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zoom RSS 創作とは誇示に非ず(故・池田満寿夫氏の足跡を見て)

<<   作成日時 : 2015/12/25 02:23   >>

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先日、熱海にある「池田満寿夫・佐藤陽子 創作の家」と、網代にある池田満寿夫記念館を訪れ、故・池田満寿夫氏が遺した作品群を見てきたのですが、変化に富み、Challenging だった彼の制作物は、いわゆる”作品”にありがちな、押しの強さ(ドヤ顔)、問い詰め、謎かけ、苦悩の表出、創造性(既成観念破り)の強調、人生や社会への眼差しのアピール、と言った類のオーラを放つこと無く、ただひたすら、生命力に満ちていたのが印象的でした。

創作の家で上映されていたビデオでは、彼の最後のパートナーであった佐藤陽子氏が、「池田は誰にでも同じように接していた」と、彼の懐の広さを語り、記念館で上映されていたビデオでは、生前の池田満寿夫氏本人がテレビのインタビューで、「自分は世間からはヒモのように思われているが、パートナーに食わせてもらった事は一度も無い(実際、彼が版画を始めたのも、生活の糧のためだった)」と、日本的な固定観念に縛られた市井の人達に誤解されがちだったことを告白していましたが、彼はその作品においても、自分自身の生活においても、他者から偉ぶっていると思われるようなことは、一切しなかったようです。

だからと言って彼は、芸術界に自分の足跡を残す意欲が無かった訳ではなく、記念館で上映されていたビデオには、美大生達の前で、「芸術家というのは芸術の歴史に自分の様式・スタイルを遺そうとするものだ」と語る、死の10年ほど前の彼の姿が収録されていました。

ただしそう語る彼自身の作品は、(視覚的な特徴という意味での)スタイルには、全く囚われていないように見えました。

若き日の彼を世界に知らしめた、版画やコラージュでの業績など忘れたかのように、中年期には執筆活動やテレビ出演等が続く多忙な日々の中、陶芸作品制作に精力的に挑み続ける一方、絵画制作から遠ざかったわけではなく、若い頃、生活の糧にはならなかった油彩に再度挑んだ矢先に、心不全で急逝。

記念館で上映されていたビデオでは、彼自身が、作家として世に知られる前の自分について、
「(芸大に落ちて、少しでも糧を得なければと)アメリカ兵の集まる所へ行って似顔絵を書いていると、いつの間にか、自分より早く上手く似顔絵を描いている奴が後ろに居て、結局自分の絵はアメリカ兵に買ってもらえなかった」と、画家になる志は揺るぎなかったものの、結果を出すことができない年月だったことを語っていました。

ひょっとしたら、彼の作家としての半生は、絵を描くことへの熱意だけだった少年時代から死の瞬間まで一貫して、”今はまだ手が届かない”ことへのチャレンジだったのかも知れません。

創作の家で上映されていたビデオでは、彼の最後のパートナーである佐藤陽子氏が、「池田はエロスの探求を公言してはばからなかったが、実生活での彼は、そんなこと(世俗的な意味でのエロ)はなかった。初めて会ったときも、下心は全く感じなかった」と語っていましたが、少なくとも著名人になってからの彼が語った「エロス」とは、異性に対する憧れや探究心という狭義のエロスを離れ、人間や生き物全て、あるいは地球や宇宙の核心・正体、といった事柄への探求に、広がっていたのかも知れません。

二つの記念館に展示されていた彼の作品に、それが”作品”であることを強調するようなオーラが漂っていなかったのは、彼自身の意識が、他者に提示するものとしての、制作の結果より、探求行為としての制作過程そのものに、強く向けられていたせいなのかも、知れません。

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