世俗人を祀るは宗教に非ず(LOVEさんの素直な疑問)

8/14の昼に放送された、TOKYO FM の番組”LOVE CONNECTION”でのこと。パーソナリティーのLOVEさんが、毎日新聞論説委員の平田崇浩氏語る”NEWS CONNECTION”のコーナーで、靖国神社問題について、人間を神にして祀る宗教を、海外の人に理解してもらうのは困難で、靖国問題(A級戦犯合祀の是非について)は、これからも平行線のままになりそうだと、語っていました。この発言は残念ながら、番組の公式ブログではカットされてしましましたが、日本国内では見落とされがちな、重要な視点だと思います。

言われて見れば、日本以外の国で、戦死した兵士など、俗世の出来事のために尽くした人間を祀るのは、(地域限定の)民俗・風習に属する文化で、宗教とは別の概念とみなされます。実際、そうした風習に人々が期待するのは大抵、現実社会の生活でのご利益で、(少なくとも建前上は)現実世界の利益から離れた所に価値を見出そうとする、宗教における信仰とは全く異質なものです。

日本の神社は、形式的には一応、神官が居て巫女が居て、参道には鳥居があるなど、統一された様式はあるものの、そこで何が祀られているかと言えば神社ごとにばらばら。五穀豊穣や無病息災、子孫繁栄など、現世のご利益のためという共通点はあるものの、樹木や岩石、山といった自然環境の一部が祀られたり、広い意味での政治(戦闘も含む)で貢献のあった人を神格化して祀ったり、逆に、政治的に不遇なまま生涯を終えた人や部族を(祟りを恐れてか、その関係者からの復讐を防ぐためか?)神格化して祀るなど、様々な自然崇拝や呪術の総称と言った方が良いかも知れない存在です。

そして日本の神社が、もともとは、現在「宗教」と呼ばれる体系立った、かつ現実社会での利害や優劣・豊かさとはと関わりを絶った価値を尊ぶ思想ではなく、現実生活に直結した見返りを期待する、いわゆる”原始”宗教だったからこそ、少なくとも明治維新までの間は、宗教施設である仏教寺院とも共存できた(寺院の敷地の中に神社の祠がある、など)のではないでしょうか?

それが明治維新以降、神社と、様々神社で継承されてきた様々な(原始宗教の範疇に入る)伝承・思想の集合体だった神道が、国民の精神を支配する道具として再編され、神格化された天皇と結び付けられたことで、あたかも神道を、(”原始”というただし書きのつかない、国や民族を超えて広まる)宗教と同列に語る人が、多くなったのではないかと思います。

現実世界の生活での見返りを求める気持ちや、人種や民族を比較する発想を(少なくとも建前上は)絶った、仏教やキリスト教、イスラム教のような宗教が、信仰として一般化している社会で生まれ育った人達にとって、神道を宗教とみなす考えは、理解困難だとしても、何ら不思議ではないでしょう。

ましてや近代国家が、政府側について命を落とした将兵だけを、神格化させるための施設を造って、更にそれを宗教法人にするというのは、”宗教”を真面目に信仰している人達から見れば、まさに、神をも恐れぬ、理解し難い行動かも知れません。

日本社会にはこれからますます、明治政府が造った、特異な文化や価値観について、日本の外からの視点で客観的に、考える必要があるのだろうと、思います。



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