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zoom RSS ムチャするなあ(すごく良い意味で)

<<   作成日時 : 2017/04/09 03:39   >>

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今日(正確には昨日ですが)東京ろう映画際で、"LISTEN"という映画を見てきました。
http://www.uplink.co.jp/listen/
ものすごくいい意味で「ムチャ」している映画でした。


 物心ついた頃から音が聞こえない、ろう者にとっても、”音楽”というもの(聴者にとっての音楽とは全く別の、音を完全に排した)が、存在するのではないかという、監督(ろう者)の、脳内での概念実験を、現実世界で強行してしまうという、正面切っての実験映画。

 舞踏家の雫境(DAKEI)氏(彼もろう者)が制作に参加したものの、出演者の大半は、身体表現の訓練を受けたことの無いろう者達。中には演技の経験も無い素人も。そんなろう者達に監督は、「ろう者にとっての音楽とは?」とインタビューした上に、各自の体で音楽を表現してもらうという、無理難題を吹っかける。その根底には、(聴写の都合に合わせるためにプログラムされた)ろう学校での教育などへの疑問がある、とはいえ、理論武装も何もせず、いきなり、音という存在を知らない人達に無音の”音楽”を実演してもらうという・・・・
ほんと、ムチャしてます。


 けれど、その結果は単なる混乱で終わった訳ではなく、(私も含めて)手話を少しでも習った経験のある人が本作を見ればすぐ分かるほど、出演者全員が、彼らの日常の”ことば”である、手話の動きから、緩急やリズムといった要素を、手話の意味から切り離して、これまで存在しなかった世界に、再構成しようと試みているのが分かります(とは言え暗い上映室内での完全無音の作品なので、正直私は何度か夢うつつになりました)。

 後から映画のパンフレットを買って読んだところ、舞踏家の雫境(DAKEI)氏は既に、身体表現の講義で、手話を(言葉として意味をなさないように)でたらめな順に並べて、その手話の動きから身体表現を構成するという課題を出しているそうです。手話の所作と、意味とを一旦切り離して、ろう者にとっての音楽作品を開拓したり、ろう者が手話を習得する過程で、無意識に身につけているはずの、リズム感や”間”の感覚を、ろう者自身が自覚する試みは、これからの、身体表現の世界で、ひとつの流れとして、広まっていくのではないかと、期待させる一作でした。

 私自身、もう20年近く前になりますが、当時の勤め先で行っていた、聴覚障害者向けのイベントで、音が全く聞こえないはずの幼児が、テレビアニメの主題歌に合わせて(音は聞こえなくても振動は感じられる)、夢中になって踊っている場面を目撃しているので、人間にとっての、音楽の根っこは、音波そのものではないのだろう、とは思っていましたが、今まさに、若い世代のろう者達が、その実証に取り組み始めたわけです。
私が生きている間には、市民権が得られるほどの成果は出ないかも知れませんが・・・


P.S.
 本編では全く触れられていませんが、パンフレットの中で、何度も指摘されていることとして、聴者が手話を勉強するために行われている手話歌(既存の歌の歌詞を、手話に訳して、歌に合わせてその手話を披露する)を、ろう者のためと勘違いする聴者が多く、迷惑しているろう者が多いという指摘がありました。(聴者が聞く)音楽のフレーズに合わせて手を動かすと、ろう者が日常会話として使っている、手話本来の緩急やリズムを崩してしまうので、手話歌の手話は、ろう者にとっては不自然で、分かりにくい表現なのだそうです。ろう者の中には、手話普及の支援として、手話歌の指導をなされている方も、少なからずいらっしゃいますが、手話歌を勉強する聴者は、(私も含め)変な勘違いをしないよ
う、気をつけたいものです。

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