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zoom RSS 置き去りにされてきた問い(最近見た展示から) その1

<<   作成日時 : 2011/12/26 01:06   >>

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先日、目黒区美術館に、「DOMA秋岡芳夫展 -モノへの思想と関係のデザイン-」を見に行ってきました。デザイナー、あるいは作家としての、秋岡芳夫氏の作品を数多く集めて展示した意欲的な企画でしたが、私達が彼の業績から学ぶべきことは、作り手としての彼自身の仕事や、伝統的な手仕事の再評価活動なのか?考えさせられる部分がありました。

日本の敗戦後、家具など木工製品を中心とした製品の設計やデザインから、デザイナーとしてのキャリアをスタートさせた秋岡芳夫はやがて、カメラやバイクなどの製品のデザインも手がけるようになり、カメラ、露出計、さらには現像タンクに至るまで後にロングセラーとなる製品を数多く生んだ一方、童画家としての活動も続け、学研の雜誌「科学と学習」の付録も手がける。
更に1960年代後半以降は、製品デザイン自体よりデザインプロセスの開拓に力を注ぐようになり、68年の104会議室(のちのグループモノ・モノ事務所)、70年代以降は木工と中心とした手仕事の再評価や、「生活デザイン」との融合に力を入れるようになり、1977年の東北工業大学教授就任、82年の共立女子大学生活美術学科教授に就任など、大学での研究活動にも乗り出す。

というのが彼の大まかな業績だそうで、展覧会場には彼の作品や、彼が収集した日本の木工工具などが所狭しと展示されていました。会場に並んだ展示物を見て回ると、秋岡氏の、手仕事へのこだわりばかりが目立ちますが、会場では一箇所にしか展示されていない、104会議室での活動録に目をやると、それとは違った側面が見えて来ます。

彼は104会議室でのデザインプロセスを、「会議によるデザイン」と呼び、(メーカーの都合ではなく)生活者の立場から、優れたデザインを生み出す方法を試行錯誤していました。その試行の中には、スライドプロジェクタを使って黒板に写真を投影し、投影された写真にチョークで重ね書きをするという、1990年代以降に実用化されたマルチメディア会議の手法を先取りする活動があったばかりでなく、日本の縦割り社会の弊害(富国強兵のための国策会社の名残で、デザイン団体でさえ横のつながりが無い。デパートも、問屋毎に売り場が分かれているだけ。)や、今で言う、企業の社会責任の希薄さ(企業活動は外部経済に支えられているのに、日本の企業は外部経済に利益を還元しない。)、過当競争の弊害(大して知識差のない企業同士が競争すると、宣伝やシェアの奪い合いのために利益の多くを消耗させてしまう)、更には、市民活動の弱さ(日本は市民社会の実体が弱い。市民社会が企業を育て、企業が市民社会と共に発展することができない。)といった、現在もなお、ほとんど手つかずのまま積み残しになっている問題点が、明確に指摘されていました。

彼はまた、デザイナーは市民社会の代弁者であるべき、とも述べていたそうで、彼が後年、木工を中心とする軽工業製品のデザイン活動に軸足を移していったのは、単に木工品、あるいは手仕事の魅力を伝えるためではないでしょう。もし彼が、現在のように、誰でも知識さえあればパソコンを使ったシミュレーションで機械を設計することができ、ロボットを自分で作って自分でプログラミングできる時代に生きていたら、それでも彼は自分の体外活動の軸足を、木工に移していたでしょうか? 1970年代から1980年代頃の技術で、市民が自分で企画し、デザインし、職人さんに作ってもらえるような製品がどんなものだったか?彼の活動は、その時代の制約を踏まえて、理解する必要があるのではないでしょうか?

また彼は、日本の工芸について、手間暇かけて作る従来の工芸は、人件費が高くなってしまった日本ではもはや(産業として)成立しないことを70年代に喝破した上で、休みの日を利用したり、現役を退いた高齢者の手で生産する「裏作工芸」を提唱し、それが77年からの東北工業大学就任につながっています。
その経緯は展覧会場でも、一応掲示されてはいたのですが、展覧会場では「裏作」への試みに触れないまま、彼の、工芸(その殆どが手工業)への愛着を示す資料ばかりが展示されていました。

これはどういうことなのか?これでは単なるノスタルジーではないか?秋岡芳夫という人は、若い頃さんざ工業デザインを手がけたあげく、古典に回帰しただけの人間なのか?彼の古典回帰を称賛するために、わざわざ関係者から膨大な遺品を借りてきたのか?

経済の現実をしっかり見据えた上で、新たなデザインプロセスと生産方式を模索していた(生前結果を出せたかどうかは別として)はずの人間を、あたかも古典再評価の功労者であるかのように祭り上げたキュレーションには、違和感を覚えましたが、この展覧会を見た後、インターネットで秋岡芳夫を検索してみると、やはり”裏作”工芸についての詳しい記述は見られず、昔から伝わる工芸技術の再評価活動についての記載しか見当たりませんでした。
http://www.town.oketo.hokkaido.jp/teshigoto/about/index.htm
http://gakken.jp/ep-koho/?p=4244

秋岡芳夫という人は、工業デザインの世界ではかなり知名度の高い人だそうですが、果たしてその後継者達は、彼の遺志を理解しているのか? 彼が生前、明確に述べた問題を直視しているのか? (遺志が尊重され、問題意識が引き継がれていたら、こんなキュレーションになっただろうか?) 
そんなことを考えていたら、今月初めにみた、もう一つの展覧会(展示会)の事を思い出しました。

その2へ続く

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