで言えば、必ずしも綺麗ではない、むしろ綺麗でない組み合わせの方が多いのに、見苦しさが全く無く、四方の壁全てに作品が掛けられた会場はとても居心地がいい。紙の上に絵の具(水彩またはアクリル?)で描かれた、画材の組み合わせとしてはミニマムな構成なのに、色彩の強さや厚みや深みや、透明感に様々なヴァリエーションがある。

事務室の壁にはさりげなく、きっちり写実的に描かれた作家の自画像。それも正面、左右、上から見た図。自筆のプロフィールには、芸術論、方法論の類の説明はなく、ただ、自らの平面作品作りに向けた姿勢を、ごく大まかに振り返った記述があって、最後に「しかし次に来ることは見通せないので、やりたい事をやろう」と結ぶのみ。

見せびらかしたり意識的にアピールする要素が作品にも説明にも全く無い、極めてストイックな個展。と言うより、その必要が全く無いほど、作品が醸し出す空気に落ち着いた存在感のある作品展でした。


二つ目は、熊谷守一美術館のギャラリーで開催中の、石田節子さんの個展。彼女の個展を見るのは3回目。これまで、おとぎの国の街に立っているものや、道路を、一度バラバラにして、再構成したような絵画を描いていた石田さんの今回の個展は、テーマを明確に"Landscape"とした一方で、具体的なモノを連想させるような形の描き込みを極力控えた、抽象的な作品群。

けれど、贅肉を削ぎ落とすように具象性を抑制した構成は、少なくとも私にとっては、風景としての普遍性を感じさせるものでした。それは、自分がどこか街なり山なり海なり水中なりで、素敵な景色に出会った時の感動から、”何処の”という説明的要素を取り去った後に残る印象に通じるものがありました。

正直言えば、前回、彼女の個展に行ったときは、これと言った感想が頭に浮かばず、作家に感想を聞かれて答えに困ったのですが、今回は、20分位、作家といろいろ話をすることができました。


二人共、アート誌で特別話題になるような、独創的なアプローチをしている訳ではありませんが、地に足の付いた、しっかりした存在感があるような印象を受けました。

作品の価値というのは、作家がどれほど、対象を深く掘り下げようとしているか? ではないかと思います。
(その掘り下げ方がユニークかどうかというのは、実は2の次3の次のような気もします)

物事のとらえ方をひとひねりしただけで、コンテンポラリ・アートと認められ、ひとひねりを他人に体験させることが、アート・イベントとして認められててしまう時代になってから、もう何十年も経ちますが、考えてみれば、そうした活動は、ビジネス用語に置き換えれば、ブレイン・ストーミングの段階にすぎません。

ブレイン・ストーミングは、そこで出てきたアイデアの中から現実世界に反映させる価値のあるものを選び出し、現実世界で生きる人間が抱える課題に対する、方向性がありなおかつ継続的な取り組みの糧にしてこそ、意味があるのですが、(少なくとも日本の)アートの世界では、ブレインストーミングの先を問う姿勢に乏しく、それが、芸術の社会的認知を妨げる一因になっているのではないかと思います。

これは作家のみならず、アートディレクション、アートプロデュースに関わる人間の、意識の問題ではないか?

ああだこうだと理屈をこねることなく、静かに、しっかりした存在感を放つ作品に触れるたびに、(日本ではカタカナ表記される)アートの空虚さを実感します。

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