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zoom RSS 8/9追記:表現は道具。良くも悪くも

<<   作成日時 : 2015/08/09 02:21   >>

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現在 IZU PHOTO MUSEUMで開催中の、”戦争と平和ー伝えたかった日本”展を見に行ってきました。展示内容については、「戦中・戦後の〈報道写真〉をテーマにした」と説明されていましたが、中身は、今で言う”報道”やジャーナリズムというより、むしろ「政府広報」と言うべきものでした。

会場全体を見て、まず心に浮かんだのは、「今と変わらないじゃん」という印象。もちろん、テクニカルな部分では飛躍的発展がありましたが、被写体への向き合い方や、編集のポリシーといった部分について、日本政府の広報は、80年前からあまり進歩していないのではないか?と。 とりわけ2020オリンピック招致関連や、観光立国関連については。

日本で初めての、海外向けグラフィック誌「Nippon」が創刊されたのは、満州事変を機に日本政府が国連脱退した翌年の1934年。日本からの組織的対外PRは始めから、戦争遂行と連携したもので、そのPR向けの写真を撮影、編集していたのが、戦後、日本の写真界を牽引することになる写真家達。日米開戦後にはFRONTという雑誌も刊行されます。彼らが率先して、大日本帝国の政策に協力して行ったことは、会場に掲示されている、当時の彼らの遺した言葉からもはっきり分かりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/NIPPON_(%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E8%AA%8C)
http://www.tanken.com/sensou.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/FRONT
http://blog.kmhr-lab.com/2009/03/front.html


*以下、会場に掲示されていた、写真家達の言葉を引用:

名取 洋之助
写真家は何時でも編輯者と読者と云ふ二重の要決を考慮せねばならないのです。
(「時評と考察 ルポルタアジユ写真のこと」『帝国工芸』1934年)

木村 伊兵衛
本当に日本を正しく理解させる為には、日本に於て或る程度不自然と思はれるやうなことを敢てすることに依つて、初めて先方に正しく理解させることが出来ると思ふ。
(谷川徹三・木村伊兵衛対談「写真と対外宣伝」『報道写真』1941年)

伊奈 信男
印刷化された写真によるイデオロギー形成の力は絶大である。
(「報道写真について」『報道写真に就いて』1934年)

林 謙一
殊に大東亜共栄圏のやうに十数種の人種、言語が交錯してゐると、文字や言葉では宣伝がなかなか困難であり、映画でさへアナウンスで困却してゐる。写真宣伝がなによりも真先きに飛出してゆかなくてはならない。
(「戦時に於ける報道写真の重要性」『アサヒカメラ』1942年)

土門 拳
僕達は云はばカメラを持つた憂国の志士として起つのである。その報道写真家としての技能を国家へ奉仕せしめんとするのである。
(土門拳「呆童漫語(三)」『フォトタイムス』1940年)

山端 庸介
写真機持つたら、フットボールを撮るのも重慶を撮るのも、そんなに気分は変らないですネ。カメラマンというものは写真機を持ったら写真のことばかりしか考えませんからネ。
(『アサヒカメラ』1942年)




そして彼らは、戦前・戦中に磨いた写真表現の能力を、戦後の日本の写真界で遺憾なく発揮して行くのですが、私達がここで学ぶべきことは、表現とは、良くも悪くも手段であって、使い方によっては、人を生かすのにも殺すのにも、どちらにでも役立つということでしょう。

その中の一人である土門拳について、会場には
「リアリズム写真は現実を直視し、現実をより正しい方向へ振り向けようという抵抗の精神の写真的な発現としてあるのである」
という敗戦後の彼の言葉が、(戦前の活動への)反動ではないか、という注釈付きで掲示されていましたが、リアリズムというのも、結局は、ある価値尺度に従った見方の一つに過ぎない訳で、リアリズムを語る人が、それをはっきり自覚していなければ、リアリズムもまた、いとも簡単に、権力に利用されてしまうでしょう。

現在ではメディアリテラシーの基礎として広く知られているように、何が直視か、何を持って正しいとするかは、見る人の価値尺度如何です。社会的な事柄について、「リアル」とか「フラットな見方」と言う表現を多用する人、とりわけ、拠って立つ価値基準を明示せずにこうした表現を使う人には要注意でしょう。

本展でもう一つ印象に残ったのは、1956年に日本で開催された、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」に関する展示、これは当時の、米国政府の広報活動の一貫で、本展では、日本における「ザ・ファミリー・オブ・マン展」が、1955年から1957年にかけて日本各地で開催された「原子力平和利用博覧会」と連携した企画である旨の指摘が掲示されていました。


実際、「ザ・ファミリー・オブ・マン展」では、戦前の日本の広報誌で活躍した写真家達の作品も展示されたのですが、原爆投下直後に、長崎で撮影された写真だけは、一旦は展示されたものの撤去されたそうで、 表にヒューマニズムや平和を打ち出しながら、その裏にあった核軍事政策を巧妙に隠蔽する、米国政府のしたたかな広報戦略が分かります。

日本政府が、東日本大震災直後に行った「絆」キャンペーンはさしずめ、米国のこうした、政府の方針を前面に出さず、ヒューマンドラマを前面に出す広報戦略を、半世紀以上遅れて真似たものだったのかも知れませんが、インターネットが普及した社会では、政府が絆の名の下に隠蔽しようとした被災者の声が、たちどころに日本中に広まってしまったのは周知の通りです。

冒頭に、本展の第一印象を、「今と変わらないじゃん」と、書きましたが、それは、メッセージを伝える手段という側面から、写真の使い方を見た場合の話であって、「Nippon」や「Front」に掲載された写真を、作品として見た場は、現在の広報誌の類と比べて、写真の使用目的の是非を別とすれば、はるかに生き生きとして、余分な贅肉の無い、質の高い作品群ではないかという印象を抱きました。あらかじめ定められた手順に従って大量生産されているような、現在の広報写真には見られない、一枚一枚が新たなチャレンジであるかのような、力強い存在感が感じられ、その意味では、現在の広報写真は、政府の広報に限らず、70〜80年前より、むしろ退化しているのかも知れません。

しかし・・・

日本政府の広報戦略が、このように、お世辞にも優秀とは言い難いにも関わらず、多くの国民が未だ、政府の政策の内容を詳しく知ろうともぜす、政府を支持している状況は、いったいどういうことなのでしょう?

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