創造的とは

あるミッション系大学に務めている教授から聞いた話ですが、キリスト教の教えでは、人が生み出したものを創造とは言わない(言ってはいけない)そうです。宇宙で唯一の創造主は神であり、人間は、神が創造したものを発見することしかできないのだと。けれどこの教え、世俗的な意味での創造物(作品や商品、ビジネスの企画など)の価値を考える上でも、とても有益ではないかと思います。

今の世の中、特にビジネスの世界では、前例が見当たらない事はなんでも”創造”的(クリエイティブ)だと言いますが、創造を、単に「前例が無い」という意味で使うなら、必ずしも、創造=意味がある とはなりません。

繁華街から離れた官庁の跡地に突然現れた高層雑居ビルや東京の下町に登場した、世界一高い電波塔の、根元にあるビル内に作られた人口の街や、不動産会社の都合で、地上から地下5階に移転させられてしまったターミナル駅の上に立つビルの中には、庶民の物欲、虚栄心、一時的な好奇心をくすぐる仕掛けが目一杯詰め込まれていますが、神が創造したものを発見するような喜びが一つでもあるでしょうか? そこまでハードルを上げなくても、一過性ではない、何十年でも、財布のひもをゆるめにくい時でも、連れ歩くパートナーが居ない時でも付き合えそうな出来事があるでしょうか?


めまぐるしく変わり続ける産業やビジネスに負けまいと、自分が世の中のどこに立って、どこに歩いているのか(何と格闘しているのか)見極めようともせず、何か前例の無い解釈法を作り出せないかと概念をいじりを繰り返しながら、それも”アート”だと称して社会からの評価を求めたり(期待ほどの評価が集まらなければ社会の未熟さのせいにする)、概念をいじるならまだしも、先人がこしらえた概念や方法論をなぞるだけの行為にアートとしての評価を望んだり、それを”論”と称して学生から金を巻き上げたり、そんな行いの行く先に、神が創造したものを発見するという意味での、人間としての創造はあるのでしょうか?

クリエイティブとか、創造という言葉が、日常生活用語のようになってしまってから随分長い年月が経ってしまいましたが、これらの言葉の本来の意味を、キリスト教の教えをヒントに、もう一度じっくり考えてみた方がよさそうな気がします。


世俗的な成功を離れて、何かを発見しよう(大事な教えを学ぼう)とする姿勢が創造性であって、前例があるかないかは結果論に過ぎないような気がします。

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