さとうひろし 一有権者のブログ 

アクセスカウンタ

zoom RSS 勢いだけでは続かない(具体美術協会の末路)

<<   作成日時 : 2012/08/16 02:51   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

先週、国立新美術館で開催されていた、”「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡 ”を見てきました。全体的には、おおらかで、のびのびした印象の作品や記録ビデオが多く、今時の小難しい現代芸術とは、良い意味で違った趣が印象的でした。
http://gqjapan.jp/2012/07/03/nact/

ただ、それ以上の要素があるかというと、疑問を抱かざるを得ませんでした。確かに1950年代までの作品やパフォーマンスには、当時の既成概念には無かったであろう、自由奔放な発想が数多く、見ていてとても楽しいのですが、1960年代に入ると、50年代の彼らの作品群自体が既成概念化し、実験的、開拓的要素は見出し難くなっていきます。

会場で配布された資料や、展示見学後に図書室で読んだ資料を見ると、具体美術協会の作品は全て、リーダーとされた吉原治良個人による、いいか悪いかの二者択一で、出品が許されたり、許されなかったりしたそうです。また協会メンバーが、(自身の問題意識からではなく)吉原氏に評価される事を目指して作品を作っていたという評論が記載された資料もありました。

更に、1960年代以降、具体美術協会の活動が国際的に高く評価されたというのは、実際には当時、「アンフォルメル」という自らが提唱したコンセプトを世界に広げようとしていたフランスの評論家、ミッシェル・タピエが、具体美術協会の活動を、アンフォルメルと位置付けた上で宣伝したというのが実態だそうです。

そして、ミッシェル・タピエに取り上げられた後、具体美術協会の作品は、屋内に常設展示できるような”作品”、特に平面作品が中心となり、1960年代から加わったメンバーの作品群も含め、同協会の作品は、数ある”現代美術”活動の中に埋没していったように見えました。作品が、平面中心になっていった経緯については、吉原が作品の販売を重視するようになったからだ、という評論や、(多彩な表現を継続させられなかった点が)吉原の限界だという評論もあります。

1970年の大阪万博でのイベント「具体美術まつり」では、巨大ロボットや、イベント用に製作された自動車など、いわゆる”作品”ではない制作物が多数復活するものの、具体美術協会は1972年に、吉原治良の急死によって解散となります。

吉原が、自らの活動に具体美術という名前を付けた理由は、「精神が自由である証を具体的に提示したい」という願いからだったそうですが、具体美術協会の活動には、いつまで自由な精神が宿っていたのでしょうか?「誰もやっていないことをやれ」とメンバーを叱咤激励した吉原ですが、具体美術はいつまで、新しくあり続けることが出来たのでしょうか?

私は、1960年代はじめ、ミッシェルタピエによって祭り上げられた時点で、具体美術教会は既に、自由な精神(運動としての価値)も、着想の新しさも、失っていたのではいかと思います。具体美術協会は表向き自由を標榜しながらも、実際には吉原治良個人の価値判断に支配され、ミッシェル・タピエという個人の野心に合わせることで知名度を広げて行った。

けれど作家個々の探求の裏付けが弱い「新しさ」とは、要するに、既存の方法論や価値基準への捕らわれの裏返しに過ぎず、だから容易に売ることへの誘惑に引きずられ、最後(大阪万博)は、現実への無関心を良しとする(知恵や想いの継承という芸術作品本来の役割とは無縁の)政治的宣伝に、自ら進んで利用され、終わってしまったのではないかと思います。

会場で上映されていた、「具体美術まつり」の映像を見ると、確かにエンターティメントとして楽しいし、(当時としては)技術的に実験的であり演出法として斬新でした。このイベントは、その後の日本でのエンターティメントに、少なからぬ影響を与えたのかも知れませんが、このイベントに、表現としての新規性や、なにか定まった視点なり継続性のある探求の片鱗があるかと言うと、首を傾げざるを得ませんでした。


率直に言って、具体美術協会の活動は、美化され過ぎではないかと感じました。
けれど、

現在のコンテンポラリが、具体美術協会の末路を克服するような創造力を持ち得ているかと言うと、疑問が残ります。視覚にせよ聴覚にせよ、その大半は、自らの商売のために先人達の試みを、思想、あるいは方法論として固定化し、かつ権威化することで自身と大衆の虚栄心をくすぐり、金を回しているだけ。だから「〜に師事」という徒弟関係をプロフィールに記載しなければいけなくなる。とまで書くと言い過ぎでしょうか?

そもそも精神の自由(芸術の創造性)と(何かを造る)手法の新規性とは別問題だと思います。具体美術協会は、創造性=手法の新規性、としてしまったところに、限界があったのではないかと思います。具体美術協会は自らを権威化することができず、リーダーの死と共に終焉しましたが、今の日本の現代美術や現代音楽の大半は、大阪万博で能天気なショーを企画した、末期の具体美術協会と同じ、いや、エンターティメント性に乏しい分、具体美術協会以下なのかもしれない。そのような視点も持てるなら、国立新美術館での”「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡 ”は、非常に有意義な企画展だと思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
なんか、論理的やね。
読むんじゃなかった。
ってぐらい支離滅裂でした。
通りすがり
2013/02/20 00:33

コメントする help

ニックネーム
本 文
勢いだけでは続かない(具体美術協会の末路) さとうひろし 一有権者のブログ /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる