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zoom RSS 技術はあるけど(産業界と同じ構図その3)

<<   作成日時 : 2013/02/04 01:58   >>

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昨日、浅草のアサヒアートスクエアへ、福永敦の個展「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、墨田と浅草」を見に(というより聴きに)行って来ました。その内容は、個展のタイトルでもある、墨田と浅草界隈のあらゆる場所で収録した音の数々を、肉声による擬音で表現し、その肉声を記録した(数十は下らないであろう)音源を、暗い会場内に配置するという構成で、更にこれらの音源のうち少なくとも幾つかは、センサーによって人の接近が検知された時に音るらしい、非常に手の込んだインスタレーションでした。

非常に手のかかる仕事を丁寧にやり抜くというだけでも、十分に評価し得るインスタレーションかと思いますが、ではそこになんらかの世界が表現されていたかというと、多数の擬音サンプルの集まり、以上のものは見出し難く、「ほんとにお疲れ様でした」以上の感想は浮かびませんでした。

「まちなか」をテーマにし、「まちなか」の再構成を狙ったかのような、広い空間内での音源配置を行いながら、何の音かはっきり分かる音のみ擬音化して、「まち」を特徴づけているはずのバックグラウンドノイズの擬音化に挑まなかったのが、散漫な印象を与えてしまった原因かも知れないし、あるいは、あまりにも多くの音源を配置してしまったがために、敢えて擬音にしてから録音・再生するという作家のポリシーがぼやけてしまった(擬音化を表現の要とするなら、むしろスピーカの数を絞り込んで、汎用的な2、あるいは4チャネル(サラウンド)のステレオ音源として作品を構成した方が良かったのかも?)のかも知れませんが、いずれにせよ、作品というよりある種の見世物(上品に言えばアトラクション)的な印象、それもディスニーランドのような、一貫性のある世界観というより、技術見本市でのデモンストレーションのような、何かを作る”手段”、”道具”の展示を見た時に近い印象を受けました。

会場で配布されていた資料を読むと、彼の制作活動は、日本のマンガの擬音表現に、着想の源泉があるようですが、では彼の制作に、マンガ家ではなく芸術家ならではの、着想の発展があるのか? 彼の制作は、元ネタであるマンガの擬音表現の発想を、高い技術で再編集したものではあるけれど、新たな世界の創造に至っているのか?
彼の経歴を見ると、海外でも精力的に活動を行っている(展示の機会が与えられている)様子なので、言語によるプレゼンテーション能力、つまりコンセプトの説明段階でのアピール力は、少なからず持ち合わせているようですが、コンセプトを形にする部分に課題があるように見受けられました。

どんな活動でも、言葉だけならどうとでも取り繕うことが出来ます。でも実力とは、ましてや創造力とは、その先の話です。

かつて私が籍を置いていた日本のエレクトロニクス業界は、この個展の作家のように、手のかかることをこつこつやり遂げる仕事にかけては恐らく世界一でした。今でもそうなのかも知れません。言葉の上で、立派なコンセプトを語る人、未来像を語る人、理論を語る人も大勢居ました。議論だけなら、スティーブ・ジョブスに一歩も引けを取らない人材も大勢居たでしょう。

けれど彼らの中に、自身が語るコンセプトなり未来なりを具体的な形にした人が何人居たか?百人に一人でも、形にした人が居れば、日本のエレクトロニクス産業は、現在のよう窮状に陥ってはいなかったのではないでしょうか?

技術はある、仕事もこなす、大いに語る。でも、誰かが価値を認めた思考回路から外れることを無意識に避け、過去に市民権を得た世界の中で何とかしのごうとする。

それは、分野を問わず、日本人の大半が、気づかずにいる、無意識の呪縛なのかも知れません。

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